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Writer/きのコ

リレーションシップ アナーキーでなくクワロマンティックを名乗る私

先日の記事『クワロマンティック』とは何か? 恋愛感情と友情を区別しないでは、自分がクワロマンティックであるということについて述べた。一方、恋人と友人を区別しないという文脈においては、リレーションシップ アナーキーという似たような意味をもつ言葉が存在する。それを踏まえてこの記事では、リレーションシップ アナーキーとクワロマンティックの相違点について説明したい。私はこれらの言葉を知った時、リレーションシップ アナーキーを名乗ることには抵抗があったものの、クワロマンティックについてはそうでもなかった。ここでは、その理由について考えようと思う。

リレーションシップ アナーキーとは

リレーションシップ アナーキーの定義

リレーションシップ アナーキーとは、社会や文化の規範に囚われずにあらゆる関係性のあり方を自らで決める、というあり方だ。この言葉は、アンディー・ノードグレンという人物によって2006年に作られた。The American Psychological Association(米国心理学会)のCommittee on Consensual Non-Monogamy(合意に基づく非一夫一婦制委員会)の共同議長 ヒース・シェチンガーは、リレーションシップ アナーキーの定義を次のように説明している。

リレーションシップ アナーキーとは、社会規範よりも独自の価値観を重視し、当事者同士で合意したルールに則り、関係を築くという哲学です。

リレーションシップ アナーキーは広い意味では、1対1の交際に捉われない「ノンモノガミー」の概念と重なる部分もあるといえる。ノンモノガミーの1種としては「ポリアモリー」が知られているが、「リレーションシップ アナーキー」はポリアモリーよりも10年近く後に作られた新しい言葉だ。

リレーションシップ アナーキーの原則

リレーションシップ アナーキー当事者は複数人と同時に関係性をもつ場合もあるが、合意があれば必ずしもノンモノガミーである必要性はない。

リレーションシップ アナーキー当事者は、他人との関係性において「この人は恋人」「この人は友人」「これは性的な関係」「これはプラトニックな関係」などと区別をしたり序列をつけたりすることはない。

すべての関係性に対して、それぞれがどのような形でもよいし、どのようなレベルのコミットメントでもよい、とするスタイルなのである。そして、リレーションシップ アナーキーの原則として知られているのが、「あらゆる人間関係に名前や優劣をつけない」ことだ。

「あらゆる人間関係に名前や優劣をつけない」という原則

関係性を名付けたくない

昔の私は、「パートナー」「恋人」「彼氏」「彼女」といったパートナーシップの言葉を使って関係性を名付けることに、かなり高いハードルを感じていた。ポリアモリーでありつつリレーションシップ アナーキー的なあり方にも共感を覚える私は、自分の結ぶ関係性をなかなか名付けられなかった。

誰かと「パートナー」とか「恋人」という肩書きを共有するためには、お互いに同じだけ強い好意がなくてはならない、さもないとその肩書きは暴力的な押し付けにもなりかねない・・・・・・と思っていたし、誰かとの関係性を「恋人」と名付けたのちにその本質の恋人らしさがいつしか失われ、”仮面夫婦” のように、肩書きだけが残って形骸化することが怖かった。

「恋人」や「夫婦」といった 関係性の名前を採用してしまうと、2人の関係性に目指すべき理想が勝手に設定されてしまう。そこで、社会で使われる関係性の名前を放棄しようと考えられたのがリレーションシップ アナーキーだ。

私としても、現代の「恋人」の定義に支配されたくはない。たとえば私とAさんとの関係は本来「私とAさんの関係」としか表現できないと思っている。「恋人」や「友人」などと表現することで何かが制限されたり、誰かからとやかく言われるくらいなら、そんな名称は必要ない。

リレーションシップ アナーキーへの違和感

しかし、関係性を名付けることが不要とはいえ、私としてはリレーションシップ アナーキーの「あらゆる人間関係に名前や優劣をつけない」という原則には、なんとなく違和感を覚える。これはこれでルールにすると却って煩わしい、とも感じるのだ。

端的にいえば、私は人間関係に名前や優劣を「つけてもいいし、つけなくてもいい」と考えている。人間関係に「名前をつけてはならない」とか、「優劣をつけてはならない」とか思っていない。

要はそこまで含めて関係者全員の合意があれば、人間関係に「恋人」とか「友人」とか名前をつけたっていいし、プライマリパートナーとかセカンダリパートナーとか、人間関係に優劣をつけたっていいと思っている。

人間関係に名前をつけることにはデメリットもあるけれど、メリットだって大きい。優劣をつけることだってそうだ。

一概に「人間関係に名前や優劣をつけない」ことが、あらゆる人間関係をよりよくするとは、必ずしも私は思っていない。だから、リレーションシップ アナーキーというあり方にはどこか微妙に乗り切れないでいるのだ。

