ここ数年で、公立中学校における制服を性別に関係なく、スラックスかスカートかを選択できるようにしている学校が急激に増えています。私が学生だった約10年前にも、一部の共学私立高校で制服を選べるところはありましたが、これはあくまで女子がスラックスも選べるというもので、今回の「性別に関係なく選べる」とは似て非なるという印象です。
「LGBT」は制服で生きづらさを抱えている?
「LGBTの学生向けの制服」という言葉が使われているのは、良くも悪くも、ここ数年で「LGBT」という言葉が浸透したことによる影響でしょうか。しかし、度々目にする「LGBT当事者向けに~」などという表現。果たして、制服を選択できるようにする理由はLGBTQの学生のためなのでしょうか。
LGBTQ当事者全員が従来の制服を嫌がっているわけではない
制服がスラックス・スカート選択制になったというニュースでよく「LGBTの学生に配慮して」という文言を見かけます。しかし、少し考えれば、LGBTの学生全員が制服で尊厳を踏みにじられたとか、生きづらさを感じているわけではないということが分かるはずです。
レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルはジェンダーオリエンテーションのことであり、ジェンダーアイデンティティとは関係ありません。つまり、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルは従来通り周りから認定されている性別で用意された制服を着ていても、必ずしも自分の望む性別と異なる扱いを受けているということにはなりません。
本当はトランスジェンダー向けだと分かっている
しかし「LGBTと制服」に関する記事を読んでみると「自分の性別に違和感を持つ生徒が、自分の望む制服を選べるようにするため」などと記載されています。制服選択制を導入する自治体や、記事を書いている記者が、実際にはトランスジェンダーのことを考えて制服改革に踏み切ったと捉えていることは明白です。
しかし、だからこそ「LGBT」と他のセクシュアリティも一括りにしたような表現をされると、LGBTQ当事者を一緒くたにして捉えられているのではないかと、少し不安を覚えてしまうのです。個々の抱える不安や問題は違うので、「制服を選択制にできればOK」ではなく、一人ひとりのフォローやケアにも注力してもらいたいなと思います。
知識ある他人事層
2021年4月8日、電通からLGBTQに関する調査の取りまとめという、非常に興味深い調査結果が発表されました。
「知識ある他人事層」
この電通の発表した調査報告の中には興味深いものが多いので、もしまだ読んでいない人がいたらぜひ目を通してもらいたいのです(図解が多く用いられており、とても読みやすいです)。
その中で私が一番興味深いと思ったものが、LGBTQ非当事者がLGBTQに対してどのようなスタンスを取っているかを電通独自に分類したものです。この中で最も多かったのが「知識ある他人事層」だと言います。この層は、LGBTQについての知識はある程度あるが、自分の身近にLGBTQ当事者はいないと思っていて、LGBTQの生きづらさや問題を他人事だと感じているというグループです。
先ほどのような「LGBTと制服」と書くような人々は、まさに「知識ある他人事層」なのではないのかと思います。
まさに執筆者が「知識ある他人事層」?
もっとも、電通の取りまとめの発表記事では、LGBTQ非当事者のことを「ストレート層」と表現しています。シスジェンダー・ヘテロセクシュアルの人を「ストレート」と表現していることこそが「知識ある他人事層」を体現しているように他ならないのですが・・・・・・。
しかしながら、LGBTQ非当事者の中で「知識ある他人事層」に次いで多い層が「アクティブサポーター層」、LGBTQに関する知識もあり、差別解消や周知に向けて積極的に行動をしている、いわゆるアライであることは、とても嬉しいなと感じました。
「LGBTの学生向けの制服」のメリット?
制服の話に戻ると、自分が学生当時だったことを振り返ると「LGBTの学生」という表現にもメリットを見出せるかもしれないと思いました。
若いうちはセクシュアリティが分からなくて当たり前では?
制服で、嫌悪感のあるスラックスやスカートの着用を義務付けられることで、尊厳を傷付けられる当事者はトランスジェンダーの学生です。しかしながら「LGBTの学生向けの制服」とすることで一つだけメリットもあるかもしれないなと、最近思うようになりました。
学生当時、私がセクシュアリティで悩んでいるとき、私自身は制服に対してそこまでの嫌悪感を抱いていませんでした。一方で、セクシュアリティには悩んでいたものの、今ほど問題を整理できていませんでしたし、自覚的でありませんでした。
つまり、自分がレズビアンなのかトランスジェンダー男性なのかなどと、ジェンダーアイデンティティとジェンダーオリエンテーションを一緒に考えて混乱していたのです。もちろん、ジェンダーアイデンティティとジェンダーオリエンテーションは別のものとして捉えるということなど、当時は知る由もありませんでした。
「LGBTの学生向けの制服」と書く、唯一のメリット?
