02 天才か?
03 闇の中1
04 「将来、大物になるから」
05 JUDY AND MARY中心の生活
==================(後編)========================
06 子どもが欲しい!
07 好きになった人はたまたま同性
08 カミングアウトとも思っていない
09 クエスチョニングのままでいい
10 突然降りかかってきた、南座での結婚式
01なんでも気づいて、口に出る
あらゆることに気づいてしまう
小さいころから、周囲の様子を感じ取る力がとても強い。
「今だとHSPっていう言葉がありますけど、小さいころはそんなことも知られてなかったので、ただただ神経過敏な子だと思われてました」
周りの人に電話がかかってきたとき、電話でやり取りする様子を見ていれば、どんな人からの電話なのかが察しが付く。
「”におい” で分かるんです。お母さんからの電話には ”におい” はないんですけど、怪しい女友だちからだと ”におい” がするんです」
感じ取りすぎる気質のせいで、学生時代はしんどい日々だった。
「トイレに行けなかったんですよね。個室の壁がまるでないのか、ってくらい、隣の人の様子を感じちゃうんです」
感受性の強さは今も変わらないが、長年の経験からうまく付き合えるようになった。
凸凹な気質
自分の特性を一言で言うと、凸凹が激しい。
得意なことと不得意なことの差が、ほかの人に比べて極端なのだ。
「ADHDだとも言われています。ものをよく失くすので、家の鍵には鈴をつけていつも首からぶら下げるようにしてます(笑)」
でも、私が学生時代を過ごしてきたときには「ADHD」や「発達障害」という言葉も、現在ほど世の中に知れ渡っていなかった。
「もっと満遍なくとか、全体的にバランスよくやればいいのにとはよく言われましたけど、それができないんですよね」
でも、バランスよくできない自分を不用意に責めることもなく、好きなことや向いていることに一極集中することで、人生を切り抜けてきた。
スピリチュアルな母
生まれてからの多くの時間を神奈川県・横須賀で過ごしてきた。
2つ下の妹は、私と正反対の性格。
「私は1回やって不得意だなと思ったらそれ以降は手を付けなくて、得意なことばかり集中してたんですけど、妹はコツコツ努力するタイプで」
「妹のように努力しなさいって、お母さんには散々怒られました」
そんな母は、必ずしも束縛が激しい教育ママではなかったが、周囲の人に会わせるといつも「変わったお母さんだね」と言われた。
「霊感とか、引き寄せの力が強いんです。おばあちゃんが早くに亡くなってるんですけど、『今、お母さん降りてきた』って言ったり」
「私たちのことも、女の子が欲しかったから産んだんだ、って言ってました」
母には叱られることが多かった一方、父は私にとても甘かった。
「特に私が小さいころは、お父さんって紹介しなくても顔を見れば分かるってくらい、お父さんとそっくりだったみたいで(笑)」
長女が自分に似ていることが、父はとてもうれしかったらしい。母に言わせれば、父は妹より私をひいきしていたようだ。
02天才か?
ずば抜けている暗記力と処理能力
小学校に入学する前から、ほかの子どもより勉強ができるのではないかと思われるところがあった。
「例えば、対象年齢以上の難易度のパズルをこなせちゃうんですよね。あまりにも簡単にクリアしちゃうから、パズルピースを裏に返して色のヒントなしで遊んでました」
わずか3歳で、童話を暗唱することもできた。
「家に置いてあった子ども文学全集のうち、ヘンゼルとグレーテルを気に入って、ボロボロになるまで繰り返し読んでたんです。そしたら暗唱できるようになって」
そんな子どもを見た母は、自分の子どもは天才ではないかと思い込むようになる。
「今の言葉で言うと『ギフテッド』だったのかもしれません」
「小学校のときは、テストは100点を取って当たり前だと思われてました。だから、100点を取っても褒められないんですけど、90点だと『次、頑張ろうね』と言われて・・・・・・」
一方、不得意なことはまったく努力しない特性ばかりを取り沙汰されてしまい、優秀な割には褒められず、むしろ怒られてばかりの子ども時代を過ごした。
わがままで、キレやすい子
神経を働かせて周りを気遣うこともできる一方、内側に感情を溜めておくことが難しい気質も持ち合わせていた。
思ったことは考えるまでもなく、口や表情に表れてしまった。
「熱いものを触ったら『あつっ』ってとっさに手を引っ込めると思うんですけど、私が思ったことを口に出すのはそういう感覚に近いです」
