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Writer/雁屋優

札幌地裁の判決とLGBT

2021年3月17日、札幌地裁で 【同性婚を認めないのは違憲である】という全国初の判決が出ました。“結婚の自由をすべての人に” という訴訟で、全国初の判決が出ました。この判決は、法の下の平等を定めた憲法14条に反しており、違憲であるというものでした。この判決はLGBTに、ひいてはこの社会に何をもたらすのでしょうか。

結婚の自由をすべての人に。札幌地裁の判決

2019年から「MARRIAGE FOR ALL JAPAN 結婚の自由をすべての人に」という動きがあり、全国各地で訴訟が起こされていました。その一つ、札幌地方裁判所での判決が2021年3月17日に出ました。

札幌地裁での判決について

2021年3月17日の昼間。Twitterが唐突に騒がしくなりました。札幌0317のタグで次々にお祝いの言葉がツイートされていきました。何が起こったのかと調べてみると、“結婚の自由をすべての人に” 訴訟に関する判決が出たとのことでした。

見出しは、「同性婚を認めないのは違憲」と大きく書かれ、夕方のニュースにもなりました。私も、この判決にはとても驚きました。司法は同性婚を認めないつもりだとどこかで決めつけていたからです。

率直に言って嬉しかった

同性婚を認めないのは、憲法14条の法の下の平等に反するとした違憲判決は、率直に言って、嬉しいものでした。法律婚(婚姻届を出し法的な保障を受ける結婚)の選択肢として、同性婚が認められれば、同性の友人との友情婚ならありかもしれないと思っていた私にも、選択肢が増えます。

同性婚が認められれば、公的にも同性愛者への排除が弱まることも考えられます。その意味でも、同性婚を認めないことは違憲であるとする判決は、喜ばしいものでした。

同時に訪れた懸念

では、“同性婚が法的に認められた社会” はユートピアなのでしょうか。私は、それは違うと思います。同性婚が法的に認められることによって、同性愛者への差別は減るでしょう。異性婚と同様に扱わねばならないという意識が定着し、生きづらさが解消されることも期待できます。

しかし、そこには別の差別や「べき論」が生まれてしまわないか、と私は危惧しています。例えば、「人は皆、結婚するべきだ」といった主張をする人がいます。そのような人たちは、同性婚が法的に認められた社会で、「同性婚も認められていて、誰もが結婚できるのに結婚しない人はおかしい」などと言い出しかねません。

また、今でも散見される両性愛者への偏見や誤解は、消えずに残ることが予想されます。同性婚が法制化されることは、セクシュアルマイノリティへの差別が消えることとイコールではないのです。

同性婚が可能になっても、複数人と関係性を結ぶポリアモリーの人や性愛感情を抱かないアセクシュアルの人には、結婚の選択肢はないもしくは必要ないのかもしれません。同性婚が法制化されても、結婚できない人はまだまだいる、という現状を忘れてはいけませんし、他人の選択に口を出してはいけないことも肝に銘じる必要があります。

LGBTに限らずすべての人にとっての結婚

この動きのなかで注目すべきなのは、「すべての人に」と言っている点だと私は考えます。

同性婚を望んでいるのはLGBTの人々だけではないのかもしれない

レインボーフラッグがはためいたこの裁判で、原告の方々がLGBTやセクシュアルマイノリティではなく、「すべての人に」と掲げたことに大きな意味があると私は感じています。というのも、LGBTやセクシュアルマイノリティであれば、その結婚は恋愛感情が伴うものとイメージされますが、すべての人に、であれば、恋愛によらない結婚、私が以前書いた友情婚なども含まれてくるからです。

結婚すると得られるさまざまな効果を同性の友人とともに得て、友人とともに生きていきたいと考える人々もいます。そういった人にとって、同性婚は新たな道を拓くことになるでしょう。

そもそも、結婚は何のためにあるのか

この裁判の過程において、「結婚は子どもを産み育てるためのものである」といった主張が散見されました。国も、そう主張しました。私は、この主張は時代錯誤であるし、事実に即していないと考えます。

子どもを持たないと決めるカップルもいますし、身体的な理由、経済的な理由などから、子どもを持つことができないカップルもいます。もし国の主張の通りであるならば、この人たちから、法律婚を取り上げなければいけません。実際には、そんなことをしたら、人権侵害として、大きな問題になります。

結婚は「子どもを産み育てるためのもの」ではないのです。現代における結婚は個人と個人が結びつき、ともに生きていくための制度であると思います。

結婚って、そもそも何?

