大人になると、どうあがいても避けられない問題が出てくる。そう、性的な関わり。私は異性にも同性にも、性的欲求を抱いたことがない。だからアセクシュアルという言葉を知ったとき安堵した。アセクシュアルとは、他者に対して性的欲求を抱かない性的指向のこと。このラベルが見つかったあと、アセクシュアルに似たセクシュアリティを知り、少し迷子になったことがある。自分ははたして「本当にアセクシュアルなのか」と。
アセクシュアルを知らない若者時代
私が自分をアロマンティック・アセクシュアルだと認識したのは40代も半ばになってから。同年代の友人や同僚は、みんな家庭を築き、子育てがひと段落したころだ。
10代「なんかみんな面倒くさいことになってるな」
小学5年生になったあたりから、居心地がどんどん悪くなっていった。
男の子と漫画の話をしていると、陰口を叩かれたり冷やかされたりするようになった。中学生になると付き合うだのなんだのと、毎日教室のあちこちで黄色い声が響くようにもなった。
中学生のとき、休日に行った近所の本屋で、同級生の男の子を見かけたことがある。彼は友達と来ていて、グラビア雑誌の前でうろうろしていた。私は当時、デリカシーのかけらもなかったから平然と「なに買いに来たの?」と声をかけたが、どうも間が悪かったようだ。翌日から距離を置かれてしまった。
「男の子はそういうものに興味を持つものだ」とわかっていたから、別に彼がグラビアに興味津々でもまったく気にしなかったのだが、向こうはそうではなかったらしい。
女の子は女の子で、わざと好きな男の子に絡みに行ったり、いきなり彼氏を作ってみたり、なんだか目まぐるしいなと思ったのを覚えている。
20代「私って変なんだ」と「ふつうにならなきゃ」
10代のころから引きずっていた「もしかして、自分は確実におかしいのでは?」とリアルに感じはじめたのが20代だ。周りは恋人や結婚相手がいるのが当たり前の環境にあって、それを「うらやましい」「私もそうなりたい」と思えないことに焦っていた。
なにがなんでも “ふつう” の女にならなければと焦って婚活したり、友人の紹介で男性に会ったりしたが、もちろんピンとくるはずもない。
アロマンティックの要素も持っていた私だ。
異性であれ同性であれ、他人に惹かれたことは一度もなかった。その確かな事実が、私をふつうから遠ざけるようでさらに焦りが募った。
20代にもなると、職場の同僚や友人との間で当たり前のようにセックスの話題も出てくる。けれど私にはもちろん話に乗ることなどできない。
だって興味がないから。
楽しくもない話を続けるほど、時間にゆとりがある毎日ではなかった。仕事と趣味に全力投球していたから、といえば聞こえはいいが、実際は周囲との温度差を知られたくなかったのだ。
「あきらめないでね。きっといい人に出会えるから」
こんなセリフを、もう何度聞いたかわからない。
アセクシュアルの意味を知って感じた深い安堵
10代、20代と恋も性愛もわからないという状態で生きてきた。しかし30代以降は「自分はおかしいのかも」と思う一方「これが自分だしな」という、悟りに似た感覚が生まれる。自分が自分を認めてやれないで、誰が認めてくれるの? そんな思いもあったかもしれない。
30代「後天的なものかもしれない」

資格試験や仕事に没頭した30代は、よくセクハラに遭った時代でもある。古い体質の会社だったことも手伝って、未婚の私は飲み会のたびにネタにされた。
「色気が足りない」「女らしさがない」「手を出したいと思えない」
いまなら間違いなく一発アウトなセリフのオンパレード。2010年代に事務員として勤めていた会社は、まだまだ男尊女卑の傾向がみられた。
この会社で、私は執拗なセクハラを経験する。
平日の夜や休日にかかってくる、上司からの電話。早く切ろうとしても強く言えず、ダラダラと時間を消費した。
