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Writer/酉野たまご

漫画『ミステリと言う勿れ』に感じるLGBTアライの姿勢

2023年9月15日に映画版が公開される予定の『ミステリと言う勿れ』。田村由美が描く原作の漫画には、セクシュアルマイノリティである自分にも響く、LGBTアライ的表現が散りばめられている。その表現の一部について、今回はご紹介していきたい。

『ミステリと言う勿れ』にアライ要素を感じたきっかけ

私と漫画『ミステリと言う勿れ』との出会い

そもそも、私が漫画『ミステリと言う勿れ』と出会ったきっかけは、ネット上に表示されたバナー広告だった。

モフモフとした天然パーマの大学生=主人公の久能整(くのう・ととのう)が、警察署で取調べを受けている。どうやら何らかの事件の犯人であると疑われているようだが、久能整は突然、警察側の人間に対してとうとうと自分の考えを述べ始める。

その考えをたどっていくと、次第に事件の真犯人が浮かび上がってくる。バナー広告に表示されていたのは、その場面のうちの数コマだった。

普段はスルーしている漫画アプリの広告なのだが、なぜかその数コマは気になって仕方なくなり、その場で電子書籍の『ミステリと言う勿れ』1巻を購入した。以来、ずっと夢中で読み続けている。

漫画『ミステリと言う勿れ』の特徴的な表現

『ミステリと言う勿れ』は、毎回さまざまな事件が起こり、その度に久能整が事件の謎に迫っていくというストーリーだ。

世の中のあらゆることに敏感で、気づいたことを無視できないという性格の大学生・久能整が不本意ながらも身のまわりの事件に立ち会い、自分の考えを語るという形式で物語が進行していく。

しかし、重要なのは謎解きそのものではなく、久能整がひたすら自分の意見を話しまくるという独特の演出である。

「僕は常々思っていたんですけど・・・」から始まる久能整の独壇場では、子育て論からフェミニズム、いじめ、介護、哲学など、多岐に渡る話題が展開される。

そして、一見事件とは直接関係がなさそうな久能整の語りを聞くうちに、事件に関わる人々は自分たちにとって大切な気づきを得ていくのだ。読者である私たちもまた、例外ではない。

さらに、そんな久能整が生きている世界には、セクシュアルマイノリティである私にとって見逃せない、多様性を感じさせる表現が随所に描き込まれているのだ。

これは、バナー広告を目にした時には思いもよらなかったこの漫画の特徴であり、私が作品をずっと追い続けている大きな理由でもある。

同性愛者の存在が当たり前に描かれる世界

最初に気がついたのは、久能整ではなく、サブキャラクターの台詞だった。

漫画『ミステリと言う勿れ』2巻に、新幹線の座席で隣り合わせた女性と久能整が話す場面がある。話の流れで、久能整が「ぼくは結婚とかしないと思います」「そもそも女の子を好きになったことがありません」と語ると、女性は「あら 男の子が好きなのかしら」と尋ねるのだ。とてもナチュラルに、他意のない様子で。

似たような描写はこの巻以外にも登場する。7巻では、大学の同級生・相良レンと、「久能くん 彼女いる?」「いません」「彼氏いる?」「いません」というやりとりが行われる。この相良レンの質問も、2巻の女性と同じく、ごく自然な雰囲気で描かれている。

『ミステリと言う勿れ』の世界では、「目の前にいる人が、同性を好きになるかもしれない」という可能性を当たり前のものとしてとらえている人物が描かれるのだ。それも、ストーリーに深く関わるわけではなく、たった数コマの描写として。

漫画を読んでいてこのような表現に出会ったのは初めてで、私は軽く衝撃を受けた。

セクシュアリティに対する、主人公のフラットな視線

「他人のセクシュアリティに深く踏み込まない」という姿勢

LGBTアライ的な表現が見られる『ミステリと言う勿れ』だが、主人公の久能整は一貫して、他人のセクシュアリティには「深く踏み込まない」というスタンスを取っている。

前述した相良レンとのやりとりでも、「オレにも(彼女いるかって)聞いて!?」という要求に対して、久能整は「そういうことはきいちゃいけないと思うので・・・」とそっけなく答えている。

