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Writer/HOKU

バチェロレッテは「運命の人を探す旅」。LGBT参加者も、「運命の人」にはなりうるんじゃないか

皆様は、7/7からアマゾンプライムで放映が始まる『バチェロレッテ2』という番組をご存じでしょうか。この番組は、「恋愛リアリティショー」と呼ばれるジャンルの番組。こうした番組のセクシュアルマイノリティの立場から見出せる問題点については、NOISEの過去の記事でも触れられています。

『バチェロレッテ』とは何なのか?

今回は『バチェロレッテ2』参加者のインタビュー映像を見た時に感じた、ほんの少しの希望について、すくい上げて語っていきたいと思います。

『バチェロレッテ』とは、婚活リアリティ番組『バチェラー』シリーズの男女逆転版

『バチェロレッテ』? なんだそれ。きっとこの文章をお読みになった方の中にも、そう思われる方はいらっしゃることでしょう。

『バチェロレッテ』とは、お金・美・賢さなど全てを兼ね備えた独身女性と称される一人のバチェロレッテが、17人の参加者である男性たちの中から「結婚したい」と思う相手を探す番組です。

『バチェラー』シリーズは、女性同士のキャットファイトを楽しむ面があったり、バチェラー(こちらもいわゆる「成功者」と呼ばれる男性です)自身があまりにも女性たちの内面や本音に踏み込まないので物足りなかったりと、いまいち好きになれない部分が多い番組でした。

一方で、少なくとも『バチェロレッテ1』については、主役であるバチェロレッテが一人一人の参加者男性の話を聞き、時には討論を重ねる様子が放送されました。番組のナビゲーターを務めていた男性陣からは、「この女性、怖い・・・・・・」などと評判が悪かったのですが、男性参加者自身もその討論や彼女との対話を通じて成長していくという「恋愛リアリティショー」らしからぬ面白さと好ましさがありました。

『バチェラー』『バチェロレッテ』参加者に見るうっすらとした多様性とはっきりとした均質性

『バチェラー』シリーズの女性参加者と、『バチェロレッテ』シリーズの男性参加者との間には、決定的な差異があります。女性参加者には圧倒的な均質性が求められること。そして、男性参加者には逆に「ぱっと見の多様性」が番組制作側から求められることです。

女性参加者には、「日本人的な見た目・女性らしさ・細くて誰がどう見ても美人」という要素が求められています。実際、バチェラー4に出演した方の一人が、番組が始まる前に番組スタッフから「もっと痩せてください」と言われたことを暴露しています。

一方、男性参加者は『バチェロレッテ1』ではあまり多様性が見られなかったものの、2においては多少多様性を意識したんだろう・・・・・・というメンバーになっています。

とはいえ、大前提としてはやはり「日本人的な見た目・ルーツが日本のみ」という参加者の方がほとんどであり、「『多様性』を表すために1人か2人外国人っぽい人を入れておけば良いだろう!」としているのでは? と乱暴な印象も受けました。

セクシュアルマイノリティを排除した「結婚」を標榜する番組理念

大阪での同性婚訴訟において、同性愛者の婚姻の権利が保障されていないことが「合憲」と判断されてしまったのは記憶に新しいです。そんな情勢の中、男女の「結婚」にまつわる番組が堂々と受け入れられ、人気を博しているのはなんだか不公平に思えます。「恋愛」のゴールが「結婚」なのだ、と語ることは、同性愛者たちが永遠に「ゴール」に到達することができないのだ、と語ることにもなります(当然、結婚は恋愛のゴールではないですが)。

『バチェロレッテ2』に見つけた、ポリアモリー的な感覚の萌芽に、LGBTの「婚活リアリティショー」参加の可能性を見た

とある参加者のポリアモリー的なライフスタイルを肯定する言動に、思わず耳を奪われた

番組に冷ややかな目線を送る一方、私は『バチェロレッテ1』でバチェロレッテを務めていた女性の考え方や、対話の仕方がとても素敵だと思っていました。だからこそ、『バチェロレッテ2』放映もとても楽しみにしており、男性参加者のインタビュー映像を一つずつ見漁ったりしていました。私は暇なんか。