そのため、小学校ではいつもイライラしている子と思われていた。
「小学校の授業では、1回聞いたら私は理解できたんですけど、もちろん1回聞いただけでは理解できない子もいて。そういう子たちに『なんで分からないんだよ』って、子どものころはイライラしてました」
成績は優秀だが、通知表にはいつも「キレやすい」「わがまま」「すぐに手が出る」など辛口評価が並ぶ。
一方、混とんとした小学校の世界では神経過敏がピークに達し、体調が優れないことが多かった。
「朝礼とか、5分以上立っている場面では貧血を起こして倒れたり。転勤族だったので、引っ越しする度に新しい環境に馴染めなくて、39度以上の高熱を出したり・・・・・・」
「よく保健室にお世話になってました。歴代の保健室の先生とは仲良しでしたね(苦笑)」
小学校では、宿題は持ち帰らず、手元に配られた瞬間に持ち前の集中力で超速で終わらせるほど頭の回転が速かった。
一方で、高学年になるといよいよクラスに馴染めずにいじめられることもあった。
03闇の中1
知らない人たちのなかにひとり
引っ越しの影響で、知り合いのいない中学校に進学することに。
「友だちもいないし、相変わらずトイレにも行けないしで、ストレスで声が出なくなっちゃって・・・・・・」
通っていた中学にやんちゃな子が多かったことも、神経過敏をさらに増長させた。
「ホラーやグロテスクなものが苦手なので、ヤンキー同士の抗争の話とか、怪我してる人を見ると気持ち悪くなっちゃって・・・・・・」
小学校では努力せずとも満点を取れていた勉強も、中学校ではさすがにそうはいかない。
「勉強するのが苦しいなって感じてました。勉強が好きなわけではなかったんだなって」
なにも楽しめない中学校生活がつらくなり、だんだんと足が遠のいていった。
「日曜の夜になるたびに、今週は行くの? 行かないの? って話し合いになって。家庭環境は荒れてましたね・・・・・・」
完全な登校拒否までには至らなかったものの、中学1年生の時期は学校から距離を取っていた。
塾が息抜き
「闇」の中1を過ぎると、中2以降は少しずつ友だちもでき、多少は安定した生活を送れるようになる。
学習塾という居場所を得られたことも大きい。
「成績上位の、少人数のクラスに入ることができて。ヤンキーもいない静かな場だったので、あまり緊張せずに過ごせました」
将来の夢も少し考えるようになった。
「小説家になりたいな、って思ってました。赤川次郎の作品を読破したり、小学生のときには図書館の本を苦手なジャンルを除いて全部読もうとしたりしてたので」
「ずっと交換日記を続けて、それでも足りないから日記も付けてました」
だが、中学生のときにその夢をあきらめた。
「起きた出来事は書けるし、作文も得意だったんですけど、ゼロから物語を考えることができなくて。クリエイティブな能力がないんですよね(苦笑)」
04 「将来、大物になるから」
弓道に熱中
高校は、地元の進学校を選ぶ。
「今から始めて一番になれるものはなにか」を考えて、弓道部に入ることに決めた。
「弓道部って中学にはあまりないから、スタートがみんな一緒なんじゃないかって。あと、運動は苦手だけど集中力は高いので、弓道なら一番になれるかなと」
読みは的中し、1年生のうちから部内一番の実力者となる。
夢中になれるものが見つかったことは、体調面でもよい影響を与えた。
「中学生までは月1回、1週間は熱を出して休むほど絶不調だったのに、高校生になってからは熱も出さず、貧血も起こらず。部活も1日も休まなかったんです!」
「集中できるものが見つかったからか、トイレも小中学生のときよりは行けるようになりました(苦笑)」
一方で、1年生から一番になったため、部活内ではやっかまれることもあった。
「大会には3~5人くらいしか出場できないんですが、そのうち1人は必ず私だったので、出場できなくなった先輩から叩かれました」
「もちろんいじめられたら落ち込みましたけど、いじめられない世界を想像できなかったので、解決したいとまでは思い至りませんでした」
3年生の夏に引退するまで、部活が休みの日曜日にも自主練するほど、弓道の練習に毎日明け暮れた。
根っからの恋愛体質
私は、かなりの恋愛体質だと思っている。
「中学生のころから、好きな人がいなかった時期はないと思います(笑)。惚れやすいんですよね」
高校生のときには、弓道部の袴を着てポニーテールで部活に打ち込む姿が、当時人気だったCMと相まって人気者となった。
