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Writer/雁屋優

LGBTから結婚を考える

台湾でアジア初の同性婚法制化が実現するなど、国際的には同性婚の実現が進んでいます。日本でも同性婚を望む人がいます。しかし、そもそも結婚とは何なのでしょうか。適齢になったら結婚するものだ、しない人は何かおかしいという価値観が未だに残っているこの国で、結婚するとは、結婚しないとは、どういうことなのでしょうか。私、雁屋優の結婚観の変遷と思索とともに、 考えてみたいと 思います。

「結婚しなきゃ」から「しなくてもいいか」 まで

小さな頃に私が読んだ絵本のお姫様の隣には、王子様がいるものでした。ハッピーエンドはこう締めくくられるのです。“王子と結ばれ、しあわせに暮らしました ” ハッピーエンドは、お姫様が王子様と結ばれること。でも、しあわせって、それだけですか? 今、私は結婚からしあわせを問い直します。

結婚した人々に囲まれて

私を育てたカップルは、ヘテロセクシュアルの人々です。この国で結婚できるのは異性同士だけなのですから、当然だと言われればそうかもしれません。そして、保育園や小学校で出会う子ども達の親も、ほとんどがお父さんとお母さんで構成されていたのです。まれにお母さんのみ、お父さんのみの人もいましたが、それは “普通” ではないのだと大人たちの言葉から察してしまいました。

子どもが大きくなってくると、「どうやって生まれてきたの?」という質問が飛び出て、親はどう答えようか頭を悩ませるといったシーンは、どのご家庭でもあるのかもしれません。とても悩む質問ですよね。子どもの年齢に合わせて、理解できる答えを真摯に返したいと思えばこそ、悩みます。

そんな質問をして、私がもらった答えは「パパとママが結婚して、赤ちゃんが欲しいと思ったからあなたが生まれてきたんだよ」でした。子ども相手としては及第点といったところでしょうか。これを聞いた私は、“赤ちゃんって、結婚しないとできないのか” と思って数年過ごすことになります。

結婚するものと刷りこまれた瞬間と違和感

いずれ結婚するものという価値観を、強烈に刷りこまれたなと今思い出すものが、二つあります。一つはひなまつり、もう一つは家事の際の親の言葉です。

ひなまつりは桃の節句ですよね。私の家では桃の花を買ってきて飾り、ひな人形を出していました。ひな人形は美しく、そのつややかな黒髪やきれいな着物に私は見とれていました。ひなまつり当日には母が腕を振るって、ちらし寿司などを作ってくれるので、それも楽しみでした。とてもおいしいし、しあわせな気分になるのです。二月の中頃からずっと、ひな人形を眺めながら、生活するのも楽しかったのです。

しかし、何だかもやもやすることもありました。それが、「ひな人形を早くしまわないと嫁に行き遅れる」という話を親がすることでした。行き遅れるとはどういうことか、意味がわかるようになると、私は疑問に思うようになりました。“行き遅れるのは何かいけないことなの?” と。

そして、決定的だったのは、家事を手伝っているときに、不器用な私にかけられる言葉でした。私はとにかく不器用で料理も洗い物も、何もかも今でもうまくありません。そして母は料理上手。献立に悩むと言いながら、何だって作ってしまう人です。家事ができないことを、それだけでまるですべてができそこないのように言われました。そのなかの言葉の一つが、「そんなんじゃお嫁に行けない」でした。

その頃にはとうに家事へのやる気など失くしていたので、私はあることに気づいてしまったのです。それは、母の言う通りなら、“お嫁に行かないなら家事ができなくてもよい” ということです。家事ができなくても、生きていける道はあるのです。

一人で生きていきたい! は異端?

このことに気づいた幼い私の発言は、「一人で生きていく」に変わりました。結婚しなきゃと思っていたけど、どうやら自分には無理そうだし、そもそもそんなことして 結婚したいとも思いません。何より私は孤独を愛していました。

そんな風に言うようになった私を見る大人の目は何だか変でした。今思えばそれは冷ややかな視線であったし、かわいそうなものを見る目でもありました。私は誰にも縛られない生活最高! と思っていましたし、今もそうです。

結婚しなきゃいけないのかな、という思いは徐々に薄れていき、大学の時にとある友人に出会ったことで、完全に消失しました。今は結婚しなくてもいいか、と自分の選択を肯定できています。しかし、結婚はしなくてはいけない、という圧を感じることもあります。それが、この社会のもつ歪みの一つであると私は感じています。

同性愛と結婚

同性婚について初めて知ったときのことを、正確には思い出せません。同性のカップルが結婚するということが世界ではあるのだということを知り、私の価値観は揺さぶられました。

