NOISE ライター投稿型 LGBT情報発信サイト
HOMEすべての記事 セクシュアリティと宗教は相反しない

Writer/Sogen

セクシュアリティと宗教は相反しない

同性愛者の多くは、一度は宗教とかっとうをしたことがあるのではないでしょうか。今でこそ同性愛は少しずつ社会に受け入れられてきていますが、多くの宗教ではそれを禁じる場合もありますし、罪とみなすことも多いです。今回は、「宗教」と「セクシュアリティ」について考えてみます。

宗教的な動機にもとづく同性愛者への人権侵害

現在も行われている同性愛者に対する転向療法(コンバージョンセラピー)

より自由なセクシュアリティの解釈が世に浸透するまで、「男女」の枠はもっと厳しく考えられていました。その中でも最も有名なのが、「性自認・性的指向」を矯正する転向療法です。男性は男性としてあるべき、女性は女性として生きるのが真っ当な道だと考えられ、それ以外はすべて邪道だという前提のもと、さまざまな療法でコンバージョンが行われました。

1980年代からはじまったと言われている転向療法は、初期はアイスピックによるロボトミー、電撃ショックなど残虐な療法が横行していました。更には、同性愛者などは悪魔や悪霊に支配されていると考えられ、エクソシズムを行う転向療法キャンプもあります。

同性愛はソドミーという罪とみなされる

現在となっては多くの州によって禁じられていますが、保守的なスタンスを持つ国や地域では今でもなお転向療法が存在します。転向療法を行おうとする背景には、ほとんどが信仰との矛盾、すなわちキリスト教(一部カトリック派や、極端な根本主義者など)と衝突しているからです。

同性愛は「ソドミー」。すなわちキリスト教の七つの大罪とかぞえられ、死後火に炙られ苦しむと言われます。そんな死後を避けるためにも、今でも多くの親は自分の子どもを転向療法キャンプへ参加させています。

ここまで読むと、「いや、コンバージョンはだめだ」「人権侵害だ」と否定する読者、あるいは疑問に感じる読者が多いと思います。実際には、筆者もそう思います。また、数多くの欧米の心理やカウンセリング学会/協会なども反対を示し、「転向療法には実質な効果をもたらすことが証明されていない」と異口同音に述べています。

ゲイ人権活動家が同性愛を罪とする牧師へ転身

女性と結婚し、キリスト根本主義の牧師へ

10年前、私はMichael Glatze氏のことをはじめてネットで知りました。彼は1990年から2000年代にかけてゲイ人権活動家として活躍し、ゲイのYGA(Young Gay America)誌も立ち上げました。

10年間付き合っていた彼氏もいました。よそから見れば、誰よりもゲイの人権に熱かった彼は、29歳の時、急きょ動悸が悪化し、彼の父親と同じように心臓関係の病で死ぬ恐れを目の前にしました。

幸い、彼は命をとりとめました。その後、彼の考えは一転します。宗教学校に入り女性と結婚し、キリスト根本主義の牧師となりました。根本主義とは、同性愛を罪とみなすキリスト教の一派の教えです。今でも彼はワイオミング州にて牧師を務め、規模は小さいものの教えを広めています。

映画 “I Am Michael” までもがリリース

社会に衝撃を与えた彼の存在は、すぐさまメディアに着目され、映画化されました。名俳優のJames Franco氏が主人公のMichael Glatzeを演じ、心境の変化から外部の変化まで、人権活動家時代から牧師へのトランジションをうまく演じています。また、主人公が当時10年間付き合っていた彼氏側からの世界観も表現され、とても考えさせられる映画です。ご興味ある方は、ぜひNetflixでご覧ください。

少し私の話をすると、私はゲイであると自認しているのですが、20歳ごろにはすでに自分のアイデンティティを消化し、完全に受け入れることができていました。したがい、Michaelの物語にはいささか疑問を感じましたし、動揺さえも感じました。

「私は、間違った育ちや何かきっかけにより同性愛者になってしまったのだろうか」
「男らしくなかった幼少期の自分が、そのまま『男性』の部分を磨かずに大人になり、同性愛者として完結してしまったのか」
「一同性愛者として、やはり死後は地獄を見るのか」

そんな苦しい質問に長い間さいなまれました。

ゲイのライフスタイルは「どこともなく空しく、無意義」

もともとMichaelは、男女ともに興味がありました。よって、多くの人・メディアは、彼のことをバイセクシュアルと認識し、「ゲイ」の部分を消して転換した訳ではなく、あくまで宗教上の理由で「女性」を選び取ったと解釈しています。ただし、インタビューの中で、Michael氏はこう言いました。「いや、私は元ゲイではない、私は私だ」と。また、ゲイのライフスタイルは、「どこともなく空しく、無意義だ」と述べました。

彼はまさしく、「熱いゲイ人権活動家」から「ゲイを罪とみる牧師」へと180度の大転換をしたのです。しかし、どれ程が「同性への愛を我慢」で、どれ程が「本当の意味での転換」なのか、彼の心境が少し気になるところです。

セクシュアリティは変わることもある

「セクシュアルフルイディティ」とはなにか

「セクシュアルフルイディティ」とは、性(Sex)と流動性(Fluidity)をかけあわせた言葉で、性自認(こころの性)や性的指向(好きになる性)が時間軸に応じて、その人の心境や経験、何らかのきっかけなどで流動的に動く状態を意味します。