結婚とは何なのでしょうか。何のために、人は結婚するのでしょうか。結婚に含まれることが多すぎて、自分には結婚のどの要素が必要か、よくわからなくなっていました。そんなときに、「結婚分解ワークショップ」の存在を知り、参加を決めました。

結婚分解ワークショップを経て考えたこと

結婚について考えていた私は、みらい館大明ブックカフェのオンラインブックカフェで開かれた「結婚分解ワークショップ」に参加しました。

分解された法律婚の要素

このワークショップでは、法律婚に含まれている要素を次々分解していきました。出産や育児、セックス、社会との関わりなど、さまざまな要素が法律婚には含まれていることがよくわかりました。なかには、墓守もあって、「お墓、そんなに大事なの?」と、私はカルチャーショックを受けました。私の親は、お墓や葬儀にお金をかける気のない人で、私もそうなのです。

法律婚にはあまりに多くのものが含まれていることが、ワークショップを通じて明らかになりました。こんなに多くのものを法律婚と同時に背負うのは、重いと感じる人がいるのも、無理はありません。その重さをいいと感じる人もいるでしょうが、もう少し自由があってもいいんじゃないかな、と思ったのです。

私の求める関係性を考える

そしてワークショップは本題、自分の求める結婚カスタマイズに入っていきます。私は、そこで、かなり簡素な婚姻を求めていたことに気づきました。財産の共有もいらないし、恋愛やセックスの制限もいらない、同居もしなくていい。

一緒に何かを楽しんで、ともに生きて、手術の同意書にサインするなどのことが必要になったときに、来てほしいというものでした。

このワークショップの企画者の一人、ポリアモリーについて伝える活動をしているきのコさんから、「それ、実現できますよ」と言われて、私は本気で公正証書なるものについて調べてみることにしました。また婚前契約書(プレナップ)なるものの存在も知り、選択肢が増えていきました。

方法が「ない」人もいる

企画者の方たちのお話を聞いていると、今ある制度のなかでできることをやろうと、あれこれ考えている人は多いのだとわかります。でも、それでは、「足りない」人たちもいる。その「足りない」を解消するための今回の訴訟なのでしょう。その人たちの望む関係性が社会に否定されない世界が望ましいと考えます。

誰もが望む関係性を築ける未来へ

結婚分解ワークショップを終えて、私は望む関係性を考えていました。

私の望む関係性

結婚分解ワークショップで考えたのは、結局のところ、「私の望む結婚」でした。でも、そもそも、結婚すら求めていなかったことに気づいたのです。結婚にはどうしても、恋愛的な意味や好意が付随します。好意的に思っていない相手とプライベートな関係性は築きたくはありません。しかし、結婚という響きは少し違うと感じました。

私は相手に何をしてほしいのか、そして相手は私に何を求めているのか、それを明確にすることが大事だと考えました。関係性の名前などは後から誰かがつけてくれるでしょう。大事なのは名前ではなく、中身です。

私の考えとしては、私が倒れたときに法的に決定権をもつ人が、親やきょうだいではなく、好ましく思う、信頼できる相手である状況にしておきたいというのが一番先にあります。それから、定期的に互いの生存を確認しあって、一緒にごはんを食べたり、ゲームをしたり、好きなことを共有したりしなかったりをしてともに生きたいです。

そして、私が亡くなったときには、私の遺したものを受け取ってほしいです。金銭的な遺産はそう多くは遺せないでしょうが、私の例で言えば、本はきっとたくさんあります。それを大事にしてくれる相手なので、信頼して遺せます。

相手が求めることは私のそれとは少し同じで、少し違っていても、それを並べてみて、お互いが相手の求めるものを満たしあえるなら、関係は成立しうるのでしょう。

関係性を結ばない選択肢もあっていい

信頼できる、この人なら任せられると思う人に、私は幸いにも出会えました。しかし、なかには、生まれ育った家族も信用できなければ、新たに出会う人たちのことも信用できない人もいます。それは、まったく悪いことではないのです。悪いのは、家族というものに大きな役割を押しつけてきたこの国の制度です。

家族がいないと、入院や手術すらできない、家も借りられないという現状が存在します。ですが、人間はどんな関係性をもっていたって、いずれ、最後の一人になるリスクはあるのです。ですから、関係性をもたない人でもお金を払えば保証会社などを頼れる仕組みが必要です。

多様な関係性のある社会へ

今回の札幌地裁の判決は、同性婚を求めている人だけではなく、多様な関係性を模索する人にも朗報であったといえます。同性婚の法制化は多様な関係性が作られていく礎になるのです。ここでは詳しく書きませんでしたが、選択的夫婦別姓なども、多様な関係性をつくるのに必要な制度であると考えています。

男女の結婚のみではなく、現在の法律婚以外の選択肢を多く用意し、また結婚という制度や「夫婦」といった関係性を望まない人も排除しない、そんな仕組みづくりが求められています。

幸せの形をたくさん考えていくことは私たちを少しずつ生きやすくするでしょう。

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