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Writer/チカゼ

櫻井翔さんと相葉雅紀さんの結婚報道で起きた、同性婚の “ネタ化” について

仕事中、スマホに突然「嵐の櫻井翔&相葉雅紀が結婚!」というニュースの通知が表示された。これは「櫻井くんと相葉くんがそれぞれ同時期に女性と法律婚をした」という意味だったんだけど、ぼくは「櫻井くんと相葉くんがパートナーシップを結んだ」と勘違いした。そしてなんと軽率にも、それをツイートしてしまったのだ。

「同性婚をした芸能人」が現れてくれたらいいのに

Yahoo!ニュースその他多くの著名なメディアで、「櫻井翔&相葉雅紀が結婚!」という見出しが使用されていた。いったいなぜ、メディアはこのような見出しを選んだのか。ぼくのツイートした内容及び経緯とともに、このことについて考えてみたい。

「同性婚」をネタ化するツイートが流れてきて

ぼくがニュースを受けてツイートした内容は、現在は削除済みである。自戒のためにスクショして取っておくべきだったんだけど、残念ながら動転していて忘れてしまった。内容としては、「櫻井くんと相葉くんが結婚(パートナーシップ締結)したのかと思った! いずれにせよ、世代的にも嵐をたくさん聴いてきたので、とても嬉しい」というものだった。

この当該ツイートについて、どなたかにご指摘やお叱りを頂いたわけじゃない。ただ、このツイートをしたほぼ同時期に、「同性婚かと思った(笑)」というような「(笑)」を文末につけた表現で「同性婚」をネタ化するようなツイートがタイムライン上に散見されたのだ。

もちろんぼくと同じように、彼らがパートナーシップを結んだと本気で勘違いしたらしい人も多くいた。でも、それの半分以上は、明らかに揶揄を含んだトーンのものだった。

それらと同じ意図があると受け取られる可能性を危惧して、ぼくはとっさに該当ツイートを削除した。本当は削除して、そのまま知らぬふりをし続けようと思ったんだけど。それではここNOISEで連載している身としても、ぼくの読者の方々にも、あまりに不誠実だ。

ぼくに、櫻井くんと相葉くんそれぞれの結婚を「ネタ化」する意図はなかったとはいえ(この言い回し自体ほんとうに無責任な感じがして嫌だ)、どう考えても不用意すぎたし、端的にいって失言である。だからその責任として、ぼく自身がそんなツイートをしてしまった心理を説明したい。その上で、ネタ化する人が現れてしまったことについて考察しようと思う。

「同性婚をする芸能人が現れてくれたらいいのに」という身勝手な願望

まずはぼくがそのようなツイートをしてしまった、原因となる心理について。ぼくは前々からずっと、「同性婚をした(パートナーシップを締結した)芸能人が日本にも現れてくれたらいいのに」という身勝手な願望を抱いていた。そうなれば世論も動くし、同性間の法律婚成立へのスピードは間違いなく加速することが予測されるからだ。

『モダン・ファミリー』のジェシー・タイラー・ファーガソンや、『セックス・アンド・ザ・シティ』のシンシア・ニクソンみたいな人が、日本の芸能界にも現れてほしかった。

それがもし、国民的人気アイドルである「嵐」のメンバーであるならば。間違いなく多くの人の関心を惹くだろう。そういう願望が心の奥底に眠っていたからこそ、櫻井くんと相葉くんに勝手にそれを期待してしまった。そして真実を知って、ちょっと落胆しちゃったのだ。

他人のセクシュアリティに勝手に「期待」する気持ちのおぞましさ

なあんだ、ただ2人がそれぞれ「女性」と法律婚をしただけか。「メンバー間でひっそりと交際を続けていたのかなあ」なんて、感動したのに。無意識のうちにそんなふうに思ってしまったからこそ、あのツイートをしてしまった。こうやって書いてみると、なんておぞましい感情なのだろうと我ながらゾッとする。

