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Writer/チカゼ

ノンバイナリーのぼくは、ニュートラルな「名前」がほしい

ずっと長いあいだ、名前を変えたいと切望していた。ぼくの本名は漢字も響きも、極めて「女性らしい」ものだ。そのことがまるで「女性」の証左みたいで、ずっとずっとずっと、ぼくの首を締め続けていた。そしてもうこれ以上、「女性」のかけらを背負い続けて生きていくことが限界になってしまったのだ。

「下のお名前も変えますか?」と訊かれて、頷けなかった

実を言うと、ぼくには戸籍名を変更するチャンスが一度だけあった。ぼくは日韓露ミックスであり、昨年まで韓国籍だったんだけど、帰化申請の際に本当は下の名前の変更も可能だったのだ。

名前を変更した後の夫の反応が、怖かった

戸籍名変更のチャンスがあったにもかかわらず逃してしまった理由には、夫の反応を怖れていたことが1つ目として挙げられる。ぼくの現在のパートナーはシス男性で、戸籍は「女性」であるぼくと法律上の婚姻関係を結んでいる。彼はそもそもは、ヘテロセクシュアルだった。

交際時から何度も何度も、繰り返し、自分が「女性」ではないことと、あえて分類するのならばノンバイナリーであることは説明していた。それでも、もちろん彼はすぐには呑み込めなかった。彼はLGBTやセクシュアルマイノリティに対してこれといった偏見はなかったが、それは同時にこれらに対して限りなく「無知」に近い状態だったからだろう。

だからこそ、その時点で彼に「名前を変更したい」と打ち明ける勇気が持てなかった。そんなことに難色を示す人ではないだろうけれど、「女性」ではないことをより明確にすることで、彼の気持ちが離れていってしまうのではないかと恐れたのだ。

知人や親戚たちに、噂話のネタにされたくない

怖かったのは、パートナーである夫の反応だけじゃない。昔の同級生や親戚たちなど関係の希薄な「知り合い」に、自分のいないところで好き勝手憶測されるのもまた、想像するだけで不愉快だった。

親しい友人たちには、ぼくはほぼ全員カムアウト済みだ。もっともそれは意識的なカムアウトではなく、長年の付き合いの中で自然に知ってもらったと言う方が正しい。そのため心を許している人たちの反応は、特に気にしていない。「ぼく」という一人称を使用し始めたときだって、彼らは特段の驚きは見せなかった。

けれどもただの「知り合い」に対しては、一切カムアウトをしていない。これからも一生、おそらく、するつもりはない。自分の人生においてさして重要でもないし積極的に関わりたくもない、そのレベルの間柄の人たちの酒の肴になるのだけは、死んでもごめんだ。これが、名義変更をためらった2つ目の理由。

親にカムアウトしたくなかった

虐待サバイバーであるぼくは、両親とは疎遠である。しかし父親は法曹界で顔の効く人間なので、戸籍名変更に際して家裁に申し立てたり、あるいは弁護士を雇ったりすれば、たちまちバレてしまうだろう。それを考えるだけで、非常に頭が痛かった。

父は自称「人権派弁護士」ではあるものの、セクシュアルマイノリティに関しては「教養」以上の知見はない。「俺は理解がある」と自分で言っちゃうような、真の理解からは程遠いようなタイプ。

だから自分がノンバイナリーであることやバイセクシュアルであることを、一生親にカムアウトするつもりはなかったのだ。でも、黙って変更して揉め事になるのもまた、怖かった。これが、3つ目の理由。

それゆえ法務局で「下のお名前も変更できますが、どうされますか?」と職員の方に訊かれたとき、「変えます」と言えなかったのだ。本当は何年も前から、希望する名前があった。現在の戸籍名と響きも意味も似ていて、かつニュートラルな印象のもの。いっそこのまましれっと、ここで変えちまおうか。

一瞬そんな考えが頭をよぎった。けれども3つの理由がすぐにそれを打ち消し、ぼくは数秒迷った末に「このままで大丈夫です」と力無く答えた。

ノンバイナリーのぼくは、「女性」じゃない証拠がほしい

「戸籍名まで変えなくてもあだ名として使えばいいのに、なんで手間や金をかけてまで変更する必要があるの?」と思う人も、中にはいるかもしれない。でも、性自認と剥離した名前で毎日毎日呼ばれ続けるというのは、ぼくにとっては端的に言って地獄なのだ。

