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Writer/きのコ

ポリアモリーへの5つの批判「子供がかわいそう」「セックス依存症」・・・

複数の人と同時にそれぞれが合意の上で性愛関係を築くライフスタイル「ポリアモリー」。近年、インターネット上にはポリアモリーに関する意見が数多く飛び交っている。私はそれらを観察していて、ポリアモリーに対する批判は大きく5つに分類できることに気がついた。

ポリアモリーへの5つの批判 ①②

近年、ポリアモリーについてさまざまな意見がインターネット上で見られるようになってきた。特にSNSでは、「ポリアモリー」という単語がトレンドのランキングに上がることもある。そこで今回は、SNSにおける反応をもとに、ポリアモリーに対する批判を分類してみた。

ポリアモリーは「○○」という批判

ポリアモリーへの批判は、大きく次の5種類に分けられる。

・ポリアモリーは「倫理にもとる」
・ポリアモリーは「セックス依存症」
・ポリアモリーは「子供がかわいそう」
・ポリアモリーは「性病もってそう」
・ポリアモリーは「ブスのくせに」

以下では、順をおって批判に対する私の意見をまとめてみたい。

ポリアモリーへの5つの批判①「ポリアモリーは『倫理にもとる』」

「ポリアモリーは非倫理的、反道徳的だ。貞操観念がない」
「ポリアモリーがはびこると家族制度が崩壊する。文化や風紀が乱れて日本がダメになる」
「浮気や不倫の正当化、言い訳にすぎない」
など

「倫理」や「文化」や「日本」など、このタイプの批判はとにかく大風呂敷、とにかく抽象的で、言っていることがふわふわしている。

主語が壮大で、「自分の方が分かっている」と言わんばかりの上から目線。

「ポリアモリーは “本当の愛” を知らない」という批判も、このタイプに含まれると思われる。

まるで何かの代表や先生のつもりだろうか。

ポリアモリーがダメというなら、モノガミーが具体的にどう良いのかという根拠を示してほしいものだ。

このような発言の根底には、「現状が変わるのが嫌」という保守的な態度があるのではないだろうか。

未知の物事や概念に対して、恐怖や不安を覚えるのは人間として自然な感覚だろうが、その恐怖を深く掘り下げることもせず「間違っている!」という脊髄反射的な怒りにすり替えてしまっては、生産的な意見にはならないだろう。

ポリアモリーへの5つの批判②「ポリアモリーは『セックス依存症』」

他にも「単なるセフレ」「ビッチ」「ヤリチン」などなど・・・・・・セックス関連の批判も多く見られる。

セックスではなくて恋愛の話をしているのに、「恋愛=セックス」だと思い込んで論点がズレているのがこのタイプ。

他人を批判しているつもりでいながら、実は自分の視野の偏りを露呈してしまっている。
恋愛においてセックス至上主義者だと自己紹介してしまっているようなものだろう。

というか、ポリアモリーであれモノガミーであれ、「性に奔放」「セックスしまくりたいだけ」だったとしても、それ自体が悪いわけではない。

合意のある関係であり、自分も他人も傷付かない営みである以上は、第三者にとやかく言われる筋合いはないのだから。

「セックスは汚いもの、恥ずかしいもの」「セックスにポジティブなのは良くないこと」というセックスに対するタブー視が、このような批判の背後にあるのではないだろうか。

ポリアモリーへの5つの批判 ③④⑤

ポリアモリーへの5つの批判③「ポリアモリーは『子供がかわいそう』」

子供がかわいそうかどうか決めるのはその子供自身であって、その子の親ではないし、ましてや第三者が勝手に決めつけるものではない。

さらに言えば、「親がポリアモリーだと子供がいじめられる」などの批判はよく見られるものだが、それはどう考えてもいじめる側の問題である。

「ミニスカートを履いていると痴漢に遭う」などの言説と同じで、悪いのはミニスカートを履いている側ではなく痴漢なのだ。

そもそも「いじめ」も「痴漢」も、それをして正当化できる理由はない。

女性はミニスカートを履かないこともできるし、親は子供がいじめられないような子育てをすることもできるけれど、そうしないからといって他人から責められるいわれはないだろう。

