02 普通にしているのに、からかわれる
03 自分に生きてる価値なんてない
04 男性の胸に抱き寄せられて
05 本当に表現できる人間を目指して
==================(後編)========================
06 予め決められたカミングアウトの日
07 初めての出会いと哀しい別れ
08 あふれ出た思いは、伝播してゆく
09 世界はこんなにも僕を受け入れてくれる
10 自分ではなく、みんなのために
01おばあちゃんが縫ったスカート
目の前の大きなカンバス
幼い頃の記憶をたどると、目の前には必ず、大きな “画用紙” があった。
それは両手を目いっぱい広げても、足りないくらいの大きさ。何しろ部屋の壁一面が、思うままに描いていい、自分だけのカンバスだったのだから。
「あれは何歳のときだったかな。『壁に何でも描いていいよ』って、両親が言ってくれたんです。初めは何を描けばいいか分からなかったけれど、そのうち絵具やクレヨンを持ち出して、絵とも呼べないような絵を、描いている自分がいました」
昔から両親のことは好きだった。自分がやりたいと言えば、大概のことはやらせてくれ、しつけ以外、何かを押し付けられた記憶もない。
「ただ無我夢中に、絵を描くことが楽しかった。当時はなぜ、両親が家の壁を汚してまで創作の場を与えてくれたのか、理解できない自分でしたけど」
高卒で8人兄弟の末っ子だった父が、実はレタリングを学ぶために芸大進学を志していた、と知ったのは、もっと大きくなってからのこと。
父の夢や思いを、今の自分は引き継げているのだろうか。
今は時折、そんなふうに考えることもある。
小さな僕が欲しかったもの
そんな大らかな両親だったからだろう。今は少し風変わりと顧みれるお願いも、躊躇なく受け入れてくれた。
「社会人になって母に聞いたのですが、まだ幼稚園の僕が『スカートが欲しい』と言ったことがあるそうです。それを見た祖母が、お手製でスカートを作ってくれて。喜びいっぱいでそれを履き、クルクル回っている僕を、両親と祖母は不思議に思うでもなく、ただ笑って眺めていたらしくて」
欲しいものはスカートだけに止まらなかった。
初めてサンタさんにお願いしたプレゼントは、シルバニアファミリーの人形と家具のセットだ。
「クリスマスの朝、目を覚ましたら枕元にお願いしたものが置いてあって。『やったー、サンタさん、シルバニアファミリーをくれたよ』と両親に見せに行ったら『良かったねー』と笑顔が返ってきました」
幼稚園の連絡ノートには、いつも先生から「教詔くんは女の子とばかり遊んでいます」とのコメント。けれど両親はそれを怪訝がって「男の子と遊びなさい」とは言わなかった。
家ではひたすら絵を描いた。壁に描くだけでなく、自分で絵本も作った。そんな自分を、両親はいつも微笑んで見つめていた。
何をも受け入れてくれる環境で、のびのびと育った幼少期。
ただ自分の知らないところで、家庭は大きな問題を抱えていた。小学校に上がる前に家業が倒産したのだ。
その頃は察知できなかった両親の苦悩。
けれど大人になった今だからこそ、その労苦を隠して自分を優しく包んでくれた父と母を有り難く思う。
あの大きなカンバスと両親の寛容さがなければ、今の自分は存在し得ないのだから。
こうして小学生になった頃から、親の仕事の都合で転校を繰り返す日々が始まった。
02普通にしているのに、からかわれる
転校の連続で閉じていく心
料理人やパン屋、葬儀屋にトラック運転手。父も母も、自分と6歳下の妹を育てるために、さまざまな職場で働いた。
ただ仕事が変われば住む場所も変わる。度重なる引っ越しが、学校生活に少しずつ暗い影を落とし始めた。
「家にこもって絵を描いたり、妹のリカちゃん人形で遊んだり。そんなに活発ではなく、むしろ内気な子どもだったんです。でも転校生って、嫌でも目立つじゃないですか。初め教室でみんなの前で挨拶するところから始まって、廊下を歩けば珍しいものでも見るかのように、ジロジロと見つめられる。おとなしい性格だったので、注目を浴びるのが苦しくて苦しくて。どんどん引っ込み思案になっていったんです」
そして子供にとって一番辛いのが、自分は運動が苦手なんだ、と気づいてしまうこと。
小学生時代はスポーツ万能ならヒーローだが、特別に苦手だと、それは学級カーストの最下層になる危険性をもはらむ。
