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Writer/HIKA

【中絶の権利】女性だけの話じゃない―除外されるLGBT

9月28日は、安全な中絶を選ぶ権利を求める日「国際セーフアボーションデー」。TwitterやInstagramでも、フェミニストのアクティビストが話題にしたり、デモが行われたりしたことで知った人もいるかもしれない。それらで目にしたのは「女性の権利だ」という言葉。今回は、中絶の権利を求める日本での運動に使われる【言葉】について、LGBTの立場から考えてみたい。

日本における中絶の権利とは

LGBTの視点を語る前に、まずは中絶の権利とは何か、なぜ重要なのかというところから話していこうと思う。

中絶の権利

中絶の権利とは、妊娠した人が自らの意思で安全な中絶にアクセスできること。

世界保健機関(WHO)は、

”中絶の権利のためには、すべての人が幅広い中絶のサービス(中絶の情報、中絶ができること、中絶後のケア)が受けられるようにならなければならない。これらのサービスを、安全に、必要とするときに手ごろな価格で、尊重されてできないとあれば、女性や女の子は身体のみならず、精神や社会的健康が危険にさらされる”

としている (ここでのWHOによる「女性や女の子」という表現への指摘はいったん置いておく)。

言わずもがな、中絶の権利は重要だ。これが確保されていなければ、意図しない妊娠をした人が、自らの意思で自らの身体やその後の人生を守ることができなくなってしまう。

意図しない妊娠は、たくさんの人にとって身近な恐怖だと思う。レイプはもちろん同意した性交渉においても、避妊が失敗することは十分ありうることだ。

私自身、避妊を失敗してしまったのではないかと恐怖するときが、これまで何度もあった。一瞬の出来事によって、自分のその後が180度変わってしまうのではないかという、あの恐怖・・・・・・。

結果妊娠はしていなかったが、もしあのとき妊娠していたら一体どうなってしまったんだろう。想像するだけでこんなに怖いんだから、実際にそういった状況に追いやられた人たちの気持ちは計り知れない。

でも、そんなときに妊娠した人が自らの意思で自分を守ることができないのが、「中絶後進国」日本なのである。

「中絶後進国」日本のリアルー中絶の権利のなさ

日本は、「中絶後進国」と呼ばれている。

なぜこんな不名誉な称号がついているかというと、日本は中絶の権利に関して世界的に遅れているからだ。人工中絶の状況について確認してみよう。

世界的に押し勧められていて、手術をせず中絶ができる「経口中絶薬」という飲み薬の使用は、2022年9月現在、日本では許可が下りていない。

経口中絶薬とは、手術せずに中絶を行える飲み薬だ。妊娠後72時間以内に飲むことをすすめられているアフターピルとはちがい、それ以降に飲むことができる。

議論が進められているようではあるが、その経過を見ると、たとえ許可が下りたとしても自分の意思で安全に中絶できる方法にはならなそうだ。

というのもその飲み薬、かなり高額(一説では10万円)な費用が必要になる可能性がある。さらに驚きなのは、この飲み薬の使用のためには他の人工中絶の際同様、性交渉をした相手の同意が必要(*1)(*2)で、医師の前で飲まなければいけないという規則が設けられようとしていることだ。

(*1)レイプの場合を除く。
(*2)法律上は婚姻関係にない相手の同意は必要ないのだが、婚姻関係にない場合でも同意を求める医師が一定数いるというアンケート結果がある。

このことの問題点は、2つあるように思う。

まず、これでは中絶を望む人の安全が守られない。高額であったり、相手の同意が必要であったりすることは、中絶を必要とする人を阻む大きな壁になるだろう。

従来からの中絶方法は、現在、承認申請の結果待ちである経口中絶薬よりもさらに高額であり、結果中絶ができず、望まない出産や危険な中絶方法を選ばざるを得なくなる人もいるようだ。当事者へのインタビューを見ると、実際にこういったケースが挙げられている。

次の問題は、人権だ。妊娠した人が自分の意思で中絶にアクセスできないのは、明らかにおかしい。まるで、妊娠した人の身体はその人本人のものではなく、他人の所有物であるかのような思想が、ここにはかいまみえる。

こういった問題点から、日本では中絶の権利を求める運動が起きている。冒頭に述べたようなデモやSNSでの情報拡散、署名活動などだ。そして9月28日には、国際セーフアボーションデーを迎えた。

今後、中絶の権利はどうなっていくのだろうか。

せっかく声を挙げた人や中絶の権利を求める人の願いがかき消されてしまわないよう、私たちはどうしていくべきなのだろう。

中絶は「女性」だけの話? LGBTとの関わりは?