誰に対しても、恋愛観やパートナーの有無を無理に聞き出そうとせず、フラットな目で接するようにしているのだ。

悪気なく恋愛の話題を持ち出して、無意識のうちに他人を傷つけてしまうことは、私自身ですらやってしまうことがある。相手によって話し方や話題を変えるのではなく、「そういうことはきいちゃいけない」と考える久能整のきっぱりとした姿勢は、私の目にはとても清々しく映るのだ。

もし久能整と話す機会があったら、LGBTのどのセクシュアリティにあたる人でも、きっと恋愛や性の話題で傷つくことはないだろうと思う。

自分自身に対しても先入観を持たない久能整

久能整自身のセクシュアリティは、未だ詳しく明かされていない。漫画を読んでいると、本人もよくわかっていないのではないか、と思われる部分もある。

ただ、久能整は自分自身の恋愛観に対してもフラットな視線を送っている。

他人の質問に対して「好きな人はいません」と主張する一方で、「気になる人」として男性の知人と女性の知人両方の名前を挙げたり、友愛と恋愛を分け隔てない発言をしたりと、自分がどんな人を好きになる可能性があるか、そもそも性愛的な意味で誰かを好きになる可能性があるのか、という点について、先入観を持たずに考えているのだ。

幼いころからの刷り込みで「異性を好きにならなければいけない」「誰にも恋愛感情を持てない自分はおかしいのだろうか」とつい思ってしまう人が多い中で、自分自身に対しても自由な恋愛観を許している久能整の姿勢は、ぜひ見習いたいところである。

押しつけがましくないLGBTアライの描き方が、母との間の架け橋になった

数年ぶりにできた、母との共通の話題

私と母の間には、長らく関係のしこりがあった。

理由は、私が母にカミングアウトした際、母が差別的な発言をしたことだ。その後しばらく、私は母の前で自分のセクシュアリティや恋愛に関する話題を出すことを避けていた。プライベートな話ができなくなったことで、だんだんと母娘間の会話は減っていった。

実家を出てしばらく経ち、私にパートナーができたことを報告してからは、母の態度も少しずつ変わっていったものの、なんとなくお互いLGBT関連の話題には触れづらい空気があった。

しかしある時、母が漫画『ミステリと言う勿れ』にハマっているということを知った。ちょうどドラマ版の放映が始まった頃のことだ。

同じ時期に同じ漫画を読んでいたという偶然の一致が嬉しく、実家に帰るたび、新刊が出るたびに作品に関する話で盛り上がるようになった。

母娘で同じ作品について語り合うことができるなんて、私がカミングアウトをする前、一つ屋根の下で毎週同じドラマを見ていた10代の頃以来のことだった。

家を離れてからは、家族のことや仕事のこと以外に話すネタがなかったこともあって、久しぶりに母と他愛もない話ができる喜びを嚙みしめた。

押しつけがましくない表現のLGBTアライ。だからこそ、母娘間で話題にできる

『ミステリと言う勿れ』という作品の有難いところは、ごくさりげなくLGBTアライ的な姿勢が示されている点だ。

作品自体がLGBTやアライという看板を掲げるのではなく、セクシュアルマイノリティの存在が世界観の中にそっと織り交ぜられている。だからこそ、LGBTに対して差別感情を持っていた母にも受け入れやすい作品だったのだと思う。

たとえば8巻には、ゲイカップルと思しき二人組がちらりと登場する。「オレと仕事のどっちが大事なのよ」「どっちも大事だよ 声が大きいだろ」と口論する様子に、野次馬的な視線を送る人々は描かれているけれど、彼らは「いいなあ リア充で」と二人がカップルであることのみに着目して、二人の性別には触れていない。

