INTERVIEW
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自立した先で見つけた、夫夫でのふたり暮らし。【前編】

「お話ししているときって、目線はこっちでいいんですか?」。インタビューの途中で、自分に向けられたカメラに気づき、はにかみながら確認する工藤翔太さん。ひと口かじったドーナツも、「食べてると変な顔になっちゃうから」と話している間は手をつけなかった。ユーチューバーとしても活動しているからだろうか、自分の姿や存在自体をおのずと客観的に捉えている。実は母ひとり子ひとりの家庭で育った “甘えん坊” だったという工藤さんが、16歳で自立し、新たな家族をつくるまでの物語を聞かせてくれた。

2019/03/28/Thu
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Kei Yoshida
工藤 翔太 / Shota Kudo

1994年、愛知県生まれ。シングルマザーである母に代わって、幼い頃から自ら料理を覚え、18歳で調理師免許を取得し、現在は飲食業界で調理師として働いている。自分がゲイかもしれないと思い始めたのは、中学1年生のときに男の先生を恋愛対象として意識したことから。その後、いくつかの出会いを経て、上京して出会った12歳年上の男性と、2018年にパートナーシップを宣誓した。

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INDEX
01 調理師は自分の天職
02 女の子と遊ぶほうがラク
03 初恋と登校拒否
04 不意に訪れた自立のとき
05 頭を切り替え、ゲイとして生きる
==================(後編)========================
06 付き合うって、よく分からない
07 東京へ、旅立ちのとき 
08 パートナーシップを宣誓
09 引き出されたカミングアウト
10 やっとできた、自分の家族

