02 世界がキラキラしていた時代
03 人間は孤独だと思い知らされる日々
04 同性が好きな「ゲイ」としての自覚
05 真剣に向き合った学業と恋愛と苦笑い
==================(後編)========================
06 当事者が秘かに抱える苦悩と課題
07 ひたすらに愛し受け入れてくれた存在
08 当事者の社会進出の実情
09 命を燃やして全力を尽くせるもの
10 再び動き始めたばかりの人生の針
01幼い頃から模索していた “一番”
成績優秀な姉
現在、姉と共に会社を経営している。
「4歳離れているので、適度に距離感がありつつ、昔からすごく仲がいいですね」
幼い頃は両親の仲が悪く、2人とも家に帰ってこないことがあった。
「そういう日は姉が料理を作ってくれて、僕の面倒を見てくれました。小さい時から面倒見が良くて、親代わりみたいになってたかな」
「頭もめちゃくちゃ良くて、常に一番に立ってるような人です」
姉は、勉強を楽しめる感覚の持ち主。
「小学生の頃は、学習塾の学力テストで、全国で毎回1ケタの順位でしたね」
「つい最近も仕事をしながら、司法試験に合格したんですよ」
「そんな姉を見てると、頭の良さでは敵わないな、って思います(苦笑)」
僕なりの1位
「でも、姉に対して嫉妬したことはないです」
「自分で言うのも変ですけど、姉からも両親からも溺愛されてたので(笑)」
自分は勉強が苦手だったため、少し結果を出すだけで、両親から褒めてもらえた。
「勉強はできないから、僕は好きなことで一番になろう、って思った時期がありました」
中学生の頃、「サドンアタック」というオンラインシューティングゲームに熱中した。
社会人や大学生とチームを組み、全国大会4位まで上り詰める。
「頑張って1位になりたかったんですけど、なれなくて」
「たくさん人がいる中で一番になるって、大変なんだって知りました」
「そのぐらいからかな・・・・・・。自分しかできないことで一番になりたい、って思い始めたかもしれないです」
経営者という道
父方も母方も、祖父一代で会社を築いた。
「2人のおじいちゃんの姿を見たり聞いたりして、尊敬していましたね」
「父は弁護士だし、親戚も経営者や医者、フリーのエンジニアばかりなんです」
「サラリーマンというロールモデルが、近くにいなかったんですよね。だから、昔から、会社を経営して何かを残してみたい、って気持ちはありました」
大学進学時には弁護士になるべく法学部を選んだが、自分の気持ちを見つめ直し、現在は経営者として邁進している。
幼い頃の気持ちが今につながるまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。
02世界がキラキラしていた時代
女の子になりきる遊び
小学生までは、女の子とばかり遊んでいた。
「幼なじみの女の子が3人いて、今でも仲良しなんです」
「家族ぐるみで仲が良くて、一緒に海外旅行に行ったことも何回かあるぐらい」
「幼い頃は、その子たちとおままごととか井戸端会議ごっことかをしてました」
「それぞれの母親のまねをして、『ちょっと奥さん』って言い合ったり(笑)」
お父さん役やお兄さん役を振られることはなく、女の子やお母さんになりきっていた。
「当時はセーラームーンになりたくて、スカートをはいたりもしてました」
「今は、女の子になりたい、って気持ちはまったくないんですけどね(苦笑)」
笑って過ごした日々
小学生になると、女の子グループの一員のように過ごす。
「バレンタインには、40個ぐらいチョコをもらいました」
「でも、そのほとんどが女の子同士で渡し合う友チョコで、モテたわけではないです(笑)」
高学年になっても、クラスが男女で分断されることはなかった。
「いい雰囲気のクラスで、男女関係なく仲良かったんですよ」
「僕も、女子グループの一員として、男子グループと一緒に遊ぶ感じ」
「仲良しの男友だちもいっぱいいたし、小学校生活はこれまでで一番キラキラしてて、幸せでした」
「悩みとか嫉妬とか、煩悩が一切なくて、解き放たれていた時代でしたね」
毎日笑って過ごしていた記憶しかない。
強引な中学受験
姉は中学受験をして、もっとも偏差値の高い女子高に進学した。
「『弟だから賢人もできるんじゃないか』って、僕も受験することになったんですけど、全然勉強ができなくて(苦笑)」
焦った両親は、教科別に4人の家庭教師を雇う。
