INTERVIEW
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僕は今ようやく、自分の人生に自信を持てた。【前編】

赤い模様の入った作務衣風のファッションに身を包んだ山本皓埜さんは、一本筋の通った雰囲気を漂わせる。インタビュー中も、言葉の端々に真面目な人柄が滲み出ていたが、ときおり涙を浮かべる場面も。過去の出来事に対する寂しさや悔しさを噛みしめながらも、最後はカラッとした笑顔で終えた。山本さんの半生そのもののようだった。

2024/01/13/Sat
Photo : Taku Katayama Text : Ryosuke Aritake
山本 皓埜 / Hiroya Yamamoto

1968年、愛知県生まれ。学生時代から女の子に恋心を抱いたものの、その感情にフタをして、社会人になってからは仕事にまい進。40代後半で初めて女性と交際し、自身がFTM(トランスジェンダー男性)であることを自覚。現在は本業のかたわら、名古屋レインボープライドのボランティアスタッフなどを行っている。

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INDEX
01 幼かった自分が抱いた疑問
02 初めて知った女の子に対する恋心
03 悩まないでいられた思春期
04 ひたむきに働き続けた日々
05 男性とつき合うということ
==================(後編)========================
06 FTMの自分を自覚するまで
07 築きたいのはウソのない関係
08 立場も考えも違うパートナー
09 自分自身をさらけ出す意味
10 僕が選んで歩んでいく道

