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Writer/佐藤恵美

「産んでこそ一人前」が苦しかった。アロマンティック・アセクシュアルのひとりごと

「子どもを産んでこそ一人前」。少し前の時代は、当たり前に言われてきた女性もいるんじゃないでしょうか。その言葉の裏側に潜む、セックスを強要する空気に、私はずっと息苦しさを感じてきました。恋愛や性に興味がない私は、永遠に未熟者と言われているようで。「子どもを慈しむ気持ちと、恋愛指向や性的指向は別物なのにな」とさみしい気持ちになったのを覚えています。

アロマンティック・アセクシュアルの私が考える「性」

私は他者に恋愛感情をもたないアロマンティックであると同時に、他者に性的欲求を感じないアセクシュアルでもあります。たまたま2つの特性をもっているだけです。恋をしないことと、性的な接触をしないことって、似ているようでいて実は少しだけ違う場所にある。そう思います。

アセクシュアルとアロマンティック、似ているようで実は違う

さて、まずは定義を整理してみます。

世のなかには、他者に恋愛感情を抱かない「アロマンティック」という言葉があります。私自身、誰かを特別に好きになる感覚は感じたことがありません。

たとえば芸能人に対して「この人イケメンだなぁ」って思うことはあります。でもそれって、いわゆる恋愛感情とはまったくの別物ですよね。相手を敬意や賞賛の気持ちで鑑賞するのと、愛情をもって慈しんだり独占したいと思うのとは違います。

私には、後者の気持ちがないのです。

周りの人たちが片思いのつらさや付き合っているときののろけを話すとき、相槌を打ちながら聞いて「わからないなぁ」って思っていました。

一方「アセクシュアル」は、他者に対して性的惹かれを抱かないセクシュアリティ。身体的接触は「したくない」もしくは「しなくてもいい」と感じます。

私もそうです。
自分から望むことはないし、しなくても平気。

アセクシュアルとアロマンティック、この2つは重なることも多いけれど、イコールってわけではありません。「恋はするけどセックスはしたくない」という人もいれば、私のように「恋もセックスも、ピンとこない」という人もいます。

セクシュアリティについて語るとき、けっこうな確率で「強がっちゃって」「そんな意固地にならないで」なんて言われたりします。でも、強がりでもなければ、なにか欠落しているわけでもありません。

ただ、私のなかに恋や性愛に関するパーツが存在しないだけなんですよね。

アセクシュアルは絶対に「性的な接触」ができない?

さきほど「アセクシュアルはセックスしなくていい、またはしたくない人」と述べました。よく「性はグラデーション」と言いますが、アセクシュアルというセクシュアリティを単体で見ても、グラデーションが広がっています。

性的な接触、たとえばパートナー間のハグとかキスがそうですね。アセクシュアルのなかでも、どこまでの接触を許容できるかは人それぞれです。

アセクシュアルのなかには「相手への親愛の情を示すため」「子どもがほしいから」という理由でセックスに応じる人もいます。

娯楽でも食べ物でもそうですが、自分の暮らしに必要のないもの、なくても困らないものって、ありますよね。私個人の解釈ですが、一部のアセクシュアルにとって、セックスってそういう「あってもなくてもどっちでもいい」って位置づけなのかもしれません。

子どもを望む気持ちに、性的指向は関係ないという話

セクシュアリティについての知識が乏しかったころ「結婚も出産も私にはないかな」と言うと、たまに「そんなさみしいこと言わないで」「子どもはいいぞ。母親になって一人前だ」と言われたものです。確かに、親になってこそ見えるもの、わかるものがあるのだと思います。けれど、その境地にたどり着かない人は本当に未熟なのでしょうか。

アセクシュアルの母性や父性

私は「誰も好きにならないし、家庭を作るのに興味がないから独身でいいや」と、若いころはよく言ってました。多くの人にとって、それが珍しい考えだとなんとなくわかっていましたが、事実だったから。

しかし、こういうことを言うと「年をとって後悔するよ」「子どもってかわいいのに」って、返す人が一定数いました。どっちも承知のうえで「ひとりでいい」と話したのですが、なかなかわかり合えないものです。

自分の子どもを愛したい、守りたいという母性や父性をもつアセクシュアルは、決して少なくないと私は思います。私自身、自分のなかにある程度の母性が備わっていると自覚しているからです。

小さな子どもの柔らかさ、純粋さは、言葉にできないくらい愛しいですし、同時に守らねばと感じます。

「子どもを育てたこともないくせに」と、何度か蔑まれた経験もあります。それはその通りで、返す言葉もありませんでした。子をもつ人の気持ちや覚悟には及ばないかもしれません。

