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Writer/HOKU

アセクシュアルやアロマンティックかもしれない、と悩むあなたにおすすめしたい物語

私は小説が好きだ。あるいは、ドラマが。映画が。でも、どんな物語の中に入って行っても、恋をしない人たちの物語はほとんどない。恋を「知らなかった」主人公たちは、恋を知ることで「成長」していく。まるで恋を知らない人間を、アロマンティックやアセクシュアルの人間を、未成熟だと断罪するかのように・・・・・・。物語を愛し、物語に傷付けられてきたあらゆる人たちに、私を救ってくれた物語たちを紹介しよう、というのが今回の記事のこころみだ。

アロマンティック/アセクシュアルとは?

わざわざこのような章を挟むことに、違和感を覚える人もいるかもしれない。「もう知っているのだから、説明なんていらない」と思う人もいるだろう。だが、少なくともこの紙面上で、どのようにアロマンティック/アセクシュアルという言葉を概念づけるか、一応の了解をとっておきたいと思う。

アセクシュアルとはどのようなセクシュアリティか?

アセクシュアルとは、『他者に対して性的に惹かれない性的指向』のことだ。日本では「アセクシュアル」という表現のみで、他者に恋愛感情・性的欲求を共に抱かない性的指向を表すこともあるが、「アセクシュアル」という表現自体は、『他者に性的に惹かれない』ことを表しているだけである。他者に恋愛感情を持つ人も持たない人も、持っているのかよくわかっていない人も、色々なグラデーションの人がその表現の中に含まれている。

また、アセクシュアルと一口に言っても、それぞれの個人が思う「性的に惹かれない」にもグラデーションがある、ということは、全ての人がよく肝に銘じておくべきことだろう。
他にも、アセンシュアルといって、人に感覚的に惹かれない(=ハグや手を繋ぐ、などの行為をしたいと思わない)人や、アエステティックといって、人の外見的美しさに惹かれない人、という区分も存在している。

ここまでくると、もうこの区分に含まれない人の方が少数派な気もしてくるけれど。

アロマンティックという恋愛指向

アロマンティックとは、『他者に恋愛感情を抱かない恋愛指向』のこと。「他者に恋愛感情も性的欲求も抱かない」人もいれば、「恋愛感情は抱かないけれど、性的欲求は抱く」人もいる。

アセクシュアルという性的指向と同様に、アロマンティックという恋愛指向もとても多様だ。恋愛について語りたくない人もいれば、人の恋の話を聞くのは好きな人もいる。ぼんやりと恋愛感情めいたものを感じる人もいれば、全く感じない人もいる。

性自認も性的指向も、そして恋愛指向も凝り固まったものではなく、ゆるやかな概念なのだ。

自分のセクシュアリティを自覚する、ということ

私自身は、アロマンティックであると自認している。仮にもジェンダーについて研究しているというのに、私はこの自認に至るまでひどく時間がかかった。勉強し始めてから2年。随分長い道のりだった。

自分が「恋愛しない」わけがない、と思っていた。恋愛小説や恋愛を描く少女漫画は大好きだったし、恋愛への漠然とした憧れもあったから。それでも、現実の人間関係で「恋する」「愛する」を理解できることはなかった。付き合った相手と同じ気持ちになれないことに、いつも焦っていたのを覚えている。

「アセクシュアル」「アロマンティック」という言葉自体は知っていた。ジェンダーについて少し勉強していれば、「言葉としては」入ってくる。それでも、そのセクシュアリティ、恋愛指向についてはっきりと知ろうとすることはなかった。

無意識に、アロマンティックやアセクシュアルについての情報を避けていたのだと思う。「大事な相手とセックスしたいと思うのだから、これは恋愛感情だ」と繰り返しくりかえし、自分に言い聞かせてきた。「恋愛感情は抱かないが、性的欲求は抱く」私は、なんて不誠実でクズなんだ、と自分を責めたこともあった。アロマンティックという言葉と出会い直せていなかったら、まだその場所をうろうろしていただろう。

だからこそ、私は何度でも言葉と出会い直すことが大事だと思う。必要な時に必要な言葉と出会うことで、自分を救うことができると思うから。

アセクシュアルやアロマンティックについて私の記事とは別の視点から知りたい人には、こちらの連載をおすすめする。

・Aro/Aceを知ろう① 恋愛感情を抱かないアロマンティックとは?
・Aro/Aceを知ろう② 他者に性的に惹かれないアセクシュアルとは?
・Aro/Aceを知ろう③ アロマンティック(Aro)/アセクシュアル(Ace)の多様性とは

(参考)
https://acecommunitywestjapan.amebaownd.com/posts/12476019

アロマンティック/アセクシュアルの物語①  NHKドラマ『恋せぬふたり』

NHKの「よるドラ」という枠と「アロマンティック・アセクシュアル」というテーマ

NHKよるドラ枠は、とにもかくにも「多様な社会の姿を描き出そう」という作品が多い。

『ここは今から倫理です』というドラマでは、視聴者巻き込み型で「考える」ための作品を作った。かと思えば『腐女子、うっかりゲイに告る』では、透明化され単純化されがちなゲイの辛さや葛藤と向き合い、『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』では「独身女性二人」の暮らしが、いかに明るくて頼もしいかについて描き上げていた。

