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性同一性障害の診断が下りて10年、今やっと自分に向き合える。【前編】

「小学生の頃の自分です」と差し出された写真に映る本橋真美子さん。半袖半ズボン姿で、力強くポーズをとっている。“やんちゃな少年” といった表現がぴったりだ。そして現在でも、不意に見せる笑顔はそのまんま。時には、目を開けるのも話すことも困難なほど激しい痛みを伴う、線維筋痛症を患いながら、一言ひと言ゆっくりと少しずつ、自らの半生について語ってくれた。

2018/11/05/Mon
Photo : Tomoki Suzuki Text : Kei Yoshida
本橋 真美子 / Mamiko Motohashi

1990年、東京都生まれ。「親戚のおばちゃんと結婚する」と家族に宣言して以来、好きになる相手は女性ばかりだったため、自分のセクシュアリティに気づき、体に違和感を感じるようになる。中学生になって、自分は性同一性障害かもしれないと母親に告げるが聞き入れてもらえず、違和感を抱えて思い悩んだ。そして高校1年生の時に性同一性障害の診断が下りるも、職場でのパワハラ、父親との死別、交通事故などにより治療を断念。いよいよ今年から再開の予定。

USERS LOVED LOVE IT! 3
INDEX
01 いつでも兄妹3人で
02 生えてこない男性器
03 いじめに屈することなく
04 リストカットの痛み
05 カミングアウトは早めに
==================(後編)========================
06 好きな子には何でもしてあげたい
07 パワハラを受けてパニック障害に
08 あとを引く交通事故の被害
09 大好きだったお父さん
10 性同一性障害の診断から10年

01いつでも兄弟3人で

河川敷を走る “自転車暴走族”

生まれ育ったのは板橋区の住宅地。

1つ年上の兄と2つ年下の妹とは仲がよく、いつでも兄妹3人で遊んでいた。

「小さな頃は、荒川の河川敷とかいろんなところを自転車で走っていました。自分たちを “自転車暴走族” って呼んだりして(笑)」

「だいたい外で遊んでましたね。キャッチボールしたりとか、裸足で公園を走り回ったりとか」

兄は妹2人とよく遊んでくれる面倒見のいいタイプ、妹は兄と姉と同じじゃなきゃ嫌だと、いつも背伸びをしていた。

兄妹で大きな喧嘩をした記憶は1度だけ。

「2階にいたら、1階から大きな音が聞こえたので、降りて行ってみたら、兄と妹が喧嘩して椅子を投げ合ってて」

「ちょっと体が当たっただけ、とか喧嘩の理由は小さなことで」

「大きな怪我はなかったんですが、家の大黒柱に椅子がぶつかって傷がつきました」

喧嘩をした時は、連帯責任として兄妹3人が平等に叱られた。

「父から平手打ちされるか、家から放り出されるか」

「でも、妹はそのまま遊びに出かけてました。自由なんですよ(笑)」

家族5人で伊豆へ

母親はスナックの経営が忙しく、ほとんど家にはいない。
子どもたちと長い時間一緒にいるのは父親のほうだった。

食事は父親がつくってくれることもあったが、基本的に母親が出勤前に用意してくれていた。

「父も働いていましたが、夜はだいたい家にいてくれて」

「お酒がすごい好きな人で、毎日晩酌してました。私が父にお酒をつくってあげたりしてたんですよ(笑)」

共働きの両親の手が行き届けないところは、料理や洗濯、掃除もすべて、できることは兄妹で手分けしてこなしていた。

特に、真ん中っ子の自分が率先してやっていた。

「楽しかった思い出は、毎年夏に家族5人で泊りがけで出かけていた海水浴です」

「父の運転で伊豆まで行って、母も一緒に泳いでくれて。父はやっぱりビールを飲んでました(笑)」

忙しい両親ではあったが、子どもたちのために時間をつくろうとしてくれていた。

そして、仲のいい兄妹3人は、いつも支えあっていた。

02生えてこない男性器

兄とは違う自分の体

「初めて好きになったのは親戚のおばちゃん。母のはとこでした」

「よく一緒に遊んでくれて、大好きだったらしく、『おばちゃんと結婚する』って言っていたそうです」

「そのあとも、好きになるのはやっぱり女性でした」

女性を好きになっても、変だとは思わなかった。

兄と同じものが自分の股にも生えてくると信じていたから。

しかし、小学校3年生の時、脱腸になったことがきっかけとなり、自分の体が兄とは違うことに気づいた。

「自分には生えてこないんだと知って、悲しかったです・・・・・・」

「それから、自分の体に対して、すごい違和感を感じました」

世の中では、女性を好きになるのは男性なのが普通らしい。

でも、自分は男性ではないようだ。

女性が女性を好きになるのは普通じゃないらしい。

では、自分は何? 自分の居場所はどこ?

