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誰かを好きになるって幸せなこと。レズビアンでもそれは変わらない【前編】

言葉を慎重に選んで話す人だ。間違ったことを言えば、綱から落ちてしまうというように。それが、渡辺泰羽さんの第一印象だった。しかし、話を聞けば聞くほど、大胆な一面もあることに気づく。ここぞというときの行動力が、渡辺さんの人生を後押ししている。今年から社会人になる渡辺さんは、これからさまざまな人に出会い、理解者を増やしていくだろう。その序章ともいうべき、22歳の心の内を語ってもらった。

2019/04/17/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Sui Toya
渡辺 泰羽 / Yasuha Watanabe

1996年、埼玉県生まれ。両親と父方の祖母、4歳下の弟の、5人家族の中で育った。小学校6年生のときにいじめを受けたことから、私立の女子中学へ進学。中学から大学まで女子校で育ち、高校のときにレズビアンであることを自覚した。4月から新社会人。自分の周りに、LGBTへの理解者が少しでも増えればと考えている。

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INDEX
01 泣き虫な幼少期
02 人に頼るのが苦手
03 いじめの傷
04 イベントの憂鬱
05 先生への恋心
==================(後編)========================
06 女性が女性を好きになること
07 レズビアンの自覚
08 レズビアンじゃないでしょうね?
09 母の価値観
10 「普通」は存在しない

