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それでも僕は自分に正直に生きたい【前編】

「ゲイで発達障害でクリスチャンで子どもがいてって、なんだかもうわけが分からないですよね」と和弥さんは笑ってみせる。自分を笑い飛ばせるユーモアの後ろには、傷つきやすい繊細な面が隠れていて、むしろこれまでは、笑いには程遠い苦しい世界で生きてきた。ゲイだけれど、妻と3人の子どもがいる。一見矛盾した状態にも見えるが、それでも家族は大切な存在だったし、いまもそれは変わらない。ゲイであることを隠さずに自分らしく生きていく道はないのか、模索し続けている。

2016/08/13/Sat
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Momoko Yajima
森田 和弥 / Kazuya Morita

1972年、埼玉県出身。子どもの頃から同性が好きなことに気づきつつも女性と結婚。3人の子どもに恵まれる。中学卒業後、宣教師のほか様々な仕事を経て30代でうつ病を発症し、ADHD(注意欠陥/多動性障害)の診断も下される。2016年、セクシュアル・マイノリティのポートレート撮影プロジェクト『OUT IN JAPAN』に応募し、社会へのカミングアウトを果たす。

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INDEX
01 厳しい父と乱暴な兄
02 アイドルに憧れた幼少期
03 自分は「変な子」
04 コミュニケーションが取れない混迷の時期
05 宣教師の仕事と結婚
==================(後編)========================
06 自分を隠して生きる
07 うつ病と発達障害
08 人生の岐路
09 カミングアウト
10 子どもたちへ

01厳しい父と乱暴な兄

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本当の「男らしさ」って?

「『巨人の星』の星一徹みたいに本当にちゃぶ台をひっくり返すようなお父さんでした。いつも怒鳴っていて、『男とは・・・・・・』って意識がすごく強い人でしたね」

子どもの頃の思い出を聞くと、真っ先に出てくるのが、父の話だ。

不器用な人で、怒るとバーンと机を叩く。母や兄に暴言を浴びせ、時に手が出る。

食卓は、いつ父が怒りだすかと緊張に満ちていた。

特に一つ年上の兄には厳しかった。

やんちゃ過ぎる兄は、近所のアパートにスプレーで落書きをしたり、夜にバイクで仲間と走りに出て行くタイプ。威圧的で乱暴なところは父にそっくりで、二人はよくぶつかっていた。

兄の素行が悪かったせいもあろう。自分は、父から「強くならなきゃダメだぞ」と言われたことがあるが、不思議とそこまで激しく言われたことがなかった。

兄と違い、ケンカや荒っぽいことが嫌いで、女の子っぽい自分を、父もどう扱ったらよいか分からなかったのだと思う。

しかし、父からどんなに暴言を吐かれても笑って耐える母を見て、子ども心に「母を守らなくちゃ」という気持ちが芽生え、父への嫌悪も覚えた。

「結局、子どもの頃から ”人間性” とか、”本当の男らしさ” とは何か、というのを考えて生きてきたんですよね」

「父と同じ男性だけれど、僕は『優しいお父さん』になるのが夢だったんです」

病床の父が見せた「弱さ」

そんな父も数年前、67歳でガンで亡くなった。

「男は威張ってこそ」という父は、看病する母に対しても言葉の暴力を浴びせ続け、「オレは死ぬ!」と大騒ぎをする。

「でも最期だけ、もう亡くなる直前でしたけど、会いに行くと、父が泣くようになったんです」

半身不随の身体で震えながら当時まだ幼かった三男の手を握り、「ありがとね、ありがとね」と子どものように号泣する父。

それまで父の泣く姿なんて見たことがなかったから、驚いた。

「父は ”男は強くあらねば” という人だったから、ずっと弱さを見せられなかったんだと思います。父は自分の父親を早くに亡くして、父親というものを知らないで育っているんです。だから自分を大きく見せないといけないと思っていたのかもしれません」

嫌なところばかりが目につく父だったが、いま振り返れば、様々な思いが胸をかすめる。

肩車をしてくれたり背中を流してくれたりしたこともある。

本当の父親はどんな人だったのかと思うと、複雑な思いもある。

02アイドルに憧れた幼少期

男の子の遊びより、女の子の遊び

子どもの頃から、気がつくと女の子と一緒に遊んでいた。

あやとりやお医者さんごっこに熱中。おままごとではいつも、パパではなくてママ役だ。

「うち、お菓子屋さんとお煎餅屋さんを経営していて段ボールがたくさんあったんですけど、それをステージに、スカートを履いてピンクレディの真似して踊ってました。あとは誰にも内緒で、こっそりお母さんのかつらと口紅をつけて鏡を見てたり」