そして、そのうちの一人の言葉に、耳を奪われました。「僕、好きっていう気持ちはたくさんあっていいと思うんですよ。正直」から始まる彼のインタビューに、「ポリアモリー」という言葉は一回も出てきません。

ですが、彼の言葉選びには、ただ浮気や不倫を肯定するという意図よりも、「相手との合意のもとで、『好き』という気持ちがたくさんある状態とどう付き合っていくか」という意図を感じました。

「結婚」という形に捉われたくない男

視聴者の方は「好きっていう気持ちはたくさんあっていい」という発言を聞いて、「これはただ、浮気男が自分の行為を正当化するために言っているだけの言葉だよ」と思うかもしれません。ですが、インタビューの中の言葉のはしばしに「相手によって(関係性の在り方は)それぞれ」「一番合う生き方を互いに見つけて生きていく」など、合意をベースとした言葉が散らばっていたので、「ただの浮気」から出ている発言ではないと私は思っています。

また、彼はもう一つ、重要なテーマを持っています。それは、「結婚したいと思っていない」ということです。

彼は「バチェロレッテ」という、「結婚を見据えた番組」の参加者として、「結婚するとか付き合うとか、そういう契約的なのは、僕はあまり好きではなくて、(中略)その人と一緒にいる時間っていうのをすごい大切にしたい」と語っています。

番組の在り方に対して「結婚は恋愛のゴールではない」とカウンターを与えているのではないでしょうか。「バチェロレッテ」のテーマは「運命の相手を探すこと」。現在の価値観においては、「運命の相手とは結婚する」から、バチェロレッテ自体も「婚活リアリティショー」という立場を取っているのだとは思います。

ですが、本当に「運命の相手を探す」ことがテーマなのであれば、結婚という形にこだわる必要はないはずです。

彼は他にも、インタビューの中で「僕は基本異性を好きになるんですけど」という留保をつけていたり、全体として性的指向や恋愛指向について何度も考えてきた人生だったのではないか、と思える言葉を吐き出しています。このような視点から改めて各参加者のインタビューを見直すことにも、何か意義があるかもしれません。

ポリアモリーとはどのような恋愛スタイルか?

ポリアモリーとは、関係者全員の合意を得たうえで、複数の人と恋愛関係を結ぶスタイルのことを指します。

ポリアモリーという言葉との出会いを、私は今でも痛切に覚えています。大学一年生の夏、誰のことも好きになったことがなかった私は、そのことをずっとコンプレックスに感じていました。

同じような立場だった同期と学食で、「恋愛感情って結局なんなんだろう」「私たちは実戦が足りてないから、まずは基礎の定義から入るべきなんじゃないだろうか」と言い合い、「恋愛感情 定義」と検索しました。

そこに出てきたのは、色々な辞書に掲載されている「恋愛」の定義と、そして「色々な恋愛の形」(みたいな)項目でした。その中の一つに、「ポリアモリー」という言葉を発見した私たちは、「何これ! 知らない!」と笑い合い、その定義を見て「何これ! 浮気の肯定じゃん!」と憤っていました。無知で純粋で残酷な、10代の思い出。

ついつい浸ってしまいましたが、このように「浮気と何が違うの?」と言われやすく、まだまだ誤解や無知にさらされがちな恋愛スタイルです。ですが、関係者全員に嘘をつかず、すべての関係性をオープンにし、全員が納得しあって関係を結んでいくという点で、ポリアモリーと浮気とは全く別物なのです。

『バチェロレッテ』をLGBT当事者の視点から見つめ直す

同性婚は認められていない、それでも。

今の日本に、同性婚を認める法律はありません。
でも、ポリアモリーに肯定的な発言をしたり、結婚に対し否定的な発言をする参加者がメンバーの中に含まれているとすれば、『バチェロレッテ』シリーズの枠組みを大きく広げる試みの端緒となるかもしれません。「結婚を望まない」人を婚活リアリティショーに出しても良い、というルールを作ることになるからです。