「運動が苦手、という以前の問題でした。小学校1年生の時に、近所のサッカー教室へ入部したんですが、味方にゴールしてしまうくらいの不器用さで。もちろん同級生にも先輩にも、散々バカにされました。学校でも体育の授業がドッチボールだと、まず一番に標的にされるんです。当時から行動も少し男の子らしくない感じがあったからでしょう。まず自分が走って逃げる姿を見て、同級生が爆笑するんです。で、クラスの人気者に豪速球をぶつけられ、転んだ弾みで掛けていたメガネまで吹き飛んでしまう。それを見て、またクラスメイトが笑う。もう恥ずかしくて恥ずかしくて。学校に行きたくない、と思ったこともありました」
苦境を支えてくれた両親
それでも毎日元気に学校へ通えたのは、両親の支えがあったからだ。
たとえ仕事が辛くても、子どもたちの前では平静を装う。元来の大らかさは、家計が苦境に立たされてもなお、健在だった。
唯一、押し付けられたことといえば、床屋に行くたびにスポーツ刈りにさせられたことくらいだ。
「学校でいじめられていることも、両親に相談しました。父も母も『そんなのいちいち気にするな。お前はお前でいれば、いいんだよ』と、頭を撫でながら励ましてくれました」
小学生になってから、自ら志願してピアノを習うようになった。教えてくれたのは母だ。
これも大人になってから知ったことだが、母も音大への進学を望んでいたが、家の事情で夢を諦めた。自分たちができなかったことを子どもにはさせてやりたい。
何時もそれが、両親の願いだった。
「図工と音楽と理科の成績だけは、いつも5だったんです。担任の先生も、そこはすごく褒めてくれて。自分には得意なことがあるんだと思うと、同級生にどれだけバカにされても、学校には行くことができました」
そして初めて、自らの中に恋愛感情と呼べるようなものが芽生える。
「小2のときに、ある男の子を意識しだしたんです。すごく優しい子で、僕が皆にバカにされているのを知っているのに、親切にしてくれて。たとえば鉛筆を忘れたら、笑顔で貸してくれたり。仲良くしてくれるのが嬉しくて『手を繋ぎたい』って思わず言ったら、ギュッと握ってくれたんです」
家庭でも、ちょっとした事件があった。
「父が突然『オカマにはなるなよ』って、笑いながら僕に言ったんです。当時、テレビにそういう人が出始めていたから、軽い冗談のつもりだったのかもしれません。まぁ、小さい頃に喜んでスカートを履いていたから、それくらい言っても不思議ではないんですけど」
車体をデコレーションする楽しみを覚えて、ミニ四駆にハマった時期もあった。だが、どちらかというと、あやとりやままごとが好きな少年だった。
外よりは家で遊ぶ方が好きで「うさぎさんからお手紙が来ました」と言いながら、ラジカセを使い、一人DJごっこをしたこともある。
ほかにも漫画を描いたり、家にあったビデオカメラでムービーを撮影して、逆回し再生して遊んだり。壁に絵を描くのもそうだが、年の割には創作性の高い、ませた一人遊びが好きだった。
03自分に生きてる価値なんてない
女子を好きになろう
中学生になると、体育は身体を動かすだけではなくなる。
教室で座って学ぶ、保健体育の授業が始まった。
「実は小学校の高学年の頃から、自分の恋愛感情に違和感を覚えていたんです。たとえば水泳の授業で、カッコいい先輩や筋肉質な男の子の裸を見ると、妙にドキドキして。でもそのときは、それが恋心か何か、まだ分からなくて」
そんなとき保健体育の授業で、“男性と女性は結婚し、性交渉を経て出産、家族を作っていく”、一般的な人類の営みを学んだ。
「違和感を覚えると同時に、女の子を好きにならなきゃ、と焦りました」
相変わらず、中学校でも、からかわれていた。
その仕草や話し方を理由に「オカマ、オカマ」と同級生に言われることもあった。男らしくできない、女も好きになれない自分はダメな人間で、生きている意味もないんじゃないか。
自分を責めてばかりいる中学生活だった。
押さえきれない好奇心
学校では自分の思いを隠すことができた。
が、家の中までは素直な感情の発露を押さえることはできなかった。
「部屋でゲーム雑誌を見ていたら、ある格闘家さんが出ていたんです。服は着てるんですけど、肩幅の広さとか、胸板の厚みは伝わってきて。ああ駄目、カッコいいって、やっぱり気持ちを押さえることができなくて」
同時に深夜テレビで流れていた映画で、ゲイというセクシュアリティを知る。
「ああ自分はこっちの人間なんだろうな、と、少しずつではあるけど分かってきました。今思えば、この頃が僕のセクシュアリティの出発点です」
部活は卓球部に入ったが、すぐ辞めた。
