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Writer/HIKA

クィアな演劇はLGBTQの新たな居場所となる?

LGBTQのいずれかまたは複数に含まれるあなたへ。居場所のなさから、孤独を感じることがあるのではないだろうか。ノンバイナリー・バイセクシュアルの私も、常に孤独をかかえながら生きている。でも先日、素晴らしい体験をした。「クィアな演劇」の鑑賞だ。

今回は、私が観劇したクィアな演劇の感想を通して、私たちに新たな居場所をくれるかもしれない演劇について考えていきたいと思う。

LGBTQの居場所の必要性

クィアな演劇を紹介する前に、まずはLGBTQにとってなぜ居場所が必要なのかというところから話していく。

LGBTQの居場所のなさ

自分には居場所がないと感じるLGBTQは、多いと思う。

居場所は、安心して自分らしくいられる空間や関係性が存在する場だ。他の何者でもない自分が、「ここにいてもいい」と周囲に受け入れられていると感じることができる大切なもの。

でも、いまの社会の状況ではLGBTQが居場所を得ることはむずかしい。

特定の性のあり方-シスジェンダー・ヘテロセクシュアル-のみが社会や周囲の当たり前。そこから当てはまらない私たちそれぞれの自分らしさは、誤解されがちだからだ。

たとえば性自認や性的指向がマジョリティと異なるだけで、一時の気の迷いだと思われたり、可哀そうだと思われたり、認識すらされなかったり。

私たちそれぞれの目から見た自分らしさではなく、私たちのことをよく知らない人たちの先入観がいつも大切にされてきた。

そうして多くのLGBTQは、安心できない空間や関係に身を置いたり自分ではない誰かになったりしなければ、生きていけないときがたくさんあると思う。

そして居場所を感じられずに、孤独感にむしばまれるかもしれない。

ノンバイナリー・バイセクシュアルの私も・・・

この文章を執筆している私は、居場所のなさから孤独感にむしばまれてきたひとりだ。

私はノンバイナリーでバイセクシュアル。居場所を感じることができるのは、パートナーと2人きりでいるときだけ。

そのときだけは、自分をまるごと愛した自信たっぷりの私になれる。孤独はほとんど感じない。

でもそれ以外の場面では、他人が無遠慮に私のからだを観察してくる視線におびえたり、私をマジョリティ側の性の認識に当てはめようとする力に負けたりして、自分はここにいてはいけない存在だと感じることがよくある。

そして寂しくなり、世界中どこを探したって私らしくいられる居場所はほとんどないのかもと悲観し、孤独感に押しつぶされそうになる。

LGBTQの居場所のなさが引き起こす孤独感とメンタルヘルスの問題

さまざまな研究者や団体が調査しているとおり、居場所のなさがもたらす孤独感はLGBTQにとって深刻な問題だ。

たとえば認定NPO法人ReBitが2022年に行ったLGBTQユース(若者)への調査によると、内閣府の全国調査と比較し10代LGBTQの孤独感は8.6倍にのぼった。

孤独感はメンタルヘルスに悪影響を与える。うつ病や不安障害などを引き起こしかねない。そのため、精神の健康のためには居場所が必要だ。

LGBTQが自分らしくいられ、かつ安心できる居場所はどういったものがあるだろうか?

LGBTQの居場所としてのクィアな演劇

クィアな演劇は、LGBTQの居場所の新たな選択肢になるのではないかと私は思っている。冒頭にすこし述べたように、私自身が一時孤独感を忘れることができた観劇体験をしたからだ。あなたにとっても、演劇が安心してあなたらしくいられる居場所になるかもしれない。

クィアな演劇って?

