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Writer/日向レマ

「診断」がつらすぎる! ジャッジされるノンバイナリーの手記

性別違和をもつ人々への医療的介入は、個人がより自分の望む状態で生活するためにある・・・・・・はずだ。しかし、本当にそうなっているだろうか。ジェンダークリニックに行ってみたノンバイナリーの視点から「診断」や「治療」に潜む問題と困難さについて記す。

※筆者自身は、性別違和をもつ人々の医療的介入について「診断」や「治療」という言葉を安易に使うことを避けたいと考えています。しかし、本記事ではわかりやすさを優先し、「いわゆる診断/治療」についてお話するため、必要に応じてこれらの単語を使用しています。

性別違和の「診断」と「治療」

ぼくの体験についてお話する前提として、現在「性別違和」という状態が医学的にどう扱われているかについて書いておこう。

そもそも性別違和は疾患なのか

すでにご存じの方もいらっしゃるかもしれないが、少しの間お付き合いいただけるとありがたい。

2019年には、世界保健機関(WHO)の「国際疾病分類第11版」(ICDー11)において「性別不合」というカテゴリーが作られた。性別不合は精神疾患ではなく、「性の健康に関する状態」として分類されている。

また、2013年に改訂されたアメリカ精神医学会「精神疾患の診断・統計マニュアル第5版」 (DSM-5)でも、「性同一性障害」は「性別違和」に改称された。

この診断名は、トランス男性/女性(いわゆる狭い意味でのトランスジェンダー)だけでなく、ノンバイナリーを含む様々なジェンダー・アイデンティティをもつ人(広い意味でのトランスジェンダー)に対応するもの。

簡単にいえば、ぼくのようなノンバイナリー当事者も「性別違和」と診断される可能性があるということだ。また、性別の違和感が存在することだけでなく、それにより苦痛が存在することを診断基準としている。

つまり、性別違和に関する医療的な基準は「性のあり方そのものではなく、個人の感じる苦痛を『症状』とする」「多様なジェンダーを生きる人々を包括する」という方向に変化してきたのだ。

「診断」されるまでと、その後

現在の日本で、性別違和(性別不合)はどのような流れで診断され、治療へと進むのか。

日本には「性別不合に関する診断と治療のガイドライン」(日本精神神経学会)が存在し、標準的な治療の流れを決めている。ノンバイナリーのぼくは、このガイドラインに沿った治療を行う病院に通い始めたところだ。

そうした病院の場合、まずは診断の前にさまざまな確認を行う。検査を行って身体的な状態を確認したり、今までの生活や実感するアイデンティティ、望む生き方について時間をかけて聞き取ったりする。

ぼくはまだ診断を受けていないが、診断後には(希望があれば)ホルモン療法・手術などを受けることができるという。

しかし、その際も複数の医師により「本当に身体的治療を受ける条件を満たしているか」を判断するステップがある。

性別違和の診断・治療のプロセスは、とてつもなく時間と手間がかかるものなのだ。

なにを望むかは、その人次第

すべての人が同じ「治療」を求めるわけではない。

・ホルモン療法はしたいけど、手術はしたくない
・〇〇な見た目になりたい
・戸籍を変更したい

など、人によって目標も考え方もさまざま。同じジェンダーアイデンティティを持つ人でも、望むあり方が異なる場合もある。

ぼく自身は、出生時に割り当てられた性が女性のノンバイナリーだ。男性になりたいという気持ちはまったくないけど、声を低くして中性的にするためホルモン療法を受けたいと思っている。

