02 中3で両親にカミングアウト
03 トランスジェンダーの存在を知る
04 「男であろう」と必死だった
05 ”気の合う女友だち” の延長で結婚
==================(後編)========================
06 フルタイムの女性として生きたい
07 もう、隠せない。私はMTF
08 本当の自分に戻りたいだけなのに
09 肩書も収入も捨て、ゼロからのスタート
10 今、自分ができること
01女の子の名前がほしい
「男だからダメ」なことがしたい自分って?
京都・西陣で100年以上続く織元の長男として生まれた。6歳下の弟が1人。
父親は3代目。
伝統を受け継ぎ、守るべく粛々と仕事をしていたが、家族の要として家の中を仕切っていたのは母親だった。
「幼い頃は誰でもそうなのかもしれませんが、母親のことが好きで、いつも母親にしがみついているような子でした」
しかし、幼稚園に通い始める頃、単に「母親のことが好き」というのとは、少し違うのかもしれないと思い始めた。
「母親の化粧が気になって、内緒で自分も化粧をするようになったんです」
夏に、友だちの女の子が足の指にペディキュアを塗っているのを見てうらやましくて、母親に「私にもして」と頼んだことも。
「そうしたら、『あんたは男だから、ダメ』と言われて」
「男だから、ダメ」なことをしたい自分は、何なんだろう?
今でこそ、LGBTという言葉を知っている小学生も少なくないだろうが、当時は小学生どころか大人たちも知らなかった。
「『自分は男ではないのかもしれない』と感じてはいたものの、姿は男だから、そんなことを親に話したら叱られると思っていました」
母親には比較的、何でも話していたほうだったが、性別への違和感についてだけはずっと隠していた。
自転車に乗って、自分で家裁へ確かめに
「ただ、自分でもよくやったなあと思うんですけど(笑)、小学校高学年の頃に名前を変えたいと思って、行動を起こしてはいるんです」
両親は当然、男の子の名前をつけてくれていたが、自分としてはかわいい名前に憧れていた。
弟の名前は、音読みをすると女の子の名前にも受け取れる。それがうらやましくて仕方がなかった。
「誰から聞いたのかまったく覚えていないんですけど、あるとき『名前を変えられる』ということを知ったんです」
「自転車で家庭裁判所まで行って確かめたら、『変えられますよ』って」
そこである日、母親に「名前を変えたい」と訴えてみると、意外なことに母親もその気になった。
「もともとの名前は、父親の独断と偏見でつけられたようです。だから母親は、今度こそ自分の意見をと考えたのかもしれませんね」
母親は、姓名判断ができる知り合いに相談に行き、「画数がいいんだって」と、新しい名前を見せてくれた。
「ところが、それは元の名前と画数が違うだけで、”読み” は同じ。つまり、男の子の名前だったんです」
「思いがかなわなくて、本当にがっかりしました」
「でも、今思えば、母親はまさか息子が女の子の名前に変えたがっているなんて、知るはずもないですもんね(笑)」
さすがに、「この名前は嫌だ」とは言えなかった。
ちなみに、戸籍上の名前が変わったのは高校3年生の時だ。
「小学生時代の経験が、今の名前に変える際にすごく役に立ちました。前の名前は不満でしたけど、あのとき名前を変えたことは無駄ではありませんでした」
02中3で両親にカミングアウト
父親を同性とは思えなかった
母親とは、中学3年生まで一緒にお風呂に入っていた。
「でも、その頃からだんだん毛が生えはじめて、母親に『これからは1人で入って』と言われたんです」
どうして?