幼稚園の頃から好きな色はピンク色。他にも、ハートやお花、キラキラ光るもの、かわいいものやキレイなものが大好き。

しかし周りからは、「ピンクは男の子の色じゃなくて女の子の色だから、ピンクが好きなんておかしいよ」と言われる。

自分はおかしいのかな。

どうして自分はみんなに笑われるんだろう。

キレイなものはキレイだし、かわいいものはかわいいと言いたいのに・・・・・・。

本当は、スカートを履いたり、髪を伸ばして、女の子になりたかった。

でもそれを許してくれる環境は、家にも、学校にもなかった。

男性への恋心

幼稚園ぐらいから、男の人が好きだとはうっすら感じていた。

当時人気のテレビ番組『アイドル水泳大会』では、西城秀樹や近藤真彦、そしてシブガキ隊の ”ふっくん” こと布川敏和が好きだった。

「見た目で言うと、やっくん(薬丸裕英)みたいに派手な方が好きなんだけど、ふっくんは優しいパパになりそうな、あのふんわりした感じが、ああっ、ヤバい!って(笑)。でも、自分がなりたいのは松田聖子ちゃんや河合奈保子みたいなアイドルだったんです」

しかし、アイドルに憧れて浮かれてばかりでもいられない。

「そもそも男の人が好きだとか、身体も反応してしまうとか、これは普通じゃないのかもしれない」

子どもながらに「バレてはいけないこと」と感じて、さらに女の子のようだと笑われたり、家庭環境のゴタゴタもあり、段々と、心を閉ざすようになる。

鏡を見ては、「この表情でバレていないかな」と確認する。

この頃、友だちは「鏡の中の自分」だけだった。

03自分は「変な子」

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もしかしたら僕は宇宙人なのかもしれない!

小学生になるとさらに周囲との違和感が強くなり、いつしか「自分は宇宙人かもしれない」と思うようになる。

極めつけは小学校3年生の頃の母とのやり取りだった。

「ある日、空を見ていて思ったんです。空の水色って、その配合が絶妙で、特別な色でしょう。それにすごく神様のセンスを感じて、母に『どうして神様って空を水色にしたの?』と聞いたんです。そうしたら母は、『そんなこと聞いたらバカだと思われるから、聞いてはダメよ』って……」

母の何気ない言葉は、子どもだった和弥さんの心を傷つけた。

やっぱり僕は変なんだ!

「男の人が好きなのも、キレイなものが好きなのも、人と違うと笑われる。ってことは、僕は男とか女とかを超越した存在の、宇宙人なのかなって。あの頃は、大人になったら全然違う自分が出てくるような気がしてた」

感性を表に出してはいけないものと思い、自分の心に鍵をかけた。

学校のトイレには行けず、友だちから遊ぼうと誘われても断り距離を置く。

毎日、悪夢を見たし、円形脱毛症にもなった。

小学校時代を、「人生で一番つらかった」と振り返る。

「こんなに苦しいのに、通信簿には『森田さんはいつも明るく笑っていて勇気づけられます』と書かれていて。なんで誰も気づいてくれないんだろうって、いつも思ってました」

『エースをねらえ!』でテニスにはまる

そんな日々でも、没頭できるものがあった。テニスだ。

小学生の時、テレビドラマにもなった『エースをねらえ!』を観て、主人公の岡ひろみになりたいと思い、テニスの本を買って独自に研究。近所の酒屋の壁を使って、朝練、夕練とひとり練習を重ねた。

「当時、宗方コーチと藤堂先輩がかっこよくてはまって。特に藤堂先輩が大好きで、僕は岡ひろみになり切ってたんです(笑)」

中学でテニス部に入部するが、一年生は球拾いばかり。加えて、中学一年生の夏休みに交通事故に遭い、部活も休まなくてはいけなくなる。

「ドラマの影響でヒロインになり切ってたので、コーチに『何やってるんだ!』って怒られながらも、心配してもらえると思ってたら、まったく心配してもらえなくて(笑)。その時、ちょうどバトミントン部ではすぐに選手になれると聞いたのもあり、もしかしたらコーチが引き留めてくれるかもしれないともう一度期待して、『辞めます』って言ってみたら、『わかった』って」

