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Writer/HOKU

フロリダの「性的指向の議論禁止」法案可決から考える、日本のLGBT差別

アメリカ・フロリダ州で一つの法案が可決された。小学校での「性的指向・性自認についての議論禁止」の法案である。少しも考えてみなくたっておかしな法案だ。だが、「こんなLGBT差別がまかり通るなんて、アメリカは随分過激な国なんだなぁ」などの感想をもつのみで、思考停止してはいないだろうか。

フロリダの「性的指向の議論禁止」法案とは?

生徒に対する性的指向・性自認についての授業を禁止する「性的指向の議論禁止」

この法案は、幼稚園から小学校3年生までの児童に対する性的指向・性自認についての授業を禁止。それ以外の学年に対しても、「適切な」授業でない限りはやはり授業を禁止する、というものである。反対派からは、「Don’t Say Gay Bill(ゲイと言ってはいけない法案)」と揶揄されている。

つまり、性的指向・性自認についての授業を行なった教師は、軽犯罪者として扱われることになる。性的指向・性自認についての授業を禁止したのはフロリダ州が最初ではあるが、同性愛を描写した教材を使用することを禁止する法律(カンザス州)や、セクシュアルマイノリティについて議論してはならない法律(インディアナ州)などが提案されている地域は他にもある。

教師たちは、この「性的指向の議論禁止」に従わざるを得ない

この法案が施行されると、教師が「性的指向・性自認についての授業」を行っていた場合に、保護者が教師を訴えることができるようになってしまう。これは教師の言論の自由を奪うのではないか、と思われる。

そう、確かに、合衆国憲法修正1条には、「連邦議会は、(略)言論若しくは出版の自由、又は人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を侵す法律を制定してはならない」とある。ひらたく言えば「表現の自由」というやつだ。

しかし、公立学校の教師においてその権利は、必ずしも全て認められているとは言えない。少なくとも、学区のカリキュラムに従って授業を行わなければならないことは確かである。

これは想像するに「LGBTを増やさない」ための法案のように見える。幼いうちに触れる情報からセクシュアルマイノリティに関するものを減らすことで、「LGBTになろう」という意識を摘んでおこう、というのか。性自認・性的指向は自ら選択するものだ(そういう人もいるだろうが)、情報さえなければ選ばないものだ、という意識が透けて見える。

ただし、この法案は子どもたちの表現の自由を奪うことにもつながる。だから、たとえ施行されたとしても、結局は「性的指向の議論禁止」自体が、憲法違反として訴えられる可能性もあるだろう。

(参考)
・https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95
・https://abcnews.go.com/Politics/dont-gay-bill-passes-florida-senate/story?id=83301889

「ゲイと言おう」立ち上がる高校生たち

しかし、この理不尽でLGBTへの理解のかけらもない法案に対して、高校生が立ち上がった。フロリダ州オレンジ郡にある高校の、勇気ある生徒たちが500人以上、授業をボイコットして抗議を行ったのだ。彼らは、「ゲイと言おう」「トランスジェンダーの子たちを守ろう」と呼びかけ、教室から出た。

「結婚したいLGBT当事者」のための法制度が整わない日本

ここまで、直近のフロリダの状況を見てきた。そしてそれは、日本で行われている闘いとは全く別のもののようにも感じられる。では日本の、とりわけ政治においてのLGBT差別の例にはどのようなものがあるだろうか。

「同性婚」がいつまでも認められない vs ロマンティックマリッジイデオロギー

我が国では、とにかくあらゆる法制度がLGBTの権利を守るために追いついていない、という印象がある。その代表格が「同性婚」を認めるか認めないか、になるだろう。

現在、結婚を家同士ものだと思っている人はほとんどいないと思う。特に20代くらいの世代には。どちらかというと、「好きな人同士が最終的に到達するカタチ」というイメージで結婚について話をしている友人が、少なくとも私の周囲には圧倒的に多い。

