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Writer/きのコ

ポリアモリーの「シェアハウス」「ファミリーホーム」を作りたい【後編】

小説『愛の色いろ』を読んで、私は自分でもこんな家を作りたいと思うようになった。
自分のパートナー達やメタモア(パートナーのパートナー)達、できれば皆で暮らせる家。友人達もポリアモリーじゃない人も住んでいて、自分の子供や誰かの子供を助け合って育てて、いろんな人が訪れて賑やかな家だ。この記事では、ポリアモリーとしてシェアハウス的なコミュニティを作って子育てすることについて考えてみたい。

「沈没ハウス」の共同保育

家族より多様な「沈没ハウス」

シングルマザーの加納穂子さんが息子の土さんを共同保育するために始めた「沈没ハウス(https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/my-asa/W-EdXpWfem.html)」という家の話を聞いて、楽しそう! 私もパートナー達と一緒に、こんな形で子育てしたい!と感じた。

婚姻関係がなくても血縁関係がなくても、家族のようでいて家族よりもっと多様に繋がれる、そんな場を作りたいと思う。

「沈没ハウス」の積極的な体験シェア

沈没ハウスは、母親の穂子さんが育児に困って共同保育してくれる仲間を探したわけではなく、子供を育てるという体験をシェアしたら絶対楽しいじゃん、という積極的な姿勢で作られたという点がすごく素敵だと感じた。

私がシェアハウス的なコミュニティ生活をしているのは、もちろん「婚姻関係にも血縁関係にも頼れないなら、こうしないと社会をサバイブできない」という気持ちもあってのことだけれど、やっぱり第一には、何より変化と多様性があって面白いからに他ならない。

結局、こういう暮らし方が好きなのだ。

ポリアモリーの私がファミリーホームで里親になる

里親制度とファミリーホーム

今、里親制度とファミリーホームについて勉強している。
里親制度にはいろいろな種類があるが、私が一番やりたいのがファミリーホームという形態だ。

ファミリーホームとは、家庭環境を失った子供を里親などの養育者がその家庭に迎え入れて養育する「家庭養護」のことを指す。

ファミリーホームは厚生労働省の管轄で、「小規模住居型児童養育事業」という制度として事業化されている。事業という言葉がつくけれど、あくまでも養育者の家庭の中で数人の子供を預かって、子供同士の相互の交流を活かしながら、将来自立した生活を営むために必要な知識や経験を得ることが目的だ。

国は将来的には全国で1000箇所のファミリーホームを作ることを目標にしているが、まだ目標の半分にも達していないらしい。一般的な里親が養育できる子供は4人までだが、ファミリーホームという形なら6人までの子供を養育することができる。

ポリアモリーによるファミリーホーム

ちなみに、ファミリーホームで子供達を養育するには「2名の養育者と補助者1名以上」または「養育者1名と補助者2名以上」で、養育者は「ファミリーホームに生活の本拠を置く者」でなければならないそうだ。つまりファミリーホームをやるには、少なくとも3人の大人が住んでいる家が必要ということになる。

私はパートナーとメタモアと、最低3人でファミリーホームを立ち上げたいと思っているので、このファミリーホームの規定はポリアモリーのパートナーシップとも相性が良さそうだ。

パートナー達と子供をもって育児をするといっても、私達は法律的な夫婦にはなれない。パートナーとメタモアは同居しているけれど、私は仕事で全国を飛び回る生活だ。だからパートナーとメタモアと私の3人でパートナーシップを営むにしても、私が ”余って” しまうのではないか、という不安がないとは言い切れない。

でもファミリーホームなら最低3人の大人が運営に必要なので、ポリアモリーの私もしっかり役割をもって家にコミットできる。

メタモアは2人の子供を育てた経験のある、育児の大先輩だ。子育てについていろいろと教わりつつ、皆で助け合って暮らしていけたらと思う。

※参照「ファミリーホームってなあに? ファミリーホーム里親(https://one-love.jp/news/20210516.html)」

フレキシブルに変化する ”場” としての家

『愛の色いろ』の物語の最後には、一旦は離れたこの家を9年ぶりに訪れた千瀬と、それを迎える住人達との団欒が描かれている。
千瀬がシェアハウスを出た後、良成と黎子がこの家を自立支援ホーム(なんらかの理由で家庭にいられなくなった子供達に暮らしの場を与える施設)として立ち上げ、3人の子供を新しい住人として迎え入れたのだ。もちろん、千瀬と3人の子供は初対面ということになる。
もしこの家がシェアハウスではなく一般的な家族の住む家だったら、「娘が数年ぶりに実家に帰ってきたら、婚姻関係も血縁関係もない人々が住んでいる」ということはまず起こらないだろう。
こうやって変化が起こるから、シェアハウス的な他人との同居生活は面白い。家としてはそのままに、住んでいる人達や”場”としての位置付けがフレキシブルに変わっていく。
そんな変化に対して開かれた場づくりを、これからも大切な人達と一緒に続けていきたいと思う。

 

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