クィアな演劇は、性に関する社会の前提をゆるがすことができる。

社会の前提は、シスジェンダー・ヘテロセクシュアルであり異性装をしないことなどを当たり前とするもの。

そんなマジョリティの性のあり方のみ当たり前とする前提に対し、クィアな演劇はクィアにとっての当たり前を表現することで反抗する。

たとえばレズビアンカップルの本当に何気ない日常を描いたり異性装を自然なこととして表現して、それまでの当たり前はマジョリティに限定された「当たり前」でみんなにとっての当たり前ではないのではないか? と疑問を投げかける。

そんな演劇を見た観客の意識下には、性が多様であることこそが当たり前なクィアな意識が広がり、社会の性の前提をゆるがしていくのだ。

映画やドラマとは違う、クィアな演劇の力

そんなクィアな演劇は、クィアな映画やドラマとはまた違った力によって観客に届けられる。
それは演劇が持つライブの力だ。

演劇では俳優が目の前で演技をし、それを観る観客の存在があってはじめて成立する。

そんなライブな空間でクィアなストーリーが語られるため、観客は性の多様性をより身近に感じることができる。クィアを担う俳優が実社会を生きる観客の目の前に堂々と現れるからだ。

これにより観客はクィアの存在をより身近に感じる。そしてどんな性のあり方であってもみんなが堂々と生きていける理想の未来が、まるで目の前に実際に存在するような感覚を観客は体験するのだ。

クィアな演劇=LGBTQの新たな居場所?

クィアな演劇を観に行くことで、LGBTQは新たな居場所を得ることができるかもしれないと私は思う。クィアな演劇は、理想の未来を見せることを通して多様なあり方をセレブレーションしてくれるからだ。

「私たちは私たちのままで素晴らしい。私たちらしく生きられる未来が絶対に来る」。そんなメッセージに自分たちが大切にされている実感をもつことができ、気づくと孤独感はなくなっている。

クィアな演劇鑑賞レポート『「クィア」で「アジア人」であることとは?』

ここからはクィアな演劇である「東京芸術祭ファームFarm-Lab Exhibition パフォーマンス試作発表『「クィア」で「アジア人」であることとは?』の観劇体験を話していきたいと思う。

クィアな演劇『「クィア」で「アジア人」であることとは?』

今回紹介するクィアな演劇は、「東京芸術祭」という毎年秋に東京の池袋で開催される芸術祭の演目のひとつとして、2022年10月7日(金)〜10月9日(日)に池袋の東京芸術劇場のロビーで上演された。

その名も『「クィア」で「アジア人」であることとは?』。

タイトル名から想像できるように、クィアでありアジア人であることのアイデンティティを探る内容だ。

クィアという言葉は昨今英語圏から持ち込まれたものだが、「普通」と異なる性のあり方はアジア人である私たちの間に、もともと存在するという考えからスタートした作品のようだ。

トランスピナイ(*1)の演出家、セリーナ・マギリュー氏は作品についてこう述べている。

“「クィア」は、アジアにとって新しい概念ではありません。
英語のこの言葉が登場する以前から、地域の文脈に存在していたのです。

アジアの国々は類似した植民の歴史を持ち
それぞれの経験と地域に根ざしたローカルなクィア性を共有しています。

西洋の二元的な性の概念とは異なる、アジアにおけるクィアのアイデンティティを
私たちの手に取り戻す必要があります。”

(*1) 「フィリピン人」の意。フィリピンにルーツを持つ人が、自ら称して用いる。「ピナイ」「ピノイ」がそれぞれ、同じ名詞の女性形、男性形である。(東京芸術祭ホームページより抜粋)

クィアな演劇がクィアな私に居場所をくれた

演出家セリーナ氏のこの言葉通り、演目はまさにアジアにおけるクィアのアイデンティティを取り戻す内容だった。

日本の昔話に着想を得たその作品は、かぐや姫や花咲じいさんの登場人物は実はクィアだったと解釈し物語を進めていく。

登場人物それぞれのセクシュアリティに関するアイデンティティや、アイデンティティに対して受ける周囲からの圧力を見事に描ききった作品だった。

中でも印象的だったシーンは、花咲じいさんの愛犬・シロがひとりで舞台に立ち、自分のセクシュアリティを宣言するシーン。

“ぼくは男でも女でもありません!”