すでに胸オペ(乳腺摘出)を受けていて、月経への強い違和感を取り除くために子宮を摘出するのが目標だ。

「手術をしたいのにノンバイナリーなの?」という疑問もネット上では時々見かけるが、アイデンティティはその人個人のもの。

ぼくのように身体の変化を望む人もそうでない人も含め、世の中にはいろいろなノンバイナリーが存在するし、それは当たり前のことだ。

「診断」前に心を折られた日~ノンバイナリーのぼくの場合~

性別違和への「治療」が大変なだけではない。時には、医療そのものに傷つけられることがある。

※この章には医療者による差別の描写が含まれます。ご注意ください。

ノンバイナリー、差別的な医師に出会う

今通っている病院とは、別のクリニックで治療を始めようとしたとき。精神科医は初対面のぼくに対して「あなたは発達障害なのではないか」と何度も問い詰めてきた。

「トランス男性ならともかく、ノンバイナリーはねえ・・・・・・発達障害も疑わないと」と半笑いで話す医師。ぼくは、なにを言っていいかわからなくなった。

30分ほどの診察の間、医師は発達障害を指すスラング/蔑称を繰り返しぼくに投げ続けた。提示した検査結果に対して「〇〇(蔑称)じゃん(笑)」と手を叩いて笑い、ぼくが母から暴力を受けていたことを伝えると「子どもを殴る女はたいてい〇〇ですからね」と真顔で言う。

最終的には「まあノンバイナリーってことでいいんじゃないですか、私は〇〇だと思いますけどね」と言われ、ぼくはぐったりと疲れ切って帰宅した。

「ジャッジする側」の優位性

もうどこから突っ込んだらいいのかわからないくらい、偏見と無理解に満ちた発言ばかりの医師だった。

現在通っている病院では(まだ)こういう目には遭っていないが、いまだに思い出すと「あれはどう考えたっておかしい」という気持ちがふつふつと湧いてくる。

ぼくは都市部に住んでいるから、病院を変える、という選択ができた。でも、通える場所に性別違和の診療をしてくれるのが、そんな病院しかなかったら。ぼくは傷つきながらも、治療のために通い続けたかもしれない。

それのどこが医療なのだろうか。

医療者は、我々を診断・治療し、ジャッジするという側面を持つ。治療を受ける側である我々との間には、立場の差が存在する。その大きさに、打ちのめされたような気分だった。

ノンバイナリーとして感じる、肩身の狭さ

もうひとつ感じたのは「トランス男性ならともかく、ノンバイナリーはねえ・・・・・・」という言葉への既視感だ。

ぼくたちは生活の中で、自身の性別違和を「中途半端なもの」「一時の気の迷い」として扱われることがしばしばある。

「ノンバイナリー」と検索しようとすると関連ワードに「勘違い」「意味がわからない」が出てくる世界。自分のアイデンティティは他者には信じてもらいにくい、ということは嫌というほど知っている。

あと、性別違和の診療をうたっている病院(いわゆるジェンダークリニック)でも、ウェブサイトを見ると「FTM(トランス男性)」と「MTF(トランス女性)」の2つの言葉しか載っていないこともある。メニューが「FTM向け」と「MTF向け」に完全に分かれているところもある。

おそらく情報が古いだけなのは、もちろんわかっているんだけど。

ただでさえ嫌な思いをしてきたノンバイナリーのぼくは「果たして自分も医療の対象になるのだろうか」と何度も不安になりながら病院へ行くことになる。

当事者の間でも「ノンバイナリーって、診断出ないんじゃないの?」という疑問はよく見られる。実際は先ほど書いたように、ノンバイナリー当事者にも性別違和の診断がおりる場合がある。

この記事にたどり着いてくださった医療サイドの皆様は、できればHPをアップデートしていただけると大変ありがたい。もし必要であれば、認識も。

トランスジェンダー/ノンバイナリーの「診断」までのハードル

性別違和の診断を受け、身体的な治療をスタートさせるには、ほかにもさまざまな高い壁が存在する。

そもそも、お金と時間がかかる

これはシンプルだけど切実な問題だ。

予約がなかなか取れないジェンダークリニックへ、通院を何度も何度も繰り返し、それなりに高額な検査を受ける必要がある。そうしてやっと、自分にフィットする身体を手に入れるスタートラインに立てる。