それを「ロマンティックマリッジイデオロギー」と呼ぶ。これが良いか悪いかは一旦置いておいて、少なくとも「結婚=個人間のつながり」という考え方が、主流を占めていることの一定の証明にはなるのではないか。

憲法も、「結婚したい当事者」を尊重している

日本国憲法24条1項も、実はその「ロマンティックマリッジイデオロギー」的な条文である。「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」。この条文により、かつては「家」の同意を得なければ婚姻関係を結ぶことができなかったふたりが、今は「家」の同意なくして結婚することができる。

そのために「両性の合意のみ」に基づく、という条文があるのだ。両方の性別がいなければ、結婚できない、という話ではない。

だから今、結婚は、結婚する二人(ポリアモリーの方であれば三人、四人かもしれない)のためだけのものだ。ということは、結婚したい二人を阻むものは本来ない。はずなのに同性婚は認められず、あくまでも自治体ごとのパートナーシップ制度に頼るほかなくなってしまっている。

日本の政治家とLGBT差別

いつまでも成立しないLGBT理解増進法

同性婚がいつまでも認められないことの延長線上に、「LGBT理解増進法」もある。この法案自体、問題含みだとよく指摘される。それは、「理解してくださいね」と促すだけで、根本的に差別を解消しよう、アクションにつなげよう、という意志が足りないのではないか、という点だ。

確かに、「理解してもらって、それで私達は結局どうなるの?」と思う気持ちもわかる。というか実際私だって思っている。ただ、それでもあの保守的な自民党が、セクシュアルマイノリティ差別を減らそうと立ち上がったのは、意外と大きな出来事なのではないだろうか。

とは言えこの法案は、「性自認を理由とする差別は許されないものであるとの認識の下」という文言を付け足すことで、ようやく与野党が合意したものの、結局は自民党内で紛糾し、いまだ成立の目処が立っていない。

幸せが増えることは、今幸せな人が不幸になることではない

特に誰に迷惑をかけるわけでもなく、「この属性の人達が新しく幸せを手にできます」「とりあえず、みんな知識不足のまま語るのをやめてまずは理解をしていきましょう」と言っているだけの法案だ。選択的夫婦別姓や同性婚についてもそうだが、なぜここまで通らないのだろうか。

反対している時間があるなら、さっと通して他の緊急対応に時間を使ったほうが良いのではないか、とすら思ってしまう。でもわからないからと目をつぶっていても仕方がないので、反対する層の人たちがなぜ反対するのかに目を通し、「その心配はいりませんよ」と言うことは、私達(特に差別を受けづらい属性の「私達」や俗に言うアライの「私達」)にできることのうちの一つだと思う。

政治につきまとう、LGBT差別的な失言

「LGBT理解増進法」を通そうとするとき、そしてその前からも、「種の保存に反する」「道徳的に認められない」「生産性がないから考える必要がない」などと、色々な差別発言が国会議員から為されている。日常で出会う「政治の場におけるセクシュアルマイノリティ差別」は、ほとんどが政治家の失言だ。

差別的取り扱いをするような法制度も作られなければ、差別的取り扱いを取り締まる法制度も作られない、それが日本だと思う。一方で、優生保護法が最近(1996年)まで残っていたりと、法律は一度作られてしまうと残り続けてしまう側面もある。だからこそ、一概にその慎重さが悪すぎるとは言えないかもしれない。

それは国の一つの姿勢ではある。現状維持が好きなこの国は、「日常」をとても重視していて、政治や法における変化よりも日常が滞りなくめぐることを好む。それはある意味「日常こそが政治」なのだと言えるのかもしれない。

(参考)
・現代思想『〈恋愛〉の現在』
・https://www.marriageforall.jp/marriage-equality/constitution/
・https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/62170.html

