02 自己主張の強いキャラからおとなしいキャラへ
03 昔から家庭に不穏さを感じていた
04 衝撃だらけのアメリカ留学
==================(後編)========================
05 帰国後、イベント企画サークルへ
06 イベントを通して気付いたこと
07 LGBTを取り巻く環境
08 アライを名乗ることの素晴らしさ
01違いを認めるイベント活動
「NGO Diversity cafe」 の立ち上げ
現在、法政大学に通う4年生。
大学生活は残りわずか。
「今は大学に通いながら、けっこう好きなことをしてます(笑)」
好きなことの一つは、自身が運営する「NGO Diversity cafe」の活動だ。
半年前に立ち上げてから、数人のメンバー・協力者とともに、主にイベントの企画・運営をしている。
コンセプトは、「あなたが、あなたで、いられるように」。
「カフェ」という名前はついているが、店舗を持っているわけではない。
「現状の活動はイベントがメインですが、ハウルの動く城的に動きますっていう感じです(笑)」
今、私がやりたい3つの活動
Diversity cafeがおこなう活動は、今のところ大きく3つ。
1つ目は、「ダイバーシティ・インクルージョン」を自分ごとに感じてもらう勉強会。
「社会でマイノリティとされているLGBT、外国人、障害者、宗教などのテーマを扱い、どうしたら互いの違いを認め合えるようになるか、勉強し合っています。」
2つ目は、相手が安心して話せる「聴き方」を学び合うとともに、自分の心とも向き合う「褒めカフェ」。
「褒めカフェは、相手にとって大事な過去のことについて丁寧な ”聴き方” を学び合い、実際に参加者同士でお互いの ”過去” を聴き合う場です」
「それだけでなく、自分の過去を話しながら、自分の ”心” とも向き合う場です」
褒めカフェの言う「褒める」とは、「すごい」と称えることではない。
「相手の人生を聴いた後に、決してうわべじゃなくて、本当に思った共感や肯定の言葉を伝え合います」
「あなたという ”人” に対して肯定の言葉を言い合える、そんな安心な場を参加者の方とつくっています」
3つ目は、オーダーメイド型のスピーチや授業。
直近では、都内の私立高校でジェンダーの授業をする予定だ。
Diversity cafeでは、メンバーの誰もが自由にプロジェクトを立ち上げられる。
「誰もが ”心理的安全” を感じられる社会を目指して、自分とは違う部分も同じ部分も肯定できる人を増やす活動であれば、どんなプロジェクトでもOKです」
「とりあえず、やってみよう!」と、立ち上げてまだ半年。
「未来のことは分からないけど、スピーチで話したり、メンバーの企画の相談に乗ったりして、社会人になってもDiversity cafeには関わっていきたいですね」
02自己主張の強いキャラからおとなしいキャラへ
ディズニー映画狂
東京生まれの一人っ子。
両親と3人暮らしの家庭で育った。
幼少期から、ディズニー映画が大好き。
「プーさんは、3歳くらいまでに300回以上観てます(笑)」
「ちょっと強烈ですよね(笑)」
「お母さんがディズニー映画のノイローゼになるくらい、ハマりすぎちゃったんです」
そこまでディズニー映画にのめり込んだ理由を振り返る。
「大人になった今、考えると、ポジティブな気持ちをプレゼントしてくれる、そんな時間だったのかな」
「あなたにもできるよとか、あなたは居ていいんだよとか、そういうメッセージを受け取っていたような気がします」
活発で自己主張の強い子は影を潜める
小学校時代は、活発で自己主張が強かった。
「ガキ大将みたいなキャラだったと思います」
しかし、中学入学を機に変わっていく。
中学受験をして入った学校では、育ちのいい子たちに囲まれた。
「そのなかで、自分を押してしまう性格が浮いちゃったんですよね(苦笑)」
新しい環境でも、最初は変わらず自己主張をした。
小学校の頃は、口喧嘩ではいつも言い負かす立場だったが、中学ではそうはいかない。
「で、入学して早々にハブられるっていう(苦笑)」
それまでは、友だち関係で悩むことはなかったが、はじめて一人になる経験をした。
「Go! Go! って勢いはあるんですけど、一回折られると、結構ヘコんじゃうんですよね(笑)」
「行動力がある一方で、センシティブな性格だと思ってます」
どうすればいいのかと考えた結果、自己主張を抑えればいいんだと思った。
自己主張を抑えてみたら、徐々にハブられることはなくなっていった。
「そのとき、言いたいことがあっても抑えていれば何とかやれるらしいっていう、変な成功体験を得たんですよね」
そんないきさつもあり、活発だった性格は影を潜めた。
「中学・高校時代は、仲良くなるまではおとなしいキャラでしたね」
星の王子さまをネタに語りたかった
9歳のときに出会った『星の王子さま』。
今でも、いちばん好きな本だ。
「世の中の当たり前に対して、いつも、何でだろう? って考える子だったと思います」
「それこそ星の王子さまみたいに、大切なものって何だろう? とか、美しいって何だろう? とか」
「あの本って、答えがないじゃないですか」
人生にとって大事なテーマをたくさん投げかけてくれるが、答えはいくとおりにも解釈できる。
「そういう、奥の深い感じが好きだったのかもしれません」
まわりにもよく、「どうして?」と聞く子だった。
聞く内容は、科学的なことより人の心のことが多かった。
「正直、大人からしたら面倒くさいことを真剣に考えてるような子だったと思います(笑)」
