私がLGBTとして生きていくにあたって、母親の存在は長らく心のしこりとなっていた。理由は、1回目のカミングアウトを失敗してしまったから。お互いに傷つくようなカミングアウトは二度としたくない、と思いながらも、私は同性のパートナーの存在をどうしても母親に伝えたかった。
LGBTとしての自覚も同時に生まれた、人生初のカミングアウト
初めてのカミングアウトは、予想外の形で
私が人生初のカミングアウトをした相手は、小学校時代を共に過ごした幼馴染だった。
カミングアウトをした、という表現は適切ではないかもしれない。
なぜなら、その幼馴染たちと話をしていく中で、私は自分がLGBTの一員かもしれないと気づいたからだ。
高校生活がそろそろ終わろうとしていた3月のある日、私は幼馴染たち4人と一緒に泊まりこみで遊んでいた。
ゲームをしたり、おしゃべりしたりしているうちにとっぷりと夜が更け、何人かはすでに眠ってしまって、まだ起きていた数人で恋愛の話をする流れになった。
そして、幼馴染たちの恋愛事情を聞いているうちに、私はつい悩みを打ち明けていた。
「最近、別のクラスの女の子と仲良くしてるんだけど、その子と廊下ですれ違うだけでものすごく嬉しくなって、学校が終わって別れる時間になるとなぜかめちゃくちゃ寂しいんだよね・・・・・・」
話を聞いていた幼馴染たちは、全員そろって「それ、絶対その子のこと好きでしょ!」と断言した。
あまりに力強い断言っぷりに圧倒された私は、「そうかも・・・!」と、あっさり自分が同性を好きになったことを認めた。
話は朝まで盛り上がり、みんなが私の恋愛にエールを送ってくれたことを今でも覚えている。
LGBTである自分をすぐに受け入れられた理由
幼馴染たちにきっかけをもらえたことで、私は自分がLGBTであることをすんなり認めることができた。
自己否定の念や忌避感を抱くことなく受け入れられたのは、最初の段階でポジティブな反応をもらえたことと、自分の中のモヤモヤとした感情を「恋」だと認められてすっきりしたことが大きな理由だ。
その頃、折しも少しずつLGBTという概念が世間にも広まってきていて、自分は少数派というだけで異常なわけじゃない、と思えたことも自分にとっては重要だった。
私のLGBTとしての人生は、とても幸せな環境からスタートしたのだと思う。
ただ、直後に「母親へのカミングアウト」という大きな障壁が待ち構えていることを、この時の私は知る由もなかった。
失敗したカミングアウトと、母親との確執
失敗してしまった1回目のカミングアウト
自分がLGBTだと気づいてから、私はすぐにそのことを母親に伝えようと考えた。
母親は教育熱心で厳しい人だったけれど、小さい頃からありとあらゆることを打ち明け、話し合ってきた仲だった。
だから、自分の将来設計にも深く関わってくるセクシュアリティについて、母親には本当のところを知っておいてほしいと思ったのだ。
この時、私は当然のように、母親は自分のセクシュアリティを受け入れてくれるだろうと思っていた。
ネットで見た記事や動画に出てくる、LGBTに理解のある親御さんのように、「あなたが幸せならそれでいい」と言ってくれるんじゃないかと思っていた。
実際に母親がそう言っているところを思い浮かべてもみた。
今振り返ると、軽率だった、としか言いようがない。
私は何の前触れもなしに、ドライブ中の車内でさらっとカミングアウトしたのだ。
大学準備に必要な買い出しの途中だったか、入学式の帰りだったか、もう覚えていなきけれど、母親と2人きりの車の中は、途端にシーンと静まり返った。
その後、私が何度話しかけても、運転席の母親はずっと無言のままだった。
二度と母親には恋愛の話をしないと誓った日
車内でのカミングアウトから数日経った頃、母親とささいなことで口論した。
たぶん、大学の履修のこととか、サークル活動についてとか、そんな理由での喧嘩だったと思う。
言い合いがややヒートアップしてきた時、「大体あなた、LGBTとか意味わからないこと突然言い出して何なの!?」という言葉が、母親の口から飛び出した。
そして母親は、私のセクシュアリティを否定するような言葉をいくつか口にした。
予想外のことに、私は絶句する。
母親にLGBTであることを理解してもらえないどころか、はっきりと拒絶されてしまうとは思っていなかったのだ。しかもこんな、お互いがピリピリしているようなタイミングで。
「今、その話は関係なくない?」と弱々しく反論したものの、母親と言い合いをする気は完全に失せていた。一瞬で頭が真っ白になってしまったのだ。
きっと母親も、突然娘にカミングアウトされて混乱していたのだ、と今ならわかる。
まったく関係のない口論の最中に、八つ当たりのように差別的な発言をしてしまうほどに。
それでも、当時の私は、ただただ純粋に傷ついた。
「わかってもらえないんだ」という思いが心にこびりついて、それ以来、母親の前では一切恋愛の話をしないようになった。