「本当に勉強が嫌いで、泣いて抵抗したこともあったけど、6年生の後半は無理やり勉強させられました」
「両親は基本的に放任主義だけど、この時だけは強制された感じがしましたね」
「賢人は勉強させるのが大変だから、最後の受験になるように」という両親の考えもあり、中高大一貫校を目指すことになった。
「男女共学と男子校を、1校ずつ受けたんです。男子校は絶対嫌でしたね」
しかし、共学は落ちてしまい、男子校という選択肢しか残らなかった。
03人間は孤独だと思い知らされる日々
“オネエ” いじり
行きたくなかった男子校だったが、いざ入学すると、楽しい日々が待っていた。
「中学1年の時はクラスの人気者みたいな感じで、すごく楽しかったんです」
小学生まで女の子と過ごす時間が多かったため、しぐさや雰囲気はキャピキャピしていたかもしれない。
「語尾は『だからさ~』みたいに伸ばしてたし、常に『キャー』って言ってましたね(笑)」
そのせいか、中学2年になると、同級生が自分の言動を真似するようになっていく。
「男子校の中では、物腰が柔らかいってだけで、異質な存在なんだと思います」
当時、IKKOや楽しんごといった “オネエ” と総称されるタレントたちが、メディアに出始めていた。
学校では、同級生から「ドドスコやれよ」「どんだけ~やれよ」と、いじられるように。
「『オカマ』って言われて嫌だったけど、『オカマじゃない』って反発すると、自分自身を否定するような感覚がありました」
「いじりはだんだんエスカレートしていって、学校に行くのが辛いなぁって・・・・・・」
担任教師に相談すると、「お前が女々しいのがいけないんじゃないか?」と、言われてしまった。
ネットカフェ通学
当時ハマっていたオンラインゲームで気分転換するため、放課後にネットカフェに行くようになった。
「1時間ぐらい遅刻した日に、学校に行く気が起きなくて、そのままネットカフェに行ったんです」
「中学2年の後半ぐらいかな。その日から、ネットカフェ通学が始まりました」
いつも通りに家を出て、ネットカフェに向かい、ときどき5、6限だけ出席して帰る。
両親は、息子がネットカフェに通っていることを知っていた。
しかし、怒るでも心配するでもなく、そっと財布にお金を入れてくれた。
「いじめられていることは言ってなかったから、勉強よりゲームがしたいんだろうな、くらいの感覚で思われてたのかな」
中学3年の時、欠席と遅刻ばかりの状況を見かねた教師が、3者面談の場を設けた。
「父が一緒に来てくれたんですけど、怒らないどころか、感心されましたね(笑)」
父も、祖母(父にとっての母)に「高校行きたくない」と言ったことがあり、「じゃあ仕事してね」と返されたことを教えてくれた。
「だからか、『高校に上がらないなら、仕事して自立しなさい』って言われました」
両親は何も言わずに、受け入れてくれたが、友だち関係は修復できないまま。
「自分は人と違うんだって思ったし、いじめられることがすごいストレスでしたね」
「人間は孤独だし、分かり合えることはないんだ、ってめちゃくちゃ暗くなりました」
「今でも人に心を開いて、仲良くなることが苦手なんですよね」
いじめられた経験によって、人との間に一線を引くようになってしまった。
04同性が好きな「ゲイ」としての自覚
僕の恋愛対象
「小学生の頃は、当たり前に異性と結婚して、子どもができて、マイホームを買うみたいな未来を想像してました」
小学校中学年の頃、女友だちから告白され、恋人のような関係になったこともある。
中学1年の終わり頃、自分は思い描いた将来を迎えないかもしれない、という予感がした。
「周りの男子がアイドルとかAVの話をし始めた時に、ついていけなくなっちゃって・・・・・・」
「女性に対して、性的な興味がまったく湧かなかったんです」
一方で、たまに男子の同級生や先輩にやさしくされると、ドキッとする自分がいた。
「明確に好きな人がいたわけじゃないけど、漠然と男子が恋愛対象になる、って感覚がありました」
「女子とずっと一緒にいたから、男子を好きになることがおかしい、とは思わなかったです」
「ただ、周りから見たら変なことだし、家族にも友だちにも言っちゃいけないんだ、って意識はありましたね」
「ゲイ」と「オネエ」の差
保健の授業で、教師が「思春期になると、男の子は女の子を自然と好きになります」と、説明していた。
「それを聞いた時に、自分って女の子になりたいのかな、ってすごく悩みましたね」
当時は、ゲイやトランスジェンダーという言葉は知らなかった。
