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Writer/Jitian

エンタメ「LGBTQ作品」鑑賞時の注意点

ここ数年で、LGBTQのキャラクターが登場したり、LGBTQそのものがテーマになったりする映画やドラマが全国展開されることが増えました。一方で、そういった作品の批評コメントを読んでいて、LGBTQ当事者としてときどき引っかかることがあります。

今回は、LGBTQ当事者の視点から、LGBTQのキャラクターが登場する作品、および作品鑑賞の視点について考えます。

シスヘテでも同じことを言いますか?

確実に増えたLGBTQ作品

LGBTQに関連する映像作品自体は、昔からありました。しかし、そういった作品は、ボーイズラブ(BL)やガールズラブ(GL、百合)が好きな人や、LGBTQ当事者といった「一部の人のもの」という位置づけでした。全年齢向けだったり、全国で話題になったりすること自体、もともと想定されていなかったように思います。

しかし、ここ数年でその状況が大きく変わりました。特に、全国的に展開されることが増えたと感じるのがBL、いわゆる男性同士の同性愛を描いた作品です。大河ドラマや朝ドラ、月9で主演するような、著名な大物俳優が当事者役を演じたり、ゴールデンタイムに堂々とコマーシャルが流れたりすることも珍しくなくなりました。

また、BLが主題でなくても、登場人物としてさらっと同性愛者が描かれるということも、少しずつですが増えました。どれも、10年前には到底考えられなかったことです。私はこの変化により、LGBTQがタブーとされていた時代から、少しずつ抜け出しつつあり、素直に喜ばしいと思っています。

シスヘテとか同性愛とか関係なく

私自身も、LGBTQ当事者として、また、いち視聴者として、LGBTQをテーマにした作品をよく観ます。そして、鑑賞後にはSNSやネットで、作品批評コメントをよく読みます。しかし、これらを読むと、もやもやした気持ちになることが実に多いのです。例えば、BLの作品でよく見かける批評コメントには、次のようなものがあります。

・BLでも楽しめた。
・これはBLではない。
・同性愛とかは関係なく、真面目に人と人とのつながりを描いている。

また、トランスジェンダーが出演する作品では「トランスジェンダーとかは関係ない。これは普遍的な親子愛の物語だ」などと言われることもあります。

また、このようなコメントは、作品を鑑賞した人だけでなく、しばしば作り手側(監督や役者など)にも見受けられます。

そして、こういったコメントを見たとき、私は心の中でこのコメント主に「そのコメント、異性愛だったり、キャラクターがシスヘテ(マジョリティ、ストレート)だったりしても、同じことを言いますか?」と問いたくなるのです。

少なくとも私は、異性愛が描かれている作品で「異性愛でも楽しめた」「異性愛とかは関係なく、真面目に人と人とのつながりを描いている」などというコメントを目にしたことがありません。

何でもないように思える感想も、言葉を置き換えてみるとその違和感に気付けると思います。

やっぱりLGBTQは別世界の話?

言いたいことは分かっているつもりですが・・・

大抵、「BLでも楽しめた」というようなコメントをする人自身は、シスヘテです。
言いたいことは分かるつもりです。

「LGBTQ」と聞くと、身近に知っている当事者がいない限り、どうしても別世界の話に思えてしまうのだろうと思います。しかし、実際に作品を観てみると、考えていることや行動は、マジョリティである自分とそう変わらないのだと気付きます。LGBTQ当事者も、自分と同じ人間なのだと感じられるのです。

共感するには、自分と同じ状態に置き換えた方が理解しやすい、ということはよく分かります。しかし、そのスタンスは、まだキャラクターやテーマを遠くから別世界のものとして見ているのではないでしょうか。

尤も、私が「BLでも楽しめた」などのコメントを見たときに「この人、まだ同性愛は別世界のことだと思っているのでは?」と感じるのは、私自身がLGBTQ当事者の一人であり、作品を鑑賞するときはマイノリティ側の目線で観るからかもしれませんが。

LGBTQを扱った作品だと認めたくない?

ただ、このようなコメントを見るにつけ、私はこの人たちが単にLGBTQを遠くから眺めているというだけではないようにも思います。つまり、「BL『でも』楽しめた」という言葉が表しているように、いったんLGBTQをテーマにしていることを否定しないと、批評の段階にすら入れないということです。

作品やキャラクターに共感するために、まず自分の慣れ親しんだ枠組み(シスヘテ)に当てはめるのは理解できます。しかし、作品の中のマイノリティを否定すると、マイノリティを扱った作品に触れていることすら、意味がなくなってしまうのではないかと思うのです。

作品に触れることでLGBTQを身近に感じてもらえたら、身近に当事者はいると想像を巡らせてもらえたらと思っているのに、マイノリティそのものを否定されては本末転倒です。

これからも作品が増えてほしい

これまで、LGBTQをテーマにした作品に対する批評について触れてきました。一方で、LGBTQ当事者を扱った作品自体は、これからもどんどん増えてほしい、もっと全国展開してほしいです。

毛嫌いしないで観てほしい!