「高校のときは、私がだれかを好きになってアタックするっていうより、だれかから告白されてから“私のこと、そんなに好きなんだ” って相手を好きになる、ってことが多かったです」
高校1年生のときにはじめて男子と付き合って以降、高校生の間には男子と何人か付き合った。
だが、高校3年生のとき、今振り返れば恋愛感情を抱いていた女子もいたと思う。
「私は、好きな子には躊躇なく好きだって言うこともあって、そのときよくお茶に誘ってた女の子がいたんです。今振り返ると、その子が好きだったのかなって思います」
古文で100点
2年生のとき、学校内の委員会で知り合った国語の先生にぞっこんだった。
その先生が3年生のときに自分のクラスの国語担当となり、国語の勉強に火が付く。
「先生に褒められたい一心で、受験勉強はひたすら古文だけ勉強してました(笑)」
「大学入試模試では、古文で100点を取って日本1位になりました」
でも、あくまで勉強そのものが好きなわけではないため、興味の持てない教科は一切勉強しなかった。
「先生がかわいくないと、その教科自体にも興味が持てなくて。世界史のテストの解答欄には全部ナポレオンって書いてましたし、生物も平均点90点のところ10点台を取って怒られたり(苦笑)」
大学には行くものだと思い込んでいたため “偏った” 受験勉強をしていた一方、将来には明確な展望がないのにもかかわらず、不安もなかった。
「小さいころに “私は天才だ” って思ってたのがまだ抜けてないというか。固定観念がないこともあって、将来に不安を抱いたことがないんですよね」
根拠はないが、好きだった国語の先生には「将来、大物になるから」と宣言していたほど。
受験勉強の末、大学の英米文学科に進学した。
05 JUDY AND MARY中心の生活
新しいもの、見つけた!
大学に進学したというものの、新たに集中できるものがなかなか見つからず、くすぶっている時期が続く。
「高校のときは弓道、古文と集中できるものがあったんですけど、大学に入ってからすぐに見つからなくて・・・・・・。鬱というほどではなかったけど、ロス状態でした」
好きなこと、得意なことに集中できると思っていた大学での学びも、1年生のうちは興味の持てない教養科目ばかりでへとへとだった。
そんなときに出会ったのが、バンド「JUDY AND MARY」だった。
「1年生のときに付き合ってた子が、家にライブビデオを持ってきて見せてくれたら、それ以降ドはまりして」
日中は大学のパソコンでファンのインターネット上の掲示板に入り浸り、合間にアルバイトをこなして遠征費を稼ぐ。
夜10時から朝5時までは、当時のインターネットし放題プランを利用して、家でインターネットの世界の住人になって再びファンと交流。
ほとんど寝ない日々を送った。
「大学進学を機に東京で一人暮らしを始めたこともあって、電気が止まって督促状が来るほど生活はかなり荒んでましたけど、楽しかったです(苦笑)」
仕事よりJUDY AND MARY優先
ホームルームのあった小中高と違い、大学は掲示板などを使って自分で必要な情報を取りに行かないといけないシステムだ。
「注意力散漫で忘れやすかったので、期限を守って書類を提出することはほとんどできませんでした」
大学の授業に最低限出席して、生活の大半をJUDY AND MARYの追っかけをしていたこともあり、就職活動の存在すら気づけなかったほどだ。
だが、卒業の時期は勝手にやって来るもの。
「卒業間近に求人雑誌を開いて見つけた仕事に応募して、そこで働くことになりました」
仕事の条件はずばり、JUDY AND MARYの追っかけ活動に支障を来さないこと。
「学生時代に知り合った社会人のファンの人が、近くでライブがあるのに仕事があるから行けないって言ってたのを聞いて」
私にとっては、好きなことと仕事は比べるまでもないこと。
「好きなことと仕事は、レベルが違うんですよね。仕事のずっと上に好きなことがあるので」
「好きなことより仕事を優先するような社会人には絶対ならないぞ! って思ってたんです」
社会人になってほどなくして、JUDY AND MARYが解散することが発表。最後の全国ライブツアーのすべてを回るため、わずか入社8カ月で退職する。
<<<後編 2023/05/21/Sun>>>
INDEX
06 子どもが欲しい!
07 好きになった人はたまたま同性
08 カミングアウトとも思っていない
09 クエスチョニングのままでいい
10 突然降りかかってきた、南座での結婚式