それはつまり、現在結婚を認められていない同性愛者たちも、「婚活リアリティショー」に出うるということになります。「望まない」ことと「できない」ことは違うだろう、という声もあるかもしれませんが、婚活のルール上、本来は「結婚を望まない」人も「結婚をできない」人も排除されてきていたはず。前者が婚活という場に出ることができるなら、もう後者も出ることができる可能性が上がるのではないでしょうか。

「運命の相手」というテーマ性を軸に、もう一度『バチェラー』『バチェロレッテ』という番組の構成自体が考え直される日も近いのかもしれません。

アロマンティックの私から見た恋愛リアリティショー

私は、友人と「恋愛感情」の定義を調べた頃から変わらず、「恋愛感情」がわからない状態のままわかるふりをして数年間を過ごしたクチです。そんな私から見ると、選ばれずに泣いている人の気持ちに共感できなかったり、どうして好きなのかや相手を本当に好きなのかが全くわからなかったり、「バチェラー、絶対◯○がお気に入りだよね!」みたいな視聴者の意見が全くわからなかったりします。

わからないことは面白いので、「これが・・・・・・恋愛している人の表情か・・・・・・」などと考えたり、自分の中にある一番近い感情はなんだろうと照らし合わせてみたりすることが多いです。逆に、選ばれなかった人と選ばれた人のお別れの友情シーンに胸が熱くなって号泣したりもします。

「恋愛リアリティショー」は自分の中の「わかる感情」と「わからない感情」が線引きされるなぁという印象です。色々な人と話してみたい。

恋愛リアリティショーを通じて、日本におけるLGBTの存在感が少しでも強くなったら・・・・・・

セクシュアリティをオープンにしたい人ができる世の中に、もっとなっていってほしい

まず、前提としてLGBTのメディアへの露出は増えるべきだと私は思っています。

この前友人と話していた時に、「やっぱりトランスジェンダーとか見たことないし、女の人が怖がっちゃう気持ちもわからなくはないよね」と言われました。心底驚いて「へー! はるな愛とかKABAちゃんとか知らない世代なんだね!」と言ったら、友人は「あ、そっか、あの人たちってトランスジェンダーなんだ・・・・・・」と納得していました。

もちろん、自分の性自認や性的指向を公開する義務は存在せず、むしろ世の中に対してそれを隠す権利を行使することには、本当に何の問題もないことです。一方で、トランスジェンダーであることや、同性の恋人がいること、あるいは自分の性自認について「わからない」ことなどをオープンにすることに少しでも不安がなくなれば、もっと多くの人が、自分のセクシュアリティを隠さなくてもいいか、と思えるようになるかもしれません。

そうすれば、さまざまなセクシュアリティの人が自分の身近にいる可能性に思い至ることができる人も増えていくかもしれません。メディアの上にオープンな人(もちろんオープンであることを強制されるべきではないです)が増えることの重要性を感じます。

もしLGBTを起用するなら、たまにでいいから連帯してほしい

恋愛リアリティショーにオープンなLGBTが起用されることは、とても喜ばしいことです。少なくとも私は大いに喜ぶことでしょう。多分、発表された瞬間からTwitterアカウントの検索かけちゃうんだろうなぁ。

最初のうちは、LGBTを起用しました! とババンと前面に出すような広告が目立つのかもしれないけれど、LGBTが恋愛リアリティショーに参加することが当たり前になって、一切の話題性がなくなるくらいに、どんどん日常の中に浸透させていってほしいくらい。

バチェラー、バチェロレッテが最後の一人の「運命の相手」に同性を選び、「まぁ、本当は私たち結婚できないんだけどね」と自嘲ぎみに笑ったら、もしかすると世論を動かすことにすらなるかもしれない、なんて妄想をついつい繰り広げてしまいます。

人気の恋愛リアリティショーを制作している皆さん、今なら国を動かせるかもしれませんよ。

 

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