「宗方コーチは、いませんでした(笑)」

04コミュニケーションが取れない混迷の時期

人が苦手で一緒にいられない

高校は定時制に入学した。

この頃、決定的に人が苦手になっていたため、定時制なら時間も短く、通えるのではないかと思ったからだ。

また、早く家を出たいという思いもあり、定時制高校に通いながら工場でも働き出した。

「工場なら人と接しなくていいからできるかなと思って。そこでは病院の心電図を作ってました。心電図は人の役に立つものだし、どうせ作るならそういうものがいいかなって」

しかしやはり高校は通い切れず、3ヶ月で辞めてしまう。実はその後ももう一度定時制高校にチャレンジするが、1ヶ月で断念している。

「やっぱり人がダメで、日常会話や雑談がすごく苦手なんです。話を合わせられなくて。人と会っていると目の下がぴくぴくしちゃって、家に帰ると死んじゃいそうなぐらいに疲れ切ってました」

最終的に、通信制の高校に入学し、無事に卒業する。

「テストの点数はいつもほぼ満点でした。自分は勉強できないと思っていたけど、人と会わなければ大丈夫みたい。なんだ、やればできる子なんだなあ!って思いました(笑)」

変わりたい一心でクリスチャンに

仕事をしながら俳優に挑戦するなど、「表現したい欲求があった」と振り返る。

いくつもオーディションを受け、生き方を模索した時期。

「たぶん、変わりたかったんですよね。僕、当時、友だちがひとりも作れなくて。一緒に遊ぶ子はいても、ちょっと仲よくなると自分から切っちゃったりしてた。人が信じられなくて、長時間一緒にいるのが難しい。そういうのが自分でも嫌だったんです」

友だちが作りたいのに心を開くことができない。

誰にも心を許すことができない。
女性はまだ大丈夫だったが、特に男性は苦手だった。

悩みの渦中に読んだ本にイエス・キリストが描かれていた。これを読んで直感的に、教会に救いを求めてみたいと思うようになる。

「人間愛というか、無償の愛のようなものを学んで、変わりたいと思っていたんです」

2年ほどかけて自分に合う教会を探し、見つけた教会で洗礼を受ける。20歳のことだった。

05宣教師の仕事と結婚

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宣教師として2年間札幌に

宣教師を志し、キリスト教の教えも勉強し、ようやく宣教師として派遣される任地が決まった時、ふと、自分の弱さを感じて強烈な不安が襲う。

しかしここで不思議な体験もする。

「自分のような人間は、もう暗いまんまの人生を地道に歩いていく方がいいんじゃないかと思って教会で祈っていた時に、すごく温かい愛に包まれるような経験をしたんです」

「あなたの弱いところもすべて知った上で、愛しているんですよ」というイエス・キリストの声が聞こえたような気がして、苦しい気持ちはすーっと消えていった。

その後、宣教師となり札幌に2年間派遣される。

資格は特に必要なく、基本的にはボランティアだ。結婚している場合は夫婦で派遣され、単身者は同性の同僚と一緒に3人ほどでルームシェアをしながら活動する。

恋愛は禁止だ。

実は札幌に派遣される前、先に2年間の宣教師としての務めを終え仙台から戻ってきた女性と知り合う。

何気なく話しかけ、共感できる部分が多いことに気がついて以来、気になる存在となる。

2年間の文通の末、結婚

「初めて話した時に彼女も悩んでいたりして、すごく繊細な人だなと思った。少し人間不信のところもあって、自分と似ていると感じたんです」

彼女と入れ替わりに札幌に宣教師として赴くことになったため、二人の関係に特に進展があるわけでもなく単なる友人だったが、なんとなく、毎週札幌から彼女に宛てて手紙を書いた。

「2年間書き続けているうちに、もしも自分が結婚することがあるとしたら・・・・・・と考えました。こうやって自分の気持ちをなんでも話せる人だったら、結婚、できるのかもしれない。そんな風に初めて思えたんです」

2年後、札幌から戻ってきて、女性に告げる。

「結婚するならあなただと思ったんです。お付き合いしてください」

それまで、恋人ができるどころかまともに友人もできなかったけれど。

お互いのことをほとんど知らないまま、それから3ヶ月後、その女性と結婚する。

24歳の時だった。

<<<後編 2016/08/17/Wed>>>

INDEX

06 自分を隠して生きる
07 うつ病と発達障害
08 人生の岐路
09 カミングアウト
10 子どもたちへ

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