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自分を使い切り、シンプルに生きる【前編】

男性、女性、どちらの性ともハッキリと言い切れない。どちらでもあるし、どちらでもない。そんな感覚をずっと抱えながら、男女どちらにも属することができない居場所のなさに苦悩してきた新谷理恵さん。Xジェンダーという言葉を知ったのはほんの1~2年前のこと。そこでようやく、ホッとできたと言う。納得のいくセクシュアリティを見つけるまで、どんな気持ちであったのか、また、セクシュアルマイノリティが社会でありのままに自分を表明して生きることについて語ってもらった。

2016/08/08/Mon
Photo : Taku Katayama  Text : Momoko Yajima
新谷 理恵 / Rie Shintani

1979年、石川県生まれ。幼い頃から自らの性別に違和感を覚えながら過ごす。中学2年生から過敏性腸症候群や、大学時代にパニック障害、社会人でうつ病などを経験・克服しながら、一般企業などに勤める。現在は退職し、自分にできることなら何でもやるという「レンタルりえたん」を開始。セクシュアリティは、自分の性別を男性、女性のどちらかに明確に分けられないXジェンダー。

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INDEX
01 「レンタルりえたん」始動
02 女性への初恋とやんちゃな子ども時代
03 中学のソフトボール部でのカミングアウト
04 人目を気にして自分を偽り始めた高校時代
05 東京の大学へ行けば何かが変わるかも!
==================(後編)========================
06 女性の恋人、男性の恋人
07 「Xジェンダー」という存在の安堵感
08 職場とLGBT
09 セクシュアリティを表明して生きたい
10 自分の内面の声を聴こう

01「レンタルりえたん」始動

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「自分」を使い切りたい

「6月から『レンタルりえたん』を始めたんです」

スカートに見えて実はパンツという、最近流行のスカンツを履いた小柄な人物がやってくる。

新谷理恵さんは現在36歳。子どもの頃から野球が好きでソフトボール部に入るなど身体を動かすことが得意だ。弾き語りもする。

色々な企業で勤めてきたし、心身の不調を経験して産業カウンセラーの資格も取得し、とにかく「いろいろ」できる。

「自分を貸し出すという、わかりやすい言葉で言えば『なんでも屋』みたいな感じです。私は歌もうたうし、勉強を教えたり、人生に必要なこと取捨選択するためのお片付けも手伝える。何かひとつずば抜けて専門性が高いということはないけれど、いろいろとできること、得意なことがあるので、それを活かしてやってみたいし、”自分を使い切りたい” という思いが以前から強いんです」

報酬は「ギフト制」で、「どのくらい満足したかで、あなたが決めてください」というスタイルだ。

「だから下手したら報酬が1円ということもあるかもしれないけど、まずは実験的にやってみようと思って。ダメだったらまた働けばいいし」

これまで知人のカフェや展覧会の設営の手伝いをしてきたが、幸いにして、今のところ1円しか支払われない事態にはなっていない。

「みなさん、結構その仕事の相場感をネットなどで調べてくれるんですよ(笑)」。

「今度は片付けの予約が入っています。1泊2日でお宅に伺って、片付けと雑用と、お子さんにギターを教えるという内容です」

生きていくのにそんなに物はいらない

片付けは得意だったのかと聞くと「いえ、その逆で、私よくテレビに出るような『片付けられない人』だったんです」と語る。

空のペットボトルや脱いだままの服がそこら中に広がり、床が見えない5畳半とロフトの部屋。

整理整頓、片付けがとても苦手だった。

「でも3年前に祖母が亡くなって、実家の遺品整理をしたんです。その時、ものすごく大きなタンスや着物、洋服、アクセサリーなど、処分するのにすごく苦労したことから、『生きるのにこんなに荷物って要らないんだな』と思って」

無駄をそぎ落として、本当に必要なものだけで生きていきたい。
片付けが苦手なら、ものを減らせばいいのだ。

そこからものすごい勢いで片付けを始め、いまは4畳半の部屋で少ないものとともにすっきりとした暮らしができている。

ものを持たない生活と『レンタルりえたん』を始めたのには、ある女性の本も影響している。

「10年ほど前に、ハイデマリー・シュヴェルマーというドイツ人女性の本を読んだんです。彼女は家もお金も持たず、あるのはスーツケースひとつほどの荷物。いろんな人の手伝いをする代わりに泊めてもらったりごちそうになったりして、財産を持たない生活を長年続けているんです」

「そういう生き方がずっと頭の隅にあったのもあり、今回、レンタルりえたんとしてちょっとやってみようかと」

02女性への初恋とやんちゃな子ども時代

女性の保育士への初恋

そもそもこれまでの人生は、自身が何者か分からないという苦しみと葛藤の連続だった。

自分自身の性自認は、物心ついたころから大学生頃までずっと「男性」だった。

「りえ」という女性らしい名前も、制服のスカートも嫌だった。

母に聞くと、3歳の時、七五三での女の子の衣装を泣いて嫌がったという。

初恋は4歳で、相手は担任の保育士の女性だ。女の子がするような人形遊びやままごとはせず、園庭で男子と駆け回って遊ぶやんちゃな女の子。

「小さな頃は思い悩むということはなかったけど、お遊戯会で男子が蝶ネクタイにタキシード、女子は白いドレスで男女ペアになって踊らなければならないことがあって、それがものすごく嫌だったのは覚えています。ドレスは心地悪いし、タキシードの男子の方に行きたかった」