クワロマンティックとは

主義とか主張としての「リレーションシップ アナーキー」

リレーションシップ アナーキーは、本人のセクシュアリティとか性質というより、主義とか主張という意味合いの強い言葉だ。

リレーションシップ アナーキーである人は、いわば、リレーションシップアナーキストだろうか・・・・・・? アナーキストは、直訳すれば「無政府主義者」である。国家権力や宗教など、一切の政治的権威と権力を否定する思想の持ち主という意味合いがあまりにも強くて、この名称はちょっと使いづらいような気もした。

私はもう少し「性質でもあり、主義でもある」みたいな雰囲気で自らを位置付けてみたかった。そう考えていた時に出会ったのが、「クワロマンティック」という言葉である。

セクシュアリティとしての「クワロマンティック」

クワロマンティックは、リレーションシップ アナーキーに比べるとはるかに「セクシュアリティ」の文脈が強く「人間関係を名付けない!」みたいな強い意志というより、「恋人と友人の違いが分からない・・・・・・」みたいな当事者の戸惑いをうまく拾ってくれる言葉だ、と感じた。

それでいて、「恋愛感情と友情を区別したくない」という意志もクワロマンティックという言葉で表現できるから、そのちょうど良さが気に入って、クワロマンティックなら自分を名づけるのに使ってもいい言葉だ、と思えるようになった。

クワロマンティックはリレーションシップ アナーキーと違って、「人間関係に名前や優劣をつけない」などと、関係性のあり方を定義してこない。あくまでも「恋愛感情と友情の違いが分からない」という状態だけを指すのに使っていい言葉だ。

もちろん、クワロマンティックであるが故に リレーションシップ アナーキーという生き方を選ぶ、という人もいていいし、クワロマンティックだけれど人間関係に名前や優劣をつける、という人もいていい。

そういう「規定しなさ」があるから、クワロマンティックという言葉の方を私は使いたいと思う。

関係性を名付けること、名付けないこと

「恋人になってください」と言われたら

今の私は、自分から「恋人になってください」などと、関係性をあえて名付けようとすることは基本的にしない。ただし、相手から「恋人になってください」と関係性を名付けることを希望された場合には必ずYesと答えることにしている。

そもそも私には ”恋人” が何かよく分からないし、”付き合う” が何かもよく分からないから、それを拒みようがない、と思っている。私自身は恋人でも友人でもいいし、付き合っても付き合わなくてもいいのだから、相手が恋人として付き合いたいのなら、ご自由にどうぞ、という感じだ。

束縛や排他性も基本的には好まないが、誰が相手でも絶対に嫌だ、というほど嫌なわけではない。そこも含めてお互いの合意があれば、モノガミーのかたちで付き合ってもいいし、排他的な関係性になってもいいと思う。

だから、恋人になるにせよ付き合うにせよ、「とりあえずやってみてから、嫌だったら話し合ったりやめたりすればいいかな」と考えている。

リレーションシップ アナーキーを名乗る人、名乗らない人

クワロマンティックの知人に、「あえて関係性を『恋人』と名付けないようにしている」と自分のライフスタイルを説明してくれた人がいた。彼曰く、恋人という” 名付け” や ”付き合う” という営みに含まれる排他性や束縛の空気が嫌なんだそうだ。

彼の気持ちは私もよく分かるが、一方で「『恋人』という名付けを使わないのは、コミットしたくないから、関係性に対する責任をもちたくないからなんだろうか・・・・・・」と思う自分もどこかにいた。

これは穿った見方かもしれないが、経験上、リレーションシップ アナーキーを標榜する人には、いわゆる「(さまざまな意味で)強い非LGBT男性」が比較的多いような気がする。知的な能力が優れていたり、コミュニケーション力が秀でていたり、一流大学を出て一流企業に勤めていたり、経済力があったり、容姿に恵まれていたり。

さまざまなスペックが高いから、”関係性の貧困” に陥りにくい人達ということもできる。関係性を名付けなくても、世間からパートナーとして扱われなくても、自分自身は特に困らないし損しない、という強さがそこにはある。

リレーションシップ アナーキーは「コミットしたくない」?

リレーションシップ アナーキーという言葉、それを使う人々の一部に対して、たまにある種の「コミットしたくなさ」を感じるのは、私の考えすぎだろうか。「あなたと私の関係って何なの?」と尋ねた時、「俺はリレーションシップ アナーキーだから、君との関係を名付けることはしない」と言われたら、なんとなく煙に巻かれたようなモヤモヤを感じてしまうかもしれない。

そういえば 、人間関係のネットワークによってアナログに共助や自助の仕組みを作っているとか、共に支え合って生活する必要があるとか、そういう人達がリレーションシップ アナーキーを名乗っている例を私は見たことがない 。これは、関係性がきちんと名付けられないことのデメリットをメリットよりも強く感じているからなのかもしれない。

リレーションシップ アナーキーとクワロマンティック。似ているけれど少し違う2つの言葉について考えていくと、自分のあり方や考え方がより明確になるのではないだろうか。

 

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