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Writer/酉野たまご

LGBTであっても心から祝いたい。結婚式に参列してみて思ったこと

結婚式に参列する機会が増えて、少しずつ「ウェディングの定番スタイル」のようなものがわかってきた。そこで感じたのは、LGBT当事者とウェディング業界に、まだまだ距離がある気がするということだ。結婚はできないかもしれないLGBT当事者であっても、友人の結婚式くらいは心からお祝いしたいのに。

私は結婚式が苦手かもしれない

「結婚式参列ラッシュ」だった二〇二三年

昨年2023年は私にとって、「結婚式参列ラッシュ」の年だった。

これまで親族の結婚式にしか出席したことがなかったのだけど、なぜか友人・知人から次々とお誘いをいただき、一年間で合計三回の参列を果たした。

私は友人が多い方ではなく、また友人のうち何人かはコロナ禍真っただ中に入籍したこともあって、式を挙げないという人が多かった。だから、親族以外の結婚式に出席したのは昨年が初めてのことだった。

一回目、二回目、三回目と重ねて参列することで、ご祝儀の渡し方やセレモニーのスタイルにもだんだんと慣れていくことができた。

それぞれの式は、いずれも幸せそうな雰囲気にあふれていて、出席して本当に良かったと思えた。結婚する友人・知人の笑顔を見て、直接お祝いの言葉をかけることができたのも嬉しかった。

ただ、誘ってくれた友人・知人には言いにくいことなのだけれど、ある疑念がこの一年の間に確信に変わっていった。

私はもしかしたら、結婚式が苦手なのかもしれない。

LGBT当事者としてもやもやしてしまう、ウェディングの定番スタイル

「結婚式が苦手」という表現は、厳密にいえば少し語弊がある。

結婚式に参列することそのものは、嬉しいし喜ばしい。
それが好きな友人や知人を祝うものであれば、なおさら。

にもかかわらず、結婚式に苦手意識を抱いてしまったのには、理由があるのだ。

私は現在、同性のパートナーとお付き合いをしている。

今の日本の状況では私とパートナーが法律婚をすることはできないけれど、そのことと結婚式への苦手意識は、直接的には関係ない。

結婚式やウェディングパーティーの定番である、決まり文句やセレモニーの形式などに、LGBT当事者として居心地の悪さを感じてしまったのである。

実際に参列して感じた、ウェディングイベントでの「もやっと」体験

司会者の言葉選びに感じた「もやっと」

正確には「結婚式」ではなく、披露宴やウェディングパーティーの中で感じたことではあるのだけど、これまでで一番もやっとしたのは「司会者の言葉選び」だ。

三回出席したうち三回とも、司会をされていたのは新郎新婦の知人などではなく、お仕事として依頼された人のようだった。

いずれも朗らかな雰囲気で、お祝いの場にふさわしい司会進行ではあったのだけれど、その言葉選びに何度も複雑な思いを抱いてしまった。

たとえば、新郎新婦からのプレゼント企画が開催されたときのこと。

新婦のお色直しの際、カラードレスの色を参列者があらかじめ予想して、同じ色のサイリュウムを振りながら待つという企画があった。ドレスの色を的中させた人の中から、さらに抽選で選ばれた人にギフトが用意されているという内容で、ギフトが当たった人はその都度、ちょっとしたコメントを求められた。

そして、レストランのペアチケットや洋菓子のセットを贈られた人たちに、なぜか司会の人は毎回「誰と一緒に行きたいですか?」「誰と一緒に食べますか?」という質問をしていたのだ。

結婚を祝う場なのだから、パートナーシップにちなんだ質問をするのは当然なのかもしれない。

それでも、「今日一緒に来ている友達と行こうと思います」という回答に「新郎新婦のように素敵な人と出会えるといいですね」と返す司会者や、「一緒に食べる人がいません!」と答えて笑いをとる人の姿を見ていると、次第にもやもやとした気持ちがふくらんでいった。

どうして決まったパートナーのいない人が、自虐のようなパフォーマンスをしなくてはならないのだろうか?