この頃はまだ、いつか自分にはオチンチンが生えてくる、筋肉もついて男らしい体になるのだと信じて疑わなかった。

性転換を「気持ち悪い」と言うクラスメイトたち

小学校に入っても変わらず男の子とつるんで遊ぶ日々。

ザリガニ捕りや草野球をしようと、男の子たちが家に呼びに来る。家では1つ上の兄を巻き込み、武将ごっこに熱中した。

好きになるのはやはり女の子で、ちょっかいを出して怒らせては追いかけられるのを楽しんでいた。

しかし小学生になり徐々に胸がふくらみ始めると、身体の変化に戸惑った。

「私は男なのに、なんで女性化していくんだろう」。

5年生で生理が来た時には「とどめって感じだった」というほどにショックで、「自分は男性にはなれない」ということを思い知らされた。

また、当時のテレビ番組で、今でいうトランスジェンダーの、女性から男性になった人が出演していた際、翌日クラスのみんなが「気持ち悪いよね」と言っているのを聞く。

「気持ち悪い」という言葉がまるで自分に向けられているようで、否定された気がして苦しかった。

「やっぱり自分みたいなのはダメなんだ」と感じ、周りの目が気になり始める。バレていないか、バレたらどうなってしまうのだろう・・・・・・。そんな恐れは以降も、常に付きまとった。

だんだんと、仲の良かった男友だちとの間にも距離ができていく。

いつも通りふざけ合っていても「こいつらデキてる!」とはやし立てられ、男と女という差を無理やりに意識させられた。

自分の領域がどんどん狭くなる中、女子のグループにも入れない。女子特有の集団行動や、気分で友だちの悪口を言い合う感じが理解できず、どうしても馴染めなかった。

03中学のソフトボール部でのカミングアウト

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自然と言えた「女の子が好き」

野球が好きだったので、中学ではソフトボール部に入る。

地元の2つの小学校が同じ中学校の校区となり、たまたまソフトボール部の新入部員17人のうち16人が自分とは別の小学校の出身者だった。

「そこで私、どういうわけか心が開けて全員に『女の子が好きなんだよね』って言えちゃったんですよ」

ひとりだけ違う小学校ということもあり、他の16人にとっては新鮮な存在。

みんなが仲よくなろうと来てくれる雰囲気にも押されて、「仲良くなった人に自分のことを話すのは当たり前」と、自然にカミングアウトしていた。

その頃、タイプの女性を聞かれると、大ファンだったZARDのボーカル、坂井泉水の名前を挙げた。そのことを知る部活の仲間が切り抜きをくれたり、テレビ番組の出演情報を教えてくれたり。

仲間たちとは、それぞれの恋愛話をしたりと、当時は楽しい時期だった。

「女の子が好きとか、まだ卒業してないの?」という残酷な言葉

しかし中学も2年生になり、徐々に周囲の女の子たちもませてくる。

自分の恋愛の相談に乗ってくれていた子も含め、女子たちが気になる異性の話題で盛り上がることが増え、会話にもついていけなくなる。

あげく、「女の子が好きとか憧れるって、一過性のものでしょ。まだ卒業してないの?」とまで言われてしまう。

好きでもない男の子の名前を挙げてみるが、女子の感覚が理解できず、盛り上がりについていけない自分。

自分の居場所がないと感じ、追いつめられ、「死にたい」と思うようになる。

「私のは単なる憧れじゃない」

「自分は男のはずなのに、なぜ身体が女性なんだろう」

レズビアンやゲイという同性愛についても中学で知るが、「自分は男として女の子が好きだから、異性愛者のはずなんだけど、おかしいな」そんな疑問を抱えながら辞書でレズビアンの意味を調べ、「よくわからないけれどやっぱり自分はこれなのかなあ」と、無理やり自分を納得させた。

しかし、モヤモヤは解消されなかった。

自分は男なのか、女なのか、一体何者なんだろう?

04人目を気にして自分を偽り始めた高校時代

つぶされそうな心に、身体が悲鳴を上げる

中学2年生の3学期に入ると、過度のストレスが原因と言われる「過敏性腸症候群」の症状が出始め、慢性的に繰り返される激しい腹痛に悩まされる。

最初は病名も原因も分からず、中学の時は周囲から「受験のストレス」「思春期だから」と言われ、頑張って学校に通った。

しかし高校に入学し症状が再発。保健室登校を余儀なくされる。

「学校は行くんですけど、授業中にお腹が痛くて耐えられなくなって保健室に行く。でも保健室も毎回行ってると先生にウザがられて追い出される。行くところがないから結局、当時の部活の部室で寝てたり、ぼーっと座ってやり過ごしていました」