また、同じ場に居合わせた久能整は「この言い回しをほんとに使う人がいるなんて」と、カップルの片割れが発した台詞だけにフィーチャーして、いつもの一人語りを始める。

一般的に、こういった場面を描く際、わざわざ同性同士のカップルを描く必要はないはずだ。読者の注意が逸れる可能性があるし、同性カップルがいたという事実が後に伏線回収されるわけでもない。

それでもあえてゲイカップルのような二人組を登場させることで、『ミステリと言う勿れ』の世界はマイノリティも含む多くの人に向けて開かれたものになっている。

同じ漫画でも、『きのう何食べた?』(よしながふみ)の話題は、私はいまのところ母の前で出せない。ゲイカップルの日常を描いた大好きな作品だけれど、母と一緒に話すにはややセンシティブに感じられてしまい、私自身が気まずくなってしまうのだ。

『ミステリと言う勿れ』が、決して押しつけがましくなく、作中で小さな種まきを繰り返してくれていることが、私の母との間の架け橋となっている。

今後の展開に注目-『ミステリと言う勿れ』のLGBTの描き方について

同性同士のパートナーシップと、相手の呼び名問題

『ミステリと言う勿れ』について、今後まだまだ注目したい部分はたくさんある。

たとえば、主人公の久能整は、1巻から子育てや家族の問題について言及することが多かった。今後、久能整が男女カップルを前提としないパートナーシップや家族観について語ることがあるのか、個人的にはかなり気になるところだ。

男女の夫婦間で生じる力関係や家事労働の不均衡について、同性カップルに当てはめるとどのような意見が生まれるのか、ぜひ久能整の口から語ってもらいたいと願っている。

また、久能整のポリシーのひとつである「あだ名や立場ではなく、相手の名前を呼ぶように心がける」というテーマがどこまで広がっていくかにも注目したい。

家族の続柄を表す言葉は、ほとんどの場合、性別の情報を含んでいる。夫、母、姉、弟など、無意識のうちに相手の性別をこちらで判断して押しつけてしまう可能性があるので、私自身もできるだけ久能整にならいたいと思っている心構えである。

ただ、久能整は1巻から12巻までの作中で、結婚している人のお相手について「夫さん」「奥さん」という呼称を使っているのだ。

もし同性のパートナーを持つ人が目の前に現れたら、久能整は彼/彼女のパートナーのことを何と呼ぶのだろうか。「パートナーさん」などと呼ぶのであれば、個人的には「夫さん」「奥さん」も「パートナーさん」に統一してしまっていいのではないか、とも思うのだ。

「旦那さん」や「ご主人」という呼び方をせず、あえて「夫さん」というやや不自然な言い回しを選ぶ久能整が、「奥さん」という大昔の主従関係がもとになった呼称を使っていることに以前から少し違和感があったので、今後ぜひこの話題について深掘りしてもらいたい、と期待している。

映画をきっかけに、母とLGBT関連の話ができたら・・・

漫画『ミステリと言う勿れ』は第13巻が2023年9月8日に発売され、9月15日からは映画版の公開が始まる。

私はTVをあまり見ないこともあって、ドラマ版は少ししか視聴できなかったけれど、好きな作品の映画化はやはり心躍るし、漫画原作とは異なる表現や演技の工夫も気になるところだ。

私よりも先に漫画原作にハマっていた母は、毎回私よりずっと早く新刊を手に入れるし、ドラマも毎週視聴していたらしい。

カミングアウトの件ですれ違って以来、母と二人で出掛けることはほとんどなかったけれど、この機会に母を誘って映画『ミステリと言う勿れ』を観に行こうかなと思っている。

今後、作品がどんなふうに展開していくかや、LGBTの描き方などについての話題も、母と話し合うことができるかもしれない。

 

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