そもそも、中絶は「女性の権利」という言葉が、国際セーフアボーションデーに合わせた運動でも、社会的な認識においても共通していると思う。

でも、私は「女性の権利」という言葉には違和感がある。違和感の正体をLGBTの立場を踏まえて探ってきたい。

中絶は「女性の権利」。締め出されるLGBTの中のL・B・T女性たち

中絶の権利を求める現在の運動は、LGBT内のLBT女性を締め出している。

私がこのことに気づいたのは、中絶の権利を求める運動で使われた「女性の権利」という言葉を見ていたときだった。

女性にもさまざまな性のあり方があって中絶との関係も異なるのに、何故、中絶の権利は女性みんなに必要であると聞こえる表現をするのだろう? と疑問に思った。

たとえばシスジェンダー・ヘテロセクシュアルの女性以外にも、LGBTのLレズビアン女性、Bバイセクシュアル女性、Tトランスジェンダー女性がいる。

それぞれ、中絶との関係も異なる。レズビアン女性やトランスジェンダー女性が性交渉する場合、自らが中絶するために権利を必要とすることはないだろうと思う。バイセクシュアル女性は、性交渉をする相手により必要とするときしないときがさまざまだろうと思う。

それなのに「女性の権利」という言葉で女性を一緒くたにして【中絶=女性全員が必要なもの】という方程式を作ることは、女性だがシスヘテロ女性のようには中絶の権利を必要としない人たちを、女性ではないと表しているような印象を与えてしまう。

中絶の権利を必要とするGとT

さらにいえば、女性以外にも中絶の権利を必要とする人はいる。たとえば、中絶を必要とするトランスジェンダー男性、ノンバイナリーもいるだろう。

ホルモン療法、性別適合手術などをしていない未治療のトランスジェンダー男性で、性愛対象が男性、つまりゲイならば中絶の権利が必要かもしれない。また、ノンバイナリーも自分と相手によっては同じように妊娠の可能性があり、中絶の権利が必要かもしれない。

私自身ノンバイナリーだが、中絶の権利の必要性は強く感じている。私の身体の性は女性、バイセクシュアルで、パートナーはシスジェンダーの男性だ。私は彼と性交渉をするときがあるが、冒頭に述べたように妊娠したかもしれないと恐怖する瞬間がこれまで何度もあった。

私は女性ではないけれど、中絶の権利が欲しいと強く思っている。「女性の権利」という言葉は、私のように女性ではないけれど権利を必要とする人の存在を否定することにもつながってしまう。

LGBTが除かれて起こる問題-中絶の権利を求める運動の裏で

女性という言葉で中絶の権利を求めたとき、見えなくなったりこぼれ落ちたりするLGBT当事者がいる。このことはどういった問題をうんでしまうのだろうか。

LGBTを除外してしまう

「女性」という言葉を使うと、LGBTをのけ者にしてしまう。

シスジェンダー・ヘテロセクシュアルの女性のように中絶の権利を必要としないLBT女性は、「女性」という枠組みの中からはじき出されてしまう。

さらに、女性以外に中絶の権利を必要とする人たちは、「女性」でないため中絶の権利を求めるに値しないとレッテルを貼ることにもつながってしまう。

たとえ意図していなかったとしても、こういった行為は人を深く傷つけてしまう。私も、自分は権利を値するにふさわしくはない重要でない存在のように思い、運動の様子を見ながら傷ついていた。

