2023年10月25日、トランスジェンダー当事者が戸籍の性別変更を申し立てる際に必要とされている「手術要件」について、最高裁で判決が下されました。生殖不能要件は違憲であるとの判決です。基本的には前向きな判断として全国的なニュースとなっている一方、SNSではトランスフォビア(トランスジェンダー当事者への差別意識)がむしろ強まっているように感じます。
トランスジェンダー戸籍の性別変更の生殖不能手術違憲判決
まずは今回の判決内容や、そもそもトランスジェンダー当事者が戸籍の性別を変更する際に何が求められているのかを振り返ります。
戸籍の性別変更に必要な要件とは
トランスジェンダー当事者の人はご存じと思いますが、まずは戸籍の性別を変更する際の要件として現状何が決められているのか、改めて確認しましょう。
「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」では、2023年10月27日現在、次の5つの要件が定められています。
1. 18歳以上であること
2. 結婚していないこと
3. 未成年の子どもがいないこと
4. 生殖能力がないこと
5. 性器の外観が移行する性別に近似していること
また、裁判所で戸籍の性別変更を請求する際には、2人以上の医師から性別不合(性別違和、性同一性障害)の診断を受けている必要があります。
生殖不能の手術要件は違憲だが、外観要件は高裁へ差し戻し
今回の裁判で争点となったのは、5つの要件うち、4つめの「生殖能力がないこと(生殖不能要件)」と、5つめの「性器の外観が移行する性別に近似していること(外観要件)」です。この2つの要件は、トランスジェンダー当事者の中ではまとめて「手術要件」と呼ばれることが多いです。
これらを満たしていないと戸籍の性別変更が認められないことは憲法違反ではないか、という裁判でした。
今回の裁判では、4つめの生殖不能要件は違憲であるとの判決が下されましたが、5つめの外観要件については高裁に差し戻しとなっています。
戸籍の性別変更に必要な生殖不能要件の問題点
欧米を中心に、戸籍の性別変更に生殖不能要件を設ける流れはなくなりつつあります。
生殖不能要件は人権侵害か
日本で「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が成立したのは、今からちょうど20年前の2003年のこと。その当時は日本以外の国でも、戸籍の性別変更において生殖不能要件を設けていました。
しかし、2014年に世界保健機関(WHO)は、生殖不能要件を人権侵害だと声明を発表しました。これ以降、オーストラリアやメキシコなど、欧米を中心に生殖不能要件を撤廃する国が増えてきています。
日本における「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」は、2008年に一部改正されています。
前に挙げた「未成年の子どもがいないこと(子なし要件)」は、法律成立時には「子どもがいないこと」とされていました。つまり、当事者に子どもがいれば、その子どもが何歳であっても戸籍上の性別を変えられないことになっていました。
しかし、2008年の改正によって「未成年の子」に変更されたのです。
そもそも子なし要件が日本特有の要件であり、「未成年の子」と緩和するだけは不十分だと批判されています。しかしながら、トランスジェンダー当事者の実際の困りごとに即して法律が改正された歴史があることを考えると、今回の裁判を受けて、生殖不能要件以外の手術要件も近いうちに見直されるものと思います。
悪くない内臓を摘出するということ
生殖不能要件(生殖腺摘出)のデメリットやリスクはいくつかあります。第一に、やはり身体的・精神的・金銭的な負担です。
考えてみてください。自分のアイデンティティに関わる重要なことを成し遂げたいときに、健康上問題ない臓器を摘出してくださいと言われたら、ショッキングではないしょうか?
性ホルモンは、生殖機能だけでなく骨密度の維持などにも作用しますし、一般的にいわれる「男性らしさ」「女性らしさ」などの外観に関わらず、生きるための土台作りを担っている重要な機能なのです。
それをすべて摘出してしまうと、健康リスクが考えられます。また、手術すれば終わり、というものでもありません。
たとえば、トランスジェンダー女性の場合、性別適合手術を受けるとなると、性器が外に出ているので、男性器を摘出すると同時に膣を作ることが多いと言われています。膣形成後には、傷口を閉じようとする身体的なメカニズムを「阻害」して、作った膣を維持する「ダイレーション」というケアが必要です。
性別適合手術を受けた、身体的に男性だったの方のレポを読んだことがあります。あまりの壮絶さに血の気が引いてしまいました。読んだことのない方は、性別適合手術がどれほど身体的に負担になるものなのか、ぜひ調べてみてほしいです。
優生思想の名残
裁判の判決文では、2003年に「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」に手術要件が設けられた背景と、その後の社会の変化について、およそ次のように書かれています。
かつては、戸籍の性別を変更した後に子どもを授かることが社会的に混乱を生じさせるのではないか、という懸念があった。
しかし、WHOの声明や世界の手術要件撤廃の流れから考えて、戸籍の性別を変更した後に子どもを授かっても、大きな混乱は起きにくくなっていると考えられる。
ただ、私の個人的な考えでは、戸籍の性別を変更した人が子どもを授かることが、社会に混乱をきたすからという理由だけで、手術要件が設けられたとは思えません。優生思想の観点からNGとされてきたのではないか、という考えをどうしても拭えないのです。
戸籍というシステムから考えても、日本は「シスジェンダー・ヘテロセクシュアルの男女夫婦と、その子ども」という家族のかたちを重要視していることがうかがえます。
そのかたちから逸れる家族、まして性同一性 “障害” の遺伝子を受け継いだ子どもなど、後世に残すべきではない・・・・・・。そういう発想が「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」の要件から滲んでいる気がしてなりません。
生殖不能要件の違憲判決から生まれる分断
マスメディアには、今回の裁判について報道するだけではなく、誤解やデマを払しょくする情報も合わせて発信してほしいです。
公衆浴場は別問題!!
