02 スカートも赤いランドセルもイヤ!
03 陸上に打ち込んだ中学生のころ
04 スカートの下はズボンかスパッツ
05 恋愛にはまったく興味が持てなかった
==================(後編)========================
06 初めての交際は、あっさり薄味
07 小学生のキャンプイベントに参加して方針転換
08 男か女か分からないからスカートを
09 これだ! ぼくはトランスジェンダーだ!
10 治療を始めて、堂々と男役を演じる
01名づけ親はふたりのお姉ちゃん
両親は男の子が欲しかった
生まれも育ちも福岡県久留米市。三人姉妹の末っ子として誕生。
生まれたときの本名は、津留さやか。
「ふたりのお姉ちゃんが、生まれる前から、さやかちゃん、さやかちゃんとお母さんのお腹に向かって呼びかけてたらしいんですよ」
生まれてみると、そのとおりの女の子。7つ違い、5つ違い、ふたりの姉が名づけ親となった。
「逆に、お父さんとお母さんは、男の子が欲しいと話してたって聞きました」
かわいい妹が欲しいという、ふたりの姉の願いが勝ったことになる。
しかし、大人しくて、女の子らしいふたりとは違って、自分はやんちゃな性格だったらしい。
「玄関が少しでも開いてると、すぐに外に逃げ出してウロウロ歩き回っていたみたいです」
あるとき、近所のおじさんが見つけて保護してくれた。
「そのおじさんが、『お前の家の娘を預かった』と、家に電話をかけてきて(笑)」
誘拐犯を装った電話は、ご近所づきあいが良好だった証拠だ。
「お姉ちゃんたちは年が離れていましたから、一人っ子のようにかわいがってもらいました」
お父さんは自営業。木工機械の修理や販売を行っている。お客さんは民芸品を作る職人さんや日曜大工を趣味にする一般の人だ。
「どんと構えたタイプでしたね。お母さんがいうには、ある日、突然、相談もなしに会社を辞めてきたらしいです(笑)」
「お母さんはガミガミと小言が多い人だったが、優しい人ですね。しょっちゅう怒られて、精神的に鍛えられました」
ひとりで遊ぶことが多かった
学区を超えて、徒歩で30〜40分かかる遠い小学校に通っていた。
「自分ではよく覚えていないんですが、最初のうちは学校に馴染めなくて、しばらく不登校になったそうです」
「先生の叱り方がキツかったみたいで」
しかし、1週間ほど、お母さんが一緒に登校して給食や掃除の時間も過ごしてくれると、ひとりで行けるようになった。
「姉たちは年が離れていたし、ひとりで遊ぶことが多かったですね」
学校から帰ってカバンを下ろすと、野球のグローブを持って公園にいく。
「そこでひとりで壁にボールを投げて、ボールを取る練習をしたりしてました」
通学が精一杯で、放課後のクラブ活動には参加できないという事情もあった。
工作が好きで、家の中にいるときは、いろいろなものを分解したり、壊したり。
「テープとのりとハサミがあれば、ずっとひとりで遊んでいました」
工作が得意なのは、お父さん譲りだろう。
「おままごとは、何が面白いのか、さっぱり分かりませんでした(笑)」
02スカートも赤いランドセルもイヤ!
かわいい服は着たくない
学校が楽しくなったのは、小学校2年生でサッカーを覚えてからだった。
「朝早く学校に行って、授業の前にボールを蹴って遊んでました」
サッカーの仲間は、男の子ばかりだ。
「『津留、うまいな』ってほめられると、喜ぶタイプでした(笑)。負けず嫌いなんですね」
走るのが速く、「オリンピック選手になれるよ!」などと、おだてられることもあった。
本来なら、体育の授業は楽しいはずだがーーー。
「ブルマを履くのが、イヤでイヤでたまりませんでした。5年生のときにショートパンツになって、ほっとしました」
もうひとつ、イヤだったのが赤いランドセルだ。
「おばあちゃんに買ってもらったんですけど、背負いたくなくて、リュックサックで学校に通ってました」
スカートもまったくウケつけなかった。
幼稚園から制服を拒否して、体操服で通うほどだった。
「小学校のときは、ずっとズボンでしたね。お母さんにも、かわいい服は着ないよ、と宣言してました」
幼稚園のときに編んでもらった三つ編みを、帽子の中に隠したことも思い出す。
「5年生までは髪が長かったんですが、6年のときにバッサリ切りました。それ以来、短髪です」
オカマとオトコオンナ
着るものも、仕草も男っぽかったためか、「オトコオンナ」と揶揄されることがあった。
クラスにてっちゃんという、言葉使いが女っぽい男子がいた。
「オカマとオトコオンナ! 津留とてっちゃんは、入れ替わりじゃないの? なんてからかわれたこともあります」
男の子を好きになることも、まったく考えられなかった。
「自分の周りに付き合ってる子たちいたのかもしれないけど、一切、興味が沸きませんでした」
6年生のときに、他のクラスの女の子にトイレを覗かれるという事件がおこる。
「それはイヤな気分になりましたね。理由を知りたくて何度も聞いたけど、覗いたことを認めてくれなかったんです」
本当の理由は、いまだに謎だ。
小学校の卒業アルバムには、「女の子と遊ぶのがイヤになってきたようだ」と、他人ごとのようなコメントを載せた。
03陸上に打ち込んだ中学生のころ
3種競技で全国大会に出場
中学に進学。
足の速さを生かして陸上部に入部すると、さっそく頭角をあらわす。
「1年生のときの顧問の先生が専門知識のある人で、いい指導をしてくれました」
ところが、その先生が異動してしまう。
「がっかりしたんですが、次の先生は陸上專門ではないのに、一緒に走ったり、記録を計測してくれたり、親身になってくれましたね」
勉強になるからと、アジア大会の見学にも連れていってくれた。
指導者にも恵まれて記録を伸ばし、3年生のときに全日本中学陸上競技大会出場を果たす。
「走り幅跳び、砲丸投げ、ハードルの3つの種目で点数を競う3種競技で出場しました」
同じ中学からは、別の「さやか」という名の水泳選手も全国大会に出ることになった。
「ダブルさやか、と評判になって、駅に広告まで掛けれたんです。恥ずかしかったけど、誇らしい気持ちになりました」
目標は、オリンピック出場!
