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一個の人間として尊重し、応援していく

これまでご登場いただいたLGBTERにとって、親へのカミングアウトは最大のハードルだった。真実を告げたら親に怒られるのではないか、いや、悲しませるのではないか。そう考えて親に、そして世間にも自分のセクシュアリティを伏せたままの人もいる。では実際、わが子がLGBTだと知った時、親は何を思うのか。娘に性同一性障害を告げられ、その子を ”息子” として受け容れた野島千恵子さんに、お話をうかがった。

2016/07/03/Sun
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Yuko Suzuki
野島 千恵子 / Chieko Nojima

1947年、東京都生まれ。結婚し、3人の娘を産み育てる。60歳を前に離婚を決意。ほぼ同じタイミングで、三女が性同一性障害であることを知る。そして三女は娘の ”亮子” から息子の ”亮” に。現在、地域のコミュニティセンターで仕事をしながら、シングルライフを送っている。

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01私のせいかもしれない

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二晩、眠れなかった

11年前のある日、三女・亮子から「話がある」と言われた。

彼女は幼い頃から、家の外であったことや悩みごとなどをほとんど親に話さない子だったので、どうしたのかな? 不思議に思った。

「そうしたら、『自分は性同一性障害で、本当は男なんだと思う』と言われて。まさに、青天の霹靂でした」

実はその頃、夫との結婚生活にピリオドを打とうとしていた。

「離婚自体は前々から考えていたのですが、とにかく娘三人が成人するまでは辛抱しようと。それで、末っ子の亮子が20歳になったところで最終的に決断を下したんです。そこへ思いがけない彼女からの告白」

「なぜこのタイミングで? と思いました」

とはいえ、自分の離婚については計画を立て、少しずつ準備をしてきたので今さら引き下がれない。

「それは娘も同じだろう、と思いました。顔を見れば、考えに考え抜いて私に打ち明けたのだろうということが、よくわかりましたから」

ただ、あまりに突然のことで、告げられた事実をどう受け止めていいのか、わからない。

その日の夜と次の日の夜、連日一睡もできなかった。

20年前まで遡って考えたけれど

もともと、何か問題が起きた時や壁にぶつかった時には、泣きわめいたりぐずぐず悩んだりする質ではなく「この事態にどう対処すればいいか」を考え、できることから手をつけるタイプだ。

「この時もそうです。私が、そんなはずはないと言ったところで、本人が『自分は男だ』と思うなら仕方がないじゃないですか。ただ、いつもと違ったのは、じゃあ娘とどう向き合えばいいのかと考える前に『私のせいだろうか』と悶々としてしまったこと」

自分を責める、というのとは違う。

ただ、娘が「自分は男だと思う」と考えるに至った原因は、自分にあるのかもしれない・・・・・・と思いつめた。

「母親だったら誰でも、そう思うんじゃないでしょうか」

亮子さんを妊娠中、夫の仕事の関係で台湾に暮らしていた。
台湾にはおいしい料理がたくさんある。

しじみのにんにく炒めも好きな料理の一つだったが、妊娠6ヶ月目くらいの時に食べ、当たってしまった。

「貝の毒は神経を傷めることがあると聞いて、お腹の子にもしものことがあったらと心配で心配で。医者には『しじみにはその心配はない』と言われましたけど、出産するまで気が気でなかったんです」

結局、その心配は杞憂に終わり、何事もなく元気に生まれた。

4,000gを超える大きな女の子だった。

でも、ひょっとすると、やっぱりあの時に起こした中毒が娘に何か作用したんじゃないか。

そんなことまで考えてしまったという。

02元気でいてくれたら、それでいい

頭蓋骨のてっぺんが、開いた!?

