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MTFの私の人生には、かけがえない妻がいる。【前編】

スモーキーなピンク色の髪が弾けた印象の金興起さんだが、振る舞いや口調は丁寧で、やわらかな空気を漂わせる。生まれ育った韓国を離れ、日本で暮らし始めたのは、現在の妻に出会ったから。女性として生きる覚悟を決めたのは、結婚した後。自分自身を隠し続けた日々も、妻に打ち明けてからの日々も、決して平坦ではなかったが、ここまで来られたのは夫婦の愛を信じられたから。

2019/05/01/Wed
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
金 興起 / Heungki Kim

1980年、韓国・釜山生まれ。4人家族の長男として育ち、小学生の頃から性別に違和感を覚える。高校卒業後、ゲーム会社に就職。東京ゲームショウに参加したことをきっかけに日本に興味を持ち、22歳の頃から日本語を学び始める。その後、すぐに日本人女性と出会い、日本に移住して結婚。30歳を超えてから妻にカミングアウトし、ホルモン治療を開始。現在は、フリーランスの翻訳家として活動中。

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INDEX
01 女として生きることを認めてくれた人
02 グッと歯を食いしばった幼少期
03 うっすら気づき始めた本当の性別
04 理想とかけ離れていく自分
05 トランスジェンダーになれない苦しみ
==================(後編)========================
06 第二の故郷のように感じた国
07 初めて愛したかけがえのない人
08 本当の気持ちと失いたくない関係
09 「女性として生きたい」と告げる時
10 それぞれの生き方を受容できる世界

