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Writer/HIKA

知らずに傷つけてない? ノンバイナリーへのNGワード

私はかねてから、マイノリティへのNGワードに興味がある。NGワードを知れば、マイノリティがこうむる差別などの一端を知り、自分が直接的な差別をする可能性を減らすことができると思うから。でもノンバイナリーへのNGワード例が少ないかも?

ノンバイナリーへのNGワード、認知度低くない?

地雷だらけの私の日常

ノンバイナリーの私の日常は、地雷だらけ。

私にとって、誰かが口を開くことは精神的な痛みを覚悟すること。高い頻度で、傷ついている。

そうして私をボロボロにしているのが今回のテーマ、ノンバイナリーへのNGワード。

私がおもうNGワードはマジョリティ側から見ればなんてことのない、日常的に使う言葉だ。しかしマイノリティに対しては、尊厳を傷つけられる鋭利なナイフへと変貌してしまう。

たとえばこの見出しは、地雷という言葉を含む。こうした戦争にまつわる言葉をいとも簡単に使えるのは、私が戦争を経験していない人間・マジョリティとしてこの国で生きているからだろう。

今回、戦争経験者に配慮のない言葉をあえて例示として使ったが、性的マイノリティなど社会的弱者へも日常のいたるところに、痛みや悲しみをともなう言葉が仕込まれている。

「LGBT」へのNGワードと包括的言語

NGワードのわかりやすい例として、数年前まで当たり前に使われていた「彼氏/彼女いるの?」が挙げられるだろう。

性的指向に関するこうしたNGワードは、少しずつ広まり、昨今では聞く回数が減った気がする(世間はゲイやレズビアンだけへのNGワードと認識しているかもしれないが)。

そして代わりに「パートナー」という包括的言語が広まり始めている。包括的言語とは、
①誰かを傷つける言葉をNGとしたうえで
②マイノリティを傷つけない言葉として、NGワードの代わりに使われるもの。

包括的言語の使用は、マイノリティがNGワードで傷つく回数を減らすことができる重要な取り組みだ。

ノンバイナリーへのNGワードは?

ノンバイナリーへのNGワードの認識は広がっているだろうか?
答えはNOだ。

残念な例を挙げてみる。最近目にすることが増えた、性別記入欄での「男・女・その他」。この「その他」は、まるで自分が「ノンバイナリー(またはXジェンダーへの)包括的言語です」みたいな顔をして選択肢にいるが、私にとっては包括的言語ではない。むしろNGワードそのままだ。

また、2、3年前に刊行されたLGBT関連のある書籍では、多様な性の説明をした後にLGBTの日常の困難や言ってはいけないNGワードについても詳しい事例が載っている。だが、その多くはゲイやレズビアン、トランスジェンダー男性やトランスジェンダー女性に関する記述に留まる。

こうした現状を受け、今回は私自身が見聞きしたノンバイナリーへのNGワード例を挙げてみようと思う。

ノンバイナリーへのNGワード①【性別二元論編】

男女しかいない世界とノンバイナリー

性別二言論は、すべての人の性は2つに分けることができ、この世には男と女しか存在しえないという考え方のこと。

いわずもがな、この考え方はシスジェンダー・ヘテロセクシュアル規範に結び付いており、LGBT全体を否定するものだ。さらに、ノンバイナリーという性自認に対しては、他のセクシュアリティとは異なる影響も受ける。

性別二言論という価値観において、ノンバイナリーはLGBTの中でもさらにマイノリティとなるのだ。

自認する性別が男女どちらかのL/G/B/Tであれば「男女のどちらか一方であること」という最低条件はクリアしている。彼ら・彼女らの困難は、条件をクリアしたうえで「既存の」男女ではないと差別を受けることだ。

しかしノンバイナリーはどうだろうか。男女どちらか一方ではないのだから、その最低条件すらクリアできない。結果、ノンバイナリーに対するNGワードが世にあふれる事態になっている。

性別二言論に基づいたNGワードの例

・「男女」
・「男性・女性・その他」
・「主婦(夫)」
・「彼ら彼女ら」もしくは「彼または彼女」
・「紳士淑女」
など。

この中でとりわけ高い頻度で使用するのが、「男女」系だ。「男女の中にはさ~」「男女問わないジェンダーレスな服装」「男性チーム、女性チーム」「男性も女性も」「男女ともにがんばる」「男女に分かれて」など例を挙げればきりがない。

言葉単体で見ればノンバイナリーが存在しないことを前提にし「すべての人を含む」というニュアンスで男女という言葉が使われていることは明らかだろう。さらにそれが、差別是正のための運動で使われていたらどうだろうか。

「ジェンダー平等を達成し男性も女性も活躍できる社会をつくろう」

一見素晴らしく聞こえるこのスローガン、ひっかかる部分がある。

それは「この世のジェンダー不平等は、女性だけが活躍できれば解消する」のだから、
①ノンバイナリーというジェンダーは存在しない
②ノンバイナリーというジェンダーをもつ人は存在しない
③ノンバイナリーが直面するジェンダー不平等はないというメッセージが隠れている

ように私は感じる。

先に紹介した「男・女・その他」もそうだ。まるでノンバイナリーもしくはXジェンダーへの差別に対抗するために「その他」が加えられているように見える。でも「ああ、あなたはその他の人ですね」なんてめちゃくちゃ失礼ではないだろうか。

結局は、男性と女性こそ正当な性であるという性別二元論の価値観のまま、”その他の新参者” にごちゃ混ぜの末席をくれたに過ぎない。

ノンバイナリーへのNGワード②【配慮しているように見えるけど・・・編】

一見インクルーシブだけど

性別二元論に基づく言葉が問題である、という認識は一部には広がってきている。

たとえば東京ディズニーランド内のアナウンス、 ”Ladies and gentlemen” (紳士淑女のみなさま)は、”Hello, everyone” (みなさんこんにちは)に変更になったし、同様に紳士淑女のみなさまといった英語を使っていた日本航空(JAL)の機内アナウンスは、 ”All passengers” (乗客のみなさま)に変わった。