櫻井くんが、相葉くんが、女性を愛する人であること。彼らのセクシュアリティを、ないがしろにしたも同然だ。ぼくがシス男性である夫と手を繋いで歩いていると9割方「シスヘテロの男女カップル」と認識されることに、ぼくがノンバイナリーであることやバイセクシュアルであることが透明化されてしまうことに、いつも憤っていたというのに。そういう類いの「勝手な決めつけ」に、腹を立て続けていたというのに。

ぼくが彼らに対して抱いてしまった感情は、ぼくが怒ってきたあらゆる無神経さと同じだった。

思うだけならまだいい、あろうことかそれをそのままご本人やファンの方の目につく場所でつぶやいてしまうだなんて。これを書いている今も後悔の渦に呑まれて、溺れそうになっている。

「同性婚」を連想させる明らかなミスリード

そもそも櫻井くん・相葉くん結婚報道においてさまざまなメディアで使用された記事のタイトルは、「同性婚」をミスリードさせるものであったのは自明だ。いったいなぜメディアは、このような誤解を呼ぶタイトルをわざわざ選択したんだろう。

「同性婚」に敏感に反応するセクマイ当事者

まず考えられる理由としては、ぼくのような同性婚制定を望むセクシュアルマイノリティ当事者の目に引っかかりやすいというものが挙げられる。ぼくたちはこのような話題に対して常にアンテナを立てているから、そういう情報をキャッチしやすい。

ぼくはシス男性と法律婚をしたけれど、それはたまたまぼくの戸籍の性別が「女性」だったからできたことだ。ぼくはバイセクシュアルだから、結婚したいと望む人が「女性」であった可能性はじゅうぶんにある。同性婚が話題に登るたび、「もしあの人と別れていなければあの人と結婚する未来もあったわけで・・・・・・」。なんていう具合に、いつも昔の元カノの顔が目の裏に浮かぶのだ。

ぼくたちみたいに、そういう「同性婚」というワードに対して敏感に反応するセクマイ当事者の層も狙ったのかなあ、なんてぼくは想像している。ということはつまり、ぼくはまんまとその策略に乗せられてしまったわけだ。仮にそうだとしたらなんかつくづく情けないし、悲しい。

「同性婚」というワードで、「腐女子」に「ウケる」ことを狙った

以前にも何度かNOISEで書いている通り、ぼくはBLをこよなく愛する。とはいえ二次創作にはあんまり詳しくなくて、読むのはもっぱら商業BLばかりなんだけど。そしてこの二次創作BLには、ジャニーズに所属する実在のアイドルやタレントを登場人物に設定した作品が存在するのだ。

そのこと自体は、ぼくも知っていた。実際にぼくの友人にも、pixivなんかでそのような二次創作を書いて発表しているBL好きがいる。それ自体は、それほど問題ではないとぼく個人としては考えている。

問題は、それを積極的に見たいとは思わない人々の目にも入るようなオープンな場で公開する危険性だ。特定のワードで検索しなければ辿り着けないクローズドな場(インターネットの特性を考えると真にクローズドな場所などありはしないが)で楽しむ分には、まあいい。でも、本人及びそのような妄想を好まないファンが見たら、どう思うだろう。

とにかく、そういうシチュエーションを好む層は、必ずこのニュースの見出しに飛びつくはずだ。これが、「同性婚」を彷彿とさせるタイトルを設定した2つめの理由だろうか。

「同性婚」に飛びつく人の心理を利用して記事の拡散を目論んだなら

タイトルをつけた人たちがいちばんに狙ったのは、後者の「実在のジャニーズタレントをモチーフにしたBLを好む人々」層だとぼくは予測している。そうだとしたら、これってものすごくいやらしい思考じゃないか。

だってその人たちの “普段” では、それが当たり前になっちゃっているから。脊椎反射みたいに飛びつくことも、現実との境目を考慮できずに不用意な発言をしちゃうことも、じゅうぶん有りうる。

