先日、あるニュース番組でオープンリーゲイの方がテレビ出演されているのを拝見しました。その方は、カミングアウトしたときの相手の反応や、自分がゲイであると主張し続けることの大事さ、オープンリーゲイとして生きることについて語られていました。今回は、自分の経験も踏まえながら、声を上げ続けることとカミングアウトの関係について考えます。
カミングアウトしたときに言われたい言葉
オープンリーゲイの方は、直接的な表現を避け、オブラートに包まれてやんわりと話されていたこともあり、視聴中、私はすぐにはその重要性を理解できませんでした。しかし、だんだんと、その方が説明していたことを理解できたような気がします。
カミングアウトしたとき、何と言われたいか
自分のセクシュアリティを気心知れた友人や家族にカミングアウトするのは、非常に勇気がいることです。否定されたらどうしよう、あまり聞きなじみのないセクシュアリティだからまったく理解してもらえないかもしれない、絶交・絶縁・勘当に至るかもしれない、などとあれこれ不安なことを考えてしまうと思います。
私自身も、基本はクローズドで生活していますが、一回だけカミングアウトした経験があります。私は「自分を、女(身体の性別)だとも、男だとも思わない」というXジェンダーです。当時も今も、Xジェンダーという言葉は世間にまったく浸透していないこともあり、受け入れてもらうどころか「言っている意味が分からない」と言われても仕方ないなと不安に思い、とても緊張しました。
一番言われたい言葉「気にしてないよ」
それでは、カミングアウトしたときに、最も言われたい言葉は何でしょうか? 人それぞれあると思いますが、私の場合は、「そうなんだ」「別に、あなたはあなただから」「気にしないよ」などといった言葉です。こういった言葉を言われたとき、否定されなかった、真に自分を受け入れてもらえたと感じられます。
私は、相手が「気にしないよ」と言った言葉を、それまでは文字通りにしか捉えていませんでした。つまり、「セクシュアリティはあなたの構成要素の一部であって、今までの付き合いや、そのほかの部分は基本的に変わらないはず。私は、あなたとだから一緒にいるんだ」という意味で相手は言っているのだと思っていました。
「気にしないよ」の裏に隠された真意
「聞かなかったことにするね」
私が安心感をもった「気にしない」という相手の反応。前述のオープンリーゲイの方は別の捉え方を示しました。つまり、「セクシュアリティってセンシティブなことだから、今の話は聞かなかったことにするね」とも捉えられるのではないか、というのです。
それまでの関係性も大事だけど、何か心に引っかかるものがあったから、どうしても伝えたいと思ったから、一世一代のカミングアウトをしたのに、聞かなかったことにされたらこちらが勇気を出した意味がありません。こういった意味で「気にしない」という発言をされたのだとしたら、ほとんど否定に近いのではないかと個人的には思います。
「気にしない」を信じたい
カミングアウトした相手が言う「気にしてないよ」に対するマイナスな捉え方を見て、私は衝撃を受けました。それまで想定したことが、まったくなかったからです。
しかし、この考え方に対してシスヘテと思われる視聴者からも「そういう意味で言ったつもりはないのでは?」などという意見もいくつか見受けられました。実際には、「気にしないよ」と言って、本当にカミングアウトを聞かなかったことにする人はあまりいないのかもしれません。
なかったことにされることは、ある
この「気にしない」の捉え方問題についてよくよく考えてみると、わざとではないけど、カミングアウトしたことを忘れられる、ということは決して珍しくないのではないかと思うのです。
その場では確かに聞いていたのに、忘れる
カミングアウトをする側からしたら、仲が良くても、信頼していても、相手が誰であっても、大抵の場合カミングアウトする際は緊張するものです。カミングアウトしたことや、カミングアウトした相手が誰だったかを忘れるということも、あまりないでしょう。
しかし、相手のセクシュアリティを本当に気にしていないシスヘテの人(セクシュアリティだけを見て付き合いをやめるなど、あからさまな差別をしない)にとっては、カミングアウトすらも雑談の一つにしか捉えておらず、次に会ったときにはケロっと忘れている可能性もゼロではないと思います。
「気にしないよ」と言って、本当に気にならないが故にカミングアウトされたことを忘れる人と、「気にしないよ」と言って、意識的にその話をなかったことにする人。こう考えると、同じ台詞を言って別の捉え方をしていたはずなのに、カミングアウトした側からすれば結果的にはあまり変わらないように感じます。
忘れられたことを指摘できますか?