01調理師は自分の天職

幼い頃から料理が好きだった

地元の調理師学校を卒業したのは18歳のとき。

卒業してしばらくはそのまま地元で働いていたが、19歳で上京した。

「東京で仕事を見つけていたわけじゃないんです。とにかく行って、それからなんとかしようと思ってて」

「友だちの家に居候させてもらいながら、上京して4日目で飲食店のアルバイトを見つけました」

それから5年。初めはアルバイトとして入ったフードサービス企業に、現在は社員として勤めている。

接客を担当していた時期もあったが、「やはり調理をしたい」と希望してからは、ずっと厨房で腕を振るっている。

調理師は自分の天職だ。

「料理以外にやりたいことって、思いつかないんですよ(笑)。アルバイトの頃から、今も変わらず楽しく働いてますね」

料理は幼い頃から好きだった。

我が子をひとりで育てるために、朝から晩まで働く母に代わって、自分が食べる分は自分でつくっていた。

母ひとり子ひとりだからこそ

小学校から帰ってきたら、夕食を用意して、テレビを見ながらひとりで食べる。

そうしているうち、夜遅くに母が帰ってくる。

母に教わったわけでもなく、料理の本を隅々まで読んだわけでもなく、自分が食べたいものを自分でつくっていくなかで、調理の知識は自然に蓄えられていった。

「母は、料理があんまり得意なほうではなくて(笑)。僕は、ほんと自己流で覚えていきましたね」

「母に食べさせたこともあると思うんですけど、なんか言ってたかな? あんまり覚えてない(笑)。ほんと自分のために料理をしていた感じなので」

「ひとりでつくって、ひとりで食べてました」

母ひとり子ひとり。お互いに、たったひとりの家族。

だからこそ、甘えん坊だったのは仕方のないことかもしれない。

「保育園に行きたくない、お母さんと一緒にいたい、と毎朝泣いているような子でした」

「保育園の先生には、『甘えん坊すぎるので、少しは自立できるようにしてください』と言われるほどで」

小学校に入っても、なかなか学校に慣れなくて、行きたくないと言って泣いていた。

それでも、2年生に上がる頃には少しずつ友だちができ、徐々に母離れしていった。

02女の子と遊ぶほうがラク

“僕” から “俺”へ

小学校低学年の頃の遊びといえば、男の子はサッカー、女の子はままごとが主流。

でも、男の子だけれど外で遊ぶのが苦手で、女の子と遊んでいるほうが好きだった。

「周りの子たちも、先生も、『男の子なんだから、男の子と遊びなよ』って言ってきたりしましたね」

「でも、僕は女の子と遊びたかった」

「結局、幼稚園も小学生の6年間も、ずっと女の子とばっかり遊んでましたね」

高学年にもなれば、多くの子どもたちは男女で分かれてグループをつくりたがる。

すると、女の子のなかにポツンとひとりいる男の子は、周りから見ると異質だった。

「女の子の家に何人かで遊びに行ったとき、その子のお母さんが『え、なんで男の子がいるの?』って感じで僕を見てて。居心地が悪かったですね」

周りの男の子たちから、からかわれることもあった。

女の子とばかり遊んでいる “オカマ” だと野次られた。

「でも、女の子と一緒にいるほうがラクだったので、無理に男の子と遊ぼうとはしませんでした」

「昼休みは女の子と過ごしていたし、仲のいい子と交換日記とかもしてましたね」

からかわれても、自分の行動を変えることはなかった。

でも、ひとつだけ変えたことがあった。それは、自分の呼び方だ。

「それまで、自分のことを僕と呼んでいたんですが、俺って呼びだしたのは、ちょうどその時期だったと思います」

「ちょっとでも、男っぽさを出そうとしていたのかな」

「こんな風にならないでほしい」

そんな自分を、周りの大人や男の子たちだけでなく、母も「なんだかおかしいな」と感じていたように思う。

面と向かって咎めるようなことは言わない。しかし、やんわりと “男の子らしくない男の子” を拒否する態度が見え隠れした。

「テレビを見ていてオネエタレントが映ると、口に出さずとも『気持ち悪い』って思っている様子でした。『あなたは、こんな風にならないでほしいなぁ』って言ったりとか」

その頃の自分は、ゲイという言葉も知らず、女の子になりたいわけでもなかった。

自分をオネエタレントと結びつけて考えることもなかったので、そんな母の態度にショックを受けることはなかった。

ただ、「母はオネエが好きではない」という事実は、頭に刻み込まれる。

そんななか、女友だちたちと恋の話をするときは、話に参加するために“好きな女の子” の名前を挙げるようにしていた。

「本当は恋じゃなかったかもしれないし、本気で好きなわけではなかったと思うんですけど」

バレンタインデーにはチョコレートをもらうし、女性アイドルグループが好きで、学校には “好きな女の子” がいる。

男の子の友だちがいなくて、女の子の友だちとばかり一緒にいる以外は、周りの男の子と変わらない小学生だった。

03初恋と登校拒否

かっこいい新任の先生

女のなかに男がひとりの状態を周りに揶揄され、少しの違和感を抱えながらも、親友と呼べる女友だちもいた。

それなりに楽しく過ごしていた小学校での6年間。

卒業して中学校に入ってみると、学校生活はガラリと変わってしまった。

体育などの授業で男女が分かれるほか、いろんな場面で男は男と、女は女と一緒に行動する場面が増える。

今までのように女の子といるのが難しくなった。
小学校の女友だちと話す機会も減った。

クラスのみんなと、どうやって仲良くなればいいのか分からない。

「その頃から人見知りだったし、クラスに馴染めなくて。そんななか、教室という締め切られた空間に、同じ方向を向いた机が並んでいて、何十人もが詰め込まれている状態が気持ち悪くなっちゃって・・・・・・」

学校に行くのがつらくなり、休むようになってしまった。

そんなとき、自宅まで迎えに来てくれたのが担任の先生だった。

新任の男性の先生。初めて会ったとき、「かっこいいな」と心ときめいた。

「男性をそういう風に意識したのは、それが初めてでした。でも、思えば、保育園の頃から、女の子よりも男の子と手をつなぎたかったような気もします」

「あと、ピンクのクレヨンばっかり使ってましたね」

学校に行きたくない

初恋の先生に会いたい気持ちと、学校に行きたくない気持ち。

ふたつの気持ちがせめぎ合うなかで、学校に行きたくない気持ちのほうが強くなり、中学1年生の夏頃からはほとんど欠席してしまった。

そんな息子を心配して、母は「がんばって学校行きなさい」と促した。

「家にも居づらいし、学校にも行けないし・・・・・・。仕方ないので公園で時間をつぶすこともありました」

「母は、しきりに将来の心配をしてましたね。学校は行かなきゃダメって言って」

行きなさい、行きたくない、その繰り返しだった。

「先生に紹介してもらったスクールカウンセラーに話を聞いてもらって、カウンセラーからの説明を受けて、やっと母も『無理して学校に行かなくてもいいのかも』と思ってくれたみたいですけど」

