INTERVIEW
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恋愛はいつも何かを教えてくれる 楽しさだけでなく辛いことにも感謝を【前編】

「昼は調律師としてお客様の家で人妻さんに会っていて、夜は男子禁制のレズビアンバーで接客しているので、ほぼ一日中女性としか会わない生活ですね!」と、自身の一日の様子を愉快に話す小林未央さん。昼と夜で2つの仕事をこなすバイタリティあふれる人柄は、様々な人と出会い、多くのことを学んできた人生を映している。なかでも、出会った相手とより深く触れ合うこととなる恋愛について、たっぷりと話を聞いた。

2015/09/25/Fri
Photo : Mayumi Suzuki Text : Kei Yoshida
小林 未央 / Mio Kobayashi

1972年、埼玉県生まれ。1990年に高校を卒業したのちにデザインの専門学校へと進み、その後、ピアノ調律技能士になるため、静岡県浜松市にある技術者養成学校へ。卒業後、調律技能士として働きながら、2001年から二丁目のレズビアンバー「MAR'S BAR」で働き始め、2007年に「絆−kizuna−」をオープン。現在も、昼は調律技能士の仕事を続け、夜はレズビアンバーのオーナーという2つの顔をもつ。

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INDEX
01 奥手なチビッコ、最初の恋を知る
02 女子が好きなのに女子校で女子に幻滅
03 初めての告白、初めての恋人
04 強要されたカミングアウト
05 レズビアンであると親に伝えない理由
==================(後編)========================
06 たとえ怒られても女子トイレへ
07 ノンケとの大恋愛と大失恋
08 二丁目歴はかれこれ15年
09 私のために泣いてくれた人
10 重ねた時間が、ふたりのすべて

01奥手なチビッコ、最初の恋を知る

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スカートをはいたフツーの女の子

父と母と双子の兄と姉、そして叔母。にぎやかな6人家族の末っ子として生まれた小林さん。小学生のころまでは背が低く、背の順に並ぶと、いつも先頭で腰に手を当てていたという。

「小さなころは、保育士さんに『この子は自閉症かもしれない』と言われるほど、あまりしゃべらなかったらしいです。自分より年上の人間しかいない環境で育ったせいか、『周りが子どもばかりだから幼稚園に行きたくない』って言うような生意気な子どもだったみたいですよ。生意気な割には、恋愛にはうとくて、中学校に入るまでは髪も長かったし、スカートをはいて、フツーの女の子と同じようにフツーに過ごしていました」

恋人ごっこの彼氏役で生殺し状態に

しかし、中学校入学と同時に長かった髪をバッサリと切り、身長がグングン伸びてくると、一番仲のよかった女の子Aさんとの距離がグッと近づいた。そのAさんが、ある日、こう言ったという。「未央ちゃんは、私の彼氏だから!」と。

「あれは、どういう意味があったんでしょうね。なんだか恋人ごっこをしていたような感じでした。私の初恋の相手がAさんであったのは確かなんですが、告白するでもなく、付き合うわけでもなく、ただの“ごっこ”で終わったんです。私は私で、一緒にいて楽しかったので好きだったんですが、彼女の真意が掴めないまま、生殺し状態が続いて、気づけば彼女には彼氏ができていました。でも、ショックではなかったですよ。好きになった相手を自分のものにするなんて、そのころは思いもよらなかったし。初恋ってそんなものですよね(笑)」

友情と愛情のはき違え、ボーイッシュな女の子への憧れ、それらが入り混じった思春期独特の無邪気な戯れのなかで、しかし確かに、小林さんは同性が好きであることを自覚する。そして、高校受験。ならば、と選んだ進学先は女子校だった。

02女子が好きなのに女子校で女子に幻滅

見たくなかった“女子の生態”を目の当たりに

「同級生が『私は誰々くんが好き』と言っても、『あ、そうなの』くらいのもんで、私はレズビアンだし同級生とは違う……なんて悩むことはありませんでした。中学生のときの初恋も、ごく自然に女の子を好きになってましたし。そんなわけで、高校は女子校を選んだんですが、これは完全に失敗でした。女子校に行ったせいで、女子との恋愛がさらに遠のいたんです。男子がいないと女子は、こんな風になっちゃうんだ……と。夏場はスカートのなかに下敷きで風を送るのは当たり前、授業中に平気でおならをする子もいたりして。なんだか、夢砕かれた3年間でした」

