INTERVIEW
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「お母さん」と呼ばれることが、女性であることと同義とは思っていない。【前編】

「緊張するなぁ」と言いながらも、柔和な笑顔を浮かべ、気さくな雰囲気で撮影に臨んでくれた妹尾陽さん。コーヒーショップで聞いた過去は、常に違和感を抱きながらも “幸せな女性” になるべく、過ごしてきたものだった。そして、本当の自分に気づいた妹尾さんが辿りついた先は、性別に関係なく、自分自身が一人息子の “親” であること。結婚、出産を経た自分だから見える景色がある。

2018/03/11/Sun
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
妹尾 陽 / Akira Seo

1969年、愛知県生まれ。兄と弟に挟まれて育ち、幼い頃から、父親の転勤で全国各地を転々としてきた。浪人中に出会った男性と、大学卒業後に結婚。一児の母となるが、33歳の頃に初めて女性に恋心を覚え、自身がトランスジェンダーであることを認識し、息子が幼い頃に離婚。2017年2月から、ホルモン治療を開始。7月に「陽」に改名。現在は、大学生の息子と二人暮らし。

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INDEX
01 家でも学校でも特別な存在
02 よくわからなかった恋愛感情
03 “良妻賢母” を目指した自分
04 トランスジェンダーという気付き
05 新たな人生を始めるための準備
==================(後編)========================
06 一人息子に打ち明ける時
07 歩くカミングアウトマシン
08 新たな道を歩んでいくための名前
09 “お母さん” としての役割
10 経験したから見えてきたこと

