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Writer/Jitian

LGBT関連の「言葉狩り」。でも、その変化で生きづらさが変わるかも

東京ディズニーランドおよび東京ディズニーシーにて、2021年3月18日から園内放送で使用されていた台詞 “Ladies and gentlemen, boys and girls” を “Hello, everyone” とジェンダーに配慮したものに変更したと発表しました。今回は「ポリコレ」の影響で変わる言葉について考えていきます。

言葉狩りで生きづらい世の中になった?

この東京ディズニーランド、ディズニーシーの取り組みについて、皆さんはどう思いましたか?

言葉狩り?

最近、ジェンダーに配慮し、従来のサービス内容を見直しているところが増えてきています。たとえば、「男女」の枠組みだったアナウンス内容を変更しているところは、ディズニーだけではありません。JALでも昨年2020年10月1日から同じように機内アナウンスが変更されています。

しかし、ディズニーの件が報道されると、企業のこのような取り組みに対し「言葉狩りだ」「生きづらい世の中になった」と非難するツイートが、Twitterでバズっているのを見かけました。果たしてこれらの企業の取り組みは、誰かの生きづらさを生んだ「言葉狩り」なのでしょうか。

言葉狩りとは

「言葉狩り」という言葉をインターネットで調べると、ウィキペディアには「不当な要求をして特定の言葉を遣わせないようにする事」とあります。すなわち「言葉狩り」だと主張する人たちは、サービス提供側がジェンダーに配慮した言葉を選択するのは不当な要求に答えた結果だと主張しているということになります。

他方、JALはこのアナウンス変更について “Ladies and gentlemen” から文言を変えたとしても困る人がいないと判断して、変更に踏み切ったと言います。
実際、この変更で困る人はいるのでしょうか。「乗客一人ひとりを『皆様』などと一括りにして失礼だ!」「自分を男性/女性扱いしないつもりか!」と怒る人がいるとは、正直思えません。

「言葉狩り」だと言った人は、無論こんなことを主張したいのではないということは分かっています。いるかも分からないマイノリティのことを、いちいち想定しながら言葉を選ばなければならないなんて面倒だということなのだろうなと推察します。

ただ、今までの自分の言葉の選択で、見えていなかったマイノリティを傷付けたりモヤモヤさせたりしたかもしれないと、ここで一旦立ち止まって考えてみて欲しいのです。

取り組みを歓迎、推奨したい

Xジェンダー当事者として、私はこの企業の動きが素直にうれしいです。かつての “Ladies and gentlemen” という呼びかけでは「自分は排除されている、歓迎されていない」とまでは思わないものの「やっぱりこの世には男女しかいないのが当たり前なんだな」とは心のどこかで感じていて、モヤっとしていました。

自分のような存在に気付いてもらえて、全体から見れば少数派である自分も客として歓迎する気持ちを表してくれたと思うと、やはり喜ばしいものです。

特に、大企業や有名なサービスがこのような取り組みをし、それが全国的なニュースとして報じられたことによって、他の業界や個々の人にも(それがたとえ「言葉狩り」というマイナスイメージであっても)大きく影響を与えたと思います。

言葉が意識を変える

これらの企業の取り組みは、取るに足らないことだと気にも留めていない人もいるかもしれません。しかし、こういった草の根的な取り組みが、やがて大きな影響を与えて社会を変えると私は信じています。

父兄から父母、そして保護者へ

ここで、言葉が変わっていった言葉の例を取り上げてみましょう。たとえば「父兄」という言葉。文字通り父および兄という意味もありますが、一般的には子どもの保護者を指します。

しかし、この言葉は「家の代表は男性であること」という、まさしく家父長制を表した言葉と言っても過言でないでしょう。女性からすれば、母や姉といった人物はいないものとして扱われているように感じるのではないでしょうか。

ただ、今となっては「父兄」はほとんど使われることはないと思います。私が子どもだった二十年ほど前でも、お年寄りからまれに聞く程度でした。「父兄」が使われなくなった後、代わりによく言われていたのが「父母」だと思います。ただ、これも一見よさそうですが落とし穴があります。

確かに、子どもの保護者は大抵の場合父母が担っていることが多いと思います。しかし、そうではない家庭も少なくありません。ひとり親で子どもを育てている人は今や少なくありませんし、親戚や祖父母が子どもを代わりに育てている人もいるでしょう。施設で暮らしている子どももいます。

そして現在、一般的に使われているのが「保護者」という言葉です。これならばどのような立場の人であれ、保護者であれば皆該当します。

「父母」「親」という言葉で取り残される人々

実はこれは、私が大学生のときに塾講師のアルバイトをしていた際に直面したことです。
生徒の保護者に言及する際、私はつい「お父さん、お母さん」「親御さん」と言いがちでした。

しかしある日、生徒の中に、諸事情で親戚が保護者であり実質的な親代わりとして暮らしている人がいることを知りました。それまで、私はその生徒が実の親と暮らしている前提で話していて、しかもその生徒も私の話に突っ込まずにスルーしていました。

