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Writer/HOKU

純粋に幸せなLGBTQの姿を描く『ハートストッパー』について語る

『ハートストッパー』という作品をご存じだろうか。ゲイだからといじめられていた少年チャーリーが、ラグビー部の人気者、少年ニックと親友になり、いつしか二人の間には恋が生まれる・・・・・・というお話だ。この作品は、LGBTQが登場する作品としては珍しく、画面が明るい。お話も明るい。今回はそんな『ハートストッパー』について、魅力を語らせていただきたい。

『ハートストッパー』というハッピーなLGBTQを描く作品

今まで、LGBTQをメインテーマにする作品はどこか暗くて重たかった

BLを除き、「LGBTQの姿を真正面から描こう」という作品を思い浮かべると、みんなどこか暗い印象を受けるのではないだろうか。

イジメ、暴力、差別、悲恋・・・・・・。画面の中には暴力や暴言が飛び交い、登場人物はみんな怒っていて、苦しみを煽るために差別的な発言が繰り返され、恋愛ものであれば結局は結ばれなかったり、場合によっては死んだりする。もちろん、その作品が嘘だとか、LGBTQと本当には真正面から向き合っていないとか、そういうことが言いたいのではない。

ただ、LGBTQはいつも、物語をドラマチックにするためのスパイス、苦しみをより苦しみとして先鋭化させるための道具のように扱われているような気がしてしまう、ということだ。

でも、本当はそういう「苦しむ」様子だけが本来のLGBTQの姿ではないだろう。実際には、好きな人と結ばれ、日々の小さな揉め事にうんざりしながらも、おおむね幸せに生きているLGBTQというのはいるはずである。

どうして「幸せなLGBTQ」はあまり描かれてこなかったんだろう?

時々この問いの答えを考える。考えても答えは出ない。でも、「せっかくLGBTQをテーマにするなら、視聴者に考えさせるような作品を作るべきだ」という考えが、製作陣や鑑賞する側の根底のどこかにずっとあったのではないかと思う。LGBTQをテーマにすることは「特別」なことだから、ドラマチックで特別な話を描かないと、というある種のプレッシャーのようなものが。

その特別な「意味づけ」はゲイの役者を起用する時も、トランスジェンダーの役者を起用する時も、レズビアンの物語を描く時も、バイセクシュアルの物語を描く時も、いつもいつも飽きるほどに求められる。

現代版「ロミオとジュリエット」を作るために必要なのはLGBTQの恋愛にまとわりつく、「超えられない壁」と「苦しみ」なのだ。

そんな中で『ハートストッパー』は幸せなLGBTQの姿を描いてくれた

ポップでキュートで最高にハッピー。『ハートストッパー』を一言で表すなら、そう表現することになるだろう。

舞台はイギリスの男子校。その学校に通うチャーリーは昔、ゲイであることをカミングアウトして、ひどいイジメを受けていた。しかし、今はイジメも落ち着き、友人もおり、平和な学校生活を送っている。

そんなある日、たまたま教室で隣の席になった1学年上のラグビー部の少年であるニックを、チャーリーは少しずつ好きになっていく。ゲイではない彼の友人たちから「あんなヘテロセクシュアルっぽい奴よせよ!」と言われながらも、心優しいニックに惹かれる心は止められない。一方、ニック自身もチャーリーに少しずつ惹かれ始め、そんな自分を次第に隠せなくなっていく。

あらすじはこんな感じである。あらすじを聞くと「え、暗そうじゃない・・・・・・?」と思うかもしれないが、実は全くそんなことはない。

『ハートストッパー』の魅力:「こんなに幸せでいいんですか?」と言いたくなるくらいの幸せ供給量

ジェンダーについてよく話す友人(ヲタク)が、気がついたら沼に落ちていた

こんな風に語っているものの、私はみずから『ハートストッパー』を履修したわけではない。ジェンダーについてとか、お互いのセクシュアリティについてとかをよく語り合う友人に「ねぇ、『ハートストッパー』、本当やばい。お願い。見て」と懇願されたのが始まりである。

