INTERVIEW
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マジョリティに埋もれて、「普通」になろうとしなくてもいいんじゃないかな。【前編】

朗らかな笑顔をたたえて、待ち合わせ場所に現れた三浦祐介さんは、保険営業のエキスパート。これまでの経験を活かし、「GID保険相談窓口」を設けて、トランスジェンダーの悩みを聞いている。LGBT当事者ではないが、「当事者を特別視していない」と話す三浦さんは、なぜそう捉えられているのか。自称 “中の上” の生き様を振り返ると、その理由が見えてきた。

2020/03/18/Wed
Photo : Tomoki Suzuki Text : Ryosuke Aritake
三浦 祐介 / Yusuke Miura

1982年、神奈川県生まれ。小学4年生で京都府に引っ越し、高校3年生まで過ごす。大学卒業後、大手中食メーカーに就職し、2008年ソニー生命保険に転職。以来、保険営業の仕事を続けながら、ファイナンシャルプランナーとしても活動。現在は、保険代理店・株式会社ホロスプランニングに籍を置きながら、LGBT当事者を対象とした「GID保険相談窓口」を開設し、保険や人生の相談を受けつけている。

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INDEX
01 “中の上” で生きてきた僕の生業
02 「誰とでも接することができる人」という評価
03 学生時代に経験した変化と挫折
04 働きながら得た「生きていくためのスキル」
==================(後編)========================
05 LGBTだって悩みの中身はみんなと一緒
06 簡単かつ正確に “安心” に導く役目
07 無理して「普通」にならなくてもいい
08 悩みを抱え込まず、踏み出してほしい一歩

