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Writer/きのコ

恋愛もセックスもなく、クワロマンティックとして大切な人

私はクワロマンティックだ。恋愛感情や友情の何たるかが全く分からないとはいわないが、それらの感情を区別したくない、恋人か友人かという名付けで区切りたくない、という感覚は強い。そんな私の「クワロマンティックとして大切な人」達のことを、今回は紹介したいと思う。それぞれ異なる関係の人達だが「(少なくとも現時点では)恋人としての交際はしない」という選択をしている点では皆同じだ。

LGBTフレンドリーなプロジェクトの仲間

ビジネスをしていると、恋愛もしたくなる

1人目の大切な人は、いわば仕事仲間だ。

彼は、とあるLGBTフレンドリーなプロジェクトのリーダーを務めている。私は友人の紹介で彼に出会ってすぐ、彼に協力したいと思うようになった。

私は「恋愛におけるパートナー」と「セックスにおけるパートナー」と「ビジネスにおけるパートナー」それぞれに対する好意の強さがあまり変わらない。それらの好意に厳密な区別があるとも思っていない。

ビジネスの相手と恋愛をしたくなることもあるし、恋愛の相手とビジネスをしたくなることもある。

ビジネスを一緒にやろうという話をしていく中で、恋愛的にも彼に惹かれていったのだと思う。

今セックスするのは何か違う

彼を誘ってラブホテルに泊まったことがある。コミュニケーションが丁寧で精密な人だから、男性性を振りかざして私を傷つけるようなセックスをすることはないだろうという信頼があった。だが、セックスするのは何か違うな・・・・・・という雰囲気になり、添い寝して朝を迎えた。

その後改めてお互いの関係性について話し合い「今はビジネスパートナーでいよう」ということに落ち着いた。

今一緒に進めているLGBTフレンドリーなプロジェクトが完遂されたら、その時彼とは改めて今後の関係性についてもう一度話し合うことになるのだと思っている。

1年に1度だけ出会う被写体と写真家

「出会って、撮って、忘れる」関係

2人目の大切な人は、厳密にいうならば、恋人ではないどころか友人ですらない。
それでもお互いに好意があり、尊敬しあう間柄であるという認識は共有している。

彼は写真家で、さまざまな市井の人々を相互無償で撮影して作品づくりをしている。その作品づくりには独特なポリシーがある。撮影した後、ある程度の時間をおいて被写体のことを ”忘れる” 時間が必要なのだ。

そうすることで、初めてフラットな目線で写真を眺め、膨大な写真の中から作品として価値のある1枚を選び出すことができるのだそうだ。

だから私達は何年もの間、毎年「出会って、撮って、忘れる」を繰り返している。1年に1度だけ、私達は連絡をとりあい、まるで初対面かのように出会いなおし、被写体と写真家として撮影する。そうやって私と彼との作品が少しずつ生まれていく。

変化したら戻れない関係性

今の彼と私は、あくまでも被写体と写真家という関係だ。撮影以外では会わないし、撮影が終わった後に「ちょっとお茶でも」なんていうこともない。それは彼の信念によるもので、彼は被写体と友人や恋人になるとそれ以上は撮影ができなくなる、というのだ。

だから私が彼とお茶をするなりセックスをするなり、撮影と関係ない関わり方をしたいと思うなら、私は彼の被写体という立場から ”卒業” しなければならない。それが彼の写真家としての作品づくりのポリシーだからだ。

そして一度そういった人間関係をもってしまえば、もう彼と作品づくりを一緒にすることはできない。だから私はまだ、彼の友人にも恋人にもなれない。

私は写真家としての彼を尊敬しているので、今はまだ彼の被写体でいたい、作品づくりを一緒にやっていきたいと思っている。

あと何年かは分からないけれど、この関係を変えよう、と双方が思う時が来るまで、1年に1度だけ出会って、撮って、忘れるという営みを続けていくのだろう。

いつか、彼と撮影抜きで出会いなおす日がくるかもしれない。そのとき私達の関係がどう変化するのか、まだ分からない。その日が楽しみだけれど、少し怖い気もしている。

キャリアスクールの受講生と講師

同じ夢を目指す講師

3人目の大切な人は1人目同様、仕事仲間といえる。
いや、正確にいうなら、出会いは「先生と生徒」のかたちだった。

彼は私が受けたキャリアスクールの講師。彼の講義を受けるうちに、お互いの地元が九州であることや、彼がこのスクールを九州で開講したいと考えていることを知った。

彼に惹かれるようになった私は、彼の夢を自分の夢として一緒に叶えたいと思うようになり、自分も講師になるための研修を受けて、今では彼と同じ立場で生徒を教えている。

ポリアモリーではないから恋愛もセックスもない

彼にはパートナーがいる。そして、彼自身もそのパートナーもポリアモリーではない。だから現時点では、私が彼と恋愛もしくはセックスのパートナーになる可能性はない。ということで今は、彼とビジネスのパートナーでいることを選んでいる。

恋愛もセックスもできないとしても、これからの人生、何らかの形で彼の人生に関わっていたいと思う。

友達以上、セックスフレンド未満

愚痴をこぼしあう「腐れ縁」

4人目の大切な人は、これはもういわゆる「腐れ縁」としか言いようがない。
私と彼との感情的な繋がりは、まさに友愛とも恋愛とも名付けようがないものだと思っている。

私と彼は、ある時期は毎日のように連絡をとりあうし、ある時期は年単位でお互いのことを忘れている。連絡が来ても返信しないこともざらだ。それでも、何かつらいことがあると、お互いにしか言えない愚痴をこぼしあう。

私は人に弱味を見せるのが下手だ。だが彼はそんな私が世界で唯一、何の脈絡もなく夜中に「死にたい」とメッセージを投げることを許した人。彼が私にそれを許しているのではなく、私が私にそれを許しているということだ。

私がどんなメンヘラな言動をしようとも、彼はそれを受け止めてくれる。私も彼がメンヘラな言動をすればそれを受け止める。私達はお互いが一番つらい時に支え合う、という点で繋がっている。

ポリアモリーではなく浮気をする人

彼はポリアモリーではない。端的に言えば、浮気をするタイプの人間だ。彼にはパートナーがいるが、私と彼が交際するとしても、彼はパートナーに合意をとることはない。
その関係性に、私は加わるつもりがない(要は、彼の浮気相手になる気はない)。

だから少なくとも今は、私と彼とはいわゆる ”パートナー” はならないつもりだ。
だから私と彼は、お互いにつらい時に支え合う感情的な繋がりはあっても、あくまでも両想いの ”便宜上、友達と呼ぶしかない関係” に留まっている。

クワロマンティックとして大切な人達。「恋人 or 友人」ではない関係

恋愛のパートナーでも性愛のパートナーでもない、クワロマンティックとしての私にとって大切な人達。

彼らとの関係は、私にとっては「恋人 or 友人」という二者択一の枠組みの中には収まらないものだ。いつか彼らとはいわゆる ”正式な” パートナーになるかもしれないし、ならないかもしれない。

何か分かりやすい形に嵌め込もうとするのではなく、それぞれの人と、かけがえのない関係性を築いていけたらと思う。

 

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