Twitter上で仲のいい知り合いが「『ハートストッパー』最高・・・・・・」と呟いているのを元々毎日見ていたこともあって、「君がそんなに言うなら・・・・・・」と見始めた。

つまり、見始めはなんだか周りから固められるみたいな感じだったのである。でも、自発的に見たのではないはずなのに、気がついたら私まで「ねぇ、『ハートストッパー』見た?」と、ほうぼうに勧誘しに行くヲタクになってしまった。

なんてハッピーなミイラとりだ。

チャーリーは図太い。でもそこがいい。

チャーリーは結構図太い・・・・・・と私は思う。だからこそ、いろいろな問題が起きても、なんとなくこの作品自体がハッピーな雰囲気を持ち続けられるんだと思う。

たとえば、新学期最初のチャーリーとニックの出会いの場面。先生に「お前はあのラグビー部の隣の席だよ」と言われ、大きなため息をついたチャーリー(彼は「ラグビー部」の別の人たちにいじめられていた)は、実際に席についているニックを見た瞬間、目を見開く。画面は明るくなり、お花が飛び始める。

カミングアウトしていじめられていたはずなのに(そしていじめていた人たちはラグビー部の人たちだったはずなのに)、あっさり好きになってキラキラした目でニックを見つめるチャーリーの図太さの、なんと愛らしくポップなことか。

これだけでも、幸せすぎて泣けてしまう。

こんなに幸せな話なのに、きちんと問題を描いている

自分はゲイかもしれない、と思い悩むセクシュアリティの探求。
トランスジェンダーだからと先生からいじめられる仲間。
カミングアウトするべきか、しないべきかという苦悩。
SNS上でカミングアウトした後の周りの反応に心をすり減らす様子。

あるいは、単純に友情を試される場面もある。恋愛と友情を天秤にかけたとき、どちらに針が向くのか、など。

そんな高校生ならではの、そして現代社会ならではの、リアルな問題が素直に描き出されている。友達もいて、理解してくれる人もいて、それでも時には苦しくて、でもやっぱり楽しい。

チャーリーもニックも、周りの仲間たちも、みんな苦しい時期を乗り越え、成長する。悩み傷つけ合う過程で、一度は壊れかける友情が結果的に強まり合う場面もある。そこから、友人の大切さやセクシュアリティについて、思い悩む時期の重要性を改めて感じることができる。

『ハートストッパー』の魅力:ゲイ、トランス、アジア系など徹底的な多様性

どう考えても可愛すぎるゲイのチャーリーと、信頼しか置けないニック

先ほども言ったが、チャーリーは本当に図太くて愛らしい。と同時に、ラグビー部で「いかにもヘテロセクシュアル」と言われているニックは、奥底から優しく信頼のおける人物だ。

1話で、チャーリーは最初に付き合っていた恋人(ベン)に別れを告げるが、ベンは別れたがらず、チャーリーに無理矢理キスをする。元彼と揉めていたチャーリーをニックが助け、チャーリーはニックにお礼のメッセージを送る。

チャーリーが過去にいじめられていたことを思い出し、ニックはチャーリーからの「Thank you」に何と送るべきか余計に思い悩む。結局送るのは「Are you feeling okay?(大丈夫?)」という比較的ありきたりなメッセージではあるのだが、ニックが事態を真剣に捉えている姿に私は涙が止まらなかった。

辛い思いをした後に、「Are you feeling okay?」なんてとてもフラットなメッセージが送られてきたら、私だったら好きになってしまう。そこからずっと、全話を通して、セクシュアリティに今まで悩んだこともなさそうな人物なのに、ニックは信頼できる行動しか取らない。

LGBTQを描く作品で主人公が好きになる相手は、恥ずかしさや恐れからか、主人公を傷つけるような行動を取ったりすることが多くある。でも、ニックは一度だってそんなことはしない。そこに、『ハートストッパー』がポップでキュートであり続けられるゆえんがあると思う。

最強の中国系ヲタク友達タオと大人なトランスジェンダーのエル

チャーリーの親友、タオは一番にチャーリーのことを心配し、彼の変化に不安を感じている。チャーリーの属している「ヲタク」グループは4人なのだが、タオは心の底からこの4人組を愛している。