ぼくは一応収入があり、勤務形態がある程度柔軟だから「診断」までの長い道のりを歩けるけど、そうでない人もきっとたくさんいるだろう。

経済的な、または心身の余裕がなくて医療につながれない、という声も、SNSには少なからず上がっている。

トランスジェンダーあるある。診断に必要な「自分史」のしんどさ

ぼくが苦しかったのは、診断に至るまでに求められる「自分史」だ。

トランスジェンダー当事者の「自分史」とは、生育歴や家庭環境、性別違和に関すること、今後どうなっていきたいかについて時系列順に書き、病院に提出するものだ。これを元にカウンセリングが行われ、いろいろ質問されるという感じ。

この「自分史」というやつがぼくにとってなかなかのハードルで「論文よりもつらいよ~」と嘆いたり(通院開始当時は大学院生だった)、Twitterで定期的にわめき散らし「自分史いやだbot」になったりしていた。

どうにかこうにか提出したけど「書くとき気が重かった文章ランキング」なんてものがあったとしたら ”奴” はTOP3には入るだろうな、と思っている。

というのも、ぼくは家族からの虐待を受けて育っていて、生育歴には覚えていない部分と思い出したくない部分が多めなのだ。A4で3枚足らずの自分史は、ぼくの血と涙で書かれているといっても過言ではない。

トランスジェンダー/ノンバイナリーでなくても、人生には話したくないようなつらいことがある、という人は一定数いるだろう。もし、生きていくためにそれらを思い出し、書き、他者に説明することが求められるとしたら。

診断結果を得られるまでには、こんな壁もあったりする。

不安と困難を抱えて

ハードルは、ほかにも本当にいろいろだ。

たとえば、通える地域に診断や治療ができる専門的な病院がない人がいる。
家族に性別違和を知られたくなくて、病院に行けない人もいる。
自分のもつ違和感を本当に信じてもらえるか、恐れている人だっている。

苦労ばかり強調したくはないけど、診断にも治療にも大きな負担が存在するのは事実だ。多くの人が、自分が自分であるために闘っている。

診断や治療について、ノンバイナリー当事者が医療に、社会に願うこと

繰り返す。

医療者は、トランスジェンダーやノンバイナリーの我々を診断・治療し、ジャッジするという側面を持つ。それは性別違和を持つぼくたちにとって、とても重くて恐ろしいことだ。
もちろん、性別違和の診療において、丁寧でしっかりした手続きが取られるのは望ましいことだろうと思う。

ぼくのひどい体験をもとにいろいろ書いてしまったが、実際には医療にかかわるほとんどの人々が、職務を全うしてくださっていることもわかっている。

それでも、忘れないでほしい。

医療を受けるまでのプロセスそのものに、トランスジェンダー・ノンバイナリー当事者にはつらい要素が沢山含まれていることを。
自分たちの手にある大きな権力と、そこから生まれるかもしれない暴力性を。
病院で「信じてもらえないかもしれない」「傷つけられるかもしれない」という不安を。

忘れないでほしい。どうかずっと、目を開いていてほしい。

そして、社会に対しても伝えたいこと。

今までずっと書いてきたように、性別違和の診断も、治療も、そんなに簡単ではない。医療的な措置を受けられていないからといって、その人のもつ苦痛を「甘え」とか「偽物」とか言えるわけじゃない。

同じセクシュアリティ名を自認していても、望むあり方は異なる。そして、ジェンダーアイデンティティもその人個人のものだ。

どうか「診断至上主義」を問い直してほしい。

ジェンダークリニックに通っても通わなくても、誰にどのようにジャッジされても、ぼくはずっとぼくである。

あなただって、きっとそうでしょう?

 

■参考情報
日本精神神経学会「性別不合に関する診断と治療のガイドライン 第5版」

 

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