性別を男女2つに断定しない包括的言語の広がりに少しほっとしつつも、そう落ち着いてはいられない事態も起きている。

私の身近に起きた例を紹介しよう。私は複数の職場をもち、セクシュアリティをオープンにしている。そこで働くある同僚から言われた一言だ。

「男性も女性も大事ですよね。あ、えっと・・・・・・まだどちらか決めていない人たちも」

おそらく、その場に居合わせた私に配慮した言葉なのだろう。だが、配慮の仕方が間違っている。ノンバイナリーはクエスチョニングではないし(クエスチョニングでありながらノンバイナリーというジェンダーをもつ人もいるかもしれないが)、なぜ男性か女性どちらかに決めることが前提なのだろうか。決められないと未熟とでも言うのだろうか。

裏切らない森元総理

少し時をさかのぼって2021年2月4日。東京オリンピックの組織委員会に関する記者会見では、こんな発言がとび出した。

「女性と男性しかいないんですから。もちろん両性というのもありますけどね」

女性登用に関しての失言を謝罪する場での発言だった。発言者はもちろん森元総理。さすが森さんは裏切らない。マジョリティの差別意識を見事に言語化してきた腕前は、ここでもいかんなく発揮された。

こうした配慮している ”ふう” の言葉は、何も森元総理のような「いかにも言いそう」な人たちからだけ出るものではない。LGBT当事者からも出てくるのだ。

裏切られた『キンキ―ブーツ』

私の大好きなミュージカルのひとつ『キンキ―ブーツ』は、実話がミュージカル化されたもの。ストレート男性の主人公とゲイでドラァグクイーンの人が出会い、偏見が少しずつ解消され、最後は唯一無二の仲間になるという感動的なストーリーだ。

その最後のナンバー ”Raise You Up / Just Be” は、ドラァグクイーンも異性装をしない人もごちゃ混ぜになって歌い踊り、自分らしく生きることを肯定するブチ上げな曲だ。

しかし途中、こんなセリフが登場する。

“Ladies and gentlemen, and those who yet to make up their mind”.

和訳するとこうだ。「紳士淑女のみなさま、それとまだ心を決めていない人たち」。これは、私が同僚に言われたのと同じパターン。男性でも女性でもない人たちは、男女どちらかに決めなきゃいけないのにまだ決められない未熟な人たちなのだと。

未熟者扱いは、さらに発展するとより直接的な攻撃となる。それが、最後に紹介する「ノンバイナリー(笑)」だ。

NGワード③【ノンバイナリー(笑)編】

ノンバイナリーは「単なる信条」

「ノンバイナリーはジェンダーではなく個人的なポリシーだ」とする偏見は、先に紹介した「ノンバイナリーは未熟論」(と、呼んでみるとする)を加速させてきた。

これは、「男性か女性どちらかであるのが絶対なのにどちらでもないと表明するということは、実は男性か女性のどちらかなのだけどポリシーとして言っているだけ」というもの。

こうした偏見のもとよく言われる言葉が、「ノンバイナリーって言ってるけど、自分がもともと割り当てられたジェンダーの生きづらさから逃げたいだけなんじゃないの?」。

これがさらにエスカレートすると、見出しの「ノンバイナリー(笑)」が飛び出すようになる。

NGワードを飛び越えた、胸をえぐられる言葉

あれは、ある女装家がアップロードした動画を見ていたとき。

ゲイの女装家たちが、自らの性別を既定の用紙に記入するシーンが動画内にあった。おそらく「男・女」という記入欄があるものだ。

A「ミスター? ミセス?」
B「真ん中(おそらく「男・女」の中黒のこと)に〇しときなさいよ」
A「ノンバイナリーっつって(笑)」
(一同笑い)
B「Both (両方)とか」
(一同再び笑い)
(「新たなセクシュアリティ? 」というテロップが入る)

こうした一連のやり取りは、ノンバイナリージェンダーが正当ではないという偏見のもと、笑いものにしていいとする蔑視からくるのだろう。そのすべてが間違っているし、性別記入欄を使って蔑視をすることや「新たな」とラベリングし嘲笑することで、ノンバイナリーが被っている差別を矮小化することにもつながっている。

こんなにひどい差別が行われている動画だが、いまのところこのシーンに対して批判があったり動画を取り下げたりする動きは全くない。これこそ、性自認が男性か女性どちらかであるLGBT当事者を含むマジョリティが、こうした差別発言をNGワードだと思っていないことの表れではないだろうか。

知らないからしょうがない?

ここまでまとめてきた発言に対し、こんな反論もあるかもしれない。「ノンバイナリージェンダーをよく知らない人がほとんどなんだから、仕方ないじゃないか」。

一見もっともらしく聞こえるが、ノンバイナリーが知られていないことが困難を引き起こしている状況下、それを正当化するのは差別を維持させてくれ、と主張していることと同義になってしまう。

私は、ノンバイナリーへのNGワードについてこれまで知らなかったことを責めたいわけではない。ただ切実に、知ってほしい。マジョリティにとって「普通」な言葉が、いかに私たちへの差別につながるかを。

■参考情報
LGBTQ・ノンバイナリーに配慮…性別に触れない表現、用法や言語そのものにも影響 | 讀賣新聞オンライン
森会長の「女性、男性、“両性”」発言に批判が相次いでいます | Magazine for LGBTQ+Ally PRIDE JAPAN

 

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