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Writer/酉野たまご

“性” に縛られたくない。漫画『ボールアンドチェイン』が描き出す窮屈な現実

2023年6月末、漫画家・南Q太氏による新連載がマガジンハウスの新ウェブ漫画サイト「SHURO」と「GINZA mag」にてスタートした。タイトルは『ボールアンドチェイン』。初回ということで第1話・第2話は同時公開され、今後は毎月末日に1話ずつ公開されていく。主に2人の人物を主軸としてストーリーが進むが、今回は特に、婚約者がいるけれど式はあげない、子どももつくらないと心に決めている「けいと」に焦点を当てて個人的なエピソードについて語りたい。

異性愛も同性愛も性の揺らぎも、同じ重みで描かれる南Q太作品の世界観

南Q太作品との出会いは、漫画『私の彼女』から

漫画『ボールアンドチェイン』について語る前に、私が南Q太作品を好きになったきっかけについて少し説明したい。

初めて触れた南Q太作品は、『私の彼女』という原作付きの漫画であった。何の予備知識もなかったけれど、そのタイトルに強烈に惹かれたのを覚えている。

表紙の絵はあっさりとした柔らかなタッチで、何の気負いもなく “私の彼女” という言葉を口にできるような、清々しい人物像を連想した。実際に『私の彼女』を読んでみると、女性が女性に恋する物語を、その痛みや苦しみも含めて丁寧に描き出そうとする南Q太氏の姿勢が伝わってきた。

その後、短編も含め、南Q太氏の描いた漫画を何冊か読んだ。男女の恋愛を描いた作品の中に、ふいにレズビアン女性の話が登場したり、女性同士の深い友情をテーマにした作品が現れたりする。

当たり前のようにそれらが共存している作品のラインナップにとても好感を持ち、この人の描く漫画作品をもっともっと読みたい、と強く感じた。

フラットな見方を誘導する南Q太氏の世界観

南Q太氏の作品をいくつか読んでいると、登場人物のジェンダーアイデンティティやセクシュアリティをフラットに見よう、と自然に思える。

それは、異性愛も同性愛も、どちらとも言えない感情の揺らぎについても、同じような重みで描かれるのが南Q太作品の魅力だからだ。

漫画『私の彼女』はタイトルから同性愛の要素が読み取れる作品だけれど、他の多くの作品は、家族愛や異性愛といったテーマに紛れて、ごくさりげなくセクシュアルマイノリティの存在が描かれる。

例えば、漫画『ボールアンドチェイン』の第1話では、登場人物の1人「けいと」が短い髪にショートパンツという出で立ちで現れる。婚約者の「耀司」と話していることから、戸籍上の性別は女性ではないかと推測できるけれど、「けいと」の格好や振る舞いは中性的で、あまり女性らしさを感じさせない。

特に説明もなく、曖昧な状態で描かれる「けいと」の人物像が、女性/男性という区別を拒み、フラットな視線で読むようにと読者を誘導してくれるのだ。

誰しも経験し得る「けいと」の葛藤

女子トイレに入って驚かれる女性

漫画『ボールアンドチェイン』第2話で、けいとが女子トイレで怒鳴られるシーンがある。

けいとを男性だと思って怒鳴りつけた女性は、自分の間違いに気付いても謝罪することなく、「まぎらわしい格好してるから・・・・・・」とけいとを責める。

私はこの場面を読んで、自分のパートナーと重ねずにはいられなかった。

パートナーは自分のことを「女性」と自認しているけれど、服装や髪型はいわゆるメンズに近いスタイル。普段はノーメイクで、髪を刈り上げることもあり、スカートの類は一切履かない。もちろん、公共の場では女子トイレを利用することになるのだけれど、他の利用者にびっくりされたり、咎めるような目で見られたりすることが苦痛だという。

「自分らしい格好で過ごしていたいだけなのに」というパートナーの言葉に含まれていた痛みに、『ボールアンドチェイン』を通してあらためて気付かされた。

私自身にもあった、“女性らしさ” から逃げ出したい時期

一方で、私自身けいとに共感する場面があった。

第2話で婚約者の耀司に、「女性のタトゥーはちょっと・・・・・・」「前から思ってたけど 髪伸ばさないの?」と、見た目について指摘される場面だ。

私は10代の頃、スカートを履くことが苦痛だった。

女性らしい身体へと成長していく自分に違和感をおぼえ、性を感じさせない、中性的な人間になりたくて、レースやリボンの付いた服も着たくないと思っていた。

母親にはそれを理解してもらえず、「可愛いのに」「似合うのに」を連発され、ひそかに傷ついていた。「たまには女の子らしい格好をしたら?」と咎められるのが嫌で、休みの日に渋々スカートを履くこともあった。

耀司に対してけいとが放つ、「傲慢なんだよ そういう物言いは」という台詞は、当時の私の葛藤にクリーンヒットした。母親からの圧を跳ね除けられなかった自分の、ifの世界での振る舞いを見せてもらったような気がした。

漫画『ボールアンドチェイン』が描かれる背景

髪を伸ばす=女性らしい、という風潮がなくなれば

漫画『ボールアンドチェイン』第2話では、けいとが “性自認に揺らいでいる” ことが明かされる。

「髪 もっと切ろうかな?」「全体刈り上げて 首にタトゥー入れるの どうかな」と呟くけいとの表情は、決して明るくも晴れやかでもない。その険しげな面持ちからは、男性らしい装いをしたいというより、多くの人が考える “女性らしさ” から解放されたい、という切実な思いが読み取れる。

もし “女性らしさ/男性らしさ” を重視する人が今よりもっと少ない社会だったら、女性か、男性か? という目で他人を区別する必要がなかったら、けいとがここまで自分の髪型やスタイルに拘ることはなかったかもしれない。

髪を長く伸ばし、スカートを履くことが “女性らしい” とされるのではなく、あくまでファッションの好みの一部として見なされるようになったら―けいとも、私自身も、パートナーも、きっともっと肩の力を抜いて生きることができるだろうと思う。

自分を縛っているものに気付かせてくれる漫画『ボールアンドチェイン』

“ボールアンドチェイン(ball and chain)” は、金属球に鎖を繋いだ足かせ=束縛を意味し、侮蔑的な表現として “妻” を指す言葉らしい。

妻は夫を束縛する存在であり、妻もまた “妻” という自分の立場に縛られる。そういった背景が込められているのかもしれない。

南Q太氏の漫画『ボールアンドチェイン』では、きっと社会的な立場や先入観に縛られたくないと思う人物たちの葛藤がこれからも描かれていくのだろう。「女性だから」「男性だから」、あるいは「妻だから」「夫だから」という言説に窮屈さを感じたことのある人は、ぜひ連載を追ってみてほしい。

あるいは、自分の中にもいまだ根深く残っている偏見に、気付くことができるかもしれない。

 

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