母親の言っていることの、意味がわからなかった。
「母親とは『同性だ』という感覚があったのかもしれません」
対して、父親のことは自分と同性だとは思えなかった。
「だから、父親と一緒にお風呂に入るのはイヤで、ずっと避けていました」
自分は男として生まれたけれど、本当は男ではないのかもしれない。
そんな疑問をずっと胸の中に抱えていたが、とうとう我慢できなくなった。
誰にも知られてはいけない
「ある日、両親に『私、女の子かもしれない』と打ち明けたんです」
当時は「カミングアウト」という言葉も知らず、ただ、自分ひとりで抱えきれなくなったモヤモヤを吐き出しただけ。
母親には「何、バカなことを言っているの」と一蹴され、事実上、これが自分にとって人生初のカミングアウトとなった。
「私としては、名前を変えることとカミングアウトは1本の線でつながっていましたけど、両親はそんなこと、思いもよらなかったんでしょうね」
無理もない。
当事者以外は、「セクシュアリティ」というものについて、考えが及ぶことはなかったのだろう。
「このとき以来、両親にはもちろん他の誰にも、性別に違和感を抱いていることをしゃべってはいけない、知られてはいけないと思うようになりました」
03トランスジェンダーの存在を知る
いつも女の子が味方だった
小学校、中学校と、仲良くしていたのは女の子たちだ。
第二次性徴期を迎える小学校5,6年生くらいまではみんな、男女の別なく遊んでいた。
女の子と仲良くしているからといって、誰に何を言われることもなかった。
「でも、中学生になると、男女、お互いに異性を意識し始めるようになるじゃないですか」
「だから、男子生徒からの ”いじめ” のようなものはありました。『コイツ、女っぽい』って」
「オカマ」と、からかわれたような気もするが、当時のことはあまり覚えていない。
「嫌なことは、忘れちゃうタイプなんです」
覚えているのは、男子生徒にいじめられていると、女の子たちが助けてくれたことだ。
「女の子同士だから?(笑)」
少なくても自分は、彼女たちとは同性だと感じていた。
「実は、女の子の制服がうらやましくて、お小遣いでこっそり買っていたんです」
それを着ることはなかったが、持っているだけで女の子になれるような気がした。
私、この人たちと同じかも?
自分は女の子だと思いながらも、高校は両親が勧める男子校に通うことに。
女子校に通えるはずもなく、「そこに行くしかなかった」というのが本当のところだ。
「男子生徒ばかりの中にいることで、自分も男であることを何とか保っていられたような感じでした」
「ただ、高校生くらいの男の子って臭うじゃないですか(笑)。あれが、イヤだった・・・・・・」
他の生徒たちにくらべると、女の子っぽかったかもしれないが、とくにいじめられることはなかった。
何年生の時だったろうか。ある日、クラスメイトたちについて、エッチな本がたくさん並ぶ本屋に入った。
「みんなは女性のグラビアを見て大興奮してましたけど、私は全然(笑)。一応、みんなに合わせて、よろこんでいるフリをしてました」
その時、ある雑誌に目が止まった。
「トランスジェンダーの人向けの雑誌です。男性から女性に、女性から男性に、という人たちがいっぱい載っていたんです」
それまで、自分はいわゆる ”オカマ” か ”女装趣味の人” なのかもしれない、と思っていた。
「でも、どちらも、なんか違うような気がしていたんですよね」
ところが、その雑誌で「体は男性だが、心は女性」という人たちを見たときは、「これだ!」と思った。
「でも、そうは思いつつも・・・・・・。心は晴れませんでしたね。どうしよう、という戸惑いのほうが大きくて」
インターネットも普及する前だったから、トランスジェンダーについて調べる術もない。
相変わらず、ひとり悶々とする日々が続いた。
04「男であろう」と必死だった
「女たらし」と言われて
高校卒業後は、美術系の短大へ。
美術系ということもあって、大学内は自由な雰囲気だった。
「制服もないし、男らしさを押し付けられることもなくて、ホッとしました」