全国大会は富山県で開催された。
最初の種目は最も得意な走り幅跳びだった。
「3本しか跳べないのに、ファール、ファールときて、最後の3本目は失敗ジャンプになって」
気落ちして臨んだ砲丸投げは、雨で指がツルッと滑って記録が伸びない。万事休すとなってしまった。
「そのときに優勝したのが、桝見咲智子だったんです」
桝見選手はその大会を中学新記録で優勝し、後に走り幅跳びで世界選手権にも出場する日本のエースに成長した。
「全国大会では思ったとおりの試技ができなかたったけど、陸上はますます好きになりました」
目標は「将来、陸上選手となってオリンピックに出る」と大きく掲げた。
「練習ノートを作って、自分の調子を記録したり、練習メニューを考えたりしてました」
陸上に打ち込む一方、生徒会にも立候補する。
「目立ちたがりで、でしゃばり。みんなに認められるのが気持ちよかったのかな(笑)」
その後もリーダーシップを取る役職につくことが多くなる。
授業中もジャージで通した
充実した中学生活だったが、悩みは制服だった。スカートを履く自分は、どうしても許せなかった。
「それで、陸上部であることを利用しました(笑)」
朝練という理由をつけてジャージで登校。体育の時間に備えてそのまま授業、放課後には陸上の練習があるから、とまたジャージ。
「制服は持っていっていましたけど、まったく着ませんでしたね」
幸いにも全国大会に出るなど一目置かれる存在だったので、見逃してもらえたのかもしれない。
「校長先生にも、頑張っているか、と声をかけてもらいましたから」
しかし、我慢して制服を着なければならない場面もあった。
「生徒会です(笑)。やっぱり、生徒会はジャージじゃまずいですよね」
自薦で入った生徒会が仇になってしまった。
04スカートの下はズボンかスパッツ
ハイレベルの環境で練習に打ち込む
陸上の成績が認められ、推薦で私立の女子校、明光学園に入学する。
「いろんな中学からいい選手が集まってくるので、レベルがとても高かったですね」
陸上部員は真面目に取り組む子ばかり。負けたくない一心で、自ずと練習に身が入った。
「朝練も一生懸命に頑張りました。授業が終わると、先輩よりも先に行って、グラウンド整備をしましたし」
高いレベルで陸上に集中できることがうれしかった。
練習の甲斐あって、2年生のときに熊本で開催されたインターハイに、走り幅跳びで出場する。
「そこで桝見咲智子に再会しました」
「『あー、久しぶり』と、声をかけてくれました。あんなスーパースターに親しく声をかけてもらってビックリしました」
当時の走り幅跳びの記録は5メートル50センチ。決勝に残ることはできなかった。
「上には上がいることを実感しました」
電車の中でファスナーを上げる
高校に入っても制服の問題はついて回る。しかも、体操服などでの通学は禁止されていた。
「陸上部は特別で、実はお嬢さま学校だったんです」
仕方がないので、授業のときはスカートの下にズボンを履いて帳尻を合わせた。通学はロングスパッツだ。
「グラウンドの横を線路が通っていて、電車が近づいて来る音が聞こえると、駅に向かって走るんです」
「待って〜!」と叫んで、電車に駆け込み・・・・・・。
「電車の中でジャンパースカートのファスナーを上げていました(笑)」
髪は短く、ボーイッシュなスタイルは一貫していた。
05恋愛にはまったく興味が持てなかった
下級生に告白される
明光学園は、中高一貫校だ。
「まわりには、かわいい子がたくさんいましたね」
陸上部で活躍する跳躍選手は、注目の存在でもあった。
「下級生に、キャッキャいわれることもありました」
ある日、中学生の3人組が廊下でウロウロしていた。
「ぼく宛の手紙を持ってきて、『読んでください』と手渡されたんです」
開けてみると、「好きです」と書いてあった。
「もちろん、つき合うという意識はまったくなかったので、『頑張ります』みたいな返事を書いただけでした」
黄色い声援を浴びるのはうれしかったが、女同士のつき合いは思いもよらなかった。
心も体も違和感はなし
考えてみれば、男子はもちろん、女の子にも恋愛感情を抱いたことは、それまで一度もなかった。
「中学も高校も陸上に集中していたせいですかね」
「中学のときは、むしろ男の子といるほうが楽で、女の子の世界は馴染めないって感じてました」
共学に進めば、違ったのかもしれないが、心も体も違和感に悩むことはなかった。
「学校には女同士のカップルがいたのかもしれないけど、全然、気がつきませんでしたね。そういえば、『あのふたり、レズみたいよ』という噂はあったかな」
「恋愛とか、つき合うことに興味がなかったんでしょうね」
中学も高校も、陸上が恋人だった。
<<<後編 2020/06/04/Thu>>>
INDEX
06 初めての交際は、あっさり薄味
07 小学生のキャンプイベントに参加して方針転換
08 男か女か分からないからスカートを
09 これだ! ぼくはトランスジェンダーだ!
10 治療を始めて、堂々と男役を演じる