01 “中の上” で生きてきた僕の生業

「将来設計士」という仕事

現在の仕事の主軸は、保険営業。

時には、ファイナンシャルプランナーとして、将来に関する相談を受けることもある。

「保険業界に入って13年経ちますが、数回の転職、独立を経験してきました」

「今はホロスプランニングって会社に所属してるんですけど、歩合給なので、すべて自己責任ですね」

保険営業は、野球選手に近いイメージかもしれない。

所属するチームが変わっても、打席に立ってボールを打つことに変わりはない。

保険営業も、人に会い、保険を提案することに変わりはないのだ。

「僕のお客さんは、99%が個人の方で、法人はほとんどないんです。個人の方が、自分に合ってますね」

「保険の仕事の目的は、お金に困らない人生のお手伝いをすることです」

ホロスプランニングでは、「将来設計士」という肩書で活動している。

「お客さんがどう生きたいのか、それに対して僕ができることは何か。そこを考える仕事だと思ってます」

「会社としても、 “総合生活支援産業” を目指してますね」

接点を持ちやすいポジション

「僕はずっと “中の上(ちゅうのじょう)” の人生なんです」

学生時代、学級委員を務めた経験はあるが、成績は中の上。

高校も大学も、偏差値55。
特別スポーツが得意なわけでもなく、派手に目立つタイプでもなかった。

「でも、中の上で良かったな、って思います(笑)」

「僕みたいなポジションって、優秀な子たちともやんちゃな子たちとも、接点を持てるんです」

「その関係値が、今の仕事にも生きてくるんですよね」

保険営業は、保険を売る仕事ではなく、人と会い、コミュニケーションを取る仕事。

自分は、優秀な人にも破天荒に生きている人にも共感でき、どちらにも話を聞いてもらいやすい。

「中の上って、うまい立ち位置なんですよね(笑)」

「GID保険相談窓口」設立

仕事のかたわら、「GID保険相談窓口」を運営している。

「ホロスプランニングに入る前から、続けている事業です」

「たまたまトランスジェンダーの方を紹介されたことがきっかけで、スタートしました」

「保険に入れなくて困っているGID(性同一性障害)の人が多いから、相談に乗ってもらえないか?」という理由で、紹介された。

話を聞いていると、若い方の保険に関する知識が少ない、という改善点が見えてくる。

「LGBT当事者の方が難しいと思っていることが、僕にはまったくハードルに感じなかったんです」

「その時は、まだSRS(性別適合手術)や治療に関する知識はなかったけど、保険に関する知識はあったので、力になれるんじゃないかって」

「『その保険がダメでも、こっちの保険ならOKですよ』って、すんなり提案できました」

相談者が協力してくれたこともあり、「GID保険相談窓口」の開設に至った。

「でも、それまではLGBT当事者の知り合いがいなかったし、存在を気にも留めていなかったんですよね」

02「誰とでも接することができる人」という評価

フットワークの軽い少年

家族は、両親と2人の妹。

「2歳下、4歳下の妹がいるからか、周りからよく『面倒見がいい』って、言われますね」

「今は仕事で全国を飛び回ってるけど、昔からフットワークは軽かったみたいです(笑)」

幼稚園児の頃、小学3年生のいとこと2人で新幹線に乗り、青森のいとこの家に行った記憶がある。

同じ時期に、2歳下の妹とバスに乗り、祖父の家にも遊びに行っていた。

「子ども2人で新幹線やバスなんて、今だったら心配しますよね(苦笑)」

小学校高学年から中学生にかけては、京都から神奈川の祖母の家まで、1人で鈍行列車を乗り継いで行っていた。

「小さい頃から、遠出することには何の抵抗もなかったんですよ」

「両親からも、しっかりした子だ、って認識されてたんだと思いますね」

辞められなかった習い事

小学校から現在まで、バレーボールを続けている母は、スポ根タイプ。

「『時間を守れ』『期日を守れ』って、よく言われてましたね」

「習い事は、『あんたがやりたいって言ったんでしょ』って、辞めさせてくれなかったです(苦笑)」

物心がつく前から、書道教室に通っていた。

小学4年生で神奈川から京都に引っ越した後も続けたが、京都の書道教室の先生がとにかく厳しい。

「書道やりたくない」と打ち明けると、母から「あんたがやりたいって言ったんでしょ」と返されてしまう。

「自分で『やる』って言った記憶は、ほとんどなかったんだけどな(笑)」

一方、文化系の父の教育方針は、「子どものやりたいようにやらせる」。

「両親は真逆で、はっきりしてましたよ」

「それぞれの教育方針が良かったのか悪かったのか、今もわかんないですけどね」

学級員に立候補するタイプ

中高生の頃の自分は、学級委員に立候補していた。

「目立ちたいわけではなくて、『誰もやらないんだったら俺がやる』みたいなタイプ」

「誰も立候補しないで、もぞもぞした時間をかける意味って、ないじゃないですか。だからといって、まとめ役が得意というわけでもないんです」

大人になってからも、同窓会の幹事を任されるが、よく言われることがある。

「三浦君は、その場にいてくれるだけでいい」

リーダーシップを発揮するわけではないが、全体の橋渡し的な役割は嫌いではない。

「周りを見ながら、何かあれば調整する役回りは、自分としてもしっくりきますね」

中学生時代の通信簿で、担任から「あなたは男女問わず、誰とでも接することができる人です」と、評価された。

「先生からの言葉はいまだに覚えていて、時間が経つほど身に染みますね」

「いろんな人と会う今の仕事に、通じてるところがあるんじゃないかなって」

03学生時代に経験した変化と挫折

地元のコミュニティ