そしてなんと、この抽選ギフトに私も当選してしまったのだ。

「しまった」などと言うと新郎新婦に申し訳ないのだけれど、これまでの質問と回答の応酬を考えると、とっさに「どうしよう・・・・・・」と逡巡する思いを抑えられなかった。

私がいただいたギフトは、ペアタンブラーのセット。

司会者は、マイクを手渡された私に向かって「そのタンブラーを誰と使いたいですか?」と聞いてきた。

なぜその質問に答えなくてはいけないの? と意地になる感情と、新郎新婦の晴れの場に水を差したくないという感情で板挟みになった私は、「一緒に暮らしているパートナーと使いたいです」と言った。

突然のことで頭が回らなかったが、かろうじて嘘はついていない、けれど面白みのない内容のコメントをしてしまった。

もし私にパートナーがいなかったら、「これから婚活をがんばって、一緒に使う人を見つけたいです!」などと言ってしまっていたかもしれないと、心の奥でうっすらと思いながら。

一部のウェディングセレモニーに感じた「もやっと」

他に引っ掛かりをおぼえたのは、結婚式や披露宴の定番となっている一部のセレモニーである。

「バージンロード」を新婦と父親が一緒に歩き、父親のもとから新郎へと新婦が移動するという形式。

夫婦で入刀したケーキを、新郎から新婦へは小さいスプーンで、新婦から新郎へはビッグサイズのスプーンで口に入れるファーストバイト。

それらの内容にはっきりと性差が感じられることも引っ掛かったし、司会者の「新郎は大黒柱として家計を支え、新婦はたくさんの愛情で新郎を包み・・・・・・」といったコメントにも複雑な思いを抱いた。

新婦だった友人からは、結婚式や披露宴は準備がものすごく大変で、セレモニーや司会者のコメントの内容を一つ一つ吟味することができなかったと後から聞いた。

「私自身もちょっと複雑だった」とこぼす友人の様子を見ていると、旧来の形式を崩すことの難しさについて、改めて考えさせられた。

LGBT当事者である自分が、もしウェディングイベントを開催するなら

もし自分だったら? LGBT当事者が考えるウェディングイベントの内容

もし私が将来、パートナーと結婚するとしたら、式を挙げるだろうか。
現状では、答えはほぼ「NO」に偏っている。

前述したように、一般的な結婚式や披露宴を挙げる際には、決めるべきことや準備すべきことが山積みになりがちだ。

そんな状況の中で、自分たちや友人・知人たちの誰にも複雑な思いを抱かせない式の構成を考えるのは、かなり骨が折れそうである。

お金や時間をかけてまで、私自身もやもやとした感情を抱くことになるようなイベントを開催したいとは思えない。

それでも、仲の良い友人や家族に、自分とパートナーの門出を祝ってもらうというのは、一生の思い出になる経験のはずだ。あるいは、もしかしたらパートナー自身が式を挙げることを望むかもしれない。

では、どのような形であれば、納得のいくウェディングイベントを作ることができるだろうか。

「フォトウェディング」は手軽でコストもかからないけど・・・

最も無難なのは、フォトウェディングでの結婚報告だろうか。

綺麗な写真を記念に残すことができて、自分たちが幸せであることを家族や友人にも伝えられる。実際に式を挙げるよりも費用はかからないし、忙しい友人・知人たちの時間を拘束することもない。

何より、不用意なコメントやセレモニーの内容で、誰かにいやな思いをさせる恐れがない。
ただ、その場合、私やパートナーの両親に「娘の結婚式に出席する」という喜びを味わってもらうことはできない。

私の両親は、もし私とパートナーが異性同士だったら、当然のように結婚式への出席を望んだだろう。幼い頃から私の将来を心配してくれていた祖父母にも、ぜひ出席してほしいと考えるはずだ。