カミングアウトした側で考えたときに、「気にしないよ」と言われて、本当に気にしていない人が忘れているという状況を想定すると、結構つらいものがあります。もしかしたら、カミングアウトしたその場で否定されるより、「やっぱり理解してないんじゃん」「またセクシュアリティについて説明しなきゃいけないの?」とショックを受けるかもしれません。
例えば
・アセクシュアルで、恋愛や性愛に興味がない、嫌悪感があるとカミングアウトしたのに、「最近気になる人いないの?」と聞かれる。
・ゲイだと言ったのに、「あの娘、かわいくない?」と言われる。
・Xジェンダーで、自分の身体の性別(女性)に合わせた性表現を強制されるのが苦手だと伝えたのに、「また今日もすっぴんなの? いい歳なんだし、いい加減メイクしたら?」と指摘される。
などの経験者は少なくないでしょう。
私のカミングアウト体験
実際、前述の通り私は過去に一回だけカミングアウトしたことがありました。相手は友人でした。「体は女性だけど、自分のことを女性だと思えない。かと言って男性でもない。私の性別はない」と伝えたところ、そのときは「そうなんだ」とだけ返されたので、「受け入れてもらえた!」と思いました。
しかし、しばらく話を進めると「でも女の子だと思うけどね」と話をひっくり返されました。相手がどう思うのかはコントロールできないので、仕方ないとも言えます。実際、その発言に対して私もその場では「そうだよね」としか返せませんでした。しかし、心の中では「こいつ、私のカミングアウト聞いてた?」と思わざるを得ませんでした。
今まで、そしてこれからもシスヘテの規範の中で生活する人たちに、いきなり自分の感じ方、考え方を理解してもらうのは、難しいと思います。しかし、こういったときにこそ「あれ、この人、私がさっきカミングアウトしたの、忘れてる? それとも、なかったことにされてる?」と感じてしまうのではないでしょうか。
カミングアウトした相手との関係性にもよりますが、私だったらその場でもう一回、自分のセクシュアリティを伝える勇気はありません。そして、一度ならず何度もそういった場面の出くわすようなら、次第にその人から遠ざかることにします。
セクシュアリティを伝え「続ける」大切さ
伝え続けることのリスク
誰かに自分のセクシュアリティを伝える初めてのカミングアウトは、とても勇気のいることです。しかし、カミングアウトしたことを忘れられたり、なかったことにされる場面で再度セクシュアリティについて説明することも、同じくらい、場合によっては初めてのカミングアウト以上に緊張するものです。
もしかしたら、最初のカミングアウトでは暗い雰囲気にならなかったのに、二回目の説明で相手に嫌な顔をされたり、「みんなで楽しい話をしてるのに、水を差すなよ」とか「一回言われたんだから、分かってるよ」などと言われたりする可能性もあります。
しかも、このようなやり取りが何度も続いたらどうでしょうか。せっかく、最初のカミングアウトではうまくいったと思っていたのに、「何度も何度もうるさいなあ。別にセクシュアリティくらいどうでもいいだろう? 適当にその場の話に合わせろよ」と、結局関係性が悪化する可能性すら考えられます。
リスクを知ったうえで、伝え続けることの大切さ
セクシュアリティを丁寧に説明し続けることは大事ですが、伝え続けようとすると相手から拒絶されることも珍しくありません。それでも伝え続けようとするのは、かなりの勇気が必要です。拒絶されてもなおセクシュアリティについて伝え続けようとすることこそ、カミングアウトの出発点と言えるのではないでしょうか。
また、セクシュアリティについて伝え続けるという行為は、単に個人間の関係によらないと私は考えています。例えば、2020年10月に問題になった足立区議や、11月の春日部市議の発言。ああいったセンセーショナルなことが起きると、一時的に全国的にトレンド入りして笑いの種となって盛り上がります。しかし、単なる一過性の話題で終わらないように、こうして何度も記事として執筆したり、社会へ発信することも、なかったことにしないための一つの方法です。
しかし、こうした社会的な運動を続けていると「声がでかい」などとマジョリティ側から批判されることもあります。こういった類の批判は、個人間で起こる関係性の悪化と非常に似ていると思います。
個人間でも、社会に向けても、マイノリティが声を上げ「続ける」ことの大変さ、大切さを、改めて痛感しました。全員が常に頑張る必要はありませんが、できる限り活動家の方を応援したり、文章上ではありますがこうしてLGBTQ当事者の一人として声を上げる活動を、少しずつでも続けたいです。