「何でそんなこと聞くの? って言われても、でも、それって人生で大事なことなんじゃないの? って」
「星の王子さまの話とかは、本当は友だちとディスカッションしたかったんです」
「でも、まわりにそんな子はいなかったから、私が一方的に語るみたいな(苦笑)」
「また、夏月が語ってるよ、ってよく言われてました(笑)」
03昔から家庭に不穏さを感じていた
足りないところを埋めるために
昔から、自分が足りないところは補わなければいけないと考えていた。
中学時代は、家事は嫌いだったが家庭科部に入る。
「日本で女の子が、家事が嫌いって言うと、あんまりいい目で見られないじゃないですか」
「裁縫とか料理とか、女の子はできなきゃいけないんだ、っていうプレッシャーがあったんです」
後の、大学受験でも同じ考えで志望校を決めた。
「数学が苦手だったんですけど、文系で数学がいちばん難しい大学を第一志望にしたんです」
成長するためには、弱みを克服しなきゃいけないと考えていた。
「別に数学なんかやりたくないけど、私は数学をやらないと、なるべき自分になれないんだって」
「当時の私は、自分の心の中にある弱みとか、人と違うところを認めることができなかったんだと思います」
家庭に感じた不穏な空気
漠然と成長したいと思っていた理由の一つは、家の中にあった。
子どもが、夫婦関係がうまくいっていないことに気付くのは難しいことではない。
両親の関係には、小さい頃から不穏さを感じていた。
「家に問題があると、一人っ子は、自分が解決しなきゃって思いがちです」
しかし、子どもにできることはあまりない。
「そこに、自分の無力感を感じてました」
だが、自分が成長したら、変わるかもしれないと思っていた。
「今は何もできないけど、私が頑張って成長したら、いつか自分の身の回りの大切な人が困ったときに助けられる人間になれるはずだって」
「今、あの頃を言語化するなら、そういう思考回路だったと思います」
両親の離婚
両親は、大学3年のときに離婚した。
「私が望んでいたのは、家族3人が笑顔でいられることでした」
家族3人が個々の人生のなかで笑っていられるなら、一緒にいなくてもいい。
みんながハッピーになれる形が離婚なら、それがベストだと思っていた。
「世の中的には、離婚って悲しいことだけど、笑顔になるための離婚なら何の問題もないんじゃないのかなって」
「家族って、いちばん近い距離感の関係じゃないですか」
「お父さんとお母さんはその距離感を選んだけど、本当は、その距離感の関係じゃなかったのかな」
「私も、毎週会いたい友だちもいれば、そこまで頻繁にはいいかな、って友だちもいたりするし(笑)」
あるべき距離感に戻れば、自然に笑顔に戻れるはずだ。
04衝撃だらけのアメリカ留学
大学2年、アメリカ留学へ
2年生のときに4ヶ月弱の間、アメリカに留学した。
留学先は、ネバダ大学リノ校。
ここでの生活で、大きなカルチャーショックを受けることになる。
留学の大きな目的は、英語の上達だった。
「だから、できるだけ多くの時間を現地の大学生と過ごしたくて、大学のボランティアクラブに入りました」
ボランティアクラブの活動内容は様々だった。
「たとえば、地域の子どもたちのためにクリスマスパーティーを開いたり、家にペンキを塗ったり、草むしりをしたり」
「いちばん面白かったのは、ゾンビランっていうイベントで、ゾンビメイクをして参加者を追いかけるボランティアでしたね(笑)」
初めて出会ったLGBT
ボランティアクラブで出会った仲間に、大いなる影響を受けた。
ボランティアクラブには、いろんな国、人種、セクシュアリティの子がいた。
「マイノリティであろうと、みんな自分のことを誇りに思っているんです」
「留学中にトランプが大統領に選ばれたんですけど、メキシコ移民の子も自分のことを誇りに思っていたし、なおかつ、他人のことも大切にしている」
「みんなが、お互いに違いを認めているんです」
ボランティアクラブで、初めて出会ったゲイの子と大親友になった。
そして、LGBTに関心を持つようになった。
「正直、最初はLGBTのことをまったく知らなかったので、ゲイの子ってどんな感じなの? って思ってました」
身構えるような気持ちがあったが、周囲のみんなは至って普通だ。
「あの人、左利きなんだよねって、ネタにならないじゃないですか」
「そういうレベル感で、ゲイであることなんてネタにもならないんです」
留学先では、1、2回くらいしか会ったことのない子に、センシティブな話を打ち明けられることがあった。
「家族から虐待されたとか、父親が何人いるとか、いつも通りの顔して言ってくるんです」
「日本だったら、そんな話、大親友に言えるかどうかじゃないですか!?」
自分自身、昔から悩んでいた家族の問題は、誰にも話したことがなかった。
「話しても理解されるわけない、言ったら嫌われちゃうと思ってたんです」
「でも、アメリカの友人は、かつての私が言えなくて苦しんでいたようなことを、あっさり言ってくるんです」
「普段の会話のなかで、ちょっと聞いてよ、みたいな感じで」
留学先では、自分自身のことも相手のことも大切に思う人たちに囲まれた。
そこには、「何でも言っていいんだよ」という、違いを認める雰囲気が満ち溢れていた。
<<<後編 2018/11/26/Mon>>>
INDEX
05 帰国後、イベント企画サークルへ
06 イベントを通して気付いたこと
07 LGBTを取り巻く環境
08 アライを名乗ることの素晴らしさ