01家でも学校でも特別な存在

特別扱いされた一人娘

3歳上の兄と、2歳下の弟に挟まれて育った、唯一の女の子。

父親に、特別扱いされていた記憶がある。

「僕だけ、高級な革のランドセルを買ってもらいました」

「でも、使ううちに柔らかくなる革が嫌で、本当は合成皮革のキラキラしたランドセルが良かったですね(苦笑)」

先天性股関節脱臼で産まれたため、幼い頃は足が外れやすかった。

常にギプスをはめるか、抱っこされていた。

「2歳くらいまで、ずっと母か父が抱っこしてくれていました」

「一人娘だし、股関節脱臼もあったし、特別扱いされることが普通だったというか」

「自分は人と違うんだな、って思っていた部分があります」

恥ずかしかった「私」

子どもの頃から、スカートをはくことがなんとなく恥ずかしかった。

「私」という一人称を使うことも恥ずかしく、自分の呼び名は「陽子」という名前。

しかし、その違和感も、自分は人と違うからだ、と悩むことはなかった。

「ちっちゃい時は、僕の順番を抜かして弟におちんちんが生えてるのは何でやろ、って思っていました」

「小学生までは、明日起きたら生えてくるかな、くらいに思い続けていましたね」

兄や弟と野球をするような、活発な女の子。

一方で、人形やぬいぐるみも好きだった。

両親に「女の子らしくしなさい」と言われたことはない。

「むしろ、母の教育は自由すぎましたね」

小学校の先生に「左利きを、右利きに直しなさい」と言われたことがあった。

母親は、「あなたは左でやれって言われてできるのか。それで気が狂うくらいなら、うちの子は左利きでいい」と、先生に言い返した。

「いろいろ自由にさせてくれる親でした」

「家の中で、性別を意識するようなことはなかったです」

転校続きの学生時代

父の転勤で、生まれてから高校生まで、各地を転々とした。

「兄が大阪、僕が名古屋、弟が広島って、産まれた場所が全員違うんです」

「小3から中3まで東京にいて、高1からの10年間は大阪。今は兵庫に住んでいます」

転校生として、知らない環境に入ることは苦手だったが、自ら飛び込まないことには生活ができない。

「転校経験で学んだことは、自分から声をかけなきゃいけないってこと」

「大阪では『仲間に入れて』って意味で、『よして』って言うんですよ」

「同じように東京で言ったら『やめて』って意味で捉えられて、驚かれました(苦笑)」

「近くにいた子に『こういう時は入れてって言うのよ』って、教えてもらいましたね」

ただ、友だち作りに失敗しても、3~4年で引っ越すから良いか、とのんきに考えていた。

02よくわからなかった恋愛感情

気になる対象

新しい学校に行くたびに、気になる女子がいた。

しかし、恋心とは少し違うものと感じていた。

「男兄弟の中で育ったから、姉妹が欲しいくらいの感覚なのかなって」

「そもそも恋愛感情っていうものも、よくわかってなかったんですよね」

遠くで見ていて、いいなと思った女子に近づき、仲良くなった。

思春期になると、周りの女子が “好きな男子” の話をし始める。

「周りに合わせて自分も見つけないと、って思って、やさしそうな同級生のことを『好き』って言っていました」

小学生の頃から6年間、同じ人のことを「好きだ」と言っていた。

気づけば、一人を思い続ける一途な女の子として、見られるようになった。

「友だちからは神みたいに扱われていたけど、実際に気になるのは女子でしたね」

好きだった親友

中学3年の頃、気になっていた女子と、親友と呼べる間柄になった。

彼女の家に泊まった時、寝ながら手をつないだ。

「その瞬間、すごくうれしかったことを覚えていますね」

「でも、親友としてのスキンシップの延長って感覚でした」

高校進学のタイミングで、東京から大阪に引っ越すことになった。

彼女と離れ離れになってしまう。

「会いに行くために、バイトでお金を貯めて、新幹線に乗ったりしていました」

「彼女の写真を持ち歩くくらい、恋しかったんですよ(笑)」

「今思えば、恋愛感情を抱いていたんだろうなって思います」

「誰かに『女同士もあり』って言われていたら、恋心に気づいたかもしれないけど」

「当時は恋愛をしたことがなかったから、わからなかったです」

03“良妻賢母” を目指した自分

バイト先での出会い

大学受験に失敗し、浪人生活が2年を過ぎる頃、近所の大学院でアルバイトを始めた。

大学院の事務局に勤め、学生と接することも多い仕事。

その中で初めて、いい人だな、と思える男子大学院生と出会った。

「その頃、自分は何も達成できていなかったから、ダメな人間だと思っていたんです」

「その男性はすごく真面目な人で、一緒にいたら自分が変われるかもしれないって思いました」

「甘えられるんじゃないかなって」

働き始めてすぐに訪れた誕生日に、職場の同僚と学生たちが祝ってくれた。

その場に彼がいて、「今度二人で会おうか」と誘われた。

初めての連続

大学院生の彼と、つき合い始めた。

初めてのデートに、初めてのキス。

いままで知らなかった出来事や感情が、押し寄せてきた。

「これが恋愛か・・・・・・って感覚でした」

「初めてのことって興味が湧くから、勉強に身が入らなくなったりして(笑)」

「でも、相手は『勉強は勉強でしょ』って、厳しかったんですよ」

初めての経験ばかりで、ドキドキの連続だった。

今思えば、初めてだったからワクワクしていただけだと思う。

彼に恋愛感情を抱いていたわけでは、なかったのかもしれない。

「夜の生活は、すごく嫌でしたよ」

「でも、経験がなかったから、こういうものなんだって思っていたんです」

女子だという思い込み

四浪して大学に受かった後も、交際は続いた。