私は、知らず知らずのうちに生徒を傷付けていたかもしれない、モヤモヤさせていたかもしれないと反省しました。それからは、生徒の保護者のことは必ず「保護者の方」と言うようにしました。

変えればいいというものでもない

一方、言葉を変えていくのに懐疑的な意見を持つ人の気持ちも、分からないでもないのです。

「性的マイノリティ」はNG

言葉を変えることによって、むしろ差別に対する見方が悪化してしまうのではと思われる事案も発生しています。

たとえば昨年2020年12月、京都府亀岡市にて、行政として「性的マイノリティ」という言葉を使用しないという判断がされました。この理由は「性的という言葉が日本では性犯罪などを連想させる」と市議会などから意見が出たためだというのです。代わりに使われる言葉は「多種多様な人たち」です。
確かに、今までの私の理論から行けば「多種多様な人たち」とした方が包括する人の幅が広がる(というか、誰でも当てはまる)ので一見よさそうなのですが、どうも引っかかります。

問題が見えなくなる

この亀岡市の方針には、問題が二つあると考えています。

第一に、この市議会においては「性的マイノリティ」という言葉から性犯罪が連想されると判断したとのことですが、この意見は市民に聞いて取り入れられたものなのでしょうか。特に、それまで意見を交換していたLGBTQ当事者から「性的という言葉は使ってほしくない」という意見が寄せられたのでしょうか。

それならば、代替語としては何がよいのかヒアリングしたのでしょうか。正直に言って、「多種多様な人たち」への代替は、マジョリティがマイノリティへの “配慮” をこねくり回した結果出てきたもののような気がしてなりません。

第二に、「性的マイノリティ」から「多種多様な人たち」という言葉に変えることによって、LGBTQに関する問題が隠れてしまうのではないかという懸念があります。たとえば、従来の亀岡市のパートナーシップ制度に関する文章の中には、「性的マイノリティ」のことを「性的指向が異性愛のみでない者又は性自認が出生時の性と異なる者」と明確に定義づけしています。これによって「性的指向が異性愛のみでない者又は性自認が出生時の性と異なる者」が、少数ではあるが確かに存在しているということを市として認めるということになります。

しかし、それを「多種多様な人たち」とすると、LGBTQを含む色々な問題が一緒くたになってぼやけて、何が問題なのか、どういう人がいるのか、問題が見えづらくなるのではないでしょうか。

実際、この亀岡市の方針には多くの批判が寄せられたようです。現在もまだこの方針は変わっていないようですが、再度検討してもらいたいなと思っています。

04議論をしてベストを選択しよう

どのような表現を選ぶかという問題は、人によって考え方も異なりますし、その都度考えられる最善の選択も変わることでしょう。

障「害」「碍」「がい」

「どのような言葉を使うのが適切か」といった議論は、もちろん先程の「父兄」と同じように、何もLGBTQ界隈だけの話ではありません。その中でも、皆さんが最も身近に感じるのが「障碍者」をどのように表記するかということではないでしょうか。これには現在「障がい者」「障害者」「障碍者」の3パターンがあります。

ざっと歴史を説明すると、昔は「障碍者」が使用されていましたが、その後常用漢字だからという理由で「障害者」が一般的に普及。しかし「害」という字に悪いイメージがあるということで、現在は「障がい者」を採用している企業や団体が増えています。

この言葉についても、「害」は確かによいイメージがないので否定的な当事者団体が多いものの、「がい」とすると障碍者に生活における “壁” が見えづらくなるという指摘もあります。ここで言う壁とは、障碍者が生きづらいのは社会的に壁があるからであって、障碍を抱えているのは障碍者自身ではないという考えです。

確かに、たとえば視力が悪いということも見方を変えれば障碍の一つと考えられますが、大抵の人はメガネやコンタクトレンズ、レーシック手術などで問題なく生活を送れているので、視力の悪いすべての人が生きづらさを生んでいるとは必ずしも言えないと思います。

言葉は、議論が必要

言葉は、様々な場面で多くの人に使われることによって、初めて意味が生じるものです。また、たとえ同じ文脈であったとしても、言葉を見聞きして感じるものは千差万別で、感覚そのものには正解も間違いもありません。

このNOISEの記事の中でも、言葉の変化に取り組む者、その変化を歓迎する者、批判する者、様々な立場の人がいました。こと「言葉」においては、よりよい社会を作っていくためにはどのような言葉を使うのがよいのか、当事者の言葉を聞きつつ議論を重ねてベストを尽くしていきたいです。

◆参考URL
・TRAICY 「JAL、機内・空港アナウンスの「ladies and gentlemen」廃止 性的少数者に配慮」
https://www.traicy.com/posts/20201001183682/

・京都新聞 「『性的マイノリティ』行政用語として使用しない方針 差別的語感「性犯罪を連想」 京都・亀岡」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/454643

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