ここまで、批評コメントに対する意見を述べました。この内容からすると、まるで私が、シスヘテの方々にはLGBTQをテーマにした作品を観てほしくない、と考えているのではと思われるかもしれません。

しかし、実はまったく逆で、より多くの方に観てほしいと思っています(そして、いつか自分自身でも作品作りに少しでも関わりたいとも思っています)。また、個人的にはむしろ色んな作品がたくさん出てきてほしいのです。

シスヘテが、LGBTQは別世界の話と捉える理由として、そもそも当事者がどういった人たちなのか身近で知らないから、というものが極めて大きいと、私は考えています。そのように考えている人に対して、周りにいるLGBTQ当事者がカミングアウトするのはかなりハードルが高いです。しかし、エンタメを通じてならば、非当事者がLGBTQを知る機会はぐっと広がります。また、当事者も作品をお勧めするくらいのことなら、カミングアウトよりずっと行動に移しやすいはずです。

「一人じゃない」の安心感も

LGBTQ当事者自身も、実は周りに当事者がいるのだけど、お互いにカミングアウトしていないために、この世に当事者は自分ひとりだけのように感じるということもあると思います。

作品がどんどん発信されていくことで、自分以外にもLGBTQの人たちが身近にいるんだ、一人じゃないと思えるようになるのではないでしょうか。

実際、私も学生のときは「どうして自分だけ普通じゃないんだろう・・・・・・」と、よく悩んでいました。しかし、もし当時、今くらい作品が充実していれば「私だけじゃないんだ! このままでいいんだ!」と思えたかもしれません。

制作者がマジョリティであることを忘れないで

ただ、ここで一つ留意したいことがあります。多くの場合、作品づくりに関わる関係者の大多数は、シスヘテであるということです。

マジョリティがマイノリティを演じるということ

特に、シスヘテがLGBTQ当事者の役を演じることについては、各地で賛否両論が上がっています。個人的には、必ずしもLGBTQ当事者が、当事者役を演じるべきだとは思いません。セクシュアリティは重要な要素ですが、そもそも「役を演じる」ということは、自分でない何かになるということ。セクシュアリティの違いだけで、そこまで固執すべきなのだろうかと思うからです(ただ、LGBTQ当事者の役者が、当事者であるというだけで仕事の機会が失われているのなら、それは差別の可能性があるので、差別解消に向けて考えなければならないと思います)。

また、少なくとも、今まで私が観てきた作品において、LGBTQ当事者役を演じきった素晴らしいシスヘテの役者の方もたくさんいました。勿論、役者さんは当事者に会って話を聞くなど自分でも勉強され、どのように演じればよいか深く考え、そういった努力に裏打ちされた演技だったと思います。また、最近ではトランスジェンダー役をシスヘテの方が演じる場合には、トランスジェンダー当事者が演技指導に就くことも珍しくありません。

マイノリティが関わりさえすればいいのか?

それに、マイノリティ当事者がLGBTQをテーマにした作品を制作すれば万事よし、ということでもないはずです。当たり前のことですが、当事者にも様々な人がいるので、当事者が作品づくりに参加すれば、素晴らしい作品が出来上がるなどという保証はありません。

しかし、普段の自分にない感覚を想像して演じたり、演技指導したりするということは、文字通りフィクションの世界です。制作側に「LGBTQは別世界」という感覚が抜けなかったために、演技や作品全体に「LGBTQなど関係ない」などといった遠くからの捉え方が漂っていないかということは、常に意識しながら鑑賞したいです。

当事者目線を感じやすい媒体、エンタメの力に期待

LGBTQに限らず、差別を解消するには、知ることがまず大事だと思っています。しかし、非当事者からすれば、実際の事件を調べたり、当事者の元へ足を運ぶなど、当事者ではないのにそこまで行動する人は極めて少ないはずです。

それよりも、ドラマや映画作品を通してLGBTQに触れることはかなり簡単です。気軽に当事者目線を感じられる媒体でもありますし、全国放送のドラマともなれば、話題になりやすいもの。アンテナを張っていない人でも「たまたまテレビをつけていた」などと、偶然目にする可能性もぐんと高まります。

最近は、SNSでバズればより拡散しやすくなっています。認知を広めるにはいいことだと思います。より多くの接点を作るという意味で、今後もどんどんLGBTQに関連する作品が増えてほしいと願ってやみません。

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