01泣き虫な幼少期

恥ずかしがりや

泣き虫な子どもだった。

幼稚園では理由もなく泣き、先生をよく困らせていた。

そして、負けず嫌いでもあった。

知らない人がいると黙り込んでしまい、仲良くなった友だちにもうまく話しかけられないことも。

「周りの大人からは、恥ずかしがりな子だと思われていたかもしれません」

「人前に出たいという思いはあるけど、恥ずかしい気持ちのほうが勝ってしまうんです」

「その性分は、今も変わらないですね」

「人に話しかけたり、人前で発表したりするときは、相当なエネルギーが必要です」

外では泣き虫だったが、内弁慶であり、家ではよく話す子だった。
幼稚園から帰ると、母に向かって、その日あったことをずっと話していた。

家族は、両親と父方の祖母、弟の5人。

母はしつけに厳しく、食事のマナーや言葉遣いについて注意されることがしょっちゅうあった。

父は優しかったが、礼儀作法がきちんとしていないと、やはり叱られた。

4歳違いの弟

4歳のとき、弟が生まれる。

姉になったという自覚はなかった。
それでも、ベビーベッドで弟が泣いていると、懸命にあやそうとしていたようだ。

弟が少し大きくなると、戦隊ヒーローごっこをして遊んであげることが多かった。

「セブンティーンアイスを食べ終わった後、棒を取っておいて、それを剣に見立てて遊んでました」

「たまにケンカをすると『お姉ちゃんとは、もう遊んであげない』って、よく言われてましたね(笑)」

4歳からクラシックバレエとピアノを習い始める。
ピアノは楽しかったが、バレエはイヤイヤ通っていた。

「足が痛いのも嫌でしたし、先生が厳しいのも嫌でした」

「でも、辞めたいって言えなかったんです。辞めたいって言うと、お母さんに怒られると思って・・・・・・」

ピアノは小6まで、バレエは中2の始めまで続けた。

02人に頼るのが苦手

小学校の友だち

小学校に入学しても、引っ込み思案は変わらなかった。

クラスの友だちを自分から遊びに誘えない。

放課後は、一人で過ごすことが多かったが、「今日うちに来る?」と誘ってくれる子もいた。

「小学校のときは、たまごっちが流行っていました」

「通信してゲームをしたり、たまごっち同士を結婚させたりして遊んでましたね」

放課後に友だちと遊ぶときは、一度家に帰ってから、学校に集まることも多かった。

「校庭にある遊具で遊んだりしてましたね」

「鬼ごっこや、かくれんぼをすることも」

家から学校までは片道20分かかったが、友だちの誘いが嬉しくて、距離は気にならなかった。

一人で頑張るタイプ

幼稚園のときと異なり、教室で泣くことはなくなった。

しかしその分、家で泣く回数が増えた。

「母に怒られて泣くことが多かったですね。習い事に行くのが嫌と言って、怒られたり」

小学校で苦労したのは、給食の時間。嫌いなものを残すと、先生から「食べなさい」と叱られた。

「小さい頃から、ネギ類が苦手なんです」

「玉ねぎも、長ネギも、火を通しても食べられませんでした」

「どうしても食べられなくて、先生から『調理員さんに謝ってきなさい』って言われたこともあります」

「先生の言うことを無視できなくて、本当に謝りに行きましたね」

授業では、図工の時間が好きだった。

絵を描いたり、工作をしたり。一人で作業できるのが性に合っていた。

その一方で、誰かと協力して何かを行うことは、得意ではなかった。

「人に頼ることが、あまり得意じゃなかったんです」

「高学年になると委員会活動が始まるんですが、そのときも一人で頑張ってしまって・・・・・・」

「同じ美化委員の子がほかに2人いたのに、相談することができませんでした」

「役割分担をすれば良かったなって、いまは思います」

03いじめの傷

発端

小学校では、毎年、クラス替えがあった。

特に仲のいい友だちはいなかったが、それでも、小5までは平穏に過ごすことができていた。

しかし、小6の1学期から、急にいじめられるようになる。

何が原因かは、いまでもわからない。オロオロしているうちに、いじめはどんどんエスカレートしていった。

男子から暴言を吐かれることも、女子から陰湿ないじめを受けることもあった。

「友だちの持ち物がなくなったときに、犯人扱いをされたことがありました」

「目が合うたびに『殺す』と言われることも」

いじめのことを、母に相談することはできなかった。

当時の自分にとって、母は厳しい人という印象があり、学校を休みたいと言っても「行きなさい」と怒られると思っていたからだ。

どんなにつらくても、学校には通い続けた。

「ピアノやバレエを続けていましたし、小4からは英語塾にも通っていました」

「習い事で忙しかったおかげで、深く考える余裕はなかったんです」

「思い詰めることがなくて、かえって良かったのかもしれないですね」

いじめの終わり

教室に相談できる仲間はいなかった。

しかし、さすがに見ていられないと感じた子がいたのだろう。

クラスメイトの誰かが、保護者を通じて先生に言ってくれ、ある日、先生から母に連絡がきた。

「母から『いじめに遭ってるんじゃないの?』って聞かれたんです」

「いままでのことを全部話して、いじめは解決に向かいました」

「加害者の子たちは、『いじめているつもりはなかった』『からかっていただけ』の一点張り」