自分がLGBTだと気づくきっかけにもなった、高校時代に好きになった女の子に告白して失恋した時も、ごはんが喉を通らないことを「友達と喧嘩したから」と言って誤魔化した。
この先、どんな女性に恋をしてお付き合いをしたとしても、決して母親には話さない。
そう心に決めて、大学を卒業した後も、結婚や出産を急かしてくる母親にじっと反抗し続けた。
もう一度カミングアウトしたいと思ったきっかけは、現在のパートナーとの出会い
婚活にうんざり、やはり女性の恋人がほしいと気づいた
母親があまりにも「まだ結婚しないの?」「孫の顔が見たい」と繰り返すのにうんざりして、いわゆる婚活に手を出してみた時期もあった。
何人かの男性とやりとりをしたり、実際に会ってみたりしたものの、婚活で楽しい経験をしたことはほとんどなかった。
当時は男性のことも恋愛対象として見ていたはずだったのに、婚活をすればするほど、出会う男性たちに対してどんどんフラストレーションが溜まっていった。
そして、「自分の気持ちに正直になろう」と思った私は、女性限定のマッチングアプリを始めることにした。
一生男性と結婚できない人生より、一生女性とお付き合いすることがない人生のほうが、私にとっては耐え難いと気づいたからだ。
そしてしばらく経った頃、私はマッチングアプリを通じて現在のパートナーと出会った。
今なら伝えられるかもしれない
現在のパートナーとお付き合いを始めてすぐ、お互いの家族関係について確認し合った。
彼女はご両親と仲が良く、カミングアウトもすでに済んでいて、私と付き合っていることもすぐに伝えるよ、と言ってくれた。
それを聞いて、私は素直にうらやましいと感じた。
「すぐに親に言うことはできないと思う」としか言えない自分が、もどかしかった。
奇しくもコロナ禍の自粛期間を経て、当時の母親の態度も変化していた。
以前は会うたびに「まだ彼氏できないの?」「早く子どもを産んでほしいのに」などと言われていたのが、だんだん「健康で、元気でいてくれたらいいから」といった言葉に変わっていった。
私が会社を辞めてフリーターになった時も、「お金は大丈夫なの?」と心配するだけで、何も文句を言われなかった。
もしかしたら、今なら母親の反応も違っているかもしれない。
ちょうどパートナーとの関係も深まり、一緒に住もうかという話も出始めていた。
彼女と一緒に住むのなら、母親をこれ以上心配させないためにも、きちんと説明しなければ。
そして私は、母親に恋人の存在を伝えることにした。
わかってくれているのか、いないのか
「実は今、付き合っている人がいるんだよね」。実家に帰省した時、私は思いきって母親にそう言った。
自分の部屋のベッドに向かう直前、食器を洗っている母親の背中に向かってぼそぼそと、つぶやくように。
少し間をおいて、母親は「そう」と言った。
続けて、「あなたが今幸せなら、いいんじゃない」と。
1回目のカミングアウトで、私が欲しいと思っていた言葉。
その言葉をあらためて言ってもらえて、やっとわかってくれた、という思いがあふれてきた。
その時点では、恋人の性別については触れられなかったけれど、これまでの私の様子から、もしかしたら同性だと察してくれているのでは、とも思えた。
母親もその日は深く聞いてこなかったので、今後ゆっくり詳細を話せたらいいかな、と安心して眠りについた。
しかし、そう簡単にはいかなかった。
翌日、祖父母の家に顔を出した際、母親は祖父母に向かって「娘に彼氏ができたんだって」と明るい調子で言い放ったのだ。
祖父母は喜んでくれたが、私はショックのあまり愛想笑いを返すので精いっぱいだった。
結局母親には、何も伝わっていなかったのか。
1回目のカミングアウトですれ違ったあの日から、母親の認識は一切変わっていなかったのだろうか。
「彼氏ができたんだって」という母親の言葉が、しばらく脳内をぐるぐる回った。
もう一度カミングアウトをすることで、今度こそ本気で母親をがっかりさせることになるのではないか。
そう思うと、やるせなくて仕方なかった。
母親へのカミングアウト、再挑戦
無責任ながらもありがたい、父親からのコメント
「娘に彼氏ができたんだって」という衝撃のひと言以降、母親が「彼氏」という単語を口にするたび、私はつい顔を曇らせてしまった。
「彼氏の写真見せてくれないの?」と聞かれても、うやむやにして誤魔化していた。
きっと、母親も何か違和感には気づいている。
でも私が口をつぐむと、母親もそれ以上の追及はしてこない。
宙ぶらりんな状態が続く中、私はまず父親にカミングアウトをしようと決めた。
母親に伝える前に、外堀から埋めていこうと思ったのだ。
学生時代は父親とあまり話をすることがなかったので、それこそ父親には一生カミングアウトできないだろうと思っていた。
しかしながら、母親と比較した結果か、あるいは父親に対してプレッシャーを抱いていなかったからか、案外するっと打ち明けることができた。
前回までの反省を踏まえて、「LGBTって知ってる?」という質問から始めた。