毅然と振る舞えば、長文メールでの攻撃や極端な仕事量で報復される。
耐えかねて退職したあと、私は家に引きこもりながら「こういうこと、昔からあったな」と気づいた。
成長が早かった私は、小学生で高校生に間違われたり、中学生で成人に間違われたりした。そのせいで、男性からちょっかいをかけられて男性不信になった時代があったのだ。
自分では解決していた気になっていたけれど、もしかしたらいまでも男性に対して嫌悪感があるのかもしれない。
過去の出来事が災いして「一時的に」恋愛やセックスを遠ざけているだけで、本当の私は友人や同僚のように異性愛者で性的欲求をもっているかもしれない。
そんな仮説にすがってみたところで、結局私はどこまで行っても恋はしないし、性的欲求がせり上がることもないと、いまはわかるのだけれど。
40 代「アセクシュアルっていうのか!?」
事務の仕事を離れた私は、病院の介護職として勤めていた。対人業務が合っていたようで、毎日が楽しい。
夜勤明けで布団にもぐったある日、Twitterである人のツイートに目を奪われた。
「周りが恋愛にわいてる意味がわからない」
Twitter歴は当時8年ほど。その間、こうしたツイートは見たことがなかった。
私はその人のツイートやフォロワーをたどり、ようやく自分を定義づける言葉に出会えた。
他者に性的欲求を感じないアセクシュアル
他者に恋愛感情をもたないアロマンティック
40代半ばにして、ようやく「私はこういう人間です」と表現できる! 少し高揚しながら、夢中で調べた。
これまで、私はどうして恋愛や性的なことに関心がなかったのか。
思春期もそれ以降も、いつだって無理をして周りに合わせてきたが、内心は「恋愛だのセックスだの、まったく興味がもてないな」と毒づいてきた。
しなくていいなら、したくない。
けれどどうやら、一般的ではないらしい。
苦しい、煩わしい。
でもそう思っちゃいけない。
ふつうでなくなってしまうから。
でも私だけじゃなかったんだ。そう感じられるのが、どれほど大きなことか。
アロマンティック・アセクシュアル。
同じ思いを抱えている人がたくさんいる。Twitterから得た安堵は、思いのほか私の心を温かくしてくれた。
アセクシュアルってほんとはどういう意味? 性のグラデーションに葛藤する
40年以上生きてきて「恋愛感情や性的欲求を他人に感じたことがないか」と聞かれると、判断に迷ってしまう。私のなかで、その定義や意味がはっきりしているわけじゃない。アセクシュアルに似たセクシュアリティを知って、迷いはさらに深まっていく。
アセクシュアルじゃなくてデミセクシュアルかも? 親しかった男性との関係性を考察する

アセクシュアルについて調べていると、デミセクシュアル・デミロマンティックという言葉に出会った。
信頼や絆を強く感じる相手にのみ、性的欲求や恋愛感情をもつらしい。
私は他人に対して「これは恋愛感情だ」「これは性的欲求だ」と感じたことは一度もなかった。しかし、仲のよい友人は男女ともにいたし、男友達に対しては「かっこいいな」「頼りになるな」と思った経験はある。
ただ、これは芸能人に感じるものと自分では解釈していた。かっこよかろうと頼りになろうと、相手との関係をそれまで以上に深めたいと思えなかったから。
ただ、長く生きてきたなかには、まるで片割れのように感じられる相手もいた。
彼となら普通に家庭を築いて、子どもを作って、そんな “ふつう” が手に入りそう。
私は彼に対して、人として全幅の信頼を寄せていた。
彼は私を尊重してくれる。嫌なことはしないし、必要なことは隠さず話してくれる。
一緒にいれば、自分は穏やかでいられるし、成長もできる。
そんな相手なら、たぶんマジョリティと同じことができるんじゃないか?
