浮いた話がない、異性と付き合ったことがない、ひいては誰かを恋愛的に好きになったことがないと言うと、異性と恋愛をするのが当たり前だと思っている周りの人々は、誰かとくっつけるために、いろいろとあることないことを囃し立てるものです。今回は、恋愛経験やパートナーの有無で人を判断する社会、主にエンタメコンテンツについて考えたいと思います。
恋愛経験ゼロを否定するエンタメ
昔から、恋愛経験がないことを真っ向から否定するコンテンツは数多く存在しました。十年前と比べれば、多様な生き方がフィクション内でも認められることがかなり増えましたが、恋愛経験がないことを揶揄する風潮がなくなる気配は、まだありません。
彼氏はいませんが、何か?
2021年1月から日本テレビで『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』というドラマが放送されます。内容も、アニメやマンガが好きな「オタク女子」の娘が、二十歳を過ぎても恋愛に興味がないことを心配する母という、まさに恋愛に興味がないことをド直球に変人扱いする設定です。
正直、このタイトルを見て「2021年になっても、こういう内容のドラマが放送されるのか」とびっくりしていました。異性のパートナーが出来ないから、恋愛に興味がないからといって、何が問題なのでしょうか? 本人が日々の生活に満足していれば、それでよいのではないでしょうか? それとも、「思春期を過ぎれば異性に自然と興味を抱く」はずなのに、そうはならない娘は、人格に難があるとでも思っているのでしょうか?
異性のパートナーがいない理由を、想像力をもって考えて
実際、私も学生時代に周りから恋愛に興味がなさすぎると思われ、「彼氏」が出来るようにと、ごたごたに巻き込まれたことがありました。しかし、私は当時好きな人がいなかったわけではありませんでした。自分が戸籍上女性なのに対して、好きな人も女性だったから周りに言わなかっただけなのです。ですが、クローズドだった私は、当時そんなことを公言できるはずもありませんでした。
「異性」に恋愛的、性的に興味がない(ないように見える)場合、「いい人に出会っていないだけ」「自分に自信がないだけ」という可能性も確かにあり得ます。しかし、その理由が「もしかして『異性』に興味がないだけでは?」など、多角的に考えられるようになりたいものです。
多様な生き方をエンパワメントするエンタメ
一方で、やはり時代は進んでいて、多様な生き方を積極的に尊重するコンテンツも増えたなと感じます。
多様な生き方を肯定
例えば、2021年新春に放送された『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類! 新春スペシャル!!』では、異性愛、同性愛、そもそも恋愛をするか否か、様々な生き方について、ストーリー上で自然に言及されました。
話題作、かつ日本中が注目するドラマなだけに、性の多様性に触れられたことの影響はかなり大きいのではないかと思います。
タイトルで入り口が狭まるのはもったいない
タイトルを知って残念に思ったドラマがあります。昨年の2020年に放送されて話題になった『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』(以下、チェリまほ)です。タイトルからは、恋愛経験がなく30歳になった男性を揶揄しているように感じてしまいます。
このドラマは個人的に数年前から原作ファンだったので、ドラマも視聴しました。細かい言及は避けますが、原作のBLマンガを活かしつつ、多様な生き方やセクシュアリティに配慮されたドラマに仕上がっていたのがとても印象的でした。他のLGBTQ当事者でドラマを観ていた方からの評価も高かったようです。
30歳を過ぎても恋愛経験がない人や、同性愛者、アセクシュアルなど「普通」でない人を馬鹿にせずに、多様性を尊重しながら面白いコンテンツは作れるということをドラマ『チェリまほ』は証明してくれました。
しかし、せっかく内容がよかっただけあって、タイトルの「パンチ」がなければ、もしかしたらもっと話題になっていたのではないかと改めて感じます。『チェリまほ』については、原作から同タイトルだったこともあり、タイトルの変更は難しかったのかもしれませんが。
分かりやすいものを求めていないか? 炎上目当てではないか?
