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Writer/きのコ

ポリアモリーの私が諦めかけていた「子育てしたい」という気持ち

複数の人と同時にそれぞれが合意の上で性愛関係を築くライフスタイル「ポリアモリー」。その当事者である私は、「ポリアモリーとして生きる」ことと「結婚や出産や子育てをする」ことの両立は不可能だという考えをもっていた。しかし数年前、妹に娘が生まれたことで、価値観が大きく変わり始めたのだ。

ポリアモリーって、子供はどうするの?

ポリアモリーと子育ては両立できない?

ポリアモリーとして生きていると、よく尋ねられたり自分でも気になるのが、「子供はどうするの?」という問題だ。

以前、NOISEで『ポリアモリーの「シェアハウス」「ファミリーホーム」を作りたい』とう記事を書いたが、私は離婚してから長い年月、「ポリアモリーとして生きるために、結婚や出産や子育てを諦める」という選択をしてきた。

というか、「ポリアモリーとして生きる」ことと「結婚や出産や子育てをする」ことは、天秤にかけてどちらかを捨てなければならないものだと思い込んでいたような気がする。

多くの人と関わりあいながら生きる中で、子供というとりわけ強い関わりが必要な存在に対する時間やお金やエネルギーを捻出できるかどうか分からないし、そのためには他の人付き合いや自分のアクティブさを犠牲にするしかないのでは・・・・・・という不安が強かったのだ。

産めないなら、育てられない?

必ずしも、子育てへの興味がなかったわけではない。とはいえ、当時から今にいたるまで、出産にはあまり前向きになれていない。というか、妊娠に。俗に十月十日といわれる妊娠期間の長さと身体的な過酷さに、どうしても身構えてしまって、踏み切れないでいるのだ。

「妊娠や出産は怖いけれど子育てはしたいなら、養子や里子をとればいいのでは?」という声もあるだろう。

しかし若い頃の私は「子供は苦手だけれど、子育てはしたい」「ただの子供は無理でも、自分の産んだ子供なら愛せるはず」「だから私が子育てするなら、自分で産むしかない」という考えに囚われていた。

結局、結婚していた間には子宝に恵まれず、別れた後にはポリアモリーとして人間関係を紡ぐのに忙しく、そんな暮らしのなか自分で出産することは半ば諦めていた。自分で産むことを諦めるなら、同時に自分で育てることも諦めるしかない・・・・・・。そう思い込んでいたのだ。

自分で産んだ子でなくても愛せるし、育てられる

姪が産まれて変わったポリアモリー の私の価値観

ところが、数年前に妹に娘が産まれて、そんな私の価値観は吹っ飛んでしまった。

私がお腹を痛めて産んだ子ではないのに、なぜだか姪はすごく愛くるしくて可愛く感じられるのだ。今では、妹と協力して姪を育てていきたい、姪のためなら何でもしてやりたいと思っている。

姪の誕生を通して、私は「自分で産んだ子でなくても愛せるし、育てられる」という実感をもつようになった。だから昔の思い込みを覆して、 ”産みの親でなくても育ての親になる” こともできるかもしれない。そういう期待をもって最近、さまざまな制度の利用を検討している。

「里親制度」と「養子縁組」という子育て

ちなみに ”産みの親でなくても育ての親になる” ための制度には、大きく「里親制度」と「養子縁組」がある。違いは以下の通りだ。

◎里親制度
育てられない親の代わりに一時的に家庭内で子どもを預かって養育する制度で、里親と子どもに法的な親子関係はなく、実親が親権者となります。里親には、里親手当てや養育費が自治体から支給されます。

◎養子縁組
民法に基づいて法的な親子関係を成立させる制度であり、養親が子の親権者となります。養子縁組が成立した家庭には、自治体などからの金銭的な支援はありません。また、養子縁組にも2種類あり、普通養子縁組は跡取りなど成人にも広く使われる制度ですが、特別養子縁組は特に保護を必要としている子どもが、実子に近い安定した家庭を得るための制度です。

日本財団「養子縁組と里親制度の違い」より)

養親縁組には、「普通養子縁組」と「特別養子縁組」の2種類がある。里親制度には、専門里親やファミリーホームを含む「養育里親」、養子縁組を希望する「特別養⼦縁組⾥親」、一時的に子どもを預かるボランティアの「季節里親」や「週末里親」といった種類がある。これらの制度にはそれぞれ、実親との関係や戸籍上の表現に関する違いがある。

子育てを ”シェア” する

子育てを年齢別・分野別に構造化する

姪との関わりをきっかけに、一度は諦めかけた「子育てしたい」という気持ちを思い出した私。

とはいえ、子育ての全部を私が独りでやれるとは思わない。でも、他の人たちと分担すればうまくやれるかもしれない。

そう思ったきっかけが、子育てを年齢別・分野別に構造化するというこの記事だ。

よく考えれば子供に食事を与えるのと、子供に勉強を教えるのは別の能力。
屋外と遊ぶのと、屋外の遊ぶのだって違う。
もっと言えば、3歳と遊ぶのと10歳と遊ぶのだってもはや別の分野だ。
それらを全て一括りに「子育て」と呼んでいた。
当たり前だが、人には得手・不得手がある。
「子育てが得意」と言っても「子供と遊ぶのは得意だけど、掃除は苦手」という人はいるだろう。
また「3歳~5歳くらいの子供は得意だけど、中学生はちょっと苦手」という人だっているはずだ。

小島雄一郎「子育てを構造化してシェアしよう。」より)

子育てのコンセプトを共有できるチーム

つまり、 ”生存のためのケア” ばかりが子育てというわけではない。たとえば生まれたての乳幼児にミルクを飲ませるとかオムツを替えるとかいったことはできなくても、週末や長期休暇の期間に数⽇〜数ヶ月のあいだ一緒に暮らすとか、勉強やスポーツを教えたり大自然や海外旅行へ連れ出したりすることならできるかもしれない。もちろん、それだって立派な子育てだ。

お互いに話し合って子育てのコンセプトを共有できる大人たちがチームを組めば、全部をワンオペでやれなくても、数人で助けあって分担することはできるはず。もっと広い意味で言えば、「これから成長して社会に出ていく子供のために、社会をより良いものにしていく」ことも、子育てと同じ方向性をもつ ”子供のための活動” といえるだろう。

私は最近、姪が将来さまざまな差別や暴力に遭うことのない安心で安全な社会を準備しておきたい、とよく考えるようになった。

こういった考え方で子育てを ”シェア” していけば、私も他の人達と協力しながら育ての親としての子育てができるかもしれない、という希望を感じている。

 

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