だからこそ、「ヘテロセクシュアル」感があり、チャーリーをいじめていた奴らと同じ層にいるように見えるニックのことをどうも信用できずにいる。タオは繰り返しニックとぶつかる。でも、それはすべてチャーリーを想うがゆえの行動で(本当にどれも)どれも可愛らしい。

一方、エルはトランスジェンダー(MtF)だ。実際の俳優さんにもMtFの方を起用し、話題となった。MtFの俳優さんにはチャンスがまだまだ少ない現状であるため、今はこのような取り組み自体が話題になってしまうが、いずれ全く話題にならないほど当たり前のことになってくれたら良いと思う。

エルはMtFなので、チャーリーたちの学校にそのままいることを選ばず、近くの女子校に転校し、チャーリーたちのことを少し遠くから優しく見守ってくれている。心配性で子供っぽいタオと、大人で冷静なエルは最高のコンビだ。

オープンなレズビアンのダーシーと気づきを与えてくれるタラ

タラはエルと同じ女子校に通う、優等生のモテ女である。ダーシーはタラと付き合っているちょっとやる気のなさそうな女の子。転校生であるエルに話しかけ、仲良くなってくれる貴重な存在だ。

ダーシーはタラとの関係性を隠すことにもオープンにすることにも特に気を遣っていないが、タラは「わざわざ(レズビアンであることを)言わなくても良い」という立場をとっている。

そして、セクシュアリティに悩むニックに、重要な示唆を与えるのはタラだ。その場面も心に深く残っているので、ぜひ本編を見てみてほしい。

あらゆるLGBTQのハッピーを詰め合わせた作品

ちょっと「勧善懲悪」が過ぎる気はするかも・・・・・・

チャーリーの周囲は基本的にみんな善良だ。彼の周囲を固める人に、悪い人や差別意識を持つ人はいない。逆に、完全な「悪」として配置されている登場人物もいる。さながら時代劇のように、いつまでも反省しない完全無欠の悪がいることに疑問を抱く人も多いだろう。

もう少し人間というものは複雑だよ、チャーリーの周りの人にだって「良い人だけど差別的」な人もいるかもしれないじゃん、と思うかもしれない。まぁ実際のところ、現実に「完全な悪」も「完全な善」もいないのは本当のことだし。

あと、カップルが多すぎる。メインキャラほぼほぼゴールインじゃん、というくらいカップルが多い。でも、それくらい単純化されているからこそのこのポップさ、ハッピーさなのだとも思う。最初から最後まで、本気で安心して見られる。

LGBTQ作品に対する自分の「身構え」に気づくことができた

大抵のLGBTQ作品では、味方だと思っていた友人が差別的なことを言うなど苦しくなる場面が多い。だからこそ、ニックが何かひどいことを言うのではないか、タオがどこかで差別的な発言をしたりやしないか、とずっとヒヤヒヤしながら見ている自分に気づくことになった。

でも、本当にそういう引っかかりは何もない。だからこそ、心の底からチャーリーとニックのことを祝福することができる。

LGBTQのことを傷つけ、傷つけて反省し、「今までの発言は、LGBTQを理解するための傷つけだったんだね!」と許されて、無事ゴールイン! みたいな小骨の引っかかりは一切ない。LGBTQ当事者に欠片の我慢も強いてはいけないのだ、という叫びが聞こえるような気がする。

だからこそ、幸せなLGBTQの姿に飢えているあなたに送りたい作品

そう。だからこそ、ちょっと単純でもティーン向けでもいいから、「幸せなLGBTQの姿が見たい!」と飢えているあなたにこそ、この作品を是非見てほしい。

きっと、心に空いた穴にニックの優しさとチャーリーの可愛さが染み渡るはず。日々に疲れた心に、ピュアな二人の「きゅん」が染み渡るんじゃないだろうか。

Netflixで見られます。第二シーズンも放送します! 今から楽しみで仕方がない・・・・・・。

『ハートストッパー』
作者 アリス・オズマン(牧野琴子訳)

 

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