01幼かった自分が抱いた疑問

厳しい父と大らかな母

生まれも育ちも愛知県名古屋市で、家族は両親、自分、弟の4人。

「父は職人で、ものすごく厳しい人だったんですよ。お風呂は父が最初で、テレビのチャンネルも優先、ごはんも一番多い」

「箸の持ち方が悪いと、父に手を叩かれるような家庭で、小さくなって生きてました」

一方、母親は大らかで寛容な人。

小さい頃から、母親に「あんたはスカートが似合わない」と、言われていた。

「僕の希望ではなくて、母にズボンをはかされて、男の子みたいに育てられました」

内気でおとなしい子

小学校低学年までの自分は、どちらかというと内気でおとなしい子だった。

「先生に『トイレに行きたいです』って言えずに我慢して、おもらししてしまうような子でした」

「小学校2年生までは、クラスの男の子たちからいじめられてたんです」

「女の先生は好きだったけど、男の先生は怖くて、近寄ることもできなかったり」

小学3年生になると、クラスメイトの女子が活躍の場に導いてくれた。

「ドッチボール大会があった時に、女の子たちが『強いじゃん!』って、認めてくれたんです」

「男の子たちもドッチボールをする時に『こっちのチームに来い』って、誘ってくれるようになって、活躍できるようになりました」

今考えると、この頃から男子としての意識に目覚め始めたのかもしれない。

確かめようのない自分自身

幼い頃から、自分を「私」と呼ぶことに抵抗があった。

「ずっと自分の名前を一人称にしてたんです。多分、 “私=女子” って思ってたんでしょうね」

「ただ、 “僕” を使うのは許されない時代というか、ダメな気がしたんです。だから、自分のことは名前で呼んでました」

性別の意識があったわけではない。自分自身が何者なのか、わからなかった。

「確かめようにも、確かめ方もわからなかったです。当時はロールモデルみたいな人もいなかったので」

「気になる女の子もいたけど、それが恋愛なのか憧れなのか、その違いも全然わかんなくて」

02初めて知った女の子に対する恋心

ビビッときた初恋

中学生になり、人生で初めて恋愛感情を経験する。

「中学3年生の体力テストで、50メートル走を一緒に走った子がすごく速くて、気になったんです」

「僕は女の子の中では速い8秒台だったんですけど、その子も同じくらいで、何者だ!? と思って(笑)」

同じクラスで、一緒に遊ぶようになる。その子にカバンを隠されたりと、ちょっかいをかけられることもあった。

手紙を書き合ったり、交換日記をしたり、深い仲になっていく。

「いつからか、クラス内で『2人はデキてる』って言われるような、公認の仲になってました」

「僕のことを好いてくれる男の子から、『あの子とはどういう関係なの?』って、聞かれたこともありましたね」

伝えられなかった想い

自分が好きになった女の子と、自分を好いてくれる男の子。この2人を引き合いに出されたことがあった。

「クラスメイトの子から『どっちが好きなの?』って聞かれて、困っちゃったんです(笑)」

「女の子のことが好きだけど、そんなこと言っていいのかなって」

ある日、好きな女の子が、別の男の子に片想いしていることを知る。

「ものすごくヤキモチをやく自分がいて、やっぱり恋愛感情なんだ、って気づきました」

「その子があることで悩んでいて、トイレにこもってしまったことがあったんです。その時は、一生かけて守ってあげたい、って思いましたね」

しかし、想いを伝えることはなかった。

「卒業前のクリスマス会の時に、手紙を書いて、気持ちを伝えようと思ったんです」

「でも、その子は察してたんですよね。公園に呼び出そうとしても、やんわりと断られて。多分、僕の気持ちをわかってて、距離を置いたのかなって・・・・・・」

想像する将来

女子に対する好意を自覚していたが、そのまま生きていけるとは思っていなかった。

「その時代って、女性は23歳くらいで結婚して、家庭を持つってスタイルが定番だったんですよね。だから、僕もそうなるのかな、って思ってました」

「そうしたいわけではないけど、そうするしかないのかな、っていう感覚でしたね」

自分の気持ちにフタをして、将来は一般的な流れに任せようと。

「まさか今の時代みたいに生きやすくなるなんて、思ってなかったです」

03悩まないでいられた思春期

過ごしやすかった女子高

中学卒業後は、女子高に進学。ソフトボール部に所属した。

「ありがたいことに、告白されることが多かったんです」

「でも、自分の気持ちにはフタをしていたから、『茶化すな』って、断ってましたね。内心はニヤニヤしてるんですけど(笑)」

校内では、「○○さんと○○さんがおつき合いしてる」という話を耳にすることが多かった。

「女の子が女の子を好きになってもいいんだ、って思えて、気持ち的にはラクでした。悩みが深まるようなこともなかったですね」

好きだったスポーツにも打ち込み、環境にも恵まれ、楽しい高校生活を送った。

「仕方ない」と思った制服

女子の制服も、悩みの種にはならなかった。

「ソフトボール部の子たちが短髪で、いかつい体格しながら、ブレザーにスカートだったので、それでいいんだ、自分も全然おかしくないじゃんって」

「その頃はスケ番といわれる人たちが制服をロングスカートにしてたんで(笑)、自分もそうすればいいか、って思えたのも大きかったです」

周りの子たちが着ているし、それがルールだから、スカートをはいていただけ。

「当時、チェッカーズがブームで、藤井フミヤさんの髪型を真似していったことがあるんです」

「厳しい学校だったんで、すぐに担任に呼び出されて、『これから1週間、職員室に髪形を見せに来なさい』って、注意されました(笑)」

自分の体

