02 小学校では、大の人気者
03 ようやく理解できた父親の性格
04 中学の男子寮生活で意識したゲイ
05 人の幸せを学ぶために 日本への留学を決意
==================(後編)========================
06 ついに憧れの国へ旅立つ
07 2畳の部屋で夢を追った浪人生
08 念願の大学生活は順風満帆のスタート
09 すれ違いになった ふたりの告白
10 失恋と次の恋を経験し、はっきりとゲイを自認
01明るい性格のお母さんが大好きだった
マレーシアの典型的な中華系家族に生まれる
マレーシアのペナン島の対岸、バターワースで中華系の家庭に誕生。
両親、父方の祖父母、そして、父の弟が一緒に暮らしていた。
4年後、弟が生まれて7人家族となる。
「実家はマレーシア風のタイ料理、トムヤム食堂を経営していました。家族みんなで、店の2階に住んでいました」
マレーシアの町には屋台が集まった食堂街がたくさんある。
「マレーシアの人は1日に5、6回食事をするんです。みんな食べるのが大好きです」
あそこに新しい店ができたから、ちょっと行ってみよう! という軽いノリだ。
実家の食堂も、そういう人たちを相手にしていた。
家族の中で一番仲がよかったのはお母さんだ。
「お母さんは明るい性格で、誰に対してもとても優しく気を配ることができる人です。ぼくも、お母さんが大好きで何でも話すことができました」
幼稚園に行くときに、お母さんと離れたくなくて泣いて駄々をこねたこともあった。
弟が生まれるときは、ワクワク、ドキドキ
「幼稚園のとき、お母さんに『ぼく、弟が欲しいよ』と、お願いをしたことがありました」
お母さんの返事は、「子どもを産むのは、そんな簡単ではないんだよ。少し時間をちょうだいよ」。
しかし、1年後、願いが通じて弟が生まれた。
「弟が生まれたとき、かわいくて、ドキドキしました。本当にうれしかった」
でも、大人たちが赤ちゃんをあやしていると、自分がないがしろにされたみたいで、嫉妬することもあった。
「ぼくは甘えん坊だったから、嫉妬深かったんでしょう。それは、今も同じです(笑)」
02小学校では、大の人気者
みんな友だち。天国のようだった小学生時代
小学校は中華系のパブリックスクールに通った。
「お母さんが、水を張ったビニールプールに、おもちゃをたくさん入れて戦わせるゲームを考えてくれて、いつも弟と遊んでいました」
肌の色が白い、ぽっちゃりタイプ。学校では大の人気者だった。
「友だちがたくさんいて、先生にも好かれて。人間は全員が仲間、と思っていました(笑)」
「純粋だったのか、言われたことは何でも信じてしまいましたし」
ある日、「あの床の汚れを踏んだらお化けが出るぞ」とからかわれて、それを信じてしまった。
「ジョーダン、踏んでみろ!」と友だちに押されたり、押し返したり・・・・・・。
「本当に楽しかったですね。何の悩みもなくて・・・・・・。今でも、あの頃に戻りたいと思うことがあります」
かわいいと思う子が好きな子?