まさに、女子校あるある。ストレートの女子にとって、恋愛対象となり得る男子のいない環境では、“モテ系”や“好感度系”を演じることを放棄する女子。恋愛対象が女子である小林さんにとっては、知りたくもない現実だっただろう。

そして、これも女子校あるある。バレンタインデーに女子へチョコを贈る女子。小林さんも女子からチョコをもらったのだが、そのときに相手から一言が添えられた。「レズじゃないですが、受け取ってください!」。またしても思春期独特の無邪気な戯れだったということなのだろうか、やはり恋愛まで発展することはなかった。

そんな悶々とした高校時代に、ひたすら打ち込んだもの。それは漫画を描くことだった。

レポート用紙10枚のラブレター

「そのころは女の子同士の友情ものを描いていました。コミケと呼ばれる同人誌即売会に参加することもありましたよ。実は、生まれてはじめてお付き合いした彼女は、漫画を描いていたからこそ出会えたんです」

ちょうど高校を卒業したころ、小林さんの同人誌を読んだBさんが、作品に共感し、手紙を送ってくれたのだ。同じく漫画を描いていて、名古屋に住んでいるというBさんからは、それから月に1回、レポート用紙10枚もの手紙が入った分厚い茶封筒が届いた。もちろん、小林さんも月に1回、返事を書いていた。

手紙でのやりとりが続いて半年後、デザイン系の専門学校に通いながら、アルバイトをしてお金を貯めた小林さんは、ようやくBさんに会うために名古屋へ行く。そこで初めて、自分がレズビアンであることを他人に告げることになったのだ。

03初めての告白、初めての恋人

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自然な流れでカミングアウト

「名古屋に着いて、Bさんに会って、いろんなことを話しました。そして、自然な流れで付き合うことになったんです。つまり、Bさんは最初の彼女であり、最初のカミングアウトの相手。でも、本当に良い意味でゆるい感じで告白できたんです。女子が女子を好きになるのもアリだよねって」

とはいえ、小林さんは埼玉、Bさんは名古屋。頻繁に会うこともできず、しかも当時は携帯もメールも普及していなかったので、もっぱら電話で愛は語られた。

「会話が盛り上がって長電話になってしまうと、親に電話線を抜かれたりもしました。子機もない時代でしたから、会話も筒抜けで。そのうち、500円のテレホンカードを用意して、公衆電話で話すようになりました。カードが切れたら、会話も終わり。たしか、たったの10分くらいしか話せなかったともいます。思えば、ずいぶん高かったんですね、電話代って(笑)」

彼女を追いかけていった、その先で

それでも付き合いは続き、専門学校を卒業した小林さんは、家業を継ぐため浜松にあるピアノの調律技能士の養成学校に行くことを決意した。ちょうど、Bさんの就職先も浜松。少しでもBさんの近くに行きたい、そんな気持ちも確かにあった。

しかし、浜松での一人暮らしが始まって1週間後、Bさんから思いがけないことが告げられた。別の好きな女性ができてしまったのだと。

「振られたことはショックだったけど、相手に会ってみたら、すごくいい子で。私が乗っていたバイクを、その子も気に入って同じものを買い、一緒にツーリングに出かけたりもしたんですよ。正直いって、『この子なら、Bさんが好きになっても仕方ない』と思いました。その後も、彼女とは友だちとしての付き合いが続きました。彼女自身はバイだったし、ずっと子どもを欲しがっていたこともあって、今は男性と結婚しています」

自分の彼女を奪った相手。本来なら恨みに思うはずが、相手の人柄の良さからか、小林さんの懐の深さからか、意気投合したふたり。そんな彼女と引き合わせてくれたことを、Bさんに感謝したいとまで、小林さんは言う。

「初めての恋人であるBさんとの恋愛が、本当の愛だったのかというと、どうだか分かりません。でも、同じ趣味を共有できる仲間に出会えたり、浜松の養成学校に行くきっかけをもらったり、とても意味のある恋愛だったと思います。誰と出会って、どこにいくか。恋愛は、人生の分岐点と言えるかもしれませんね」

04強要されたカミングアウト

「帰りたくない」から始まった恋愛

養成学校を卒業し、埼玉に帰ってきた小林さん。Bさんと別れたあと、雑誌『ラブリス』の文通相手の募集ページに出会いのチャンスがあった。川崎に住むCさんは、行動派な人物で、連絡を取り合ってすぐにデートをすることになったという。