01女として生きることを認めてくれた人

ゲームの翻訳の仕事

現在は、翻訳の仕事をしている。

「英語を韓国語に訳す仕事が多いですね」

「もともとゲームを作る仕事をしていたので、ゲームのシステムやセリフの翻訳が主です」

ゲームが特別好きだったというわけではない。

小さい頃、おとなしかった自分は、外を駆け回って遊ぶことが苦手だった。
結果的に、家の中でゲームをすることが多くなった。

「大学受験に失敗して、落ち込んで、引きこもったことがあるんです」

「その時に、日本の『RPGツクール』っていうゲーム制作ソフトが韓国で流行していたんですよ」

自分なりのRPGを作り、オンライン上にアップすると、ネットユーザーからポジティブなコメントが返ってきた。

「反応があることに感動して、コンテンツを作る仕事がやりたいな、って思ったんです」

ゲーム会社に就職し、社会人としての第一歩を踏み出した。

「何もかも一緒に経験しよう」

翻訳家であると同時に、トランスジェンダー。

男性として人生を送り、30歳を超えてから妻に「女性として生きたい」とカミングアウトした。

妻は、すんなりと受け入れてくれたわけではない。

「それでも、わかってくれないなら離婚しよう、と考えたことはないですね」

「むしろ、離婚することを恐れていたから、ずっと打ち明けられなかったです」

自分の願望よりも、2人での生活を優先してきた。

「彼女の許可をもらってからホルモン治療を始めて、気づいたことがあります」

「LGBT当事者が先走ってしまうと、妻や夫、恋人は疲れてしまうんだなって」

ホルモン治療や手術は、妻の許容範囲の中で進めていこうと考えていた。

「手術に関しても、私から『やろうと思う』と言ったことはなかったです」

「でも、彼女から『精巣摘出手術、受けたらどう?』って言ってくれました」

「もともと彼女は、私が女性になることに賛成ではなかったのに」

治療を進める中でホルモンバランスが崩れ、苦しんでいる自分を見て、考えを変えてくれたのかもしれない。

「その時から、性別を変えることを急がなくなりました」

「性別を変えることって一生続けていくことだし、パートナーと一緒に歩いていかなきゃいけないから」

「だから私たちは、どちらかの意見だけが優先にはならないようにやっていこう、って話してます」

2人で同じものを見て、同じものを聞き、たくさん話す。

「何もかも一緒に経験しよう」が2人の合い言葉。

「きっと彼女は今でも、私のために我慢していることがあると思うんですけどね(苦笑)」

02グッと歯を食いしばった幼少期

日本に似ている故郷

幼少期を過ごした釜山は、港町。

「地域性とか抑揚の強いしゃべり方は、大阪に似てるかもしれないです(笑)」

「あと、釜山の方言は、語尾とかクセが日本語に似てるんですよ。だから、日本語を聞いた時に、馴染みがあるように感じたのかもしれないです」

生まれてすぐにソウルに引っ越し、幼いうちに釜山に戻り、小学3年生で再びソウルに移った。

「お父さんの仕事の都合もあったけど、子どもの教育水準を上げるためにソウルに引っ越したんだと思います」

「人も教育も文化も、ソウルに集中しているので」

しかし、経済的に裕福だったわけではない。

そもそも、当時は国民の半分以上が貧しい状態だった。

「私が生まれた頃の韓国は、軍事政権でした」

父親の教育方法

両親は厳しい人だった。

「特にお父さんが厳しくて、しつけの一環で殴られることもありました」

「今だったらDVって認識になるかもしれないけど、当時は “教育” って感覚でしたね」

当時の父は、まだ30代前半。

会社での嫌なことを、家庭で発散していたのかもしれない。

「私が5歳か6歳の時、『ABCの歌』をラジカセで流しながら、本を読んでいたんです」

「それを見たお父さんに『音楽を聞くなら聞く、本を読むなら読む。どちらかにしなさい』って怒られたんです」

言葉とともに、拳も飛んできた。
いまだに、なぜ父の怒りを買ってしまったのか、理解できていない。

「最初は私も反抗したと思うんですけど、余計に殴られるので、抵抗しなくなりました」

「私ほどではなかったけど、4歳下の妹に手を上げることもありましたね」

母親の本音

「本を読みたい」と言うと、母が買ってくれた。

「基本的には厳しかったけど、やさしさのある人だったと思います」

「私が初めての子どもですから、お母さんとしての経験がない中で、大変だったでしょうね」

自分が20代後半の時、母はガンでこの世を去った。

亡くなる前に、話してくれたことがある。

「お母さんの時代は、お見合いや知人の紹介で結婚相手を決めることが、普通だったそうです」

当時29歳だった母は結婚を急ぎ、人柄を知る前に父に決めたという。

「でも、いざ結婚するとお父さんの暴力的な面が見えてきて、離婚しようと思ってたみたい」

そんな時に、母のお腹の中に命が宿った。

「私ができてしまって、この家に息子を置いていけないから離婚できなかったって・・・・・・」

「『もうちょっと自分の人生を考えたらよかった』って、言ってましたね」

母の後悔の念と共に、子どもたちへの愛を感じた。

03うっすら気づき始めた本当の性別

恥ずかしかった方言

小学校は一クラス60人、一学年1000人を超えた。

「私は韓国の第二次ベビーブーム世代で、同級生の人数がすごく多いんです」

「だから、クラス全員が友だちになれる感じではなかったですね」

小学4年生になるタイミングで、釜山からソウルに引っ越した。

「転校してから、すぐにはしゃべらなかったです。自分が方言をしゃべってるってわかってて、それが恥ずかしかったんです」

同級生のしゃべり方を聞き、標準語を覚えてから、少しずつ話すようになる。

「一度発音を間違えて笑われたことがあって、すごく嫌でした(苦笑)」

気の合う友だちができると、一緒に星を見に行ったりした。

「小学生の頃は女の子の友だちも結構いたので、おままごともしてました」

定義づけられない性別

小学校に入るより前、3歳ぐらいの頃の記憶。

母の黒いドレスをこっそり着て、鏡に映る自分を見つめた。

「自分が息子として生まれたことは、わかっていたと思います」

「だから、内緒で母の服を着られたことが、うれしかったです」

4歳下の妹が白いドレスで着飾っている姿を見て、羨ましく思ったこともある。

「小学校に上がってから、なんとなく性別がおかしいと思っていたんです」