なるべく誠実に作品を作ろう、ステレオタイプを強化しないようにしよう、という意図が見えるような気がする枠で、とても好きだ。もちろん、そんな意図はないかもしれない。それならそれで、良い。

NHKで『腐女子、うっかりゲイに告る』というドラマが放送された後、民放では『おっさんずラブ』や『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』などが放送され、ゲイをテーマにしたドラマが一気に増えた印象がある。

NHKが「アロマンティック・アセクシュアル」というテーマのドラマを制作した。もしかしたら、まもなく民放にも「誰かに恋愛感情を持たない・持ちにくい人々」「誰かに性的に惹かれない人々」の物語の波がやってくるのではないか、などとつい期待をしてしまう。

NHKドラマ「恋せぬふたり」の物語と魅力

『恋せぬふたり』は、アロマンティック・アセクシュアルの男女の物語である。彼らは物語の始まりから終わりまで恋をすることはないが、恋については幾度となく考えさせられる。それは、周りのほとんどの人間が「恋をするのは当たり前」と考えているから。

作中、呪いのように何度も、何度も、出てくる「恋をしない人間なんていないんだから」という発言。あまりにもステレオタイプで、さすがに日常生活では聞いたことのないセリフだ。ただ、

何気なく恋バナをしている時
誰かと結婚について話す時
自分が恋愛感情があまりわからないと友人に話す時

周りの人がきっと「そう」思っているんだろうなと思う場面に、私は幾度となく出会ったことがある。

ドラマを観ながらムカつき、共感し、いらだち、喜んだ。ドラマがこんなにわたくしごとだったことは、今までになかった。そしてNHKドラマ『恋せぬふたり』を見て私は初めて、恋がしたかったんじゃなくて、一緒に生きてくれる味方が欲しかっただけなんだ、と気づいた。

思わず、涙ぐむ場面もあった。と同時に、この作品はおもしろい。セリフは小気味よいし、主人公二人も、その周りの人間も、明るくて前向きだ。だからか、暗い気持ちになることなく、見ることができた。

アロマンティック/アセクシュアルを深く知ろうと踏み出す時におすすめの作品

『恋せぬふたり』は、家族や会社の人など周囲の人の、恋に対する捉え方があまりにも画一的だ。また、「アロマンティック・アセクシュアル」についての教科書的な説明がやや多かったりと、人によっては「説教くさい・・・・・・」と感じる人もいるかもしれない。

でも、「自分も、アロマンティックかもしれない」「友人にアセクシュアルだ、と告げられた」など、アロマンティックやアセクシュアルについて、少しでも考える/知るためのきっかけを必要としている人には、とても適したドラマなのではないかと思っている。

なぜなら、私たちが「アロマンティック/アセクシュアル」であることを自覚したときに陥る不安のほとんどについて、言及してくれているからだ。

「アロマンティックだから、一人で生きていかなきゃいけない、と思う必要はないんだ」「寂しいから誰かと生きたい、と思うことはどこからどう見てもわがままなんかではないよ」と、優しく抱きしめてくれるようなドラマだった。

アロマンティック/アセクシュアルの物語② 少女漫画『やがて君になる』

少女漫画に、私はいつも置いていかれた

少女漫画の主人公は、必ず「恋をする」。恋をしている様子は、可愛くて、楽しそうで、辛そうで、そのエネルギーが羨ましかったり、ここにエネルギーを使う必要がなくてよかった、と思ったりする。

同時に、「恋がわからない」で始まる漫画は、いつからか身構えながら読むようになってしまった。そういう漫画はたいてい、わからない側の気持ちをとても丁寧に描いてくれる。恋バナの時に困ったり、恋がわからないまま付き合い始めたり、そんな姿に、主人公の気持ちに、強く共感する。

でも、「私と同じだ」と思ったちょうどそのあたりで、突然彼女は恋がわかるようになってしまうのだ。直前のページまで普通の顔色で相手と接していたはずの彼女が、突然顔を赤らめながら相手のことを避けたりしだす。

私はひとりで、置いていかれる。

そうやって「恋のわからない未成熟」な状態から「成長し恋がわかる」ようになった主人公を「ようやくあんたも一人前か」などと周りも祝福する。読んでいる私一人が、「未成熟」なまま。

アロマンティックでも「恋と向き合える」

漫画『やがて君になる』は一応、女性同士の恋愛漫画の体裁を取っている。実際、そうとも言える。でも、私はこの話の中で一度も置いていかれることはなかった。そして、おそらくほとんどの人が、この作品を読んで「置いていかれた・・・・・・」と思うことはないだろう、と思う。自分がアセクシュアルかもしれない、アロマンティックかもしれない、と思う人は特に。

