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Writer/チカゼ

「ジェンダーレス制服」に、ショートパンツの選択肢を

「ジェンダーレス制服」「LGBT制服」なるものがここ数年で台頭してきた。これ自体が自動的にアウティングになる危険性も考えなきゃなんだけど、「女子がスラックスを/男子がスカートを履けるようになる」だけで、ハイ解決! ってなんか違くねえか。

ショートパンツに感じていたジェンダーレス性

制服におけるスラックス──つまるところ “長ズボン” は男子の象徴。スカートが女子の象徴になっている「学校」の中で、きっとぼくはどっちも選べない。選びたくないよ。

ジェンダーレスで在りたいぼくは、スラックスもスカートも選べない

私服におけるパンツスタイルは、「男性」に限られない。でも、制服の「パンツ」は、間違いなく現時点では男子のものだ。少なくとも今の日本の学校では、そういう認識が根付いている。もしぼくが高校生で、「ジェンダーレス制服」って見出しにワクワクしながら記事をタップしたら、その中身を見てがっかりしちゃうと思う。

これ、結局「男子」「女子」以外の存在はいないものとされてんじゃん。スカートを履くのは嫌だけど、だからといってこの状況でスラックスを選んだら「男子になりたい人」みたいじゃん。たぶんそうやってぶつぶつぼやいて、嘆息していただろう。

ジェンダーレスで在りたいぼくを「女の子」に押し込めるスカート

実際には、ぼくが通っていた中高一貫校は自由服で、制服がなかった。そのため幸運なことに「スカート履かなきゃいけない問題」で悩む経験は、ほぼせずに済んだ。「ほぼ」というのは、実は中学1年から2年の途中までは親の決めたお嬢様女子校に通わされていて、そのあいだだけスカートを着用してたからだ。

「女の子」じゃないのに、「女の子」の枠組みに押し込まれること。合わない型に、ぎゅうぎゅうとこの身を押し込められること。何かの呪いみたいに、ずるずると長いスカート(ぼくは発育不良で中学入学当初は身長が140センチにも満たず、そのため本来膝丈であるはずのスカートで常に廊下の自主掃除に励む羽目になっていた)。

この女子校をわずか1年半で退学したのは、人種差別に基づくいじめが加速してしまったからなんだけど、スカートから解放されたことにもぼくは密かに胸を撫で下ろしていた。

『少女革命ウテナ』にみる、ショートパンツのジェンダーレス性

私服の学校に転校し、晴れてスカートから解放されたぼくは、ショートパンツを好むようになった。もちろんロング丈のデニムやワークパンツなんかもよく履いていたけど、いちばん「どっちでもない」自分にふさわしいボトムスは、ショートパンツな気がしたからだ。

ショートパンツに「中性」性/ジェンダーレス性を感じていたのは、どうやらぼくだけじゃなかったみたいだと知ったのは、成人してからのことだ。そのきっかけは、友人に勧められた漫画・さいとうちほ作『少女革命ウテナ』だった。

腰まで伸ばしたピンクの髪に、「バラ色」の学ラン、そしてショートパンツ。一人称が「ボク」の主人公・ウテナを初めて見たとき、やっぱりショートパンツに性別の曖昧さを覚えるのは、ぼくに限られた話じゃないんだなあと妙に納得した。

「ジェンダーレス制服」は、男女二元論に回収されていないか

女子の制服であるスカートが男子も着用可能になり、男子の制服であるスラックスが女子も着用可能である。たったこれだけのことを「ジェンダーレス制服」として定義しようってんなら、それで「セクシュアルマイノリティ当事者への配慮」は解決済みだって言い張るんなら、ぼくはやっぱり異議を唱える。

「男女の制服・取り替えっこ可能」≠「ジェンダーレス制服」

それって単純に、「男子と女子の制服が取り替えっこ可能になりました」ってだけじゃん。それのどこがいったいジェンダーレスなのか、だれか説明してくれよ。「男子」でも「女子」でもなかったぼくは、いったいどうすりゃいいっていうんだ。

そりゃ、スカートの苦痛から解放されるのは楽だよ。ぜんぶが無駄だとは言わないし、何もかもが的外れとまで糾弾するつもりはない。だけど、結局は「どっちかを選ばなきゃならない」んなら、「どっちでもない」ぼくは、どうしたらいいんだよ。ノンバイナリーであるぼくは、何を履いたらいいんだよ。ぼくにとってはこんなもの、なんの解決にもなってない。

「ジェンダーレス制服」は、真のジェンダーレスからは程遠い

「男女の制服・取り替えっこ可能」を「ジェンダーレス制服」だとするんなら、「ジェンダーレス」の言葉の意味を辞書で引いてくれ。頼むから。「男子」と「女子」以外の心の在りようを最初から「存在しないもの」として扱うものが「ジェンダーレス制服」だなんて、ちゃんちゃらおかしい。

そのふたつからこぼれ落ちる人間を、さらなる絶望に突き落とすだけだよ。ノンバイナリーであるぼくは、この世にちゃんと存在してる。どう頑張っても逆立ちしても、この心は「女性」の容れ物に馴染まない。月経は毎月しんどいし、乳房はただの「産まれるときに間違って引っ付いてきたできもの」としか感じられない。それでも、ペニスを望んでなんかいないのもまた、本当なのだ。筋肉質な身体も、髭も、低い声も、別にほしくない。