むしろ、ポリアモリーが子育てに良くないというなら、逆にモノガミーが子育てにおいてより良い方法なのかどうか、いま一度考えてみてほしい。

こういう発言の背景には、「子育てはこうあるべき」という規範意識がある。

育児規範に縛られるあまり、そういう人が育児を独りで抱え込んでつらくならないか心配になってしまうというものだ。

ポリアモリーへの5つの批判④「ポリアモリーは『性病もってそう』」

逆に「モノガミーなら性病にはならない」と思っているのだろうか。
思っているから、こういう批判が出てくるのだろう。

きちんと予防をしなければ、誰だって性病のリスクは高まる。

性病にはセックス以外にもさまざまな感染経路があることを考えると、一概に “ポリアモリーだから性病リスクが高まる” とはいえないだろう(キスで感染する性病や、便器やタオルを介して感染する性病もある)。

むしろ、ポリアモリーにはセックスリテラシーの高い人、セックスポジティブな人が多く、概して性病予防や避妊には積極的という印象が強い。

性病のリスクはポリアモリーかモノガミーかというライフスタイルと直接には関係ないので、これは的外れな批判だといえるだろう。

ポリアモリーへの5つの批判⑤「ポリアモリーは『ブスのくせに』」

「気持ち悪い」「生理的に無理」などもあるものの、ここまでくるともはや、批判ではなくただの悪口。

個人の感想としてはどう感じても構わないとは思うが、それを誰にでも見えるSNSという場で発言するのは、単なる誹謗中傷になってしまう。

そのような非難をする人は、自分自身も「ブスのくせに」と言われることを想定しているのだろうか・・・・・・?と不思議に思う。

もしかしたらその人自身がまさにそういう罵りを受けてきたからこそ(あるいはそれを内面化して「私なんてどうせブスだし・・・・・・」と自分を卑下しているからこそ)、他人にもそういうバッシングをぶつけてしまうのかもしれない。

そもそも「ブスのくせに」という非難は、「美しくなければ、恋愛してはならない」という規範意識から生まれているものだと思う。

そういう規範意識は、恋愛市場にお金を注ぎ込ませようとする資本主義から刷り込まれているのではないだろうか。

そういう意味では、「モテ/非モテ」や「リア充/非リア充」などと恋愛に格差や資格を設けて、恋愛の勝ち組にならなければダメ! と煽ってくる恋愛 “市場” 主義というのは、かなりいろんな人を苦しめているのではないかと思っている。

ポリアモリー批判にみる「規範意識の呪い」

成立していない「ポリアモリー批判」

「ポリアモリー批判」への表現は、これまで述べた5つ以外、多岐にわたるものの、ほとんどのポリアモリー批判は、この5つの分類で片付いてしまうと思われる(もし他に目新しい批判があるなら、ぜひ出くわしてみたいものだ)。

これらの批判に共通しているのは「ポリアモリー自体に対する批判として成立していない」点だ。

つまり、モノガミーにも同じ批判が可能なのだ。また、「第三者が自分の規範意識を押し付けているだけ」であることも多い。

「ねばならなさ」の呪い

ポリアモリー批判の背景には、どのような価値観や思い込みが存在するのだろうか?

これには、結局のところ私たちの内に根深く巣食っている「ねばならなさ」の呪いが影響しているのだろう。人は、他者の選択や表現に対して、自分の規範を押し付けてしまうことがままある。

それは人々がしばしば抱える固定観念や制約から生じるものではないだろうか。

ポリアモリーを批判する際には、この「ねばならなさ」の呪いに根ざした規範意識を客観的に見つめ直す必要がある。

他者の人生の選択や関係の形態を最初から否定してかからないことは、より多様性が尊重される社会を築くためにも重要な一歩と言えるだろう。

 

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