帰宅したら、妹が買った少女漫画を熱心に読み、とくに「セーラームーン」の変身シーンに憧れた。テレビでドラマを見たり、小説を読んでいても、いつしか女子の気持ちで物語を追っている。
どうしても “普通の男子” には、なれなかったのだ。
04男性の胸に抱き寄せられて
トイレの時間も笑われる
高校に進学しても、自分を取り巻く環境は大きく変わらなかった。
普通に振舞っても、女っぽいとからかわれる。
トイレに行けば、後ろから同級生が付いて来て、用を足している自分を覗き込んで来る。「お前、本当にツイてるのか?」。
個室に飛び込んでも、まるで懸垂するかのように壁の上から顔を出し、こっちを見つめる同級生。
「あとは突然、後ろから抱きつかれたり。僕が『キャ〜!!』って驚くのが面白かったみたいで。いきなり身体を触られたこともありました」
かまわれるのが嫌で、男らしくしようと自分のことを「俺」と言ってみたり、大股で座ってみたり。
それでも同級生からの嘲笑は止まない。
「セクシュアリティと関係なく、もっと虐められている子がいたから、なんとか我慢できたんです。自分はあの子よりもマシだ、って。でも今思えば、あの子のことも助けてあげるべきだったんです」
新しい表現の場と出会って
そんな苦しい学校生活を支えてくれたのも、やはり表現の場だった。
中学は帰宅部だったが、物珍しさに惹かれて、高校はジャズ部に入った。ドラムを叩いていると、不思議とクラスでの嫌なことが忘れられた。
「嗜好の似た人が集まっていたからでしょうか、部活の人たちは僕をからかいはしなかったんです。『リズムが狂ってるよ!』ってよく注意はされましたけど(笑)。みんな同じ方を向いて頑張っている、“仲間って、こういう友達のことを言うのかな” と思いました」
また不思議な同級生との出会いも、大きかった。
「高2のときに心惹かれた同級生がいたんです。きれいな顔立ちで、髪の毛も毎日しっかりセットしてる男の子で。ああ同じクラスになれれば、と思っていたら、3年生で願いが叶って。教室で彼と話している時は、ああこのままギュッと抱きしめて欲しい、といつも思っていました。もうオーラが漂うくらい、強く切望していたんです。そしたら、ある日突然、向こうから抱き寄せてくれて」
本当に突然のことだった。自分がそうして欲しい、と口にしたわけではない。
彼もただ “なんとなく” 抱きしめただけのようだった。
このときから、オーラや予感というものを強く意識し始めるようになった。
05本当に表現できる人間を目指して
父の志した道を行く
高校卒業を前に、自らの進路に迷い始めていた。絵を描いたり、楽器を触ったり。とにかく表現することが好きだった。ならばこれから、どういった道を歩むべきなのだろうか。
「自分の一番の理解者である両親に相談してみたんです。そうしたらデザインの専門学校がいいんじゃないかって」
ひょっとしたら、父が叶えられなかった夢を託されたのかもしれない。それでも歩んだデザインの道は、想像以上に楽しかった。
「志の高い人が多かったから、皆、競争心は凄かった。けど、大きな刺激を受けました。自分は昔から、ポップでかわいいものが好きだったから、その表現を極めようって」
変わっていく自分
交友関係もまた、高校生の頃とは違ってくる。
「入学当初は、女の子と一緒にいてばかりだったんですけど、リーダー角の子に『伊藤くん、男なんだから男の子と仲良くしなよ』ってガツンと言われちゃって。ショックでその子達とは疎遠になって、孤立してしまったんです。でもその後、別の仲良しグループに混じれて、だんだん自分の気持ちもほぐれてきて。高校までの自分は、周囲の同級生を警戒してばかりだったので」
親に遠慮して短くしていた髪も、伸ばし始めた。
「SHAZNAに憧れていたので、自分もメイクをし始めました。バイトを始めて好きなモノも買えるようになったから、服装も中性的な格好をするようになりました。変わった格好をしていてもデザイン系の専門学校だから、同級生も何も言わないんです。もう自分の好きなように生きよう、と開き直ることができました」
周囲の反応を気にすることなく、自分らしく生きられる環境が心地よかった。そんな楽しい日々が、およそ一年。
もうすぐ自分の19歳の誕生日が訪れようとしていた。
後編INDEX
06 予め決められたカミングアウトの日
07 初めての出会いと哀しい別れ
08 あふれ出た思いは、伝播してゆく
09 世界はこんなにも僕を受け入れてくれる
10 自分ではなく、みんなのために