その心理を利用して記事の拡散を目論んだのならば、ぼくはものを書いて飯を食っている人間としても許せない。

「同性婚」ネタ化で傷つく人の顔を思い浮かべて

「実在する人間をモチーフにした二次創作」自体が悪だとは、ぼくは思わない。これについては賛否両論あるだろうし、ぼくの意見も今後変わっていくかもしれないけれど、現時点ではさっき述べた通りだ。でも、それを「嫌でもみんなの目に入ってしまうところ」で公にしてしまう無神経さは、ちょっと信じられない。

日本では同性婚がいまだに認められていない、という現実

「実在の人物をモチーフにした二次創作を好む人」からすれば、フィクションの世界の延長で、はしゃいだつもりだったのかもしれない。でも現状日本では、同性婚はいまだ認められていない。見通しも立っていないし、道のりはまだまだ長い。パートナーシップ制度があるからいいじゃん、なんていう人もいるけど、パートナーシップは「法律婚」とはまったく違うものだ。

だいたい愛する人同士の婚姻について、なんでお国が口出す権利を持っているのか、ぼくには甚だ理解ができない。この理不尽な現実に憤っている人が大勢いるというのに、「同性婚したのかと思った〜(笑)」なんていう、「(笑)」を付けたツイートをするのはいかがなものか。もちろん、茶化す意図はなかったにせよ自分の願望を露呈してしまったぼく自身も最悪だ。

これだけLGBT当事者が声を上げ、存在が顕在化し、ぼくが毎日必死でキーボードを叩いても、「同性婚」=ネタ化にしていい、という人々の根源的な差別意識はまだまだ変わっていない。なんだかやりきれない気持ちになるし、嘆息しちゃう。

「同性婚」ネタ化で傷つく人の顔を思い浮かべて

「同性婚」を思い浮かべるようなタイトルを選定した人にも、「実在の人物をモチーフにした二次創作を好む人」にも、ぼくのように「同性婚が認められてほしいと望む気持ちから引き起こした勘違いをそのまま表に出してしまった人」にも言えることなのだけど、結局のところみんながみんな、実在する人たちの顔を思い浮かべることができていなかったのだ。「同性婚」ネタ化を引き起こした人、ネタ化した人、願望を押し付けた人、全員が全員、想像力が欠如していた。

同性が同性を愛すること、恋に落ちること。これはけっして、フィクションの中でのみ起こる出来事なんかじゃない。この世界に実際に存在して、毎日起きてご飯を食べて、仕事をして、洗濯をして、呼吸をしている。今あなたがこれを読んでいることが、何よりの証拠になるだろう。女性にも男性にも恋をして性欲を抱くぼくは、この文章の向こうでキーボードを打っている。

「同性婚」を茶化して、後悔しているひとへ

自戒もこめて・・・

ついこのあいだの総裁選でも、同性婚について「まだ認めるところまで至っていない」などと発言する人が選ばれちゃったばっかりだ。それほどまでにこの日本社会では、「同性婚」の実現が遠い。

誤解を招くタイトルを付けた人、おもしろネタにしちゃった人、他人のセクシュアリティを尊重せずに身勝手な願望を押し付けた人、この文章をもし読んでくれているのなら、最後に。ぼく自身の自戒も込めて、これだけ言わせて。

できることから一歩ずつ

あなたに「まずかったな」と後悔する気持ちがあるのなら、せめてLGBT当事者・セクシュアルマイノリティ当事者の存在を知ってほしい。この世で生きる権利を求めて必死で声を上げ続けている人間を、いないものとして扱わないでほしい。

あなたにできることは、たくさんある。「同性婚 署名」と検索して、署名すること。LGBT活動団体に、寄付をすること。この文章をTwitterでシェアしてくれること。ぼくもやってみるよ、ぼくのできる範囲で。まずはこの文章を書いて、ここに公開する。

たったそれだけで、救われる気持ちがある。世の中の変革が、一歩近づく。そのことを頭の片隅に置いておいてくれたら、ぼくはとてもとてもとても嬉しい。

 

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