書店で性同一性障害についての本を探し、いろいろ買い込んだ。

LGBT当事者が書いた本も読んだが、わが子がそうなった原因はどこにも見つからない。

「ちょうどその頃からNHKの教育テレビでも性同一性障害を取り上げるようになったんです。それも見たりしながら理解していきました」

もっとも、頭では理解して納得しようとしていたが、心の中は混乱したまま。心の悲鳴は体に表れた。

「頭蓋骨が開いて、頭のてっぺんが凹んでしまって。赤ちゃんの時はみんなその状態なんですけど、成長するにつれて頭蓋骨が閉じるんですね。でも、強いストレスがかかると開いてしまうそうなんです」

実は、30年ほど前から、自分の体のメンテナンスのために鍼治療を受けている。

娘の衝撃的な告白をようやく少し冷静に受け止められるようになり、久々に鍼灸院に行ったところ、鍼灸師は野島さんの顔を見るなり、「いったい、何があった?」。

「つきあいが長く信頼しているので、すべて事情をお話ししました。ボロボロ泣きながら。その後、治療を受けたところ先生が『頭蓋骨が開いている。大きなストレスがかかったせいだろう』と」

「先生には、『昔からそういう子はいて、迫害され、自ら命を絶つ人もいた。でも今は、少しずつ世間が認めてくれるようになったから大丈夫だよ』『子どもに自殺されたら困るだろう? だったら、応援するしかないよね』と言われました」

「たしかに、その通りですよね」

心の中のもやもやが、すーっと晴れていった。

長年の謎が次々ととけていく

落ち着いて考えてみると、「あ、そういうことだったのか」と腑に落ちることがいくつもあった。

小さい頃からスカートをはこうとせず、いつも短パンかズボン。
ランドセルが赤なのを嫌がった。

女の子と遊ばず、いつも男の子と一緒にすっ飛んで遊び回っている。

もちろん、お人形遊びもおままごともしない。

「姉二人とは全然違ったんですよ。同じ女の子なのに、どうしてだろうとずっと不思議に思っていました」

中学校には制服があったので、娘はしかたなくスカートをはいていたが、行動は相変わらず男の子っぽかった。

「正義感が強いというか・・・・・・たとえば、誰かにからかわれたり、いじめられたりする女の子を、亮子はよくかばったり助けたりしていました。母親としては、あなたも女の子なんだから、助けようとしたら今度は自分がからまれて危険な目に遭うのでは? という心配が先に立ちましたけど」

「でもそれも、『弱い者は守らなくては』という男の本能からくる行動だったのかもしれませんね」

そうやって、ひとつずつ腑に落ちるごとに娘と正面から向き合えるように。
「この子のすべてを受け容れよう。元気でいてくれたら、それでいい、と思うようになりました」

03親が認めてあげなければ、誰が認めるのか

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「どういうことなのか、説明しろ!」

ところで、亮子さんの父親は、自分の娘が性同一性障害であることをどう受け止めたのだろう。

当時、夫だったその人は、仕事でアメリカにいた。

「娘は私に打ち明けた後、父親にもカミングアウトしにあちらに渡ったのですが、妻である私からも離婚したいと言われているし、かなり泡を食っていたようです(苦笑)」

その後、帰国するなり「いったい、どういうことなんだ。俺に説明しろ」と、野島さんを問い詰めた。

「海外勤務が続き私たち母子4人とはずっと離れて暮らしていたので、あの人は娘たちのことがまったくわからない。加えて、わりと偏見の強い人でもあったので、もう、話にならないんです」

そこで、「私は自分で勉強をし、亮子のことを理解したので、あなたも自分で調べて、理解してあげてください」と、それしか言わなかった。

「その後どうなったのか、別れてしまった今、知りようがありませんが、恐らくあまり調べていないと思います。私が離婚を決めた理由には、問題が起きた時のそうした向き合い方の違いもあったかもしれません」

わが子が愛おしいからこそ

もっとも、突然わが子から性的マイノリティであることを告げられた親御さんの中には、亮子さんの父親のような反応を示す人は珍しくないかもしれない。

目の前の事実を受け止め理解しようとしても、野島さん自身も「少しずつ」と言っていたように、そう簡単にはできないだろう。

「親にとっての最大の壁は『うちの子に限って、そんなことがあるはずはない』という思いかもしれません。それは、わが子がかわいいあまりのこと。でも、その壁を乗り越えないかぎり、親と子の間の溝は埋まらないような気がするんです」