名前は唯一の「固有名詞」

だって、名前は唯一の「固有名詞」だ。ぼくが「ぼく」であることを示す、たったひとつのしるしだ。それが「女性らしい」ものだと、まるでぼくが「女性」である証左みたいじゃないか。いくらぼく自身が否定しようとも、「女性」であることから一生逃れられないような気分になる。

そのことがずっとずっとずっと辛くて苦しくて、長年ぼくの心を蝕み続けていた。その限界が30歳を目前に控えた今、訪れたのだろう。もう、「女性」のかけらを背負っていたくない。背負い続けたままでこの先も生きていくのは、もうごめんだ。

ノンバイナリーのぼくらしい、ニュートラルな名前がほしい

先日、親しい友人たちと食事に行く機会があったんだけど、そのとき思い切って「実は何年も前から改名を考えているんだけど」と切り出した。新しい名前を打ったiPhoneの画面を友人たちに差し出すと、「へえ、いいんじゃない」「響きも漢字も良さげじゃん」とさほど驚く様子もなくそう言ってくれた。

そのフラットな反応に、ぼくは大きく背中を押されたのだ。ついに戸籍名変更に付随する「嫌なこと」への煩わしさよりも、「女性らしい」名前を背負い続ける苦痛が打ち勝った瞬間だった。

そうか、ぼくの大事にしたい人たちは、こんなにもきちんとぼくの葛藤を理解してくれているのか。じゃあ、恐れることなんてなくないか。自分にとってさして重要でもない「知り合い」の目を気にして、自分らしく生きることを諦めるだなんて、もったいないだけじゃないか。ノンバイナリーのぼくは、ぼくらしいニュートラルな名前がほしい。

その夜、意を決して夫にその意思を伝えた。彼は戸惑ってはいたものの、すぐに「君の好きなようにしたらいいと思うよ」と言ってくれた。それに安堵したぼくは、その場でFacebookの名前を通称名に変更した。

ノンバイナリーのぼくが戸籍名変更を望むことは、「無駄遣い」なのか

戸籍名変更にあたり、ほぼ絶縁状態だった親父に手紙を書いた。生涯親にはカムアウトしまいと固く心に誓っていたが、翻ってもう彼らは自分の人生に不要だったため、「知られてもまあいっか」と気楽になれた。

しかし親父は案の定、理解を示すことはなかった。自称「教養のある人」だから反対こそしなかったものの、「保険証や通帳の名義は通称名を使えるんだから、それで十分じゃないか。弁護士費用も安くはないのに、無駄遣いだ(※)」というなんとも差別的な言葉をぶつけてられて精神が削られた。

側から見れば、そうなのだろう。だけど、証拠を示さずともシス男性でいられる人間がそれを言うのはずるい。ぼくが女でも男でもないことを、ノンバイナリーであることを、公的に証明してくれるものは現状なにひとつないのだ。証明できるなにかを切実に望むことは、「無駄遣い」なのか。そんなはずはない、絶対に。

※戸籍名変更を家裁に申し立てる際、必ずしも弁護士に依頼する必要があるわけではない。

戸籍名変更を望むノンバイナリーに、情報が届いていないこと

戸籍名変更を決意してから、改めて必要な書類や手続きについて調べた。変えたいと考え始めたのはもう何年も前だったから、ある程度の知識はあったんだけど、一方で耳に入ったことすらない情報も少なくはなかった。

ノンバイナリー当事者に、必要な情報が届いていない事実

まず、ぼくは人から教えてもらうまでノンバイナリーも性同一性障害(GID)の診断が下りることを知らなかった。トランスジェンダーが自身のセクシュアリティを理由に、戸籍名変更を家裁に申し立てる際、GIDの診断書をもらうことで申請が通りやすくなる。

でも、GIDはあくまでFTMないしMTFの方しか下りないのだと思い込んでいた。そのため、「ノンバイナリーのぼくには性同一性障害の診断がつかないし、通称名を5年くらい使ってからじゃないと無理なのかぁ(通称名の使用実績が5年以上あれば、家裁が戸籍名変更に必要な条件として例示している「正当な事由」に該当すると判断されやすくなるため)」と勘違いして憂いていたのだ。