中学時代と同様、気が合ったのは女の子たち。
女友だちの家にみんなで集まって、よく遊んでいた。
「おしゃれの話とかできるから楽しくて」
「でも、彼女たちにとって私は、やっぱり男なんです」
「だから、夜9時頃になると私だけ『もう帰ってね』と言われて。それがすごく悲しかったですね」
女の子たちと遊んでいることについて、男子学生から何か言われることはなかったが、女子学生の中には誤解する人もいた。
「私がいろいろな女の子と一緒にいるから、『女たらしだ』って(笑)」
そんなこともあったが、今思えば、女の子たちと一緒にいられた短大時代が、精神的にいちばん楽だったような気がする。
「男であるために」ダートラ&レースを始める
18歳で自動車免許を取得すると、ダートラやレースに参加するようになった。
「小さい頃から車が好きだった、ということもありましたけど、男らしい趣味なら、親も安心すると思ったんです」
「自分の気持ちとしても、車やその関係の人たちとつながっていれば、男性としていられるような気がして」
車の趣味はお金がかかる。ラリーやレースとなれば車の消耗が激しく、維持が大変だ。
借金をしながら車を買い、走り続けた。
「走るのが楽しいということもあったけれど、やっぱり『男であるために』という気持ちのほうが強かったような気がします」
05 ”気の合う女友だち” の延長で結婚
なんとなく陶芸の道に
短大を出た後は実家を離れ、焼きもの会社に就職した。
「とくに陶芸が好きだったわけではなくて、なんとなく、です」
陶芸は、土をこねて形作るだけではない。
仕事は想像以上にハードだった。
「焼いている間はずっと、高温の釜のそばについていなくちゃいけないから、しょっちゅう脱水症状になって、倒れることもありました」
「土は重いし、ろくろ台への上げ下ろしには力がいるし。すぐに腰痛に悩まされることになって」
ひとり暮らしで、きちんとした食事が摂れていなかったこともあったのか、体を壊してしまう。
結局、1年半ほどで会社を辞め、実家に戻ることにした。
仲良しと離れたくなくて、結婚
実家に戻ってしばらくはアルバイトをした。その後、家業を手伝うように。
おもな仕事は、営業だった。
「おもに百貨店の呉服売り場を回っていたんですが、物産展のようなイベントの際には売り子もしました」
自分は長男だから、やがて父親の後を継ぎ、織元の4代目となるだろう。
となれば、伝統を重んじる土地柄、結婚をして家庭を持つことを求められる。
両親をはじめ、周りからの無言のプレッシャーを感じた。
「自分が何者かわからなかったこともあって、女性とおつきあいしたこともあるんです」
「でも、『あなたは優しすぎて、優柔不断』『一緒にいても、女の子といるみたい』と言われてフラれるのが、いつものパターンでした」
「女友だちからも、『友だちとしてはいいけど、あなたの彼女にはなれない』って(笑)」
女友だちはたくさんいた。その中のひとりと、28歳のときに結婚。
仕事を通じて出会った、3歳下の女性。
「化粧っ気がなく、ショートヘアでちょっとボーイッシュ。性格もサバサバしている子でした」
「普通、男性が女性を支えるものなんでしょうけど、私はそういうことが苦手。その点、彼女はしっかりしていたから、私が無理してがんばる必要はなかったんです」
一緒にいると、気持ちが楽だった。
「ある時、彼女が実家へ戻るように両親から言われて。実家は遠かったので、いくら友だちでも今のように会えなくなるなって」
「それは寂しい、離れたくないって気持ちがお互いに強かったんです」
「一緒にいるためには結婚するのがいいね、という話になって」
「結婚」という形をとれば両親は安心するし世間体も保てる、という気持ちもあった。
急な話だったこともあり、最初は両親に猛反対されたが、結局、父親が折れ、結婚した。
28歳だった。
<<<後編 2018/09/10/Mon>>>
INDEX
06 フルタイムの女性として生きたい
07 もう、隠せない。私はMTF
08 本当の自分に戻りたいだけなのに
09 肩書も収入も捨て、ゼロからのスタート
10 今、自分ができること