漫画『やがて君になる』には、色々な形で「恋をしない人」(あるいは「恋をする人」)たちの「恋との向き合い方」が描かれる。登場人物それぞれが、恋との向き合い方を考える中で、いつしかその問題は、登場人物どうしの向き合い方にもつながっていく。その向き合い方は誠実で、出される結論はどれも、それぞれの登場人物の生き方や考え方に合っている。

だから私も、自分に合った「恋との向き合い方」「大事な人との向き合い方」を探せばいいんだ、それだけの話なんだ、ととても安心して、前を向くための活力になったことを今でも覚えている。

アロマンティックは「成長していない」わけじゃない

私がアロマンティックとして生きることは、確かに「恋ができない」ことではあるのだと思う。だって、どれだけ大事な相手に「恋しよう」「この人に、恋愛的な意味で惹かれたい」と踏ん張ったところで、できるものではない、ということを私は知っているから。

でも、それは「能力の欠如」ではない、とも思う。恋の仕方が人それぞれであるように、人を大事にする仕方も人それぞれで、それぞれのやり方で、自分と人のことを大事にできればいい。そのやり方にお互いが納得していれば、そこに「能力の欠如」など存在しないのだと、今になって思う。

そのことに気づかせてくれた作品が、漫画『やがて君になる』だった。「恋と向き合う」前は未成熟だった主人公は、恋と向き合い、成長し、「君になった」。でも、それは恋をしたから、成長したわけではない。成長したから恋をするのでもない。考えて、考えて、擦り切れるほど考えた末に結論を出したから、成長したのだ。

恋をしなくたって、「未成熟」なんて言われる筋合いはない!

アロマンティック/アセクシュアルの物語ではないけれど・・・・・・

最後に、アロマンティック/アセクシュアルの物語ではないけれど、私が悩んでいる時期に救われた作品を2つ、紹介させてほしい。

漫画『きのう、何食べた?』は家族の物語

『きのう、何食べた?』は、ゲイの男性二人の暮らしを、料理を主軸に切り取った漫画だ。ドラマ化、映画化もされている超人気作品である。BLだ、と言われることもあれば、料理漫画だ、と言われることもある。ジャンルにうまく組み込まれない、クィアな作品で、私はとても好きだ。

大ヒットしただけに、「ゲイの二人があまりにも性化されていない」「性的な部分も少しは描くべき」などと批判を受けているのを見かけたりもした。でも、私は、この作品の二人の間柄に、性的な部分があまり見られないことにとても安心して読むことができた。

二人の間にあるのは、長年暮らしてきた相手に対する親愛、思いやり、お互いがお互いの味方であるという感情だ。決して互いを裏切らず、ひどく干渉もしない。お互いのことをよくわかりあっている。もちろん、すれ違いはあるけれど、しっかりと話し合い、緩やかに穏やかに解決していく。

こんなふたり暮らしもありうるかもしれないんだ、と思うと、どこまでも救われた。

漫画『荒ぶる季節の乙女どもよ。』で性的指向と恋愛指向を分けることを知った

『荒ぶる季節の乙女どもよ。』は、セックスと高校生たち(特に女子高生たち)が向き合っていく物語である。アニメ化、ドラマ化もされている。エロについて考える男子高校生、アホな男子高校生、そんな姿は幾度となく色々な媒体で描かれてきたように思う。

一方で、女子高生が「セックス」について考える姿や、「エロ」についてとてもアホな視点から考える姿というのは、明確には描かれてこなかったように思う。漫画によく描かれる男子高校生同様、女子高生だってここまでアホだっていいよね、女子高生だけが清廉さを求められる必要性はないよねと気持ちの良いほどのステレオタイプ破壊に楽しくなる漫画だった。

もちろん、高校生がセックスについて考える作品であるため、「誰もがセックスはしたいものだ」「セックスしたいと思ったら恋なんじゃない?」などと、アセクシュアルやアロマンティックにとってみれば、耳を塞ぎたくなるようなセリフもあったりはする。
それでも、「私はアロマンティックかもしれない」と改めて自分と向き合った時に、「セックスしたい相手」と「恋愛感情を持つ相手」が全く異なることもあるのかもしれない、という、この漫画が与えてくれた示唆が、自身を理解する手助けになったことは間違いない。

物語に傷つけられ、物語に生かされる

私は、物語が大好きだ。最初に書いた通り。それでも、物語は時に私をひどく傷つける。不躾な言葉で、ステレオタイプどおりのストーリー展開で、何度も何度も傷つけられてきた。それでも、私は読むことを、物語の先を知ろうとする手を、止めることはできない。

物語の数だけ、そこには色々な生き方が転がっているからだ。一人ひとりの人生を知ることは、一人ひとりの人生を擬似的に体験することでもある、と私は思う。物語の中でだけ、自分も一緒に恋できている、と感じることすらあるのだ。自分と似たような性格の登場人物の中に、自分自身の姿を見て救われることもある。異なる物語に没入するたびに、私は毎回、「ある一つの人生」を生きている。

だから私は、これからも色々な物語に出会いたいし、出会おうと思っている。そしてその中に、少しずつであっても恋をしない話が増えていってくれたら・・・・・・きっと私の物語人生は、さらに幸せなものになるだろう。

 

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