野島さんには、そうした壁はもともとなかったという。

「亮子にかぎらず、上の2人の娘に対してもなんですけど、私は彼女たちが自分の体から離れて外の世界に出てきた時から、この子を一個の人間として尊重しなくちゃいけない、と思ってきました」

「親というのはどうしても、子どもを自分の思い通りにしたくなりがちです。でも、わが子と言えども自分とは明らかに違うわけですから、思い通りになんてなるわけがない。だから、ひとりの人間として尊重しなくちゃいけないというのが私の持論なんです」

娘から打ち明けられた直後こそ戸惑ったが、子どもに対するスタンスは今も変わらない。

本人が「自分は本当は男なんだ」と言うのなら、「そうなのね」と受け止め、受け容れるしかない。

「第一、親の私が認めてあげなければ、誰が認めてくれるでしょう。娘の場合、幸いにして応援してくださる方がたくさんいますけど、基本的には他人様にとっては他人事ですから」

04変わっていく、わが子

あくまでも本人の意思を尊重したい

娘に「女性から男性に変わるための治療を受けたい」と言われた時、まったく抵抗がなかったと言えばうそになるだろう。

「でも、亮子が自分らしく生きるために必要だというなら、私が反対したって仕方がないじゃないですか。見守るしかありません」

ホルモン治療を始めると、娘の声や体つきがだんだん変わっていった。

「ホルモン注射によって徐々に男っぽくなってくるという、ということは知識としてはありましたけど、実際に目にして、わあホントなんだ、と」
外科手術については、やはり心配だった。

「ある日、娘と同じように女性から男性へと変わろうとする人を追ったドキュメンタリー番組がオンエアされたんですね。それを見ていたら、胸の手術の後はやっぱり痛みがあって大変みたいで」

「亮子は小さい時から痛いのがダメなので、こんな手術は受けられないんじゃないか、と思いました」

しかし、娘は覚悟を決めていた。

「自分で働いてお金を貯め、手術代をつくったんです。それまでは、お金はあればあるだけ使い、なくなったら『お小遣いちょうだい』とねだるような子でした。でも、数十万円ものお金を自分で作ったのだから、生半可な気持ちではないんだなと」

ならばサポートしようと、手術の日は娘に付き添った。

「女性から男性へとなると、いろいろと大変ですよね。胸の手術がすんで、じゃあ子宮や卵巣はどうするのか。そのあたり本人はどう考えているかわかりませんけど・・・・・・」

自分は、娘の意思を尊重しようと思う。

ほかの娘たちに対して

さて、野島さんは受け容れることができたが、亮子さんの姉たちはどうだったのだろう。

妹が性同一性障害で、女性ではなく男性として生きていたいと考えていることについて、どんな反応を示したのか。

「カミングアウトの時は、上の2人も同席していたのですが、妹の話にすんなり納得したんです。私も意外でした」

「そこで亮が、その時は亮子でしたけど、『家族の中にこういう人間がいたら、おねえちゃんたちの結婚にも差し障るかもしれない。もし嫌だったら、縁を切ってくれてもいい」と言ったんです」