現在、学校の授業や教科書内でLGBTについて触れる機会が増えたといいます。ジェンダーアイデンティティとジェンダーオリエンテーションを別々に考えるという知識も、学校で早期に得られることもあるかもしれません。
しかし、そういった知識があったとしても、学生のときは特に自分のアイデンティティや考えが揺れ動くことも少なくないと思います。自分のことを明確にトランスジェンダーだと自覚できる子どもの方が、むしろ少ないのではないでしょうか。
そういった、例えば漠然とセクシュアリティに悩んでいることだけは自覚的な私のような子どもは「LGBTの学生向けの制服」という言葉を聞いたら、自分の望む制服を選ぶかどうかは別にしても、自分のような者向けの制服が用意されているのかと、「トランスジェンダー当事者向け」と呼び掛けられるよりも意識が向くきっかけにはなるのではないかと思ったのです。
みんなのための制服
しかしながら、「LGBTQ学生向け」にしても、「トランスジェンダーの学生向け」にしても、そもそも “制服改革” はLGBTQ当事者の学生たちだけに向けられたものなのでしょうか。
レズビアン、ゲイ向けの制服?
ここまで、散々「LGBT学生向けの制服」という言葉に疑問を呈しました。しかし、理論をこねくり回せば、「LGBT学生向けの制服」という言葉も必ずしも間違いではないとも言えます。
例えば、ボイのレズビアンの生徒がいたとします。この生徒はトランスジェンダーではありませんが、普段からボーイッシュな服装を好みます。よって、スカートとスラックスどちらかを選べる状況であれば、スラックスを選びます。こういった状況を考えれば、「レズビアン向けの制服」という言葉も、成立しなくもありません。同様の理由で、女性装を好むゲイの生徒がスカートを選べば、「ゲイ向けの制服」と言えなくもありません。
選択肢が多いことに越したことはない
ただ、この考えにはやはり少し無理があります。トランスジェンダー当事者が尊厳を保つために自身の望む制服を選ぶこととは違って、ボイのレズビアンの生徒がスラックスを選ぶことと、ヘテロセクシュアルでボーイッシュな服装を好む女子学生がスラックスを選ぶことには、「そういった性表現を好む」というだけのことであって、何ら大差がないように思えるからです。
そう考えると、制服を選べるようになるとメリットを享受できるのはトランスジェンダー当事者だけでもLGBTQ当事者だけでもなく、すべての生徒ということになります。つまるところ「LGBTの学生向けに改善しよう」と考えていたことが、みんな幸せになる選択肢を増やすということだったのです。
「LGBTの学生向けの制服」の大きなデメリット
しかしながら、どう考えたところで「LGBTの学生向けの制服」という言葉が生み出すデメリットの方が大きいと言わざるを得ません。
アウティングの危険
ここまで、どうにかこうにか「LGBTの学生向けの制服」という言葉から見出される良い点も探ってきました。しかしながら、やはりこの言葉がもたらすデメリットの方が大きいでしょう。すなわち、アウティングの危険性です。
「LGBTの学生向けに、性別関係なく制服を選べるようにしました。さあ、好きなものを選んでください」と言われてしまうと、例えば戸籍が女性の生徒がスラックスを選択したら、その学生のセクシュアリティが実際にどうであろうと、周りから「あの子はトランスジェンダー男性のようだ」と思われてしまう可能性が出てきます。
この場合、セクシュアリティを隠しているトランスジェンダー当事者こそが、アウティングを懸念して最も自身が欲しい制服を選びづらい状況になってしまいます。せっかくトランスジェンダー当事者が生きやすいようにと考えた施策なのに、これでは本末転倒です。
もっとも、私が学生時代を過ごした頃と比べて、LGBTという言葉をよく見聞きするようになった今を過ごす学生には、たとえ大人が「LGBTの学生向けの制服」という言葉を使っていたとしても、みんなのための制服であると理解できていて、私の考える懸念は杞憂に過ぎないかもしれません。
ついては、制服改革を推し進める(LGBTQ非当事者の)大人には、制服の変化は必ずしも「LGBTの学生向け」でも「トランスジェンダーの学生向け」でもないこと、「LGBTの学生向け」を全面的に押し出すと、むしろ一番に手が届いて欲しいトランスジェンダー当事者こそ選びづらくなるかもしれない、ということに目を向けて欲しいと思います。
「LGBT向けトイレ」?
「LGBTの学生向けの制服」に関連して、「LGBT向けに用意しました!」という “不思議な” ものの最たる例は「オールジェンダートイレ」と言えるでしょう。
これは、ジェンダーやセクシュアリティに関係なく誰もが使っていいトイレとして、一時施設に用意されたことがありました。車いすユーザーや身体障碍者、小さな子どもをもつ親が利用する「だれでもトイレ」とは異なる名称で設置されたというのも「オールジェンダートイレ」の特徴の一つです。
しかし、このトイレを利用することこそ、自分がLGBTQ当事者だとアウティングする可能性のあるものと言わざるを得ません。いくらジェンダーフリーだと言ったところで、シスジェンダーの人は従来通り男子・女子トイレを使用するからです。トランスジェンダー当事者もそれまで使用していたトイレを使用するでしょうし、結果として「LGBT向けのトイレ」は誰も使われないという結果になります。
「LGBT向けのトイレ」と同じように、「LGBTの学生向けの制服」も結局、誰も利用しないということにならないよう、願うばかりです。
◆参考情報
・電通「LGBTQ+調査2020」を実施
https://www.dentsu.co.jp/news/release/2021/0408-010364.html