自分の居場所がない

中学生になって携帯電話を持ち始め、“自分は何なのか” の答えを求め、ネットで情報を集めた。

そこで行き着いたのが性同一性障害という言葉だった。

「自分はこれかもしれないと思って、母親に相談しました」

「でも、『違う』ってはっきりと否定されてしまって・・・・・・」

「他に相談する人もいなくて、どうしたらいいのか分からなくて」

クラスにいても、自分の居場所がない気がしていた。

もしかしたら、自分は性同一性障害ではなく、“普通に” 異性を好きになれるのかもと思い、男性と付き合ってみたこともあった。

でも、手をつなぐことさえも違和感があり、恋人のようにはなれなかった。

「お互いに、やっぱり友だちとしてしか見られないよね、て」

「1週間くらいで別れてしまいました」

03いじめに屈することなく

初めての告白

自分の体に対する違和感は常にあった。

だからこそ、誰かを好きになっても、口に出すことはできなかった。

でも、中学の3年間、ずっと好きだった女の子がいた。

「ほとんど毎日一緒に遊んでいました」

「家庭のことで悩んでいたから、自分がいつも話を聞いてあげていて」

しかし卒業式の前日、その子はひとりで、早朝の誰もいない学校へ行き、服毒自殺を図った。

かろうじて一命は取り留めたが、記憶のほとんどを失ってしまった。

「何で自殺しようとしたのか・・・・・・。たぶん家のことで耐えられなくなっちゃったんだと思います」

「自分のことは、毎日一緒にいたからか、すぐに思い出してくれて。それだけは自分にとって救いでした」

そこで、思い余って「好きだよ」と伝えた。

その子は「ごめんね」と答えた。友だちとしてしか見ることができないと。

自分の体の違和感のことは話さず、想いだけを告げた。

「そのあと、その子は九州に引っ越してしまったので、それっきりです」

「でも、今でも好きなんです」

「その頃から携帯番号もアドレスも変えていないのは、いつか連絡がくるかもしれないと思っているから」

「会いたいです」

作業着を破られて

そんな辛い恋を乗り越えて入学した工業高校では、子どもじみたいじめがあった。

「お前、キメェんだよって、いつも言ってくる男子がいて」

「椅子に掛けておいた作業着を破られてしまったこともありました」

その男子生徒はいじめの常習犯で、誰彼かまわず嫌がらせをしていた。

やめてほしいと伝えても、やめる気配などない。

そこで、いじめ被害にあっていた同級生たちとともに仕返しを計画した。

「修学旅行で訪れた北海道の博物館の小部屋に、そいつを押し込んで、外に出てきたらみんなで雪をぶつけました(笑)」

2月の北海道はマイナス20℃になる地方もある。

「寒かったけれど、仕返しができて満足です!」

報復は決して褒められたことではないかもしれない。

それでも、いじめに屈しない強い心をもって、サバイブすることはとても大切なことだ。

しかし、そんな風にいじめに立ち向かうほど強くなるまでは、時間がかかった。

高校入学当時はまだ、中学卒業時の失恋の傷が心に残っていた。

04リストカットの痛み

苦しみを誰かに気づいてほしい

高校1年生の時に、ネットで知り合った友だちに会うため、ひとりで和歌山を訪れた。

「友だちは常に悩みを抱えているような子で」

「自分も体の違和感のこととかを話していて、お互いに相談しあっている関係でした」

そして、会って話しているうちに、さまざまな悲しみがシンクロしてしまったのかもしれない。

ふたりで手首を切った。

「性同一性障害かもしれない、と親に言っても聞き入れてもらえないし、学校の友だちには言えないし・・・・・・。切ってしまいました」

「でも、何も解決されなかった」

「『やってしまった』という後悔と、もやもやした気持ちが残ってしまって」

そのことをSNSに投稿した。

自分の苦しい気持ちを、誰かに気づいてほしかったのだろうか。

そして、それに気づいたのは兄だった。