しかし、間違いなく子を慈しむ感情はアセクシュアルの人にも存在します。我が子を抱きたいと願う人だっています。

アセクシュアルという性的指向は「パートナーや子どもと家庭を築きたい」と思う気持ちを否定するものではないのです。

親になる道は一つじゃない

昔は、子どもを授かる方法はセックスのみだとされてきました。けれど今の時代、親になるための道は複数あります。

たとえば、性交渉を伴わない人工授精やシリンジ法など、医療や道具の力を借りる方法です。血縁にこだわらなければ、里親制度や養子縁組で家庭を築く選択肢もあります。

自分のセクシュアリティを大切に、それでも親になるのを諦めなくてもいい。どんな手段を選んだとしても、そこに愛情があるのなら、それは立派な「家族」なのだと思います。

自然な方法、いわゆるセックスでのみ子どもを設けるべき、という時代でもありません。アセクシュアルでも、自分のなかにある母性や父性を抑えたり隠したりする必要はないのだと思います。

幸せの形に正解はない。アセクシュアルとして「物差し」を捨てる勇気

実は、子どものいる人生を想像したことはあります。だって私、どちらかと言えば子ども好きなほうだったから。でも自分が望む人生を突き詰めたとき、親になることって優先順位としては低かったんです。周りはあれこれ言いましたが、結局は自分の「心を殺さず、自由を求めて生きたい」という思いを貫きました。

セクマイだからこそ、誰の物差しも使わない

世のなかには、まだまだ目に見えない「暗黙の正解」があります。恋をして、結婚して、子どもを産み、育てる。そのレールに乗るのが正解なのだと信じている人は、たくさんいます。

私も実は、そうでした。マジョリティとして生きようと思い、結婚するために動いたこともあります。

でも、幸せの形に唯一無二の正解なんてあるのでしょうか。

子どもが欲しいと考える人がいてもいいし、友情結婚だけしたいと思う人がいてもいい。そして「今はまだわからない」「どっちでもいい」と揺れる人がいたっていいんです。

セクシュアルマイノリティとして生きる私たちは、もしかしたら人一倍「自分にとっての幸せとはなにか」を考えているのかもしれません。だからこそ、マジョリティの物差しで自分を測ると大きなズレを感じるのでしょう。

私は50年生きてこの考え方にたどり着きましたが、今は私が若いころよりも寛容な時代です。だから、きっとマイノリティを理解してくれる人や居場所を見つけやすくなっているんじゃないかって、期待しています。

今、これを読んでくれているあなたのように。

もちろん、アセクシュアルに対する世のなかの理解は、まだまだ浅いなと思います。だって、本来多くの人が持っているはずの他者への性的欲求が ”ない” って言ってるんですから。

これを踏まえたうえで、それでもアセクシュアルとして生きていく。私たちには、そういう覚悟のようなものがお守りになるのかもしれません。

自分の心を欺くことなく、セクシュアリティの定義に縛られない生き方を

「妻にならなくちゃ」「親にならなくちゃ」「ひとりで生きようなんて思っちゃいけない」
自分がアロマンティック・アセクシュアルだと知らないころは、固定観念に縛られて生きていました。

もしかしたら、この記事を読んでくれているあなたもそうかもしれませんね。

揺れるあなたや過去の私に、今の私が言えることがあるとするなら、迷わず「周りの意見なんて聞かなくていい」と言います。

だって、自分の体は自分のものです。親や親類の意見に振り回されていいわけがありません。

「子どもを産んだほうがいい」「ひとりで生きるなんて寂しい」と誰かが言ったとしても、それを受け入れるかどうかを決めるのは自分なんです。自分の心が「それは違う」と言うなら、きっとそれが正しい。

「自分はアセクシュアルだけど、親になりたい」と思うなら、その願いもまた、誰にも邪魔されないものであるべきです。

親になるには、セックスしないといけない。それは嫌だから、別の方法で子どもを授かる道を選ぶ。もしくは、信頼できるパートナーとであればセックスできるからそうする。セクシュアリティはラベルとして便利ですが、そこにがんじがらめにならなくてもいい。

私はそう思っています。

どんな選択をしても、自分のままで生きていく

恋愛への興味や、性的な接触に対する価値観、そして親になることへの考え方。すべて、私たちの人生に関わることです。

実は、以前は「アセクシュアルなんだから『なにもかも興味がない』って言えなきゃいけない」って思っていました。これ、立派な思い込みですね。

アセクシュアルやアロマンティックという言葉、その定義をから1ミリもはみ出しちゃいけないって思っていたんです。

恋愛に興味ないです。
セックスは断固としてしたくありません。
だから当然、親になりたくありません。

これは、昔の私の「アセクシュアルはこうあるべき」です。
実際は、そんなことないのに。

私が自分のセクシュアリティについて自覚したのは40歳を超えてから。もう少し若ければ、また違った感覚だったのかもしれません。

たとえば20代だったら「友情結婚してみたい」と思ったかもしれない。30代だったら「子どもが欲しいかも」と考えたかも。今はもうそんなことを考えたりしませんが、想像するとちょっと楽しく、また切ない気持ちになります。

こうした心のアップダウンを、ほほえましく感じながら自分のいまを生きていく。この姿勢が、きっと誰にも必要なのかもしれません。

 

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