男女のどっちにも判別できない、それこそ「ジェンダーレス」な身体をこんなにも強く望んでいるのに、そのぼくたちが学校での制服規定から排斥されているものを「ジェンダーレス制服」とするだなんて、わりに残酷なんじゃないか。

「ジェンダーレス制服」は、男女二元論に回収されていないか

この世には「男性」と「女性」の2種類しか存在してなくて、身体もその2種類だけで、心もまたその2種類のみで、その2種類を前提にはっきりとトランスしている人だけを「トランスジェンダー」と呼ぶ。「ジェンダーレス制服」は結局のところ、こんな感じの単純極まりない男女二元論に回収されちゃっているようにしか見えない。

だからやっぱり、ぼくは問いたい。「ジェンダーレス制服」は、だれのために、なんのために、あるのですか。その真の目的を本当に見極めた上の結論が、これですか。

本来の「ジェンダーレス制服」の目的を、考え直して

セクシュアリティが「男女の2つだけ」「好きになる相手は異性」のみではなく、もっとずっと多様であることが社会に浸透してきた現在。ぼくが実際に高校生だったときと比較すれば、ずいぶんマシにはなったと思う。だけど「ある程度まで進んだんだからいいでしょ」なんて妥協は、絶対にしたくない。現在すでに大人であるぼくたちは、するべきじゃない。

「セクシュアリティの多様性」に真の意味で対応する「ジェンダーレス制服」

「セクシュアリティの多様性」を鑑みての「性別問わずスラックス/スカート着用可能なジェンダーレス制服」であることは、ぼくだってわかってる。社会が変革したこと自体は、喜ばしいと思っている。でも、セクシュアリティが「多様化」したと解釈されているんなら、それにはNOを突きつけたい。何度だっていうけれど、ぼくたちは昔からいた。最近やっと可視化されてきただけで、セクシュアリティは「近年、多様化した」わけじゃない。

「セクシュアリティの多様性」は、最初っからそこにあった。だからこそ、そこに対応しようとするのなら、できうる限り、だれも、取りこぼさないでほしい。男女どっちにも入れずに、どっちに入ったらいいかわからずに、その2つの間で右往左往している人々。かつてのぼくのような学生の存在も、ちゃんと認めてほしい。「ジェンダーレス制服」を謳うのなら、本来そこからスタートしなきゃいけないんじゃないか。

「ジェンダーレス制服」ショートパンツを望むのは、ぼくの「わがまま」なのか

ここでやっぱり出てきてしまうのは、「ここまで配慮してやってるんだから、これ以上文句を言うな」「それは個人的な要望で、聞いていたらキリがない」「あなたのわがままだ」というような反論だと思う。だけど「わがまま」の一言で片付けるんだったら、そもそも「ジェンダーレス制服」を作った意味って、いったいなんなんだろう。

もちろん、ノンバイナリー全員がショートパンツを望むわけじゃない。スラックスで/スカートで納得するノンバイナリーもいるだろう。それでは足りないと叫ぶのは、あくまで「ぼく」の主観だ。それでも、これまでずうっと「わがまま」として封じられてきた意見を拾いたいと思うのなら、そこで議論を終わらせないでほしい。少なくともぼくは、繰り返すけれど、スラックスもスカートも選べない。中途半端で曖昧な、ショートパンツがほしい。

みんながディズニーで写真を撮れる「ジェンダーレス制服」がほしい

“青春の象徴” としての「制服」があるならば

本当のことを言うと、ぼくは「制服」そのものに懐疑的だ。「1年半だけ制服を着て、そのあとずっと私服校ですごした」特殊な経験が、この価値観を形成したのかもしれないけれど。

それでも「制服」の存在意義自体が、ぼくにはとうてい理解できない。でもここでその理由を述べてたら趣旨がズレるので、とりあえず脇に置いておく。

ただ、「制服」が本来の「学校への帰属意識を芽生えさせるため」だとか「公私の区別をつけるため」だとか、そういう大人の狙いから外れたところで、学生にとっての新たな意義が再生産されていることは見過ごしたくない。

すべての10代に当てはまるわけじゃないけど、「制服」は「大人でも子供でもない限られた一瞬」しか着ることができない “青春の象徴” でもあるのだ。少なくともぼくにとっては、そうだった。

みんながディズニーで写真を撮れる「ジェンダーレス制服」に

私服校に通っていたけど、実のところぼくはいわゆる「なんちゃって制服」を持っていた。周りの子も「今しか着れない!」という理由でそれらを所持していたし、テスト期間なんかのコーディネートを考えることが面倒くさい日にはわりに重宝もした。

ぼくの着ていた「制服」は、ブレザーとネクタイにチェックのショートパンツ──女子のスカートのパンツ・バージョンみたいなやつ──を組み合わせた、いわば「オリジナル・ジェンダーレス制服」だった。それを着て学生時代にディズニーに行って写真を撮りまくる、いわゆる「制服ディズニー」もやったことがある。

こういう「若さの特権」を、すべての10代が思いっきり楽しめるようになったらいい。もちろん「そんなものやりたかねえよ」って子もいると思うし、それはそれで構わない。

でも、「ジェンダーレス制服」が、10年後も写真を見返したくなるような、そういうものになってほしいな。ぼくにとっては「オリジナル・ジェンダーレス制服」で制服ディズニーを敢行したときの写真は、けっこう大事な「青春の思い出」になっている。

 

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