「でも、その頃は “トランスジェンダー” って用語がないし、韓国にはゲイやMTFのタレントもいませんでした」

「だから、自分を定義づけることができなくて、よくわからなかったです」

小学校高学年の時、テレビのドキュメンタリー番組で、出生時と違う性別を選んだ人たちが特集されていた。

「生まれは男性だけど女の子の格好をしている人たちの話で、今思えばMTFでした」

「でも、その番組では “ゲイ” って呼んでたんです。それが間違った情報って知らないから、私もゲイなのかな、って思いましたね」

お金を貯めて、その番組の内容をまとめた書籍を買った。

「本の内容はテレビと何も変わらなかったけど、それしか知る方法がなかったんです」

新たな情報を探し、本屋を探し回ったが、見つけることはできなかった。

理想的な創作の世界

中学生になり、女の子向けの漫画雑誌を読んでいた時のこと。

「中学生男子が事故に遭って、妹と魂が入れ替わるって話が載っていたんです」

「それを読んだ時、本気でこういうことはできるんだろうか、って悩みました」

創作に過ぎないことはわかっていたが、自分にも同じことが起きてほしい、と本気で願った。

女の子になりたいわけではない。

自分は、本当は女の子なのに・・・・・・とうっすら感じていた。

04理想とかけ離れていく自分

受け入れられない二次性徴

中学校は一学年15クラスあり、生徒の割合は男子の方が多かった。

そのため、クラスメートのほとんどが男子というクラスが1、2個存在した。

「1年生の時は、男子だけのクラスでした」

「私は発育が遅い方だったんですけど、周りの同級生はどんどん体つきが変化するんです」

1学期は身長が低く、声が高かった男の子が、夏休み明けには背が伸び、声が太くなっていた。

「その変化が気持ち悪かったし、自分はそうなりたくない、って思いました」

「逆に女の子たちは、だんだん女性らしい体つきになるじゃないですか」

体育の授業で座っている女の子の後ろ姿を見て、丸みを帯びたおしりに見惚れた。

「興奮したわけじゃなくて、羨ましいと思ったんです。私はなんで女の子みたいにならないのかなって」

高校生になると、ヒゲが生え始める。

「自分の理想とかけ離れていって、どうしたらいいかわからなかったです」

「でも、解決法が見つからないから、悩みようもなかったですね」

人と被らない趣味

中学生の頃から日本の漫画にハマり、手に入るものはほとんど読んだ。

「韓国の漫画もあったけど、当時は日本の漫画の方がクールだったんです」

高校では漫画部に入り、ノートに自作の漫画を描いていた。

「専門的なところには至らなかったけど、絵を描くことが好きでした」

「でも、同年代の男の子たちとは、興味の範囲が被らなかったです」

「漫画を描いてるのも私だけだったので、 “変な子” 扱いされました」

男の子たちの興味の対象は、スポーツかポルノビデオ。

「私は体を動かすことが苦手だったし、ビデオも見たことがなかったんです。だから、男の子たちと遊ぶことは、あんまりなかったですね」

その状況に心細さを感じたが、進んで輪に入ろうとも思わなかった。

一方で、同級生の女の子とは気が合った。

「意識はしてないけど、女子の友だちはそれなりにいたと思います」

たった一度の交際

思春期は、ほとんど恋をしていない。

「社会的には男性ですから、つき合ってみようとした女の子はいました」

「でも、手を握っただけで終わりました。相手もそんなに真剣ではなかったんじゃないかな」

高校生までは、その1回が唯一のおつき合い。

特別、好きだと思える人もいなかった。

「隣に座った男子がかっこよかったら、それだけで楽しい、って感覚はありました」

「でも、当時は恋愛感情ではなくて憧れだろうな、って思ってたんです」

05トランスジェンダーになれない苦しみ

トランスジェンダーとして生きるルート

初めて “トランスジェンダー” という言葉を知ったのは、高校を卒業してから。

「18歳ぐらいでインターネットが普及し始めて、情報を探せるようになったんです」

さっそく検索し始めると、自分と同じような人たちのコミュニティがあることを知った。

「その頃はトランスヴェスタイトとかトランスセクシュアルとか、いろんな用語があったことを覚えてます」

調べていく中で、性別適合手術(SRS)を受ければ、女性として生きられることを知る。

実際に手術に向けて動き出している人たちを、羨ましいと思った。

「だけど、私にはできない、とも思いました」

当時ネット上で見かけるトランスジェンダーは、実家と縁を切り、水商売をしながら手術を受ける人ばかりだった。

男性から女性になっていくお手本が、それしかなかった。

「私が家を出たら、お母さんはどうなるのかな、ってすごく心配だったんです」

「でも、踏み出せなかった理由で一番大きかったのは、怖い、って感情だったと思います」

実家を捨てるしかない、と思うと恐怖心が芽生えた。
水商売をしている自分が、想像できなかった。

しかし、そのルート以外に、性別の違和感を解消する選択肢は見出せない。
ホルモン治療の知識もなかったため、手術以外の方法が思い当たらない。

「打開策を知ってしまったから、むしろ実現できないことに苦しみました」

「自殺を考えるほどではなかったけど、20代はずっと悩んでましたね」

おじさんになる将来

自分の将来像は、思い描きたくなかった。

「幼い頃はかわいい時もあったのに、成長するにつれて男みたいになっていくんです」

「このまま成長していけば、お父さんみたいな中年、老年の男になるんだって・・・・・・」

「うちはおじいちゃんもお父さんもはげてるので、私もいずれはげると思ってました」

死ぬほど嫌だと思ったわけではないが、父のような外見になることは避けたかった。

自力で食い止めることができないならば、長生きはしたくない。

「40代ぐらいまで生きられればいいかな、って考えてましたね」

「周りにも『40代まででいい』って言ってたと思います。理由を聞かれた時は、あやふやにしましたけど」

<<<後編 2019/05/03/Fri>>>
INDEX

06 第二の故郷のように感じた国
07 初めて愛したかけがえのない人
08 本当の気持ちと失いたくない関係
09 「女性として生きたい」と告げる時
10 それぞれの生き方を受容できる世界

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