この言葉が、池袋の大きな劇場のロビーにこだましたのだ。

ロビーは池袋駅地下通路に直結しているため、特に観劇の目的がない人も通行するかなりパブリックな空間。

そんな場所で、堂々としたクィアな言葉が聞けるなんて。観客としてその言葉を聞いた私は歓喜した。

いつもはマジョリティの中で無視されてしまう声が、その瞬間マジョリティよりも大きな声となり社会の「当たり前」はみんなにとっての当たり前ではないと主張する。そして、その主張をわざわざ足を止めて聞き入る人々。そんな光景に、私は自分の居場所を感じたのだ。

LGBTQの居場所が増えることを願って、選択肢のひとつにクィアな演劇を!

クィアな演劇はどうやって探す?

クィアな演劇に興味をもってくれた読者に向けて、クィアな演劇の探し方を2つ紹介したい。

①クィア当事者が重要な役割を担った上つくられている作品を探す

今回紹介した作品も、演出家のセリーナ氏をはじめ、キャスト全員がクィアだった。(ご本人たちが「クィア」という言葉で認識されているかは分からないので断定できないが、セクシュアリティに関する社会の前提に反抗している人たちという意味で)。

もちろんクィアでないとクィアな演劇ができない、なんてことはない。だがこれまでの演劇の流れを見ると、クィアな存在は非当事者によってそのまま「風変りな」存在として描かれてきた場合が多かった。

そのため私たちに居場所をくれるような作品は、クィア当事者がつくった作品の方がおすすめだ。

SNSなどでセクシュアリティをオープンにしている演劇人を見つけたら、そのひとの作品をチェックしに行ってみるというのも手だと思う。

たとえば、FtMであることをSNSやインタビューでオープンにしている和田華子さんは「ムニ」という団体の新作公演「ことばにない」に出演予定だそう。

チラシによると、レズビアン女性が主人公・セクシュアリティにまつわるアイデンティについて語る作品のようだ。気になる人はぜひチェックしてみてほしい。

②クィアな演劇を探す方法は、チラシのチェック

もしクィアな演劇を観に行く機会があったら、観劇時にもらえるチラシをぜひチェックしてみてほしい。そこには関連性が高い作品や同じ劇団、劇作家、演出家、俳優などの作品の情報があるので、芋づる式にクィアな演劇に出会えるかもしれない。

LGBTQのあなたの居場所として、クィアな演劇はどう?

ここまで、クィアな演劇を紹介してみた。どうだっただろうか。

演劇は全くなじみのない人が多いかもしれない。または、学芸会や友達の劇団の公演を一回見たことある・・・・・・くらいの人も多いかも。

でもライブな空間での居場所を見つけてみたいなら、勇気を出して劇場に足を運んでみてほしい。ひとりでも大丈夫だし、友達やパートナーと行ってみるのもいい。

ぜひ、LGBTQのあなたに新たな居場所をくれるかもしれないクィアな演劇をチェックしてみてほしい。

あなたが孤独感に押しつぶされそうになったとき、演劇が居場所を感じることのできる選択肢のひとつになることを願っている。

■参考情報
背景には社会環境が…レズビアンの若者が孤独を感じやすい理由|COSMOPOLITAN Loneliness, mental health, and social health indicators in LGBTQIA+ Australians | Robert Eres etl.
Typologies of Social Support and Associations with Mental Health Outcomes Among LGBT Youth | Elizabeth A. McConnell, Michelle A. Birkett and Brian Mustanski.
【調査速報】10代LGBTQの48%が自殺念慮、14%が自殺未遂を過去1年で経験。全国調査と比較し、高校生の不登校経験は10倍にも。しかし、9割超が教職員・保護者に安心して相談できていない。| 認定NPO法人 ReBit
Farm-Lab Exhibition パフォーマンス試作発表『「クィア」で「アジア人」であることとは?』永続に抗う | 東京芸術祭
東京芸術祭ファームFarm-Lab Exhibition パフォーマンス試作発表『「クィア」で「アジア人」であることとは?』 | artscapeレビュー
トランスジェンダーの俳優・和田華子さんと考える、みんながもっと「働きやすい」職場 | BuzzFeedNews

 

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