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Writer/きのコ

ポリアモリーにおける合意の難しさ

複数の人と同時にそれぞれが合意の上で性愛関係を築くライフスタイル「ポリアモリー」。ポリアモリー当事者の私は「どうすればポリアモリーについて合意を得られますか?」と訊かれることがよくある。今回は雑誌「現代思想」の特集を引用しながら、パートナーとの合意形成の難しさについて考えていきたい。

ポリアモリーにおける合意の難しさ

さまざまな恋愛/非恋愛のかたち

雑誌「現代思想」(青土社)の2021年9月号には「〈恋愛〉の現在――変わりゆく親密さのかたち」という特集が掲載されている。

生き方や価値観が多様化しつつある昨今、恋愛は必ずしも「結婚へといたる道」とは言えなくなってきている。それどころか “恋愛” という概念それ自体が多様化しているのであり、今回の特集ではポリアモリーからアセクシュアルやアロマンティックまで、現代におけるさまざまな恋愛/非恋愛のかたちが描き出されている。

今回は、文化人類学者・深海菊絵さんがこの特集に寄稿した記事「ポリアモリーという性愛と文化――愛をいかに自由に実践するか」を読んで感じたことを綴ろうと思う。

ポリアモリーにおける ”合意の不可能性”

この記事の中で特に印象的だったのは、ポリアモリーにおける合意の難しさについてはっきりと書かれている点だ。記事において、シャンタル・ムフはより厳しく ”合意の不可能性” という表現を使っている。

さまざまな工夫を設けて自分たちの関係を慎重にマネジメントしようと努めても、計画通りに進まないこともあれば、完全に自己を律することが難しいこともある。また、話し合いを重ねても、合意形成が困難な場合もある。例えば、ひとつのポリアモラスな関係のなかに、ルールを設けた方がうまくいくと考える者と、自分のふるまいを決定する「自由」を重視する者とがいる場合、合意形成は容易ではない。

(中略)ポリアモリー実践者たちの自己管理の試みを、統御不可能な状況において自らのあり方やふるまいを問い続けること、あるいは、決して把捉することのできない他者に可能な限り接近しようとする志向性として捉えることもできよう。

(「ポリアモリーという性愛と文化――愛をいかに自由に実践するか」より)

関係性は完全にはマネジメントできない

深海さんはフーコーの論も引きながら考察を重ねているが、ひとことで言えばポリアモリーにおいて大切なのは、関係をマネジメントする努力をしつつ、完全にはマネジメントできないと心得ること、だと思う。

ポリアモリーにおいては合意形成によって全員の関係性を律するたゆまぬ努力が続けられる一方、その関係性は究極的には統御不可能であり、「コミュニケーションによって参与者全員が納得する地点に到達できるとは限らない」と知っておくのも肝要だということだ。

ポリアモリーが孕む「傷つきやすさ」

「自分を曝け出すこと」の重要性

深海さんは合意を目指す時の「自分を曝け出すこと」の重要性、およびそのことが孕む「傷つきやすさ」についても強調している。私達は、傷つけ・傷つくリスクを背負いながら自らの望む生き方や欲望を曝け出すことによって、他者との濃密なつながりを得る可能性を手に入れるのだ。

自分を曝け出すことは、傷つきやすさと密接に関わる。自己を開示し本心を打ち明けたところで、他者に受け止めてもらえる保証はないからである。また率直な自分の発言が他者を傷つけてしまう可能性もある。とすれば、告白は傷つきやすい領域において他者に身を委ねることでもある。この点を踏まえると、ポリアモリーの告白文化における「オネスティ(率直さ)」は、単に個人の性質や態度というよりは、相手を信頼するという行為と結びついたものといえる。
(中略)
関係構築のプロセスでは、傷つきやすさを回避するだけでなく、傷つきやすい領域に自ら身を投じるような様相も確認された。あるポリアモリー実践者が述べているように、ポリアモリーは他者との濃密なつながりを探求する試みであると同時に、可傷性に充ちた領域への冒険でもある。ポリアモリー実践は、性愛のかたちが多様でありうるという可能性だけではなく、傷つきやすさを源泉として他者と濃密なつながりを作ることができるという可能性に目を向けさせる。
(中略)
性愛という領域において、私たちは可傷性を避けることができない。愛する人を支配したいという欲望から愛の関係が暴力の関係へと転化してしまう危険は常にあるし、愛する人を把捉したいという願いは常に挫折するからだ。

(「ポリアモリーという性愛と文化――愛をいかに自由に実践するか」より)

ポリアモリーができる ”魔法の言葉” はない

私は、ポリアモリーについてパートナーの合意を得たいと望む人達から「どうすればポリアモリーに合意を得られますか?」と訊かれることがよくある。その度に答えるのが「こう言えばポリアモリーになれる!というような ”魔法の言葉” はない」ということだ。

そのかわり「相手を傷つけること・自分が傷つくことを避けていては、自分の気持ちを正直に伝えきることはできないし、結果として合意を得ることも難しい。清水の舞台から飛び降りるつもりで ”傷つけ・傷つく” 覚悟をもって自分を曝け出し、相手を受け止めてください」と伝えるように心がけている。

恋愛における ”冒険” としてのポリアモリー

ポリアモリーによってパートナーシップにおける悩みが全て解消されるわけではないし、何もかもがうまくいくとは限らない。記事にもあるが、私個人としても、ポリアモリーに挑戦したことによって却って深く傷つけあってしまうような例を数多く見てきた。

ポリアモリーという関係はパラダイスでも酒池肉林でもないし、勝ちまくりモテまくりの強者が手にする栄光でもないのだ。その意味では、ポリアモリーはまさに恋愛におけるある種の ”冒険” であり、ハイリスクハイリターンな試みであるといえるだろう。

 

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