慎重に話を進めていった私に対して、父親は「うん、まあ、いいんじゃない? あなたが幸せなら」と返してくれた。
母親に言ってほしいと思っていた言葉とほぼ同じ内容を父親の口から聞けて、膝から崩れ落ちそうなほど安堵した。
「お母さんにはこれから打ち明けるから、ちょっとまだ内緒にしていて」と口止めすると、父親はあっさり頷いてくれた。
「まあ、大丈夫じゃない?」というやや無責任なコメントが、その時ばかりはありがたかった。
苦肉の策として思いついた、「絵本」でのカミングアウト
父親は理解を示してくれたとはいえ、やはり、母親にもう一度カミングアウトするのは気が重かった。
言わないほうが母親にとっては幸せなのでは、とも考えたけれど、外国に引っ越すわけでもないし、いつかはボロが出てしまうだろうということもわかっていた。
何かの拍子にばれてしまうよりは、自分の口からきちんと説明したほうがいい。
でも、以前のようにお互いにつらい思いや気まずい思いをするのは避けたい。
考えに考えた挙句、私が思いついた方法は「絵本を作ること」だった。
私は小さい頃から本が好きで、自分でも絵本を作って何度か母親にプレゼントしたことがあった。
絵本を作って、手紙を添えて渡せば、母親の心に届くかもしれない。
そう思った私は、パートナーにも協力してもらって、絵本作りに取り掛かった。
母親に贈ったカミングアウト絵本の内容(一部改変)
この子は、ことりちゃんです。
ことりちゃんは、本がだいすき。
お母さんにすすめられて、たくさん本を読んで育ちました。
本を読んでいると、お話の世界を旅しているようで、いくらでも楽しむことができました。
だけど、一人で本を読んでいるのに、ことりちゃんはあきてきました。
「だれか、ずっと一緒にいてくれる人がいたらいいのになあ」
ことりちゃんは、旅に出ました。
野を越え、谷を越え、まだ知らない「だれか」に会うために、来る日も来る日も旅をしました。
だけど、探しても探しても、「だれか」はなかなかみつかりません。
ことりちゃんが、あきらめておうちに帰ろうかと思ったその時、目の前にこぐまちゃんが現れました。
こぐまちゃんと出会ったしゅんかん、ことりちゃんは思いました。
「ぴったりだ!」
ずっとずっと探していた、ことりちゃんにぴったりの「だれか」はこの子だったんだ。
こぐまちゃんといっしょにいると、毎日が新しい旅のように楽しくて、どこまででも歩いていけるような気がしました。
ことりちゃんはこぐまちゃんのことが、本よりなにより、だいすきになりました。
だけど、ことりちゃんは悩みました。
「こぐまちゃんのこと、お母さんにどうやって伝えよう・・・」
ことりちゃんにとって、こぐまちゃんは特別な人でした。
お母さんも、ことりちゃんにとって大事な人でした。
隠し事はしたくないし、嘘もできればつきたくない。
どちらも大事にしたいから、すごくすごく悩みました。
ことりちゃんは手紙を書くことにしました。
とっても久しぶりに書く、お母さんへの手紙です。
この子は、ことりちゃんです。
となりにいる子は、こぐまちゃんです。
いつか、家族みんなで会えたらいいな。
「ここまで育ててくれてありがとう」って、「私たち、幸せに暮らしてます」って、お互いの家族にあいさつしたいな。
その日が来るのを待ちながら、二人は今日も仲良く過ごしています。
カミングアウトの、その後
絵本の最後に、封筒に入れた手紙を忍ばせて、実家の母親の机に置いていった。
文章も絵も自分で書いて、絵の色塗りはパートナーが手伝ってくれた。
手紙には、私のパートナーが同性であること、とても素敵な人であること、今まで打ち明けられなくてつらかったことなどを書いた。
できるだけ母親の感情を波立てないように気をつけながらも、素直な自分の気持ちを綴った。
その日の夜遅くに、母からLINEが届いた。
「絵本と手紙、読みました。いつ言ってくれるかなと思ってた。今まで言いにくくさせてごめん」と。
私が小さい頃から絵本を作っていたことを思い出して、読みながら泣いてしまった、ということも書かれていた。
気づいてたなら言ってよ、とか、じゃあ彼氏彼氏って言ってきたのは何だったんだよ、とか、色々思うところはあったけど、心の底からほっとした。
LGBTだからといって、必ずしもカミングアウトをするべきだとは、私は思わない。
事情は人それぞれで、物事の受け止め方もそれぞれだから、誰かと自分を比べる必要はない。
そして、カミングアウトをした結果、相手から期待したような反応が返ってこなかったとしても、それは誰のせいでもない。
私の場合は、なんだかんだ言ってこれでよかったのだ、と思えるところに落ち着いた。
失敗しながらも1回目のカミングアウトをしたこと、コロナ禍を機に少しずつ家族との距離を縮めたこと、現在のパートナーと出会ったこと、あらゆる要因が重なり合ってここまで辿り着けたのだと思うと、すべて無駄ではなかったのかもしれないと思えてくる。
まだ家族にパートナーと会ってもらうことはできていないけれど、それでも、いつかは叶えられるといいなと願っている。