「女の子の友だちもたくさんいました。でも、『好き』という感情を抱く相手はいませんでした」
「『好き』が何なのか、さっぱり分かりませんでした」
男子の間では、「女子トイレに入ってみろ」などの悪戯も流行っていた。
「トイレなんて、便器があるだけでしょ? そんなところに入ってみたいとも思わなかったし、好奇心も沸きませんでした」
振り返ってみれば、女の子に対する興味がなかったのだろう。
あるとき、友だちから「かわいいと思ったら、それが『好き』なんだよ」と教えられる。
そう考えると、確かにかわいいと思う子がクラスにいた。
「その子が『自分が好きな人』なんだ、と考えるようになりました」
でも、デートをしたり、手をつなぐことはなかった。
「何でデートをする必要があるの? と思っていました。ただ、かわいいと思っているだけで十分。それ以上の感情はありませんでした」
結局、その子とは、ただの仲のいい友だちで終わってしまった。
03ようやく理解できた父親の性格
弟は父親似、ぼくは母親似
小学生の頃は、弟とふざけて遊ぶうちに、ケンカになることもよくあった。
そんなとき、お母さんは「ジョーダン、弟に譲ってあげなさい。仲よくできるでしょ」と、いつも優しくたしなめてくれた。
一方のお父さんは、長男であるぼくには厳しかった。兄弟ゲンカのときは、いつも弟の肩を持った。
「お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい、といつも怒られていました」
どっしりとして、威厳があるタイプ。
お父さんとは性格が合わなくて、話をすることもあまりなかった。
「弟は口数も少なくて、お父さんによく似ていました。二人はお互いに分かり合える関係でした」
「ぼくはよく喋って、誰とでも仲良くなるタイプ。お母さんにそっくりでした(笑)」
ようやく理解できた父親の性格
「お父さんとお母さんは、とても仲がいい夫婦です。今でも手をつないで歩いています」
お母さんは甘えるのが上手。夫婦仲がいいので、家庭も明るい雰囲気だった。
「お婆ちゃんのお店は給与が低いから、中学校になったぼくと弟の学費や生活費のために、両親とも外で働くようになりました」
親戚から野菜を分けてもらいながら、何とか家計をやりくりした。
「お父さんは辛くて、ときどきイライラすることはあったけど、じっと我慢して頑張っていました」
「お父さんは男ばかりの三人兄弟の長男で、やはり子どものころ、厳しく育てられたんだそうです」
お母さんからその話を聞いて、ようやく父親の性格を理解することができた。マレーシアは男らしさが尊重される。
「ぼくの家は違いますが、マレーシアはイスラム教の国です。社会での男女の役割は、厳しく区別されているんです」
「周りの人の協力や家族みんなの努力があって、ぼくが高校に入学する頃、海の近くのアパートを買えたんです」
寡黙に頑張る父親の姿が、初めてカッコよく映った。
04中学の男子寮生活で意識したゲイ
アダルト動画が好きなフリ
中学は海峡の対岸、ペナン島にあるプライベートスクールに進学。
家から遠くて通えないため、男子寮に入ることになった。
「とにかく寂しかったですね。お母さんと弟と離れて暮らすことが、なかなか受け入れられませんでした」
最初の頃は、友だちもいない。さっそく、男子寮らしい悪戯の洗礼も受けた。
「シャワー室は壁が低くて、背が高いと隣のブースを覗けるんですよ」
「ぼくは背が低いから覗かれるばかりでしたけど、人の裸を覗いてみたいな、という気持ちも沸いてきました」
男性の体に興味を持ち始めたのはその頃だ。
学校は共学だったが、相変わらず好きな女子は現れない。自分はヘンなのかもしれない、と思い始める。
「友だちはスマートフォンでアダルト動画を見ていました。ジョーダン、お前はどの動画が好き? と聞かれるたびに、答えに困っていました」
「アダルト動画に興味がないと、ホモじゃないか、と疑われそうで」
それをごまかすために、「胸が大きいのがいいね」などと適当に嘘をついた。
「そのうち、ジョーダンはエロいのが好きだ、と噂されるようになりました。ぼくにとっては作戦どおり。セーフ! という感じでした(笑)」
ヘンな二人組と初めてのゲイ体験