すると、長女と次女は「そういう家族がいる人とは結婚できない、と考えるような男性は、こちらから願い下げだ」と口を揃えた。

「それを聞いて、ホッとしました。そういうふうに考える人間に育ったんだなあと」

ただ、次女に結婚の話が出た時は、相手の親の気持ちも理解できるだけに少し悩んだという。

「ところが、拍子ぬけしてしまうほど、先方の家族は何も言わないんですよ。そんなこと言われなくても、ずっと前から知ってるよというような感じで」

「心から、ありがたいと思いました」

05そして今、思うこと

一個の人間として尊重し、応援していく,05そして今、思うこと,野島千恵子,ALLY

世間に ”文句” を言うために必要なこと

あえて不愉快な思いはしたくないので相手は見極めるが、友人知人たちにも三女が男性となったことについて話している。

「思いのほか、みなさん受け容れてくださって。今は、テレビやマスコミで活躍するLGBTの方たち増えてきたからでしょう」

それでも、世の中にはいろいろな人がいる。

いくらLGBTに対する認知度が高まってきたとはいえ、頑として「自分は、認めない」という態度を取り続ける人もいるだろう。

国や企業が支援する制度を作っても、とくに日本ではLGBTの人たちはまだまだ生きにくいのではないか、と感じている。

「だから、亮はとにかく、自分の足で立って歩く力をつけるしかないと思うんです」

昔から子どもたちには「勉強は、きちんとしなさい」と言ってきた。それは、いい学校に入っていい会社に入るためにではない。

「とくに亮は小学生の頃から、先生に対しても学校の制度についても、間違っていると思うと意見をする子だったんです。先生にとっては、意見というより文句、だったでしょうけど(笑)」

「でも、いくらそれが正しい意見でも、勉強もしないでちゃらちゃらしている子が言ったって誰も耳を貸してくれないですよ。だから、文句を言うならちゃんと勉強して成績を上げてからにしなさい、と」

それは、これからの人生にも言えること。

自分らしく生きていたいなら、まずはひとりの人間として自立し、まっとうな生活をする必要があるのではないか。

そう思っている。

「亮はとっくに実家を出て自力で生活をしていますけど、目標をクリアして、本当に自分らしい生き方を手に入れるにはまだまだ、がんばって稼いで、経済的な基盤をしっかり作る必要があるでしょう」

「ふふ、私もたまにはちょっとラクをさせてもらいたいですしね(笑)」

性別欄に「男性」と「女性」しかないなんて

亮さんとは、そう頻繁に顔を合わせているわけではない。

「会うのは、多くて月に1回。亮が、半年くらい音信不通になることもあります(笑)。まあ、連絡がないのは元気で忙しくしている証拠、と思っています」

ベタベタしたつきあいはしないが、必要とされた時は極力、応じている。

先日も、亮さんが主催したLGBTの子どもを持つお母さんの交流会に呼ばれ、自分の体験を語った。

ほかにも、LGBT関連の情報を目にして「これは」と思うものは亮さんとシェアし、今後のためにも法律や経済について勉強するようにと言っている。

「自分なりに勉強をしてきて、思うことがあるんです。今は、男と女という2つの性別しかないけれど、それはいわゆる ”世間の常識” であって、実はもともと男と女の間というか、男でもあり女でもあるという人もいたんじゃないか、って」

「書類の性別記入欄も、さらには戸籍にも「男性」「女性」のほかに「自由欄」があればいいのに、と思います。しかも、それが例外やマイノリティとしてではなく、男性と女性と同等の一般的な存在として扱われるようになったらいいなあと」

そうなるにはこの先、何十年とかかるかもしれない。

とくに日本の場合、実現はむずかしいかもしれないとも思う。

「でも、可能性がゼロではないかぎり、そういう社会の実現に向けて亮は頑張っていくでしょう。私はそれを見守るだけです」

「自分にできることは、それくらいしかないから」と野島さんは言うが、亮さんにとってはどれだけ心強いサポートだろう。

別の席で亮さんに話を聞くと、彼は野島さんのことを「母親として、ひとりの人間として尊敬している」と言っていた。そのことを伝えると、ちょっと照れくさそうに笑った。

「私に苦労をかけているから、そう言わざるを得ないんですよ」

でも、その顔はうれしそうだ。

あとがき
「何かあったら謝りに行けばいいか、って思っていました」。女の子にしてはヤンチャだった娘を思い出しながら、懐かしそうに千恵子さんは笑った。何度か耳にした “仕方がない” の言葉。諦めとはちがうスッキリとした軽やかさだった■親として描く夢が封じられる―― 子供からのカミングアウトはそんな機会でもある。一つのゴールとして伝える本人、聴いた時から始まる家族の気持ち。黙りこむ日もあるけれど、重ねる時間がきっと助けてくれる。(編集部)

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