そして、LGBTの友人たちも傷ついているかもしれないと心配していた。

中絶の権利を手に入れられる人が少なくなる

今後、中絶の権利を求める運動が実を結びかもしれない。そうなれば素晴らしいが、このままの運動では、女性以外に権利を必要とする人がこぼれ落ちてしまうかもしれない。

なぜなら、権利獲得のきっかけになる運動で主張されるのは、「シスジェンダー・ヘテロセクシュアルである女性」の権利であって、そこに入れない人たちの権利ではないから。

権利の傘の下にはトランスジェンダー男性やノンバイナリーは入れない・・・・・・。こんなことが起きてしまう可能性がある。

中絶の権利を求める運動が孤立してしまう

参加者が減って運動が孤立してしまうかもしれない。

たとえば私は、中絶は「女性の権利」という言葉に傷つき、一瞬心を閉ざしてしまった。ノンバイナリーの私は、中絶の権利を訴えてもいいような重要な人間ではないと言われているような気がした。

そして同時に、女性という言葉で一緒くたにされたさまざまな人たちのことを考えた。仲間外れにされたような、そんな寂しい気持ちになっているのではと思いをはせていた。

そういう状況で、仲間に加わって一緒に戦おうとすることは難しいと思う。

結果、運動にはシスジェンダー・ヘテロセクシュアルの女性のみが加わり運動のサイズや影響力が小さくなるのではないか。

これからの新しい運動のかたち―LGBTもそうでない人も一緒に!

ここまで話してきたLGBTの立場から見た問題点を踏まえて、中絶の権利を求める運動についてまとめたい。

日本の中絶の権利のなさはみんなの問題

今後の運動は、属性を超えてみんなで取り組むべきだと思う。

シスジェンダー・ヘテロセクシュアルである女性以外にも中絶の権利を必要とする人、直接中絶の権利を必要としない人、みんなで一緒に取り組んだら実は簡単に目的は達成するんじゃないだろうか。

1984年のイギリスで、レズビアンとゲイ、炭坑労働者が、互いの権利のために立場を超えて立ち上がったように。

嫌悪で分断されるよりも、愛の力でつながっていきたい。

LGBTを中絶の権利や運動から除外しないために

たくさんの人がつながっていくためには、中絶の問題を語るとき気を付けなくてはいけないことがある。

「女性の権利」という言葉の使用だ。LGBTを除外してしまうことは避けなくてはいけない。

LGBTを除外するのではなく属性の違いを認め合い協力する方向にいってほしい。

LGBTの友人たちへ―私たちらしく一緒に立ち上がりたい

最後に、中絶は「女性の権利」という言葉で除外されてしまった側のLGBTの友人たちへ。私の考えを共有させてもらえたらと思う。

除外されてしまったとき、悲しいと思う。自分の存在が認められないことのむなしさは、私たちLGBTがよく知っている感覚だから。

その感覚は非常に強力で、誰かにぶつけたくなるときがよくある。特に、自分より機会に恵まれている人が声を挙げたとき。自分の方が苦しんでいるのに、なぜあなたが・・・・・・と、恨めしく思ってしまう瞬間が、私にはある。

でも、この感覚に飲み込まれてしまっては、私たちらしさを失ってしまうと思う。

私たちは社会のシステムによって与えられる痛みをよく知っている。なのに同様に社会のシステムによって傷ついている人を恨めしさから黙らせてしまっては、私たちの存在を否定してきた社会と同じように暴力的じゃないだろうか。

他者の痛みによりそって一緒に声を挙げる方が、私たちらしい戦い方だと思う。

もちろん自分の思いを伝えることはとても大事なことだ。でも、それをせっかく勇気をもって声を挙げた人を黙らせる目的に使ってはいけない。私たちの敵は、声を挙げた人たちじゃないんだから。

中絶の権利を巡る運動でも、私たちらしさをもって社会の理不尽に一緒に立ち上がりたいと私は思う。私たちにはそれができる。

これまでつながらなかった人たちとつながれば、お互いの未来が明るくなるかもしれない。

■参考情報
Abortion | World Health Organization
国内初「経口中絶薬」承認申請 手術を伴わない選択肢 | NHK政治マガジン
【詳しく】経口中絶薬 どんな薬? 安全性と副作用は? 費用は? | NHK
揺らぐ ”中絶の権利” 日本の現実は | NHK

 

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