この考えがデミセクシュアルの人と似ているのであれば、私はアセクシュアルではなくデミセクシュアルに近いのかもしれない。
アセクシュアルじゃなくてグレーセクシュアルだったりする? 自分の性的欲求が見えず判断できない
これはつい最近の話だが、グレーセクシュアルという言葉にも出会った。
他人に性的な惹かれを感じる機会が少ない、もしくは感じたとしても大変薄いセクシュアリティ。広い意味で、アセクシュアルの一つと言えるだろうか。
これ、私じゃないか? 自分では自覚がないだけで、もしかしたら性的な魅力とやらを誰かに感じた瞬間があるかもしれない。
私は数ヶ月後に50歳を迎える。長く生きてきたぶん、過去もある。そのなかには、自分も忘れているような恋の記憶や、他者に性的に惹かれた記憶が眠っているような気がした。
わからない。いくら考えても。そもそも性的欲求ってなんだろう。
検索してもいいが、流行に乗ってみたくてAIを使ってみた。
さあ、感情論抜きで機械的に、そして淡々とまとめてくれ。
・身体的な反応:ホルモンや自律神経の影響でムラムラする、身体が反応する
・心理的な要素:安心したい、癒されたい、興奮したい、ストレスを解放したい
・関係性の要素:好きな人とつながりたい、触れ合いで愛情を確かめたい
・状況の要素:疲れ・睡眠不足・ストレス・飲酒・環境などで強くも弱くもなる
・・・・・・だめだ、身に覚えがない。
身体的なものは、まぁ頭では理解できる。そういうときもあるのだろう。
心理的。これはほかの方法でいくらでも解消できると思うし、関係性や状況の問題はセックスがなくても解決できそうな気がする。
アセクシュアルの意味を知って生まれた疑問の数かず。いろいろ考えていたら、なんだか頭が痛くなってきてしまった。
セクシュアリティは自認すればいい。開き直って生きていく

アセクシュアルだと自分で安心しておいて、ほかのセクシュアリティを知ったとたんに「実は違うのかも?」と心配になる。
しばらく考えたのち、自分をむりやり型にはめ込もうとしているのに気づいた。
性はグラデーションであるし、そのなかでもアセクシュアルはデミセクシュアルやグレーセクシュアルなど、少しずつ異なるセクシュアリティを内包している。内包、というよりは共存と言ったほうがしっくりくるかもしれない。同じようで、同じではない。
その意味を知れば知るほど、深みにはまっていく。
でも、それがなんだというのか。
自分のもやもやした部分を一言で表せるのは、うれしい。
けれども、言葉の意味にとらわれてしまってはまた悩む時間が増えてしまう。
いま、自分の心が「私のセクシュアリティはこれ」と決めているなら、それでいいんだ。
ラベルがあると安心できる。
自分が何者かを他人に伝えられるのは助かる。
セクシュアリティを人に告げるのは抵抗がある人も多いけれど、私は悶々としているより、はるかに楽だ。
もちろん、言いたくなければ言わなくていい。
本来はパーソナルな問題だ。
自分で抱えてもいいし、考えないようにしてもいい。
自分の自由にしていいんだ。
セクシュアリティは、変化することもあると聞く。それは後天的な要因がかもしれないし、出会った人によるのかもしれない。生まれつきのものかもしれない。
その意味をひとつずつ解明しようとしても、きっと途方もない時間がかかるし、人が人である以上、定義はあっても最適解なんて見つからない気がする。
それならいっそ、開き直っていればいいんだ。
だから私は、今日もアセクシュアルのラベルをかざしながら生きる。いまの自分は、こうなのだと。
■参考情報
・Job Rainbow MAGAZINE
アセクシュアル(Aセクシュアル・エイセクシュアル)とは?【恋愛はしない?】
・AセクAロマ部
「グレーセクシュアル(グレーセクシャル)」とは何ですか? 定義は?
・NOISE
セクシュアリティの細分化:性的指向と恋愛的指向
・NOISE
アロマンティックの私が、パートナーがいる人生を選んだ話