日常で起きるLGBT差別と「対抗」のための処方せん

LGBT差別を少しでも減らしていこう、行動を起こそうと考える時には、政治活動と同等に、私たち自身の日常での言動を見直すことも重要ではないかと思う。ここからは、私の実体験と反省にひもづけて、LGBT差別発言への対処法を考えていきたい。

LGBT差別への処方箋①

知り合いのおばちゃんに「あらあなた、おきれいだからあっちの人みたいね」と友人男性が言われた時の対処法

一見褒めているから、怒るのも違うなぁ、と思ってしまう罠。しかも本人たちはちょうどいい軽口を叩いて場を盛り上げたと思っている。でも「あっちの人」ってなんだよ。LGBTであろうろうが、そうでなかろうが、全員常にこっち側で生きているんだよ、と叫びだしたくなるセリフ。

かつて友人がそれを言われているのを見て、「最悪だ・・・・・・」と思いながら、言葉を必死に探して、どこにも返すべき言葉を見つけることができなくて、黙りこくってしまった苦い思い出。

この場合おばちゃんへの対処は一択だ。
あえて質問で返す方法。「あっちってどっちですか? 海外?」からのきょとん。

この質問に対して、おばあちゃんは「あ、この世代に『あっち』という表現は伝わらないんだ・・・・・・。伝わらないのであれば、別の表現を使おう」と思うかもしれない。また、「きょとん」のおかげで場も盛り上がらずに済む。もしかするとおばちゃんたちは、少しずつ「これは場を盛り上げるための軽口にはならないぞ・・・・・・」ということにもに気づいて、『あっち』と表現するのをやめてくれるかもしれない。

LGBT差別への処方箋②

「プライドパレードにいってきました」と写真を見せたら「え、○○さん、もしかして・・・・・・」と言われた時の対処法

これは私の実体験だ。この時私には男性の恋人がいたので、「あ、ごめんごめん、彼氏いるもんね、違うか」と言われた。この一連の流れすべてに腹が立った記憶がある。

当時2018年位で、プライドパレードの写真を見せたらLGBT当事者かもしれないと、発想をつなげられるくらいの知識はあるだろう人に、こんなことを言われるなんてと驚いて、やはり私は愛想笑いで終わらせてしまった記憶がある。

ここで、別に自分の性的指向や性自認を言う必要はないと思う。こんなデリカシーの無い質問をしてきておいて、自分の大事な部分を明け渡す必要は必ずしもない。「そうだとしても、そうじゃなかったとしても、あんまり関係ないですよね」と素直に言うべきだった。

LGBT差別への処方箋③

男性の先輩がほかの男性の同僚を褒めると「お前ホモなん?」とからかう上司への対処法

上司の発言を私はそばで見ていた。これはおそらく、「お前ホモなん?」が簡単に場を盛り上げられるイジりだと思っているから行われることだと思う。いわば職場を円滑にまわすための潤滑油と勘違いしているのだ。冗談じゃない。

ゲイは潤滑油じゃない。人間だ。大体、同性を褒めたくらいでからかわないでほしい。褒めることこそ最も面倒でない、誰も傷つけないコミュニケーションの潤滑油なのに。つい熱くなってしまった。

場の空気を壊さない、伝えたいことは伝える、の2つを意識した結果、結局、私は「いまのはセクハラ一発アウトですね」と笑う新入社員にしかなれなかった。難しかった。

もちろんこれが最適解だ、とは言い切れるものは一つもない。すべて単なるひとつの例だ。それに、この場にいた私のように真っ白になってしまって、うまく発言できないこともあるだろう。

その場合まずは、「笑わない」が鉄則だ。それだけでも実は、LGBT当事者を軽くイジって場の空気を明るくしようとしている層にとっては充分に効く。ボディブローになると思う。

差別発言に驚いて何も言えなくなったとしても、「何が面白いのかわからない」顔でいることで、せめて誰かを傷つけることに加担しないで生きていきたい。

 

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