中学の1年後輩にヘンな二人組がいた。
「ナヨナヨとした女っぽい奴らで、次々と男子に声をかけていました」
ふたりは堂々とゲイを公言していて、言動のユニークさから学校中に知れ渡っていた。
ファッションにもくわしく、ある意味、アイコン的存在だった。
「まるでハンターみたいに、常に獲物を狙っていました」
そして、ついに自分がターゲットになる番が訪れる。
「ジョーダンのアソコ、見たいな」
ふたりにつかまり、3人にだけの場所でダイレクトに “口説かれた”。しかし、実は自分も興味があったので、嫌ではなかった。
「じゃあ、一緒に見せ合おう」と契約が成立。3人で一緒にパンツを脱いだ。
それが初めてのゲイ体験となった。
カモフラージュで女の子に声をかける
中学のクラスでは、次々と男女のカップルが誕生していった。
「ぼくもガールフレンドを作らなきゃいけない、とあせりました。だって、女の子に興味がないことがバレちゃう!」
かわいいと思う子に声をかけるが、失敗ばかり。オッケーを出してくれる人は、一人もいなかった。
「ジョーダン、またフラれたのか、と仲間に笑われましたけど、全然、悲しくはありませんでした」
もともと、つき合いたい子がいたわけではないから、悲しいはずがない。
それよりも男性に興味があることを隠すことが大切だ。
「マレーシアでは、日本以上に同性愛者は差別されます。絶対にバレないように、という気持ちが強かったですね」
相変わらずアダルト動画を見せられたが、自分の視線は明らかに男優の方に向いていた。
05人の幸せを学ぶために日本への留学を決意
男性と女性の間で揺れる気持ち
同じ寮で暮らす同級生に、気になる男子がいた。
「とても明るい性格の人で、話していて楽しい気持ちになる人でした」
恋愛感情を意識したわけではないが、彼がほかの人と親しそうに話していると嫉妬が芽生えた。
「後で考えると、彼のことを好きだったのかもしれませんね。そのときは分かりませんでしたけど・・・・・・」
次第に男性への興味を自覚し始めたものの、自分がゲイだとはまったく思っていなかった。
「多分、女性も男性も好きになれるのだろう、と考えていました」
将来は女性と結婚をして家庭を持つ。その既定路線を疑ったこともなかった。
初めてぶつかった人間同士の壁
小学生のときは誰とでもうまくいった人間関係で、悩むこともあった。
「中学では声をかけても、冷たくされることがありました。何でその人とうまくやっていけないのかと悩みました」
1年生から学級委員に指名されたことが妬まれた原因だったのか・・・・・・。そのときは理解ができないままだった。
「自分がいい子でいるだけでは不十分。相手の気持ちを理解しないと、人間関係は築けない。そう気がついたのは、大学に入ってからでした」
さらに辛いこともあった。
寮の管理人に身に覚えのない罪を糾弾されたのだ。
「自分にはまったく心当たりのないことでした。ぼくじゃないよ、なんで信じてくれないの。泣きたいくらい悲しい気持ちになりました」
周囲の友だちにも、自分を信じてくれない人がいた。
耐えられなくなり、辛い体験を家族に報告。中学3年のときに寮を出て、お母さんの知り合いの家に下宿することになる。
日本への留学を決意
中学生のときに、大きな目標を持った。
「日本の大学への留学を決意しました」
背景には子どものころからお母さんと通った信仰の集まりがあった。そこで人間を大切にする思想を教えられてきたのだ。
「なぜ、人はみんな幸せになれないのか。なぜ、ケンカをしたり、いがみ合ったりするのか。そんな疑問を持つうちに、その答えを日本で探したいと思うようになりました」
人間関係の壁にぶつかることで、自分の弱さも見えてきた。人間の笑顔の裏には別の一面が隠されていることも学んだ。
いろいろな経験を積むことで見つけた目標だった。
「でも、高校を卒業するのは、まだ先のこと。日本語の勉強は、まだまだ始めませんでした(笑)」
<<<後編 2019/04/27/Sat>>>
INDEX
06 ついに憧れの国へ旅立つ
07 2畳の部屋で夢を追った浪人生
08 念願の大学生活は順風満帆のスタート
09 すれ違いになった ふたりの告白
10 失恋と次の恋を経験し、はっきりとゲイを自認