小学4年で京都に引っ越した時、ぶつかったのは関西弁の壁。

「環境が変化して、言葉の違いにも戸惑いましたね」

「でも、困ったのは最初の1カ月くらい。子どもって、馴染むの早いですから」

転校生だから、といじられるようなことはなかった。

「多分、4月末に地元のサッカークラブに入ったのが、良かったんだと思います」

クラスメイトから誘われたサッカークラブの練習場は、家から徒歩30秒のグラウンド。

入らない理由がなかった。

「サッカークラブには隣のクラスの子もいたから、一気に輪が広がったんです」

「地元のコミュニティに入るって大事だし、京都は特に重んじられますからね」

人生初の挫折

地元の中学を卒業し、スポーツ、特に球技の成績がいい私立の男子高校に進む。

「中学でサッカー部のキャプテンを務めたこともあって、サッカーを続けたかったんです」

「・・・・・・でも、サッカー部は3日で辞めました(苦笑)」

強豪校のサッカー部は、1年生だけで部員が50人以上。

同期は、プロクラブのジュニアユースや都道府県選抜に選ばれた猛者ばかり。

「『真面目だから』って理由だけでキャプテンをしていた僕なんか、話にならないですよ(苦笑)」

“中の上” で生きてきた自分にとって、人生で初めての挫折。

両親には、「サッカーがしたくて入学したのに、申し訳ありません」と、頭を下げた。

「母からは『何のために私立の学費払ったと思ってるの!』って、怒られましたね」

「父は、『最初から無理だと思ってた』って(苦笑)」

一生続けられる趣味

サッカー部を辞めた後、向かった先は吹奏楽部。

「音楽の授業の一環で、クラシックギターを始めたこともあって、音楽いいなと」

「中学生の時に体育と音楽だけ成績5を取ってたし、友だちが吹奏楽部だったから、じゃあ俺も入る、みたいな」

担当した楽器はフルート。

自分が入部した時点で、トランペットやサックス、パーカッションといった男子の花形は埋まっていた。

「どちらかと女子の花形といわれるフルートやホルンしか残っていなくて、フルートを選びました」

挫折の末に始めた吹奏楽は、今でも続けている。

「大学からオーケストラに所属して、今も年に数回、演奏会に出てます。楽器は、一生ものの趣味だと思いますね」

サッカーを一生続けることは難しいが、楽器は何歳になっても続けられる。

「世代関係ない趣味だから、これからも続けていきたいです」

04働きながら得た「生きていくためのスキル」

女性社会で生きるスキル

大学卒業後、大手中食メーカーに就職。デパ地下の店舗に配属された。

「新卒で店舗に配属されて、いきなり50人のアルバイトがいるんですよ」

右も左も分からない状況で、唐突にマネジメント業務が発生する。

朝から夕方までは主婦、夕方以降は女子大生が多い職場は、まさに女性社会。

「最初は、やりづらくてしょうがなかったです(苦笑)。でも、そのマネジメントの経験で、女性の変化に気づくのは早くなりました」

職場に入る時の「おはよう」の声のトーンで、体調を判別できるようになっていく。

「褒めると伸びる子、厳しくすると覚える子とか、それぞれの特性も、わかるようになりましたね」

約2年半で転職することになるが、デパ地下での経験には意味があった。

「保険相談の8~9割は、女性なんですよ。だから、デパ地下で養ったスキルは生きてます」

保険営業の難しさ

保険の仕事を始めたのは、今から12年ほど前。

「もともと金融業には興味があって、個人のお客さんのFP相談とかやりたいな、って思ってたんです」

「保険会社に絞っていたわけではないんですけど、僕がやりたいことの理想に近かった会社がソニー生命保険でした」

「歩合給だって知らないで入社したので、やべぇな、って思いましたよ(笑)。しかも、ソニー生命保険にいる間は、全然売り上げを出せなくて・・・・・・」

「また野球の例えになっちゃうけど、ボールを打つことより、打席に立つことが大変なんだ、って知りましたね」

保険営業でいう「打席に立つこと」とは、「お客さんに話を聞いてもらう場を持つこと」。

「例えば、知らない人から『化粧品欲しい?』『車欲しい?』ってたずねられたら、話を聞こうと思う人はいるでしょう」

「でも、『保険欲しい?』って言われて聞く人は、ほとんどいないですよね」

「買ってもらうための場を作ることが一番難しくて、ソニー生命保険にいる間は、それができなかったんです」

2年半後に転職した生命保険会社は、「打席は準備するから、思い切ってバットを触れ」という会社だった。

「ここならやっていけるかも、と思って入社したら、数字がついてきて、自信につながりましたね」

運命的な企業

保険代理店の立ち上げも経験した後、現在のホロスプランニングに転職。

「代理店で働き始めてからは、会社が変わってもお客さんは変わってないんです。僕を信頼してくれたお客さんは、会社が変わってもついてきてくださったので」

ホロスプランニングには、運命的なものを感じている。

「実は、ソニー生命保険のOBが多いんですよ。本社が京都にあるところにも、運命を感じましたね」

社会貢献はもちろん、社員の幸せと働きがいも大切にしている。

会社の標語「あなたらしい生き方を応援します」に共感し、入社を決めた。

 

<<<後編 2020/03/21/Sat>>>
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05 LGBTだって悩みの中身はみんなと一緒
06 簡単かつ正確に “安心” に導く役目
07 無理して「普通」にならなくてもいい
08 悩みを抱え込まず、踏み出してほしい一歩

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