残念なことではありますが、今回の判決を受けて、シスジェンダー(ストレート)の安全を重要視する人たちのなかには「手術をしていない ”自称女性” が公衆浴場に入ってくる!」などと誤解している人が一定数存在するようです。
しかし、今までも、そしてこれからも、男性器を有している人が女性限定とされる公衆浴場に立ち入ることは禁止されています。
今年6月、LGBT法案が盛んに議論されていた時期に、厚生労働省が「公衆浴場での『男女』は身体的特徴で判断する」と発表しています。今回の判決によって、この発表内容が覆ったわけではありません。
性別適合手術を受けたトランスジェンダー当事者だけが「本物」?
SNSを見ていたところ、手術要件をトランスジェンダー当事者の「覚悟」のように捉えている人もいることが分かりました。
つまり、「”本物” のトランスジェンダーなら、生まれ持った性器に嫌悪感があるから、当然手術も受けるはずだ」という考えです。
また、手術要件がなくなると、性同一性障害の診断を受ければ「サクッと」戸籍の性別を変更できると受け止めている人さえいるような投稿も見られました。
確かに、トランスジェンダー当事者のなかには、身体的な性別を示す性器などに対してネガティブな感情を抱いている人が少なくないと思います。
ノンバイナリー当事者である私自身も、身体的には女性ですが、できれば胸はなくなってほしいし、月経もなくなってほしいです。ただ、実際に治療までしようとまでは思わないのは、やはり健康な体にメスを入れることに対する恐怖や健康リスク、金銭的な問題が主な理由です。
一方、トランスジェンダー当事者が性別適合手術の段階に進むまでには、さまざまなステップを踏む必要があります。ホルモン治療もその一つです。
トランスジェンダー男性の場合には、ホルモン治療によって筋肉質になり、声も低くなり、ひげも生えるなどといった変化が表れ、周りから男性だと認識されやすくなることが多いです。
私は今までに、何人ものトランスジェンダー男性に会ってきました。そのなかには、ホルモン治療と胸オペ(乳房切除)までは行っているが、すでに普段は男性として生活できているので、性別適合手術は見送っているという方も少なくありませんでした。
性別適合手術を受けていないものの、ホルモン治療を受けて、望む性別で社会的に生活しているトランスジェンダー当事者は、それでもやはり “本物” のトランスジェンダー当事者だとは言えないのでしょうか?
トランスジェンダー男性とトランスジェンダー女性で、治療方法や、ホルモン治療による身体的な変化は異なります。また、そもそも人それぞれ身体が違うので、性別適合手術以外の方法で、どのほど目に見えるかたちで変化が表れるかは個人差があります。
そういった個別の事情を踏まえずに「戸籍の性別を変更したいトランスジェンダーは、全員手術要件をクリアしろ!」「性別適合手術を受けていないトランスジェンダー当事者は ”本物” のトランスジェンダーではない!」と断じるのは乱暴ではないか、と個人的には思います。
「本当の性別」とは何なのか
今回の判決や世間の反応を調べているなかで、ジェンダーアイデンティティが根源的にはない私からすると、「本当の性別」などあるのだろうか、と改めて感じました。
確かに、前述の通り私の身体はメスのかたちで、その外観から、私の物心がつく前に戸籍の性別も女性だと決められました。しかし、これらの事実によって、アイデンティティまでコントロールされているとは思っていません。
もちろん、世の中の大多数はシスジェンダーであることは分かっています。
ただ、言わずもがな、世の中は多種多様です。ジェンダーアイデンティティはグラデーションだとも言われています。
たとえば、自分が男性だと認識していて、相手も男性だと言っていたとしても、ジェンダーに対してまったく同じ感覚を共有しているということはないでしょう。
トランスジェンダー女性についても同じことです。
世の中は多様な性で成り立っていると考えると「本当の性別」を示すために性別適合手術をマストとすることは理にかなっているのか。今がもう一度考えるべきタイミングだと思います。
■参考情報
・裁判例結果詳細: 性別の取扱いの変更申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件(裁判所)
・『トランスジェンダー関連法』に関する世界各国の法整備(プライドハウス東京)
・公衆浴場や旅館業の施設の共同浴室における男女の取扱いについて(厚生労働省)