同性婚という言葉を知った

子どもはお父さんとお母さんから生まれて、お父さんとお母さんに育てられるのがしあわせだ、という世界だけではないのだと、思い知りました。そして、同性という理由で結婚という強い結びつきを得ることが、この国ではかなわないということも、知りました。

同性婚が認められている海外のことも、調べてみました。しあわせそうに微笑むカップルの様子は、どこか遠い世界のことのようでした。いえ、実際に遠い国の話で、日本の話ではなかったのです。“世界にはこんなしあわせもあるんだ” という認識でした。

アジア初の同性婚法制化

遠い遠い国のことだった同性婚も、アジアにまで近づいてくることになります。オランダなどは行く可能性は低い遠い国でしたが、台湾ともなれば、話は違います。格安で旅行に出かけられる地域ですし、交流もさかんです。ヨーロッパよりはぐっと身近なところでの同性婚法制化でした。私は、喜ばしい、と思う一方で、何だかもやもやと不安を抱えることになりました。この不安の正体がわからず、しばらく悩むことになります。

「女の子と結婚しても驚かないよ」で気づいた

そんな私のもやもやの正体は、ある日突然に解き明かされます。それは母の「女の子と結婚したい、って連れてきても驚かないからね」という言葉でした。私はそれに何と返したか覚えていません。返した言葉はあまり重要ではなく、思ったことが重要なのです。そういわれて初めて、私は同性婚ができるようになったとしても、女の子と結婚したいとは思わないことに気づきました。私が結婚したい相手は、女の子でも男の子でもなく、きっと自分自身。そのことに気づくまでに随分と遠回りをしました。

「女の子と結婚しても驚かないよ」と親に言われたい、という人もいるかもしれません。そのこと自体は否定しません。しかし、私にはそれは嬉しくなかったのです。

LGBTは同性愛者だけではない

LGBTを語るとき、「同性婚を望んでいる、同性愛者の人達だよね」と大雑把に語る人がいます。日常に、TVに、ネットに、そんな人が見受けられます。そうじゃないんだけどな、もしかして、同性婚を実現したら、LGBTの問題は片付いたということにしたいのかな、などと考えてしまいます。

LGBTのなかの多様性

同性愛者も結婚したい人ばかりではありませんし、そもそもLGBTに括られる人たちが皆、結婚を求めているとするのはあまりに大雑把過ぎます。円周率を3にしてしまうより雑ではないでしょうか。

LGBTのなかにもアセクシュアルやノンセクシュアルといった人がいます。結婚を望んでいない両性愛者、同性愛者など、様々な人達がいます。一括りには決して語れません。私はそのなかの、何でしょうか。性自認は模索中で、アセクシュアルとノンセクシュアルを揺れ動き、結婚は望んでいない。一人で生きて一人で死にたいと、日々口にする人間です。さきほどのもやもやは、同性婚の法制化を目指して動いていくなかで、私が透明にされないかという不安だったのです。

異性愛が当たり前からどう変わるべきか

少し前まで、異性愛以外は異端であるかのように語られてきました。今でも差別的な表現や発言は見受けられますが、それを差別だと認識しなくてはいけないことだと正す人達もいます。異性愛が当たり前の時代から、やっと変わろうとしています。でも、私はまだ不安です。なぜなら、異性愛が当たり前の時代から、異性でも同性でも誰かを愛し結婚するのが当たり前、に変わってしまったら、それはやっぱりつらいからです。私は結婚を望んでいないのです。誰とも結婚したいと思わないのです。

制度の一つとしての結婚

日々目にする婚活関連の広告には「〇〇歳にもなって一人・・・・・・ ?」と、不安をあおるようなものもあります。そういったものに惑わされなくなった私ではありますが、こう何度も目に入ると正直不快です。結婚は制度の一つでしかなく、結婚するもしないも自由のはずです。そのはずなのに何故、結婚しないといけないといった価値観が根強いのでしょうか。

結婚は制度の一つでしかないはず

そもそも、結婚とは制度の一つです。日本では、一夫一妻のカップルにのみ使用が可能な、かなり強い契約です。その効力の強さをよしとする人もいれば、私のように回避したい人もいるでしょう。結婚はいいものとも、悪いものとも言い切れないのです。人によって見方も感じ方も変わるものなのです。

家族を多様に

結婚することを家族ができると言うことがあります。ですが、家族は本当に結婚してできる以外の方法ではつくれないのでしょうか。例えば、友達と同居するのだって、家族の一つの形ですし、お父さんとお母さんが別のところに住んでいるのだって、家族の一つの形です。お父さんとお父さんだっていいし、子どもをもたなくたって、いいのです。家族というものがこれからどんどん多様になっていくと思います。それは歓迎すべきことです。従来の価値観にとらわれず、新しい家族の形がたくさんあらわれ、「それもいいね」と言い合えるようになった頃、結婚しなければならないという呪いは解けるのだと考えています。

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