高校は学区内で一番の進学校へ入学した。ソフトボール部はなく、当然中学の時のように自分のセクシュアリティをカミングアウトできる環境ではない。

加えて、身長が150㎝で止まり、いよいよ容姿は女性にしか見えなくなってしまった。

授業も難しくついていくのに必死。

そんなストレスが複合的に絡み合っていたのだろう。過敏性腸症候群はひどくなる一方だった。

少し大きな大学病院で検査を受けたが、すべて異常なし。

心の病を疑い、高校2年生で精神科への通院を始めた。

心の病への理解がいまほど進んでいない時代に精神科へ通うことは、自分は他人と違うという面を改めて突き付けられたようで、思った以上にショックだった。

片思いの女の子からのやんわりとした拒絶

好きな女の子もできたが、もし身体が女の自分が好きだと言ったら、どんな反応をされるだろう。

絶交されたり、言いふらされるかもしれない。

そんな恐怖がありなかなか告白はできなかった。

そこで、まずは自分のことをカミングアウトすることで様子を見ようと決めた。

「好きな人がいるんだけど、実は女の人なんだ」

彼女の答えは、こうだった。

「そういうの否定はしないけど、私だったら気持ちには応えられないかな」

彼女に伝える間もなく、片思いのまま恋は終わってしまった。

高校では自分のセクシュアリティに疑惑の目を向けられないよう、言葉やふるまい、一挙手一投足に気を配って過ごし、極力自分を出さないように努めた。

また、子どもの頃から集団行動が苦手なこともあり、周囲に馴染めない、少し浮いた存在となっていた。

1人だけ同級生でカミングアウトできた女の子がいた。

「自分は女の人を異性として見ている」と話すと、「そうか! だから私、いつも異性と一緒にいる気がしてたんだ!」と自然に受け入れてくれた。

自分を差別せず、意気投合できる友人の存在には本当に救われた。

しかし彼女以外に友人と呼べる人はおらず、居場所もない。そんな自分を肯定することもできず、ただひたすらにひとりで耐えた。

孤独だった。

05東京の大学へ行けば何かが変わるかも!

自分を使い切り、シンプルに生きる【前編】,05東京の大学へ行けば何かが変わるかも!,新谷理恵,Xジェンダー

自分と同じ境遇の仲間を探して

心も身体も限界だった。とにかく、仲間がほしい。

きっと東京に行けば、新宿二丁目もあるし、自分と同じような人と出会えるに違いない。

「東京の大学に進みたい」と両親に話し、それなりに成績上位の大学であればと条件付きで許可をもらう。それからは死に物狂いで勉強をし、晴れて志望校へ合格。上京することとなった。

大学では、希望と期待を抱いてセクシュアルマイノリティのサークルを訪れた。しかしそこにいたのは全員が男性のゲイ。

自分は男という感覚はあるものの、男性のグループの中にも入れない。

二丁目にも行ってみたが、その雰囲気に馴染むことができない。

「まだこの頃、自分はレズビアンだと思っていたのでレズビアンバーやコミュニティに参加してみたのだけど、自分は “かっこいい男” に見られたくて男っぽい方に寄っていってしまうので、何か違うかなって」

勢い込んで東京に出てきたものの、大学のサークルにも、新宿二丁目にも、レズビアンコミュニティにも自分の居場所は見つけられなかった。

繰り返されるパニック発作

大学に進学してから、さらに心身の不調は続いた。

過敏性腸症候群だけでなく、対人恐怖症や乗り物恐怖症も発症した。

突然過呼吸が起きて心臓の鼓動が早まるパニック発作も起き、救急車で運ばれたこともある。発作は頻繁に起こり、外出もままならず、授業に出られないことも増え、結局1年留年することとなる。

大学では男性を好きになろうとして失敗したり、女性に告白してふられたりした。

周囲は異性愛の話題で持ちきりで、女性を恋愛対象とする自分のセクシュアリティをオープンにできる雰囲気ではない。

まだインターネットもいまほど発達しておらず、LGBTという言葉の認知もかなり低い時代だ。

多数の人が集まる飲み会やイベントに参加しないでいると、付き合いの悪い人間と思われた。

家族や友人たちからは、「もっと女らしくしたら?」などと言われ、ファッションや化粧にも言及された。

自分でもがんばって化粧品を買ったりキャミソールを着てみたが、苦痛以外の何物でもなく、心身の健康状態は悪化していった。

周囲の期待に応え従おうと思う自分と、ありのままに生きたい自分が、いつも自分の中で格闘していた。

新宿二丁目で働くような人やオネエ系の芸能人ではなく、”フツー” の学生や社会人として生きている人で、カミングアウトしている人と気軽に日常を話し合いたかった。

カミングアウトに失敗していま以上に生きづらくなることを考えると怖かったし、身近なロールモデル不在の中で、カミングアウトという選択肢にはリアリティがなかった。

<<<後編 2016/08/11/Thu>>>
INDEX

06 女性の恋人、男性の恋人
07 「Xジェンダー」という存在の安堵感
08 職場とLGBT
09 セクシュアリティを表明して生きたい
10 自分の内面の声を聴こう

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