ある時は、男性に恋し、ある時は女性に恋することもあれば、ある時は自分を女性と認知し、ある時は男女でもない中間として認知することもあります。

最近では、一歩進んで、「ノンバイナリー」という言葉も出ており、男女の枠を超えて「自分は男女のいずれにも該当しない」という概念までも出てきています。日本人の中では、宇多田ヒカルがそのようにカミングアウトしたのも記憶に新しいでしょう。

いずれも比較的新しく世に出回ったセクシュアリティの概念です。「LGBT」の言葉に益々と柔軟な解釈が加えられ、我々にももっと寛容が求められている時代がきていると言えます。

大人になってもセクシュアリティは変わる

2019年、10代から30代までの12,000人を対象にセクシュアリティに関するアンケート調査がアメリカで行われました。結果、セクシュアリティは20代初期から後半にかけて大いに変動することがわかりました。また、男性は9割以上、自分を異性愛者として主張し、「フルイディティはない」と認識していた一方、女性は6人に1人の割合でバイセクシュアルの可能性があると認識していました。

すなわち女性の方が、社会や文化の既成概念にとらわれず、フルイディティを経験する傾向がありました。一方、男性は、社会から求められる「男らしさ」の概念から脱却するのが難しく、更にはゲイとして貼られる「女々しい」や「弱い」というレッテルが、男性に「性的指向の変化」に対して抵抗を感じさせている要因だと研究者は分析しています。

周りにもいた「セクシュアリティ・フルイド」の友だち

前述の調査結果が示す通り、私の周りにもストレートからバイセクシュアルへ転換した友だちがいました。これまでは女性と付き合っていた彼は、ある日、職場で関係が親しくなった同性の同僚と性的な関係を持つようになり、いつの間にか付き合いが始まったと述べていました。

あくまで筆者の観察ですが、セクシュアルフルイディティが可能となる前提には、まず当の本人の中に「自分は異性愛者でないといけない」という既成概念が無いこと。さらに、自分と異なるセクシュアリティに色眼鏡を持たないという、共通項があるように感じられます。

現に、バイセクシュアルへ転換した友だちも以前から私がゲイであることを快く受け入れ、LGBTをアライとして支持していました。

宗教にも寛容性が求められる時代へ

死んでみないとわからない死後の真相

セクシュアリティは実にデリケートでむずかしい問題です。性的指向が変わること、LGBTであることは果たして罪なのか。宗教によっても異なる見解を持つため一概には答えられません。しかし、確信をもって言えるのは、私たちのセクシュアルフルイディティが変わろうと変わらなかろうと、どちら側にも必ず善人もいれば悪人もいるはずだということ。そして、正しいことをするものもいれば間違いを犯すものも必ずいます。

異性愛者でありながら不倫に走るもの。転換して同性愛者になりながら、愛と真実に則った人生を貫き通したもの。やはり、どちら側にも「天国」と「地獄」はあるように思えます。したがって、セクシュアルフルイディティとは関係なく、自分は真っ当に人を愛することができたか、人生をフルに生きられたかどうかこそが、私たちが自分に問うべき王道のクエスチョンだと思うのです。これこそが、後悔の無い、罪悪感の無い良き人生につながるのだと思います。

セクシュアリティは必ずしも「信仰」と相反しない

これまで、セクシュアリティと宗教は二元論であるかのように、宗教を信じるのであれば異性愛者として生きねばならない、信じないのであれば自由にセクシュアリティを解釈して良いという両側の考えを示してきました。

しかし、現に、キリスト教でもゲイの牧師はいますし(根本主義とは異なる教派ですが)、仏教でもトランスジェンダーやゲイの尼、僧はいます。宗教は決してセクシュアリティと矛盾するものではありません。宗教にも、多様性を受け入れる「寛容性」が求められています。

セクシュアリティに関わらず、皆それぞれに選択肢がある

アメリカで、転換療法を経験した大人のゲイ当事者が子どもと会話をする座談会が行われました。子どもに「ゲイ」のことをより理解してもらうのが趣旨です。転換療法を経験したゲイは、「私は決してその過程で自分のことを曲げやしませんでした。転換療法キャンプは辛くて刑務所のような毎日だったけど、『私は私』ですし、キャンプから逃れる為に自分に嘘はつきたくなかった。だから徹して『自分らしさ』を保ち続けました」と話しました。

自分らしさというのは、選択したものの連続によって生み出されます。良き人間として生きている以上、自分のセクシュアリティに誇りを持ちたいものです。

また、特に印象に残ったある子どもの発言を最後に記しておきたいと思います。小学生ながらも彼はこう言いました。「神様は私たちに選択肢を与えてくれました。私は愛することを選ぶ」。

これこそが、セクシュアリティの概念に対する答えなのではないかと思うのです。

◆参考URL
・The Lies and Dangers of Efforts to Change Sexual Orientation or Gender Identity
https://www.hrc.org/resources/the-lies-and-dangers-of-reparative-therapy

・A Gay Activist’s Journey To Christian Fundamentalism: ‘I am Michael’
https://www.npr.org/2017/01/26/511224728/a-gay-activists-journey-to-christian-fundamentalism-i-am-michael

・A New Study of 12,000 People Says Sexuality Changes Well Into Adulthood
https://www.marketwatch.com/story/new-study-of-12000-people-says-sexuality-changes-from-adolescence-into-adulthood-2019-05-03

・Kids Meet A Gay Conversion Therapy Survivor
https://www.youtube.com/watch?v=4q-fCuy7B40

RELATED

関連記事

ロゴ:LGBTER 関連記事

TOP