トランスジェンダーのオネエタレントのように、同性が好きで女性らしく振る舞う人しかいないと思っていた。
「自分は微妙に女の子っぽいところがあるけど、女の子になりたいわけじゃない。でも、同性が好きだったんです」
「どういう人をロールモデルにすればいいかわからなくて、感情がぐちゃぐちゃでしたね」
ネットカフェに通うようになり、インターネットで情報を収集した。
「そこで初めて、同性が好きな男性をゲイって呼んで、トランスジェンダーとは違うことを知りました」
「自分はゲイなのかも、ってだんだん意識し始めましたね」
受け入れてくれる世界
ネットカフェ通学をしている頃は、プロゲーマーを目指し、オンライン上で5人のチームを組んでいた。
「中学生は全然いなかったので、チームメイトは社会人や大学生の男の人でした」
ボイスチャットを通じて戦略会議を行ううちに、プライベートの話もする仲になっていく。
「初めて人に『僕は男の子が好きかもしれない』って、話すことができたんです」
チームメイトは「いいんじゃない」と受け入れてくれた。否定されることはなかった。
「自分を認めてくれる大人がこんなにいるんだ、って世界が広がりましたね」
たった40人のクラスの中で塞ぎ込んでいた自分にとっては、衝撃的な出来事。
チームメイトの言葉のおかげで、少しだけ前を向く勇気が持てた。
「欠席しすぎてて単位がヤバかったんですけど、校長先生が善処してくれて、なんとか高校に上がれました(苦笑)」
05真剣に向き合った学業と恋愛と苦笑い
学年最下位の成績
高校に進むという決断の裏には、姉の影響もあった。
すでに大学生だった姉のキャンバスライフは、キラキラ輝いて見えた。
「僕も同じようなキラキラライフを送りたかったから、高校はちゃんと行っておこう、って思ったんです」
高校1年の成績は、全学年130人中120位以下。
「もはや最下位みたいなものだから、やべぇ・・・・・・って焦りましたね(笑)」
大学に内部進学する生徒は、成績順に希望の学部が選べた。つまり、成績を上げなければ、理想の大学生活は送れない。
「大学デビューして、人生をやり直すために、高校時代はとにかく我慢して勉強しました」
「だから、3年間の記憶がほとんどなくて(苦笑)」
努力の甲斐あって、最終的には成績30位以内に入ることができた。
「その頃にはゲームもやめて、プロゲーマーという目標も諦めちゃいました」
やさしさの根底にあるもの
中学も高校も顔ぶれはほとんど変わらないため、関係が固定化されていく。
仲のいいグループごとに分かれていくため、中学の時のようないじめはなくなった。
「昼はぼっち飯でしたけど、干渉されなくなったから良かったかなって」
「たまに『あいつに聞いたけど、お前ってオカマなの?』って、わざわざ聞いてくる人はいました(苦笑)」
「そういう時は、リーダー的な大人びた子が『星はオカマじゃねぇよ』って、言ってくれたんです」
「かばってくれてすごくうれしかったけど、何かがちょっと違う気がしましたね」
「そういうこと言うんじゃねぇ」という言葉の根底には、「オカマ=よくないこと」という考えがあるように思えた。
「もちろんやさしさで言ってくれてるんだけど、その頃にはゲイの自覚があったし、苦笑いするしかないみたいな(苦笑)」
片道2時間の恋
高校時代、唯一楽しかったことがある。
スマートフォンを手に入れ、ゲイ専用のマッチングアプリで男性と知り合うようになった。
「高2の時だったかな、2つ3つくらい年が離れたゲイの人と、初めて会ったんです」
「相手が茨城に住んでいたから、わざわざ2時間ぐらいかけて会いに行きました」
恋愛にも性的なことにも興味があり、頼れる人と出会ってみたかった。
「その人が駅まで車で迎えに来てくれたんですけど、最初は超緊張しましたね」
車内に2人きりという状態に緊張したが、徐々に会話が弾んでいった。
「その人はポジティブであっけらかんとしてて、家族にも友だちにもカミングアウトしてたんです」
「そういう人と初めて出会ったから、ショックを受けましたね」
「でも、すごく好きになって、高校生の間、何回も茨城まで会いに行きました」
徐々に連絡を取らなくなってしまったが、今振り返れば、大切な初恋の思い出だ。
<<<後編 2019/06/18/Tue>>>
INDEX
06 当事者が秘かに抱える苦悩と課題
07 ひたすらに愛し受け入れてくれた存在
08 当事者の社会進出の実情
09 命を燃やして全力を尽くせるもの
10 再び動き始めたばかりの人生の針