大学卒業のタイミングで、彼の両親から「結婚しなさい」と促され、結婚という道を選んだ。

二年後に、息子が産まれた。

「結婚が嫌だったわけではないけど、無意識に自分は女子なんだって思い込みながら生活していました」

「いい奥さんじゃなきゃいけない、いいお母さんでいなきゃいけない・・・・・・って」

小さい頃は恥ずかしかったスカートも、はくようになった。

淡い黄色の服やワンピース、はたから見たら普通の妻であり、母親だった。

「頑張っていたけど、 “妻” になることに違和感を抱いたことはなかったんです」

「それでも体は正直で、週末になると熱を出すようになりました」

夫から「子どもを3~4人育ててるお母さんと比べて、だらしないな」と言われた。

04トランスジェンダーという気付き

見ていてイライラしたママ友

33歳の時、子どものつながりで知り合った女性が、気になり始めた。

「いわゆるママ友の一人です」

「最初から好きだったわけではなくて、もともとはいじわるしたくなる相手だったんです」

背が小さな人だった。

背が届かなくて、高い場所のものを取れない姿を見て、「そうやって男の人に頼るんやね」といじわるを言った。

「3歳くらい上の人だったんですけど、見てるとイライラしたんですよね」

幼稚園の行事の際に同じ車に乗り、二人で話す時間があった。

いままでと違った感情が、芽生え始めた。

「生まれて初めて、この人に触れてみたい、って気持ちが湧いてきたんです」

週末に熱を出すことを知った彼女は、こう言ってくれた。

「寝込むあなたも元気なあなたも、全部あなただから、気にしなくていいのよ」

これが、自分にとっての初恋。

本当の自分を見つける機会となった。

知りたかった本当の自分

女性を好きな自分はレズビアンなのではないか、と考えるようになった。

レズビアンについて調べる中で、当事者の家族や友だちが集まる「NPO法人LGBTの家族と友人をつなぐ会」の存在を知った。

「自分は子どもを産んでいるし、当事者じゃないって気持ちがあったから、まずはこの会に参加してみようと思ったんです」

しかし、息子はまだ幼稚園児で、親に預けて行かなければならなかった。

「預けるタイミングで、母にカミングアウトしました」

「実は同性を好きになって、自分でもよくわからないから、この会に行ってみたい。だから、子どもを預かってほしい」と打ち明けた。

「その時母は、理解できていなかったみたいです」

それでも、息子を預かってくれた。

レズビアンじゃなくてFTM

初めて「LGBTの家族と友人をつなぐ会」に参加した時、レズビアンの尾辻かな子さんにかけられた言葉がある。

「同性を好きになる人は、自分の性別に違和感を持っている人もいるのよ」

その一言がきっかけで、おちんちんを待ち望んだことや、「私」と言えなかったことを思い出した。

「そこから、さらにLGBTについて、勉強するようになりました」

「もしかすると、レズビアンじゃなくてFTMなのかな、って思い始めて」

自分は男だ!・・・・・・と、確信を持てたわけではない。

それでも、トランスジェンダーであることを自覚した。

「トランスジェンダーは知らなかったから、すごく調べましたね」

「尾辻さんの一言がなかったら、自分自身に気づいていなかったかもしれないです」

05新たな人生を始めるための準備

無自覚の体調不良

週末に熱が上がる日々が、変わることはなかった。

「専業主婦で、いい奥さんでいなきゃいけない、って気持ちは強かったんです」

平日は、朝から晩まで、家事と子育てに追われた。

夫が家にいる週末は、気が抜けて、体調を崩してしまった。

夫とは、ケンカもよくしていた。

「こっちが感情的にバーッと騒いでも、すべて理詰めで返してくる人だったんですよ」

理路整然とした物言いに、ますます感情が高ぶってしまった。

その生活に耐えられず、結婚して7年が過ぎる頃、「離婚します」と息子を連れて家を出た。

「きちんと離婚できるまでには、4年くらいかかったのかな」

「僕の両親は、元夫が厳しい人だって知っていたから、『しょうがない』と受け入れてくれました」

「女性が好きだから別れるのか?」

夫に、同性が好きであることは伝えなかった。

「唯一、トランスジェンダーであることを、伝えていない人ですね」

いつだったか、通っているジムの女性インストラクターの話をしたことがある。

「『いいインストラクターさんがいるんだよね』って話しただけなんです」

「それなのに、『お前、そっちの人が好きなんじゃないか』って言われたんですよね」

その時は「そんなことないよ」と否定したが、今振り返ると、鋭い指摘だった。

離婚する時にも「もしかして、女性が好きだから別れるのか?」と聞かれた。

「元夫から『それは認めるから、別れないでくれ』って言われたんですよ」

「内心ドキッとしたけど、『性格が合わないからダメなんだ』って否定しました」

息子の気遣い

家を出たのは、息子が4歳の頃。

息子と元夫は、定期的に連絡を取り合っている。

「息子は、僕と元夫が会えばケンカになることをわかっているから、『一緒に会おう』みたいなことは言わないですね」

元夫に、元妻(母親)がトランスジェンダーであることは、言っていないようだ。

息子なりの気遣いだろう。

「息子が父親に言えないことを作っているのは、申し訳ないと思いますね」


<<<後編 2018/03/13/Tue>>>
INDEX

06 一人息子に打ち明ける時
07 歩くカミングアウトマシン
08 新たな道を歩んでいくための名前
09 “お母さん” としての役割
10 経験したから見えてきたこと

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