「こんな子たちと一緒に学校生活を送るのは、嫌だなと思いましたね」

クラスメイトと同じ中学校に進学したくない。

両親にそう伝え、いじめが解決してから、中学受験の準備を始めた。

小6の夏休みから塾に通い始め、私立の女子中学校に合格。

新しい環境で、人間関係をやり直そうと思った。

04イベントの憂鬱

女子中学校

同じ小学校から、その学校に進学した子はいなかった。

「新しい自分になって、頑張ろうという気持ちはありました」

「でも、小6のときに受けたいじめの傷を引きずっていて・・・・・・。なかなかクラスの子に話しかけることができなかったんです」

人とのコミュニケーションには、未だに苦手意識がある。

話を合わせるのが難しいし、相手の反応が怖い。
何を話せばいいかわからなくなってしまうことも多い。

「女子って、グループをつくるじゃないですか」

「始めにグループに入りそびれちゃったので、クラスの中では、どこにも所属していない存在でした」

「休み時間は、次の授業の準備をして、トイレに行くだけ」

「お弁当は一人で食べることもありましたし、近くの席の子がグループに入れてくれることもありました」

隣の席の友だち

中1の始めの頃、移動教室のときは一人で行動していた。

同じ教室へ向かっていただけなのに、クラスメイトから悪口を言われてしまったことがある。

「前を歩いていた2人のうち1人が『ねえ、後を付けられてるよ』って言ってるのが聞こえてきたんです」

「振り向いて、怪訝な顔をされた覚えがあります」

いま考えると、何とも中学生らしいエピソードだと思う。でも、当時の自分にとっては、そういった一つひとつの出来事がつらかった。

中1の夏休み前に席替えがあり、隣の席になった子と仲良くなる。
勉強をよくする真面目な子。

意気投合した理由は覚えていないが、移動教室や昼休みも一緒に行動するようになった。

しかし、家が離れていたため、放課後や休みの日に一緒に遊ぶことはなかった。

地声って何?

小学校よりも気楽に過ごせるだろうと思っていたが、中学での生活も、自分にとってはしんどいものだった。

特に、イベントごとにはいい思い出がない。
最もしんどかったのは、合唱コンクール。

練習期間も長く、毎年、合唱コンの時期は気持ちがふさいだ。

「中2あたりから、クラスメイトに『歌うときに地声になってるから気をつけて』って言われるようになったんです」

「音量が違うという意味なのか、音程が合っていないという意味なのか・・・・・・」

「地声って言われる意味が、私にはわかりませんでした」

中1のときはアルト、中2のときはメゾソプラノ、中3のときはソプラノ。

中2のときは少し注意される程度だったが、中3のときは、クラスメイトからことあるごとに嫌みを言われた。

「合唱コンが終わったあと、いつも感想文を書かされるんです」

「中3年のときに、思い切って『地声になってると言われて傷付いた』って書いてみたんですね」

「そうしたら、音楽の先生から『地声ではないね』って言われて」

「だから、『地声』と言われた意味は、未だにわからないんです」

05先生への恋心

茶道部への入部

バレエは10年間続けたが、中1の発表会を最後に辞めることにした。

放課後の時間が空いたため、中2から部活に入ろうと決意。

「クラスメイトに茶道部の子がいて、その子に憧れて入部したんです」

中1から茶道部に所属していた同級生の中には、途中から入部してきた自分を煙たがる子もいた。

すでにでき上がっている輪に溶け込むには、時間がかかった。

「茶道部には、高3まで所属してました」

「高3まで続けなければ、お免状をもらえなかったんです」

「5年間のあいだに、同級生とも少しずつ仲良くなりましたね」

「途中からでしたが、思い切って入部して良かったと、いまでも思います」

初めて好きになった女性

初恋は、幼稚園のときだった。小学校に入ってからも、何人か好きになった男の子がいた。

しかし、中2のときに、初めて女性を好きになる。

「茶道部の顧問をしていた、英語の先生でした」

「小柄で髪の長い、女性らしい雰囲気の方でしたね、私は英語が得意だったので、褒めてもらえることも多くて」

「初めは、お気に入りの先生の一人だったんです」

この想いは、単なる憧れではなく、恋だ。

そう気づいたのは、いつしかその先生と付き合いたいと思い始めていたから。
しかし、自分から何かアクションを起こすことはできなかった。

「先生が相手だから、ダメかなと思ったんです」

「告白して、冷たい態度を取られるのも怖かったんですよね」

「だから、先生には告白しませんでした」

「見ているだけで十分だと思ってたんです」

当時、女性が女性を好きになるのは、変かもしれないという思いがあった。

だから、誰にも言わずに、想いを胸に秘めたままにしていた。

女子校だったため、「好きな子は誰?」という話題が出ることもなかった。


<<<後編 2019/04/19/Fri>>>
INDEX

06 女性が女性を好きになること
07 レズビアンの自覚
08 レズビアンじゃないでしょうね?
09 母の価値観
10 「普通」は存在しない

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