「低めの声でハキハキと話す、素敵な人でした。最初はたぶん、ふたりで多摩動物公園に行ったんだと思います。帰り際、駅で切符を買うときにCさんが『帰りたくない』と言いだして。私も一緒にいたかったんで、その日は朝まで一緒に過ごして、お付き合いがスタートしました」

小林さんは一人暮らしで、Cさんは実家暮らし。ふたりの休みが合う日に、ローカル線で2時間かけて、Cさんは小林さんの家を訪れた。舞台女優だったCさんとのデートは舞台を観に行ったり、一緒に台本を読んで練習したりと、今まで経験していなかったことも多く、発見と刺激に満ちていた。

「Cさんは、『食べることは人間の欲望の表れだから恥ずかしい』と言って、一緒に食事をしたがらなかったんです。だから、デート中は食べることが大好きな自分を抑えて、彼女が好まないことは自然に選ばないようにしていました」

カムアウトするか、別れるか

彼女が嫌がることは避けよう。夢を叶えるために努力をしているCさんを応援したい。そして、相手を想う気持ちは徐々に深まっていった。

そして、ふたりの仲が深まるにしたがって、一緒に暮らすという選択肢が浮上してきた。そのとき、Cさんからひとつの提案があった。小林さんがレズビアンであることを家族に伝えて、ふたりの関係を理解してもらえるように紹介してほしいと言われたのだ。

「Cさんは自分の家族にカムアウトしていたんです。これから一緒に暮らしていくのであれば、あなたも家族にカムアウトしてほしいと。でも、私には、どうしてもできなかった。最終的に、カムアウトするか、別れるか、究極の選択を迫られたんですが、私は、別れるほうを選んだんです」

家族にはカムアウトしない。未央さんは、今もその信念を貫いている。

05レズビアンであると親に伝えない理由

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お姉さんへの、まさかのアウティング

イギリス留学の経験があり、英語が堪能だったCさんは、小林さんのお姉さんに英語を教えていた。そして、カムアウトするか別れるかの瀬戸際に、Cさんはお姉さんに、小林さんがレズビアンであることを伝えてしまう。

「いわゆるアウティングというやつですね。余計なことをしやがって〜っと思いましたが、言っちゃったって報告されたら、なんでそんなことするのと理由を聞くこともできなくて。姉ちゃんには『あなたの生き方は理解できません』って否定されてしまいましたよ。そうなると、Cさんは他の誰かに言ったのか、姉ちゃんは家族の誰かに言ったのか、怖くて聞けませんでした」

アウティングの一件以来、小林さんはお姉さんに何も聞けないままだ。探りを入れることさえしないまま。それは、親には絶対にカミングアウトしたくないからなのだ。

「いろんな考えがあると思いますが、カミングアウトは自己満足だと私は思うんです。自分がラクになりたい、自分を理解してほしい、私にとっては、そんな自分の気持ちよりも、親の気持ちのほうが大切。『もしかして、そうなんじゃないの?』と親が聞いてくるときも、目は否定してほしいと言っている気がして。だから私は、親が望む答えを返すんです」

親が望むなら、否定し続ける

しかし、小林さんは予防線として、家族には「結婚はしない」と伝えているそうだ。

「私は親父が好きではなかったので、夫婦関係や結婚に憧れがもてないんです。だから私は結婚はしませんよ、と。それでも母親は『子どもは、いたほうがいいよ』と言うんですよね。で、最近では、『パートナーをつくんなさいよ』なんて言ってくるんですよ。パートナーという言葉を使うってことは、もしかしたら気付いているのかもしれないですよね。それでも、親が否定してほしいなら、否定し続けます」

親はいつでも子どもの将来を心配している。しかし、結婚しないと、親の不安が拭えないわけではない。大切なのは、生きていく基盤をつくって、親を安心させることだ。

「でも、嘘をついていることは負い目に感じています。お母さん、嘘ついてごめんねって、レズビアンであることを否定するたびに思っていますよ」

罪悪感にさいなまれながらも、決してカミングアウトはしない小林さん。自分にとって、もっとも近い存在である家族に嘘をつくのは辛い。しかし、カミングアウトをしなくとも、家族も自分も幸せだと思える方法はある。親を安心させることも、そのひとつ。家族のことを想うからこそ、カミングアウトをしないという選択肢もあるのだ。

後編INDEX
06 たとえ怒られても女子トイレへ
07 ノンケとの大恋愛と大失恋
08 二丁目歴はかれこれ15年
09 私のために泣いてくれた人
10 重ねた時間が、ふたりのすべて

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