実際は、私とパートナーは同性同士で、両親も無理に結婚式を挙げろとは言ってこないし、挙げてほしいのかどうかもわからない。しかし、先のことは予想ができないし、私やパートナーが両親を式に招待したいと思う日が来るかもしれない。

それでは、家族や友人をがっかりさせたり、気まずい思いをさせたりせずに式を挙げるにはどうすればいいだろうか。

簡単な挙式と食事会、小規模なウェディングパーティー

真っ先に思いつくのは、私の叔父が実際にとっていた方法だ。
ずばり、結婚式は親族のみで挙げて、披露宴ではなく両家そろっての食事会を開くこと。

そうすれば、規模はぐっと小さくなるし、披露宴で誰かに司会進行を依頼することもない。
バージンロードを父親と歩くくだりは省略して、パートナーと二人で入場すれば、式の内容に性差を感じる場面も減るはずだ。

友人たちを招きたい場合は、手作り規模のウェディングパーティーを開きたい。

ウェディングパーティーにも参加はしたけれど、披露宴の縮小版のような形式だったため、もやもやする部分は披露宴とあまり変わらなかった。

私がウェディングパーティーを開催するなら、結婚式場とセットになっているような会場ではなく、もっとラフなカフェやレンタルスペース、あるいは自宅などで行いたい。

服装もかしこまらず、身内だけで飾りつけや食事の手配をして、私とパートナー自身が仕切るくらいの規模がいい。

おいしいごはんを食べて、友人たちと気楽におしゃべりをするだけ。人数も少なくていいし、ご祝儀もなくていい。

学生時代の友人や趣味関係の友人など、同じジャンルの知り合いだけが集まるようにして、参加者のスケジュールにあわせて複数回開催すれば、友人たちに無理をさせることもなく、より心に残るウェディングパーティーになるかもしれない。

LGBT当事者として、ウェディング業界に思うこと

ウェディングの定番スタイルを、もっとジェンダーレスに

自分が結婚式を挙げるかどうかはともかく、やっぱり友人・知人の結婚式に参列することがあれば、心の底から気持ちよくお祝いしたいと思う。

だからこそ、司会やスピーチでの言葉選びや、セレモニーの内容など、LGBTの当事者がもやもやした感情を抱きにくい、性差のないスタイルがもっと広まり、根付いてほしいと願わずにはいられない。

また、式当日だけでなく、招待状の内容にもトラップは潜んでいる。

私とパートナーの関係を知っていてウェディングパーティーにお誘いしてくれた人から、「当日の服装は、男性はジャケット、女性はワンピースなどのスマートカジュアルでお越しください」という案内をいただいたことがあるのだ。

お誘い自体はとても嬉しかったのだけど、おそらくテンプレートの文章をそのまま使ったと思われるその言葉選びがどうしても気になった。

「男性は」「女性は」というワードを省いて、「ジャケットやワンピースなどのスマートカジュアルでお越しください」という言い回しにすれば、よりシンプルでわかりやすいはずなのに・・・・・・。

おそらく、ウェディングパーティーの招待でテンプレートとなっている文章をそのまま送っただけなのだろうけど、そのテンプレートの文言自体が、ジェンダーレスなものに変わっていけばいいな、と個人的に思う。

LGBT当事者でも、心から友人の結婚を祝いたい

結婚式を挙げたいかどうか、どれだけお金や手間をかけたいか、誰を呼びたいかなど、人それぞれウェディングに対する思いには違いがあると思う。

ただ共通しているのは、大切な友人・知人の結婚式に呼ばれることがあったら、お互いの意識に多少の違いがあったとしても、その時くらいは気持ちよくお祝いしたいということではないだろうか。

私を含むLGBT当事者の人たちが心から祝福できるよう、ウェディングの定番スタイルがこれからどんどん変わっていくことを願っている。

 

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