そして、GIDの診断書を医師からもらえば、戸籍名変更前でも保険証の名義を通称名に変えられることもまた、今回詳しく調べて初めて知った事実だった(2017年に厚生労働省が通達を出している)。身分証明書の名義が変更済みであれば、家裁申し立ての際にも役に立つ。銀行によっては、通帳の名義も変えられる。

こんな重要な情報が、ノンバイナリー当事者である自分たちに届いていなかった事実に愕然とした。事実、ここNOISEでの連載を通じてぼくのTwitterにたどり着いてくれたフォロワーさんの数名もこのことを知らなかった。これってけっこう、ゆゆしき事態なんじゃないか。

「どっちでもない」ノンバイナリーは、「どっちでもいい」わけじゃない

男女どっちにも当てはまらないノンバイナリーは、だからといって「どっちでもいい」わけじゃない。名前に限ったことじゃないけど、こうした勘違いはSNS上なんかでもわりによく見かける。

「男女の枠組みに囚われないんなら、女性らしい/男性らしい名前でも構わないんじゃないの」「名前に女性らしさ/男性らしさを感じるなんて、ノンバイナリーであることと矛盾していない?」なんていう人もいるけれど、少なくともぼくは嫌だ。なんか欅坂46みたいになったけど、ぼくは「女性らしい」自分の戸籍名に強い嫌悪を覚える。

もちろん、ノンバイナリー当事者かつ「女性らしい/男性らしい」名前を持つ方で、特に違和感はないという人だっているだろう。でも、それは単純に個人の感受性の違いだ。ぼくはこの社会で一般的に「女性らしい」とされる、女性にしか名付けないこの名前で呼ばれることが、とてもとても嫌だ。性自認と名前の齟齬を苦しいと思う気持ちを、他人に否定されたくはない。

ノンバイナリーだってトランスジェンダーだし、性別違和がある人もいる

ノンバイナリーは、トランスジェンダーだ。FTMないしMTFの人たちのようにわかりやすい違和感や性別移行じゃなくても、ぼくは確実にtransしている。生まれたときに勝手に割り振られた性別が女性でも、逆立ちしたって己のことを女性だとは思えない。ぼくには性別違和もあるし、身体を変えたいとも希望している。

ぼくたちだって、トランスジェンダー当事者が必要とする情報を求めているのだ。それがまさかこんなにも、きちんと届いていないだなんて。ぼくたちの抱えている問題が軽視されている気がして、なんともやるせなくなった。

ノンバイナリーが持つ違和感を、無視しないで

ぼくたちノンバイナリーを、いないことにしないで

セクシュアル・マイノリティの中でもとりわけ可視化されにくい存在だけど、ノンバイナリー当事者は確実にいる。割り当てられた性別と、自分の身体と、その心に、齟齬を感じる人間だっているのだ。それを解消し、より快適に生きたいと思う気持ちを、無視しないでほしい。

ぼくはただ、証拠がほしい。男でも女でもない証拠として、ノンバイナリーのぼくは、ノンバイナリーらしい(とぼくが感じる)ニュートラルな名前がほしいのだ。

「多様性が叫ばれる今の時代、君の文章は社会に求められていると思うよ」

ぼくが女性ではないこと、ノンバイナリーであることを、なかなか呑み込めなかった夫が、改名の意思を伝えた数日後にぽつりとそんなことを言った。LGBT関連の新しい仕事が決まったことを彼に報告すると、「おめでとう」の言葉の後にそう何気なく続けたのだ。

ぼくが改名を迷っていたいちばんの理由は、繰り返しになるけどパートナーである彼の反応が怖かったからだ。その彼に、まさかそんなふうに言ってもらえるなんて。ものすごく嬉しくて、その晩、彼の隣でこっそり枕を濡らした。彼はぼくの新しい名前に慣れようと努力してくれて、今ではすっかりぼく以上に馴染んでいる。

ぼくたちノンバイナリーは、特別扱いだとか、なにもそういうことを求めているんじゃない。ただ自分らしく在りたいと、願っているだけ。現状の生きづらさを発信しているのは、苦しみを訴えることで社会にきちんと認知されたいからだ。

存在を、知ってほしい。

ぼくはただ「ぼく」として生きていきたい、それのみをずっと望んでいる。たぶんきっと、他のノンバイナリー当事者も。

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