それでも、転校したいという希望は叶えてもらえなかった。
なかなか自分の気持ちを受け入れてもらえなかったという思いが残る。

2年生になっても相変わらず学校には行きたくなかったが、新たな気持ちでスタートしようと、なんとか休まずに通った。

しかし、やはり3年生になるとつらさがこみ上げてきて、休むようになってしまう。

結局3年生の後半もほとんど学校に行くことはなかった。

04不意に訪れた自立のとき

自分ひとりで生きていく

学校を休んでいたせいで、やはり勉強には苦労した。

でも、受験して、高校に入って、今度こそ学校生活を楽しみたい。

そんな想いを胸に、どうにか私立高校に進学することができた。

「高校は楽しかったですね。やっと、ちゃんとした学校生活を送れたっていうか(笑)」

しかし、入学したのは2011年の春。
東日本大震災の影響が、被災地を中心に日本全国に広がっていた時期だった。

「観光業も影響を受けて、ホテルに勤めていた母は仕事が激減してしまって」

「僕もアルバイトをしていて、もともと生活は苦しかったんですが、生活費も学費も払っていくのが、ますます苦しくなってしまったんです」

困り果てた母が提案したのは、父のもとで暮らすことだった。

「両親は離婚していて、生まれてからずっと父とは一緒に住んだこともなくて。会った記憶もほとんどないし」

「そんな父のところへ行くのが嫌で・・・・・・、『じゃ、俺はひとりで暮らす』って言ったんです」

学校を辞めて、働く力をつけて、仕事をして、自分ひとりで生きていく。

「そんなの無理でしょ」と母は言った。

しかし、高校1年生の途中で学校を辞め、アパートを借りて、母とふたりで暮らしていた家を出た。16歳だった。

正直言って、高校は行きたかった。でも、後戻りはできなかった。

「母には、アパートを決めて、保証人になってもらう段階で報告しました。・・・・・・びっくりしてましたね」

本当に出て行くとは思わなかったんだと思う。

「出て行くときは言い合いになっちゃって・・・・・・。そのまま喧嘩別れみたいになって、悲しかったです」

たったひとりの家族なのに

アルバイトで生活費を稼ぎ、ひとり暮らしにも慣れてきた頃、17歳の誕生日を迎えた。

その瞬間に、ふと思った。「自分にも何もない」と。

「このままじゃ何もできないし、将来が見えないなって思ったんです。そこで、自分がこれから何をすべきか考えました」

料理しかない。

「ずっと身につけてきたものだし、食べることはこれからも一生続けていくものだし、仕事にしても損はないはずだと思って」

そして、次の春に調理師学校に進学した。

将来のことは、誰にも相談せずに自分で決めた。母に調理師学校に進むことを伝えたのも、受験が終わったあとだった。

「今考えると、ひとり暮らしせずに母といたほうが良かったかなとも思います。でも、あのときは『もう一緒にいられない』という気持ちが強くて」

「ふたりっきりの家族なので、喧嘩すると仲裁してくれる人もいないし、どちらも折れなくて対立するだけだし」

「それに、学校に行けなかった中学校の頃の僕の気持ちを、受け入れてもらえなかったという思いが拭えなかったんです」

「たったひとりの家族なのに味方になってくれなかった・・・・・・て、思っちゃって」

離れて暮らすことは、親子にとって必要な冷却期間だったのかもしれない。

05頭を切り替え、ゲイとして生きる

自分がゲイだと認めたくない

中学1年生のときの担任の先生に恋心を抱いて以来、しばらく恋愛とは無縁だった。

不登校、高校中退、突然の自立・・・・・・。生活していくことで手一杯だったとも言えるだろう。

「高校では、友だちはできましたけど、辞めてからは連絡を取らなくなっちゃって、それっきり」

「でも、専門学校でも友だちができたし、学生生活で一番楽しかったですね。女性も多かったし、居心地が良かった(笑)」

「専門学校のときの友だちとは、今もたまに連絡を取り合ったりしてますよ。でも、恋愛には発展しませんでしたね」

だからこそ、自分がゲイなのか、バイセクシュアルなのか何なのか、確信がもてないままだった。

初恋の相手が男の先生だったからゲイなのかも、と思うこともあったが、認めたくない気持ちがあった。

「周りでは男女の恋愛が普通のようだし・・・・・・。普通という言葉はアレですが・・・・・・、男同士は普通じゃないようだし、自分はそうだと認めたくなくて」

もしかしたら、オネエタレントに対する母の態度や、「こうならないでほしい」という言葉も、どこかで引っかかっていたのだと思う。

そのことで死にそうなほど悩んだりはしなかったが、どこか恋愛に前向きになれないままでいた。

男同士の恋愛ってどんなの?

「そんなとき、アルバイト先で一緒だった女性に告白したんです。そしたら見事に振られちゃって(笑)。それで、じゃ、男性にいこう、と」

それは自分なりの賭けだったのだろう。

女性と付き合うことができたなら、ゲイかもしれない自分を認めなくていい。

でも、付き合えなかったら認めよう。

そして、振られた。自分はゲイとして生きようと、すっかり頭が切り替わったのだ。

「もしも、その女性に振られなかったとしても、きっと長くは付き合えなかったと・・・・・・今なら分かります」

女性との付き合いは未体験のまま。でも、半ば直感的に切り替わった頭で、ゲイとして生きる道を選んだ。

「ちょうどその頃、ゲイのための出会い系アプリが広まってきてて、自分も男同士の恋愛に興味があったので、使ってみたんです」

「それまでゲイの人に会ったことがなかったので、初めてアプリを使ってみて、自分の周りにもたくさんいるんだってことが分かって驚きました。『え、こんなにいるの!?』って(笑)」

「自分だけじゃないんだ、本当に身近にいるんだ、って安心しました」

一気に開けたゲイライフ。

自分の世界が広がっていくようでワクワクした。


<<<後編 2019/03/30/Sat>>>
INDEX

06 付き合うって、よく分からない
07 東京へ、旅立ちのとき 
08 パートナーシップを宣誓
09 引き出されたカミングアウト
10 やっとできた、自分の家族

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