しかし、『チェリまほ』のように、中身はいいコンテンツだったとしても、タイトルが他人を馬鹿にしているように感じられるコンテンツはむしろ増えてきているのではないかと、個人的には危惧しています。
その原因として、ここ数年のSNSの流行が大きいと思います。SNSでは、日々新しいコンテンツが生まれては更新され、古いものとして押し流されていきます。その中で多くの人の目に留まる、つまりバズることを目的として、批判を集めて話題にする「炎上」を狙っている、露骨で分かりやすいタイトルが少なくありません。
タイトルだけを見れば、文脈や背景を無視して簡単に分かった気になれるコンテンツは、どんどん拡散されていきます。そしてその傾向が、本やドラマといったエンタメにも流れて来ているのではないでしょうか。
炎上目的の分かりやすいタイトルに流されないでいったん止まって考え、タイトルに流されずに文脈や背景を理解して、専門的知識も自分で確認しながら本質を見極める力が求められていると思います。
分かりやすいコンテンツが求められる理由
恋愛経験が長らくない、恋愛に興味がない、異性のパートナーがいないことを馬鹿にするようなコンテンツが今後減少し、個人の生き方が尊重されるものが増えてくれるといいなと思います。一方、なかなかそのようなものがなくならない原因は、もしかしたら自分自身にもあるかもしれません。
過去に流行った多様性を否定した言葉たち
恋愛経験がないこと、異性のパートナーがいないことをからかう言葉は、今もなくなってはいません。しかし、かつてはもっとひどいものでした。
たとえば、結婚年齢が今より低かった1990年代には、25歳を過ぎた独身女性は「売れ残ったクリスマスケーキ」と例えられました。女性は25歳を過ぎる前に結婚すべき、24歳が一番「売れる」という考えから、この表現は生まれました。
25歳を過ぎてから結婚する人が珍しくなくなった今となっては、さすがにこの表現は見たことがありません。しかし、今改めて見直すと、かなりひどい表現だったと言わざるを得ません。今の十代の若者にはドン引きものかもしれませんね。
また、私が学生だった7、8年前には「リア充」という言葉が流行りました。「リアル充実」の略です。
「実生活が楽しいか」という感覚は本来個人で異なる、絶対的なものです。しかし、この言葉においては「実生活が楽しいか否か」を、付き合っている異性がいるか否かだけで判断しました。
実生活が楽しいかどうかは「私」が決めるから、付き合っている人がいるかいないかだけで、とやかく言われる筋はありません。それに、まるでパートナーのことを所有物扱いしているようで、私は当時からこの言葉を忌み嫌っていました。
「リア充」のことを僻む「非リア(リア充ではない人=付き合っている異性がいない人)」の使う言葉として、当時は「リア充滅びろ」という表現までありましたが、私は早く「『リア充』という言葉そのものが滅びて欲しい」と思っていました。それから2、3年もするとこの言葉も聞かなくなったので、私の願い通り、滅びたと思います(笑)。
これからは個人の時代へ
「多様性」がトレンドのようにあちこちで取り上げられる現代となっては、恋愛経験がないことや異性のパートナーがいないことを、一昔前のように露骨に馬鹿にする表現は、流行らなくなりつつあると思います。
また、従来は集団の中でどのように振る舞うかが重視されてきましたが、COVID-19の影響もあり、これからは周りと比べずに自分自身と向き合う「個の時代」になるともいわれています。この潮流に乗って、恋愛経験がないことや異性のパートナーがいないことを大々的に揶揄するような考え方がなくなっていけばいいなと感じます。
私の幸せは私が決める
恋愛経験がないこと、異性のパートナーがいないことを笑われたときに、皆さんが一番に思うことは何でしょうか。
パートナーを所有物扱い
先ほど紹介した「売れ残りのクリスマスケーキ」や「リア充」といった言葉に共通する感覚、それは「パートナーを所有物扱いしている」ことだと思います。幸せな生き方は、本来チェックリストのように、何かしらの条件を満たしているか否かで測ることはできないはずです。
ましてや、チェックした内容の評価が自分以外の他人に委ねられているというのは、自分が幸せになろうと努力することも放棄しています。また、パートナーの有無で他人の幸せを決めることは、測られた当人だけでなく、そのパートナーも傷つけているといっていいでしょう。
幸せは一人ひとり、絶対的なもの
そもそも、その人が幸せかどうかは、その個人が決めることです。誰かと比べるものでもなければ、他人から決められることでもないはずです(まして、その人自身がどういった生活を送ってどう感じているのかではなく、パートナーの有無で決めるなど言語道断です)。
一人で、趣味に没頭して幸せに生活している人もたくさんいるでしょう。パートナーはいなくても、友人と楽しく遊んでいる人もいるでしょう。私も、一人での生活を続けていますが、日々楽しく暮らしています。
以前は、クリスマスを一人で過ごす人のことを「クリぼっち」と揶揄する言葉もありましたが(この言葉は今も使われているかもしれません)、昨年はその言葉を聞いても動じないようになりました。
一方、パートナーがいても、DVなどによって幸せではない、大変だと感じている人もいるかもしれません。そのように悩んでいる人の事情を理解しようともせず、勝手に「パートナーがいるのだから、幸せに違いない」と決めつけるのもまた、暴力的な思い込みではないでしょうか。
恋愛経験やパートナーで相手を測るのをやめよう
他人の幸せを勝手にジャッジするどころか、ある程度の年齢で結婚歴なし、独身の人を「あの人は人間的に難があるからずっと結婚できないのだ」とか「かわいそうな人だ」などと判断する人も、いまだ少なくないと思います。
少なくとも、数年前までは自分もそう思っていました。しかし、自分の周りで結婚する人が増える中で、まったく結婚願望が芽生えない、結婚の予定もない自分のことがかわいそうかというと、そんなことはありません。
好き同士で結婚した友人は幸せそうだなと思いますが、結婚した人=幸せ、結婚していない私=不幸ではないのです。
せっかく2021年になりましたし、恋愛経験やパートナーの有無や経歴で他人を測ることから私自身も卒業したいです。