「家に帰ったら、両親が待っていて、母親からはグーで、父親からはパーで顔を殴られました」

「ちゃんと話を聞いてよ」

実は、乗るはずだった電車が止まってしまい、予定よりも1日遅れて帰宅してしまった。

初めは、そのことが理由で殴られたのかと思った。

しかし違った。

SNSの投稿を見た兄が心配して、リストカットしたことを両親に報告していたのだった。

「すごい怒ってました」

リストカットをしてしまうほど苦しいことがあるのに、何で話してくれないのか・・・・・・。

両親の怒りは、悲しみに近いものだった。

「なんで話してくれないのって言われたから、じゃあちゃんと話を聞いてよって言いました」

そこでやっと、性同一性障害かもしれないということを両親が聞き入れてくれ、母親と一緒にクリニックへ行くことになった。

そして性同一性障害であると診断が下りた。

「ほれみろ、って母親に言いました(笑)」

「不満そうな顔をしていました。ショックだったと思いますよ」

でも、やっと両親に伝わった。

ようやくもやもやが晴れ、気持ちがスッキリした。

05カミングアウトは早めに

「いいんじゃない、好きな性別で」

小学校の入学式と卒業式はスカートをはいていたが、あとは半袖半ズボン。

中学校ではスカートの下に短パンをはき、なんとか我慢していた。

高校は制服でパンツが選べたので、スカートでなくパンツをはいていた。

そんな姿を見ていても、母親は娘が自分の体に深刻な違和感を覚えているとは思ってもいなかった。

だからこそ、性同一性障害の診断が下りた時にはショックを隠せなかった。

両親の次にカミングアウトした相手は妹だった。

「妹は中学生だったけど、自分がクリニックで診察を受けたことも知っていたから性同一性障害のことも理解していて」

「いいんじゃない、好きな性別で、って言ってました」

「お兄ちゃんには言ってないです。そういうとこ疎いんで、言ってもダメかなって思って(笑)」

高校の友だちにも伝えた。否定する人はいなかった。

距離をおこうとする人もいなかった。

「カミングアウトしたなかに、もしかしたらMTFかもしれない子もいて」

「男の子が好きな男の子。女の子の格好はしていないから、もしかしたらゲイかもしれないんですが」

そんな風に、同じ悩みを抱えた人との思わぬ出会いもあった。

診断が下りてすぐ、学校にも自分で報告した。

報告してからは、例えば夏場のプールの授業は出席しないでいい代わりに、レポートを提出するなど、特別措置をとってくれた。

「先生たちの理解も対応も早かったですね」

お互いにまだよく知らない状態でも

トランスジェンダーの生徒に対する特別措置は学校が始まって以来のこと。

学校にカミングアウトしたことは、あとに続くLGBTの生徒たちのために道を拓いたことになった。

「クラスが変わっても、最初にカミングアウトするようにしていました」

「自分は性同一性障害でFTMだけど、それで距離をおきたいならそれでもいいし、付き合ってくれるなら仲良くしたい、って初めから言います」

相手が、性同一性障害のこともFTMのことも知らない場合もある。

そんな時は、「自分は、体は女の子だけど、心は男の子なんだよ」と、なるべく分かりやすく説明する。

「伝えた相手は、だいたい理解してくれました」

家族だけでなく、先生にもクラスメイトにも伝えた。

親友ならまだしも、初めてクラスメイトになった相手に、お互いにまだよく知らない状態でオープンにするのは勇気が必要だ。

所属していた生徒会でもカミングアウトした。

なるべく最初に伝えておくこと。

これは、自分のなかでのカミングアウトのコツだった。


<<<後編 2018/11/07/Wed>>>
INDEX

06 好きな子には何でもしてあげたい
07 パワハラを受けてパニック障害に
08 あとを引く交通事故の被害
09 大好きだったお父さん
10 性同一性障害の診断から10年

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