中学生から高校生にかけて、体も変化する時期だったが、嫌悪感を抱くことはなかった。

「というのも、そんなに胸があるわけじゃないので、パットを抜いたスポーツブラをすれば問題ないっていうか(苦笑)」

当時から、あまり気にしていなかった。

今も、FTM(トランスジェンダー男性)の友だちから、「羨ましい」と言われることがある。

「FTMあるあるで、胸の見せ合いっこをするんですよ。その時に『胸オペしなくても、胸筋鍛えたら大丈夫だね』って、言われることが多くて」

「最近は胸筋だけでなく、腹筋ローラーで腹筋も鍛えてるし、ソフトボールやってたこともあっていかり肩なので、違和感がないんじゃないかな、って思います」

「もちろん変えられるなら変えたいけど、痛い手術はイヤだから(笑)」

04ひたむきに働き続けた日々

考えていた就職先

いずれは警察官、または自衛隊員になるものと思っていた。

「おばあちゃんから『あなたは警察か自衛隊を目指しなさい』って、言われてたんです」

しかし、現実は甘くなかった。

「高校は商業科だったし、僕は勉強より部活に打ち込むタイプだったので、無理ですよね。ちゃんと努力しないと地方公務員にはなれないんだ、と知りました」

「警察官と自衛隊員は断念して、次に目指したのが美容部員でした(笑)」

親せきに化粧品会社の役員がいたため、美容部員の道が出てきたのだ。

「今思えば、美容部員なんて務まらないだろうと思うんですけど、当時はよくわからなくなっちゃってたんでしょうね(苦笑)」

高校卒業後は、結果的に美容部員になることもなく、一般企業の事務員として就職した。

「当時は事務員にも制服があって、スカートでしたけど、それも仕方ないな、って感じでした」

「僕はもともとルールに則るタイプの人間なので、その辺は曲げようとしなかったです」

思うように働けない職場

まだ自分が若かった頃に、父が亡くなった。

「自分が柱となって働いて、家族を支えていかなくちゃ、という思いで、その頃は仕事一筋でした」

「恋心にもキラキラした将来にもフタをして、23歳で結婚という将来も考えてなかったです」

20代から30代にかけては、とにかく働いた。
仕事に精を出し、家族で住める家を建てた。

「職場には、作業をオートメーション化する機械があるんですよ。機械を触ってみたくて、社長に『やらせてほしい、自分ならできる』って、直談判しました」

「でも、『お前が出てくるとほかの男子の立場がないから、ひっこめ』って、言われてしまって・・・・・・」

しまいには、「お前にいてもらうと困る、辞めてくれ」と言われた。

「今でいうパワハラですよね。でも、生活しなきゃいけないので、そんな理由で辞めていられるかと」

「でも、そういう扱いをされて、気づかないうちに精神的に追い込まれていたのか、朝礼中に倒れてしまったんです」

2週間ほど点滴のために通院することになったが、それでも仕事を辞めるわけにはいかなかった。

「休むと、その分だけ給料が減るので、こんなんじゃあかん! って自分を奮い立たせてましたね」

05男性とつき合うということ

男性に抱いた感情

社会人になって、初めて交際を経験する。相手は男性。
自分が28歳で、相手は6歳下の後輩だった。

「告白されたんです。その彼は仕事を一生懸命頑張ってたんで、その姿を見て、つき合ってみようかなって」

最初は一緒にいられたが、関係が深まるにつれて、嫌悪感に近い感情が生まれてくる。

「性的な行為をする時に、イヤだな、って感情が芽生えてきて、やめたかったです」

「でも、これがつき合うってことならしょうがないのかな、って感じでやるというか。彼からすると、僕はつまらない人だったと思います」

その彼とは別れることになったが、その後も何人かの男性と交際した。

「女の子を好きになる人生は歩めない、と思ってたので、その中でできるだけ居心地がいいと思える相手を探そうって・・・・・・」

「妥協ですよね」

出してはいけない自分

性行為に感じた嫌悪感の正体は、わからなかった。

「その頃は、女性でいなくちゃ、って気持ちがあったんだと思います」

「相手が望むならそうしよう、って受け身の姿勢というか、義務に近い感覚でした」

頭ではそう思っていても、実際はそんな自分も相手のこともイヤになった。

「つき合ってる男性から『ごはん作ってよ』って言われると、嫌悪感100%でした。なんで僕が作らないといけないんだろうって」

料理がイヤだったわけではない。女性としての役割がイヤだった。

「でも、その頃は世の中的にオカマやレズ、ホモと呼ばれて、バッシングが強かったんですよね。メディアでは卑下される存在でしかなくて・・・・・・」

バラエティ番組でゲイが笑いものにされている様子を見て、自分の気持ちは表に出せないと感じた。

「 “女の子が好き” に身を置くことはできない、って自分自身を否定しまくってました」

「大丈夫だよ」のひと言

自分がFTMであると自覚してから、過去につき合っていた男性に打ち明けたことがある。

「『実は男なんだ、申し訳なかった』って、話したんです」

「その人は、『俺は人としてのあなたが好きだから、大丈夫だよ』って、言ってくれました」

「彼にとっては酷なことだと思うけど、受け止めてくれて、安心しましたね」

 

<<<後編 2024/01/20/Sat>>>

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06 FTMの自分を自覚するまで
07 築きたいのはウソのない関係
08 立場も考えも違うパートナー
09 自分自身をさらけ出す意味
10 僕が選んで歩んでいく道

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